115-ツークツワンク、第十三層にて その4
フレイジィという少女が『オニキスアイズ』の世界へと、幼馴染である少女イーリと共に降り立ったその日。
彼女達は全てのプレイヤーが最初に辿り着く街ハイラントより南西に存在している広大な『砂漠』……そこに隠されたダンジョン『旧王の地下墓』を発見・攻略し、自らは赤い鎖で雁字搦めにされた黒い花嫁衣裳―――『贄嫁』装備―――と、その防具とセットになっている剣と盾―――『結び釘』と『顔隠し』―――、そしていくつかのスキルを手に入れ、相方であるイーリはモルフォ蝶のような色合いが特徴的なゴシックドレス―――『窈窕』の装備―――と、地下墓に眠ると言われる旧王の杖―――『旧王の三首杖』―――を手に入れた。
クロムタスクのゲームらしく、理不尽に近い難易度をしたポイントが散見されるこのゲームにおいて、プレイ初日からダンジョンに辿り着き、あまつさえそのダンジョンを攻略して強力な装備やスキルを手に入れることは容易ではない。
故に、それを成し遂げてしまった自分達は間違いなく『選ばれた者』である……当時こそ理解していなかったが、その後フレイジィが出会ったプレイヤー達の言葉を聞くに、それは間違いないのだ。
だが―――。
『カナリア並のプレイヤーが誕生したかな』
『カナリアといい、フレイジィといい、ああいうタイプは女の子が続いてるな』
『カナリアみたいに』
『カナリアと同じで』
『カナリア……』
『カナリア―――』
『カナリア、』
―――『選ばれた者』であるはずの自分に届く賞賛の言葉には必ず〝カナリア〟という名前が連ねられていた。
それがフレイジィには……現実においては何事も不自由なく暮らし、全ての場所で物事の中心でいることが多い彼女にとっては苦痛でしかなかった。
「……一番は、私なのッ!」
「別に一番はあなたでいいですけれども、それはそれとして死んではもらいますわよっ!」
大海を知らぬ蛙めいた癇癪を起しつつ、あくどさすら覚える程に金の装飾が施された右手の剣―――というよりは、亀裂の走った巨大な釘―――をフレイジィが振るい、カナリアはそれを肩で受け止めつつ肉削ぎ鋸をお返しとばかりに振るう。
自らの展開した障壁に完全に依存した回避を全く考えないカナリアの反撃……それは当然初見で避けれるようなものではなく、フレイジィもまた自らの肩でカナリアの刃を受け止め―――。
「「ノーダメージ!?」」
―――互いに自分の攻撃で相手にダメージを与えられなかったことに目を剥いて驚き。
「もしやあなたもHP全振りという解に辿り着きましたの!?」
「まさかあんたもHPとMP以外への均等振りに気付いたわけ!?」
「「えっ、なにその頭悪い振り方は……」」
そして、互いが自分と同じビルドだと思って口にしてみれば、全く違った挙句にどちらも相手のステータス振りが心底頭が悪いものだと知ってハモる。
「……『クリスタルランス』!」
「……『スプレッドソウル』、でいいかしら?」
そんなカナリアの背とフレイジィの腹をウィンの放った『クリスタルランス』が貫通し、自分と似たような表情を浮かべたイーリの元へと向かい、一方イーリが自らのHPを代償に放った五つの赤黒い怨嗟の塊も間に存在するカナリアとフレイジィを避けるように広がった後にウィンへと向かって収束していく。
ウィンとイーリは自らに向かって飛来するそれぞれの攻撃を容易く避けながら(流石に互いに距離がありすぎて当たるわけがない)、ウィンとイーリは心の中だけで呟く……あっちも苦労してるんだろうな、と。
「……あっ! だからみんな私のこと……」
自分達を挟んで互いの連れ同士が奇妙な仲間意識を抱き合う最中、フレイジィは自分に向けられた賞賛の言葉に必ず『カナリア』という名前が連ねられていた理由に気付いた。
そう、そもそもとして自分とカナリアは全く違うキャラビルドをしながらも、その一番の特性……『なんらかの要因でダメージが通り辛い』という点で似通っていたのだ。
