116-咲き誇るダリア、最上層にて その1
「アリシアさん……」
静かにカナリアが呟く。
その白い鎧に―――今日だけでどれだけの血を浴びたか分からない白い鎧に、身を包んだ少女の名を。
「カナリアさん、私、あなたに逢う日をずっと楽しみにしていました」
アリシア・ブレイブハートが呟く。
その黒い装備に―――今日だけでどれだけの血を浴びたか分からない黒い装備に、身を包んだ少女に対する想いを。
……『戦争の試練』を選択したカナリア達とは違い、『勝利の試練』を選択したアリシア・ブレイブハート達は最上層へと到達し、そこに存在している敵に―――誰かが『戦争の試練』をクリアする前に―――勝利することこそが試練の目的となっている。
故に、カナリア達が最上層に呼び出されたということは、彼女達が試練の進行度で先を行っていたアリシア・ブレイブハートの最後の敵として選出されたということでもある。
そしてアリシア・ブレイブハートは、この『オニキスアイズ』というゲームが見繕った、自分に差し向けられる最強の敵、その相手が唯一ひとりだけ自分の上を行ったプレイヤーであるカナリアであったことが嬉しいらしい。
「うわぁ……ヤバいなあ、あれが敵だと思うとちょっち手ぇ震えるかも……」
とはいえカナリア達の目線で見れば、相変わらず嗜虐的な笑みが良く似合うアリシア・ブレイブハートこそが試練の最後に待ち受けていた最強の敵であり……ウィンは思わず少々震えた声を漏らす。
そう……『妖体化』を手に入れたあの日より、早々感じることのなかった彼女の予知めいた危機察知能力が全力で警鐘を鳴らしているのだ。
目の前の女は……並の者ではない、と。
「あたしは同姓同名の別人あたしは同姓同名の別人あたしは同姓同名の別人……」
そして、危機察知能力が全力で警鐘を鳴らしているのはなにもウィンだけではない。
勿論、連盟に誘われていたのにそれらをすっぽりと忘れ、断る返答すらせずにアリシア・ブレイブハートのことをほったらかしにした挙句、別の連盟に加わった女ことクリムメイスもだ。
「とりあえずこっちは悪い方に転んだ、と……」
「ええ。ですが、困難の先に得たものこそ! より価値はありますわ! 皆様、頑張りますわよ! 『夕闇の障壁』!」
一方、はあ、と溜め息を漏らしながらも武器を構えたハイドラと、あのアリシア・ブレイブハートと対面しているというのに『強いプレイヤーとマッチした』程度の反応しか見せないカナリアは大分余裕があるらしく……カナリアに至っては笑顔でHPを10000代償に『障壁』まで使用している。
「うおっ……なんだあの可愛い女の子の集まりは……天使の軍勢かよ……」
「バカ、見た目に騙されるな。あれこそイベントのたびに地獄を形成している悪魔共こと『クラシック・ブレイブス』だ」
「マジか。くそっ、悪魔的に可愛いってこのことだな……!」
とにもかくにも、互いに最も危険だと想定していた相手とマッチングしたことにより、両者とも此処まで上がってくる際に一切抱くことのなかった緊張感を初めて抱き……特に、この場に並ぶには少々力量不足が目立つサベージとスザクは押し潰されそうなプレッシャーを振り払おうと意を決した表情で武器を構える中―――。
「…………」
―――ただ一人、ジゴボルトだけが腕を組んで静かに目の前の四人に……否、クリムメイスに注目していた。
「……ん」
いくらアリシア・ブレイブハートが自分のことを覚えていないようにと必死に祈り続けている彼女であっても、流石に自分をじっと見つめる全身鎧の大男がいれば気になるというもので、訝しそうな顔を浮かべつつそちらに目を向け―――すると、それを待っていたかのようにジゴボルトは腕を組んだまま右手の小指だけを立てて見せた。
「……!」
ジゴボルトが一瞬見せた仕草……それに気付いたクリムメイスは一瞬驚いたような表情を浮かべた後にホッとした様子で小さくウィンクを返す。
……そう、彼女が取った小さな仕草、それはジゴボルトがフィードバックよりアリシア・ブレイブハートの元に送り込まれたスパイであることをクリムメイスへと伝えるジェスチャーだったのだ。
(……分かってるわ、クリ姐さん。アンタがアタシにさせたいこと、アタシがするべきこと……全部ね。けれど……)
そして、ジゴボルトのジェスチャーに対しクリムメイスが返したそのウィンクは『適度にポカしてそちらが負けるよう誘導しろ』という意味であり、フィードバック……その後ろに存在する組織『若螺旋流組』のことを考えれば、それが正しい判断であるとジゴボルトは当然理解している。
だが、それでもジゴボルトは躊躇せざるを得なかった。
とはいえ、なにも別に潜入先で仕えているアリシア・ブレイブハートに情が移ったわけではない。
むしろ、それは……。