……とはいえ、実際のところカナリアが一定以下のダメージを無効化しているのに対し、フレイジィは『旧王の地下墓』における最高位レアドロップアイテムである『贄嫁』装備の効果で、全て破損状態の場合のみ攻撃によって受けるダメージが全て最大HPの10%―――現在フレイジィのHPは初期値の500なので50―――固定となり、更に同ダンジョンのボスを撃破した際に入手したパッシブスキルの効果―――HPが減っている場合(3秒間のCTの発生を代償に)自動で200回復する―――で受けたダメージを即時回復しているだけ……等の細かな違いはあるのだが。
なんにせよ、超高火力による一撃でなければ死なないカナリアと、目にも留まらぬ波状攻撃でなければ死なないフレイジィによる、一見似ているようで真逆の性質を持つ最強の盾と最強の盾同士の決して終わることのない泥沼の戦いの幕開けだ……。
「ならばっ! 『夕獣の解放』!」
……と、誰もがそう思う中。
ただ一人だけ、実体験より自分のような不死に思える存在であっても確実に死ぬ一撃があることを知っているカナリアは、素早く『夕獣の解放』を使用して膨大なHPを代償に自らのSTRを跳ね上げると目の前の少女に掴みかかって押し倒した。
「きゃっ……急になに……よ……えっ!?」
「いくら硬かろうと人は酸素が無ければ死ぬ! それがこの世の理ですわ!」
「う、嘘でしょ!? あんた私をここで絞め殺すつもり!?」
唐突過ぎる自分の行動に驚くフレイジィの白く細い首をギリギリと怪力で締め上げながら、カナリアは真剣な表情で絞殺宣言をぶちかまし、フレイジィはあの状況で咄嗟に目の前のプレイヤーを絞殺する選択肢を取ってきた目の前の相手と、窒息死等というものがこのゲームに存在していることに驚愕して目を開く。
そう、カナリアは『潜水』のスキルを入手するに際し自らが幾度となく溺死した経験や、『王立ウェズア地下学院』に『窒息死狙いの伸し掛かり』以外に攻撃手段を持たない這脳が存在した記憶から、このゲームにおいてはHPを削り切ることは相手を殺害する手段のひとつに過ぎず、そのHPを削り切れない相手ならば現実と同じように首を絞めて殺せば良いということを知っていたのだ。
「驚き、なのだけれど。イーリ、それ通じるとしても実行する人がいるとは思わなかったわ?」
こうして、少女が少女に馬乗りになられ、その首を真面目な顔で締め上げられる地獄絵図が完成したわけだが……無論、幼馴染がちょっと年上のお姉さん(少し、変な言葉遣いよね?)に絞め殺されかけているとなれば、イーリはドン引きしながら深い溜め息をひとつ吐き、そして駆け出すしかなかった。
……なんせ、リアルでもなにかと突っ走りがちなフレイジィの面倒をよく見ているイーリは、当然ながら一見無敵に思えるフレイジィを殺せる数少ない幾つかの方法を(そういったものを一切リサーチしない彼女の代わりに)調べ上げており、絞殺という手段が有効そうだというのを知ってしまっていたので、見殺しにすると後味が悪いのだ。
というわけで、イーリは間違っても前線に立つタイプではないが、このまま突っ立っているわけにはいかないのだ(ちょっと、損な役回りよね?)。
「ウィン! 絞め殺すのには90秒ほど要しますわ! その間彼女を―――」
「ちょっと! 放しなさいよ! 放せ! バカ! 重いのよ! どいて!」
「―――うるさいですわ! 黙って死んでくださいまし! ウィン! はやく! あっちを!」
「んぐむー!」
駆け出したイーリを見てカナリアは、彼女と同じくドン引きしている自らの後輩にイーリを止めるよう指示を出し……その最中、絞めるのに使う手を片手に減らしてバタバタと暴れて抵抗しているフレイジィの顎を持って地面に押し付けて黙らせ―――完全にただの少女絞殺現場が完成する。
ちなみに言うまでもないがこの戦闘風景はリアルタイムでネット配信され、視聴者の八割がドン引きしていた。