「さァて! 行くわよ、アリシアん! ここが正念場! ……絶対に、勝つ! わよォ~ッん!」
……組織を裏切ることに心苦しさを覚えつつも、どうしてもジゴボルトは今回ばかりはクリムメイスの指示に従うことができず、胸の前で大きくバッテンの字を作った後に―――それをクリムメイスに対する拒絶のジェスチャーであると悟られないように―――両手をVの字に大きく広げて見せる。
「…………ちぃッ……クソ、貴様までもか」
なにを今更な、とでも言いたげな視線をアリシア・ブレイブハートから浴びるジゴボルトを見つつ、クリムメイスは忌々しそうな表情を浮かべた後に静かに口の中だけで悪態を吐く。
やはり組織とは生物であり、頭が離れれば死に腐るのが道理か、なんて考えてながら。
「カナリアさん……私、あなたに勝ちます。そして、その勝利で……私は私の価値を証明します」
「わたくしを下す事に価値を見出していただけるのは嬉しいですけれども……ただでは負けてはあげませんわ! 戦争、ですわよ! アリシアさん!」
この戦場に底知れぬ悪意が渦巻いている……だなんて。
微塵も考えない(あるいは一方は、考えないようにしている)二人は、互いの得物を抜いて―――片や、今まで見せたことのないような真剣な表情で、片や、なんとも楽しそうな笑顔を浮かべて、戦いの火蓋を切った。
「のっけからトップスピード! しかないっしょ! 『妖体化』!」
「こっちだってハナから最高電圧よォ~~~んッ! 『寄虫覚醒』! ホァアッ!」
戦いが始まると最初に動いたのはウィンとジゴボルトであり、ウィンは少し前に再び手に入れたばかりの人の形を即座に放棄して悍ましい怪物の姿に戻り、ジゴボルトは肩部と腹部から二対の腕を飛び出させて、さながら二足歩行する甲虫とでも呼ぶべき姿となる。
「スザク、サベージ、言っておきますが……私はあなた達と足並み揃えるつもりはありません。勝手に戦わせてもらいます」
「ああッ! 構わないぜ、アリちゃん! 俺達のことなんか気にすんな! なあ!」
「うん。私たちは死に物狂いで連盟長に合わせるだけだ!」
両陣営でパーティーメンバーのひとりがさも当然のように人の形を捨てて異形となる中、先に駆け出して攻める形となったのは、遠距離における攻撃手段に乏しいアリシア・ブレイブハート達。
言葉の通り二人の返答に首肯すら返さないアリシア・ブレイブハートを先頭にサベージとスザクが突っ込んでくる。
「私とハイドラが前に出る! それでいいわよね!」
「あんなこと言っておいて後ろに下がるのは少々気が引けますけれど。でも、ええ! わかりましたわ!」
「……あんたの指示なんか聞くの最ッ高サイアクに癪だけど、そうも言ってられないか!」
対し、守る形となった『クラシック・ブレイブス』の面々はクリムメイスとハイドラを前に、最後尾にウィン、真ん中にカナリアの陣形を取る。
並みの相手ならばカナリアを前に出せば良いが、今回対峙するアリシア・ブレイブハートは以前カナリアが苦戦したモンスター……『雪鹿』のように『部位破壊』を用いて、急所に攻撃を当てさえすれば受け手側のHPや防御力を完全に無視して即死させられる特徴がある。
それは当然ながら、カナリアが普段見せるような回避を度外視したファイトスタイルとは致命的に相性が悪く、逆に大盾を用いた堅牢な守りが強みのクリムメイスや、ずば抜けたプレイングスキルで敵の攻撃を回避するハイドラは相性が良いのだから、この陣形は理に適っているだろう。
「『雷・槍』ッ!」
「ポワァアッ!」
距離を詰めてくる『グランド・ダリア・ガーデン』の面々に対し、クリムメイスの槌より雷の槍が、ウィンの杖より結晶化した魔力の槍が放たれた。
弾速に優れるが、やや火力に難のある『雷槍』と、火力に優れるが、やや弾速に難のある『マジックランス』……そのふたつは同時に放たれたにも関わらず、明確に時間を置いてアリシア・ブレイブハートへと飛来、全てを避けるのは非常に難しいであろう時間差攻撃を仕掛ける。
だが、それをアリシア・ブレイブハートは雷槍については少し進路を横にずらして回避し、自分を追ってきた『マジックランス』に対しては盾を構え―――。
「『パリィ』!」
―――あろうことか、魔力で構成された槍を盾で弾き、受け流してみせた。
《ウソ! スペルパリィ!? 伝説の産廃特性じゃん! ってかスペルパリィのクセに槍弾くとか生意気!》
その光景を見てウィンが(聞いた側が気分を著しく害す為)使用を封じていた念話能力を使ってまで驚いて見せ、その声を聞いて『クラシック・ブレイブス』の他三名は少々顔を顰めたが……ウィンが思わず声を上げるのも仕方がなかった。