「まさか先輩が女の子絞め殺すのを手伝う日が来るなんて……。まあ、でも、それで勝てるならなんでもいっかぁ」
なにも『まあいいか』で済ませていいことはないが、既に大分感覚が麻痺してきているウィンはイーリと同じように、はぁ、と大きな溜め息をひとつだけ吐くと静かに例のスキル名を呟く。
「『妖体化』」
瞬間、フレイジィやイーリと同年代であろう少女の姿をとっていたウィンの輪郭はみるみる膨れ上がり。
その肌が黒くぬめつく妖精特有のそれとなり。
指は異常なまでに伸び。
身体の要所要所から触手が飛び出して垂れ。
そして最後に顔が花のように裂けて。
乱雑に歯が並んだその巨大な口からぬめついた唾液をダラダラと零し始めた。
「…………イーリ、それ、知らないのだけれど」
既に相当数のプレイヤーが知っているウィンの『妖体化』だったが、残念な事にイーリはSNSなどを用いてフレイジィを殺すことが出来そうな手法を調べたのではなく、NPCを用いて検証していたため(かなり、いろいろ試したのよ?)、『オニキスアイズ グロい』で検索すれば500件ほど動画がヒットして一瞬で知ることが出来る彼女の存在は知らなかったらしい。
故に、突如として少女が人間ではない体になったこと……そしてそれが凄まじい勢いで自分の方へと駆けて来ている事実に当惑し、固まってしまったのは年頃の少女としては当然の反応といえよう。
「んぐっ……んんーっ!」
自分と自分の首を絞めるカナリアの上を怪物と化したウィンが飛び越え、幼馴染であるイーリの元へと駆けていくのを目にしたフレイジィは固まってないで戦えと口にしようとする―――が、カナリアの怪力で抑え込まれているせいで呻き声しか出ない。
「はっ……えっと……」
だが、それでもフレイジィはなんとかイーリの意識を引き戻すことには成功し、イーリは目の前に迫ってきた怪物へと自らの得物である杖を向けて攻撃を行おう―――としたが。
「ポワァアアアァ!」
「きゃああっ!」
それを察知したウィンは『妖肢化』を用いて素早く自らの右手を三本の触手へと変形させ、迎撃のための魔術を詠唱しようとしていたイーリの身体を横殴りにして地面に転がす。
「もうっ、乱暴、なのだけれど―――」
「ポワァア!」
「―――ひッ!? やだ、いやっ! きゃあっ! やめ……んんんーっ!」
そして、彼女が立ち上がる前に覆いかぶさると、最早自分の代名詞とも呼べるスキル『脳吸い』を使用―――まだまだ幼さの残るイーリの顔をその大きな口で包み込むと、そのまま彼女の外耳道に触手を一本ずつ突っ込み、ずぞぞっという汚い音を響かせながら無情にその脳を吸い始めた。
ちなみに言うまでもないがこの戦闘風景はリアルタイムでネット配信され、視聴者の三割がドン引きしている。
七割は引かなかった。
「んぁ……」
最早姉妹同然の幼馴染が巨大な怪物に頭を丸かじりにされ……それでも生きようと非力な腕で抵抗する様を目撃してしまったフレイジィの口から、様々な感情が籠った喘ぎ声が零れてしまう。
そして更に、視界の右下に薄っすらと窒息まで残り僅かであることを表すアイコンが点滅し出したことに気付き―――。
……どうしてこうなっちゃったんだろう? 一番を目指すのってこんな酷いことをされるほど罪深いことだったっけ。
―――だなんて、ぼんやりと考えながら……触手を耳から突っ込まれ、脳を吸われて極振りしたINTを奪われた挙句、そのまま頭部を食い千切られる幼馴染の姿を目に焼き付けながらフレイジィは生命活動を停止……即ち死ぬのだった。
「ふぅ……強敵でしたわね……まさかローランがやられるとは……」
「ポワァア」
完全に動くことのなくなった少女の首から手を放したカナリアが一仕事を終えたサラリーマンのように腕で額を拭って天を仰ぎ、その横には少女の頭を食い千切った際の返り血などでベチャベチャに汚れた怪物姿のウィンが並ぶ。