通常は『パリィ』で受け流すことが叶わない魔法を『パリィ』で受け流すことが出来るようになる特性……かつてコンシューマ時代に幾度となく登場してはことごとく『いや普通に避ければいいじゃんこれゴミ』という評価を下されていた産廃特性……それこそが『スペルパリィ』なのだから。
「アリちゃんの道は俺が切り開いてやンらァ! 『クイックファング』!」
「なら私は……あなただっ! クリムメイス! 『バレットファイア』!」
飛来した魔力の槍がアリシア・ブレイブハートの持つ中盾……ダリアステインによって弾かれ、あらぬ方向に飛んでいき霧散した隙に、アリシア・ブレイブハートの背から飛び出したサベージが急加速して、パッと見、一番平凡そうな装備をしているハイドラへと向かい、サベージが前衛の片方であるハイドラの相手をするならば、と、スザクはもう片方であり、密かに憧れの人物の影を重ねる相手であるクリムメイスへと向かう。
今回のイベントにおいて数多くあった、集団戦を回避して個人同士の戦いに持ち込む展開……それは、相手取るのが並みのプレイヤーであれば別段嫌う必要はないのだが、今回ばかりは少々分が悪い。
「いいえっ! あなた達の相手はまとめてこの子ですわよ! ローラン!」
そう考えたカナリアが右手を高く突き上げ、自らの影より巨大な獣脚類……イフザ・タイドことローランを召喚する。
先の一戦では出現と同時にフレイジィの『レゾナンス・バースト』によって瞬殺された(さながらマグロばかり食ってた親のように)ローランだったが、今回は特にそういったこともなく全身余すことなく影の中から現し、早速迫りくる『グランド・ダリア・ガーデン』の面々へと、その口からお得意の魔力熱線を吐いてみせる。
「んなッ……!?」
「なんだ、それッ!」
その攻撃の影響を最初に受けたのは勿論距離を一番詰めていたサベージとスザクだ。
足元を薙ぎ払うようにして放たれた魔力熱線を跳んでなんとか回避するが、元々予定していた進路からは大きくそれてしまう。
「くっ……」
「ちょっと~! ヤバすぎィ~~~んッ!!」
続いてアリシア・ブレイブハートとジゴボルトもローランの攻撃対象となるが、両者とも綺麗に回避し、サベージとスザクとは違って(その非常に大きなリアクションとは裏腹にジゴボルトも)あまり大きく逸れることなく目的としている相手―――カナリアへと突き進み続ける。
「もう一度『雷・槍』ッ! よッ!」
「『召喚:欲狩』でそっち! からの、ローラン! あっちを!」
速度を余り落とさずに突っ込んでくるアリシア・ブレイブハートとジゴボルトに対しクリムメイスが『雷槍』を放ち、カナリアは欲狩を召喚してサベージへと向かわせ、魔力熱線を吐き終えたローランをスザクへと向かわせる。
回避の仕方を見れば分かる程度に力量で劣るふたりを召喚したモンスターで対応し、残るふたりを4人全員で相手しようという算段だろう。
「『シールドチャージ』!」
「『ヘヴィガード』!」
巨大な獣脚類と触手の生えた宝箱に襲われる自軍のふたりを一瞥しつつ、自らへと迫る雷の槍へ向かってアリシア・ブレイブハートが盾を前面に突き出しながらの突進を開始、そしてクリムメイスは難なく自分の攻撃を打ち消しながら突き進んでくるアリシア・ブレイブハートに対し大盾をしっかりと構えて迎撃の準備を始める。
確かに、前方からの攻撃を防ぎつつ、命中すれば強力なノックバックを与えることが出来る『シールドチャージ』は強力なスキルだが、自分よりも攻撃を受け止める性能が高い大盾がスキルを発動してまで待ち構えていては流石に分が悪い。
故に、アリシア・ブレイブハートは構えていた盾を下ろして横に跳び―――。
「スリスリスリスリィ! 『パルスストーム』!」
―――その後ろから姿を現したジゴボルトが両手より高位雷術『パルスストーム』を放つ。
しかし当然ながら、ジゴボルトの巨体はアリシア・ブレイブハートの後ろに隠れ切るものではなく、彼女がなにかを準備していることは『クラシック・ブレイブス』の面々全員が理解しており、故にクリムメイスを先頭に置いて彼女の攻撃に備えていた。
「だッ……ちょ?! ウソ!? やってくれたわね!?」
その結果、ダメージこそ受けはしなかったが……ジゴボルトの放つ雷術には部位破壊ダメージが上乗せされており、それを余すことなく真正面から受けてしまったクリムメイスの怨喰の大盾は一気に破損状態となり大部分が砕け散ってしまう。
「魔法に部位破壊ダメージ付与……! インチキ効果もいい加減にしろっての……」
「よくやりました、ジゴボルト―――『フェイタルエッジ』!」
そして、予想外の事態に戸惑うクリムメイスの首を、ジゴボルトが攻撃を始める寸前に横に跳んでいたアリシア・ブレイブハートの刃が狙う。
ただでさえ守りが薄くなりがちな右手側からの攻撃、更にクリムメイスは大盾を破壊された事に動揺して一瞬硬直し、構えるべきものも既に役に立たない状態だ……。