仮想現実少女絞殺事件の犯人と、仮想現実少女噛殺事件の犯人の揃い踏みである。
その様はまさしく阿形像と吽形象だ。
「……流石にマニアックすぎるでしょ……」
「……私たちこのまま勝ち進んでいいのかな……」
そんな二人の下にこちら側とは違い大分平和な戦いを終えてきたハイドラとクリムメイスが歩み寄って来る。
どちらも、ネットの僻境に転がってそうな……性癖が尖りに尖った一部のオタクしか喜ばない猟奇的少女惨殺光景を目の当たりにしたせいで頭を抱えながら。
「栄光を手にすることだけが、勝者が敗者に送る事の出来る唯一の返礼なのですわ。だから、わたくし達は止まってはなりませんの……」
もしもこの世の中の人物をヒーローとヴィランの二つに分けるとすれば、間違いなく自分達はヴィランに入るだろう―――なんて考えに頭を悩ませた故の二人の言葉に対し、勝者というよりは犯罪者という言葉の方が似合う勝ち方をしたカナリアが静かに胸に手を当てながら呟く。
いや、お前は少しは止まれよ……とはこの場の全員が思ったが、言って止まるような女ではないことは明らかだったので視線を逸らすだけにしておく。
「でも、今回はカナリアあんまダメージ稼げなかったわね」
「言われれみれば確かにそうですわね……してやられましたわ」
カナリアを止めることの出来ない自分達の無力さをひしひしと伝えてくるような沈黙を嫌がったクリムメイスが、眉を顰めながら腕を組みつつ先程の戦闘を振り返る。
……そう、カナリアはフレイジィを絞殺する選択を選んでしまい、彼女のHPを削るという行為をしなかった為、今までの戦いと違いあまりポイントを稼ぐことが出来なかった。
とはいえ、別にフレイジィを殺す手段は絞殺だけではないし、ダメージを稼げなかったのはそれを選んだカナリアの責任であり、彼女には要注意ですわね……なんて、さながらポイントを稼げなかったのはフレイジィのせいである、という風に言うのはお門違いもいい所なのだが。
「これが悪い方に転ばなきゃいいけどね……色々と」
「ポワァア~」
頬に指を当てながら、むーん、と唸る(恐らく頭の中でもう一度フレイジィを殺しているのだろう)カナリアを見たハイドラが肩を竦めながら溜め息交じりに零し、ちらりと横目でクリムメイスの顔を見る。
微妙に含みを持った言い方をするあたり、どうにも『フィードバック』の幹部たちと間違いなく面識があるように思えるクリムメイスは、ハイドラの中では最早信用に値する相手ではないらしい。
……その『フィードバック』の幹部たちが異常に執着をするシルーナという少女が数少ないフレンドであったという経歴を踏まえると仕方がないのだが。
『条件達成 最上層へと移動します』
クリムメイスはそんなハイドラの視線に気付きつつも、まるで気付かないような雰囲気を醸し出しながら、なにか小粋な雑談で場を和ませよう―――とするが、それを遮るように現れた短いメッセージと共に『クラシック・ブレイブス』の面々は淡い光に包まれて本日幾度目かの転送をされる。
「最上層! ならここで最後ってことっしょ? わー、本当にクリアしちゃうかもしれないじゃん!」
一瞬のホワイトアウトの後、次の層への転送に伴うステータスリセットによって人間の姿に戻ったウィンが目を輝かせながら、少しだけ違った転送時のコメントに対する感想を誰に言うともなく口にする。
……実を言えば『戦争の試練』は一定以上のポイントを稼ぐことが目標であり、最上層に到達するのが目標ではないので、先程の一戦でダメージを稼ぎ切れたのであればこの戦いは回避することが出来たのだが、そんなことを知る由もないカナリア達はウィンの言葉に喜びを覚え、最後の敵であろう相手が現れるのを待ち―――。
「……やはり、まあ。ふふふっ、最後に当たるとすれば……あなただろうと思っていました」
―――そして、その相手が姿を見せた瞬間にカナリア達の顔から喜びの色はすっと消え去った。