105-ストレンジャー・シンウチ、第五層にて その2
「あらら、負けちゃった。最初から四人で掛かったほうが良かったかもねぇん」
ごく僅かな間に敗れたサベージとスザクを見たジゴボルトだが、その声には驚きも焦りもなにもない。
尖兵であるあのふたりが敗北するのは元から織り込み済みであり、例え死のうともこの戦いにさえ勝利すれば二人は戻ってくるのだから特に気を病む必要はない……ということなのだろう。
「いえ、私だけで問題ないです」
行きましょ、アリシアん……なんて呟きながら、手のひらをスリスリと擦り合わせて戦闘態勢を取ろうとするジゴボルトを制してアリシア・ブレイブハートが前に出る。
「あらそう?」
「あの女は私が殺します」
「そう、なら……アタシは後ろで見てるわァ」
背を向けられているためジゴボルトがアリシア・ブレイブハートの表情を見ることは出来ないが、どうせ面白いものを見つけた、とでも言いたげな表情を浮かべているであろう。
ジゴボルトは振り返りもしないアリシア・ブレイブハートの背を見送り、肩を竦めて戦闘態勢を解きつつ思う―――確かに、自分とアリシア・ブレイブハートに比べサベージとスザクの力量は低いと言わざるを得ない……だが、それを容易く片付けたあの少女が手練れであることは確かだ。
しかし彼女では……彼女程度では、絶対にアリシア・ブレイブハートには勝てない。
店売りの装備に身を包んでいた時代ならまだしも、シーラ手製の装備―――返り血が良く映えそうな白無垢のように真っ白な鎧、黒いダリアの描かれた白い中盾、鏡のように顔を映すほど真っ黒な剣―――を身に着けた彼女には勝てないと。
「私、貴女に憧れてるんだ……」
ジゴボルトが既に勝負の行方を見据える中、一方でガスマスクの少女は自分のことを斬るべく一歩前に出たきたアリシア・ブレイブハートへと、右手に握った刀―――先程のスキルの影響か、その刃に付着した血は仄かに輝いている―――の切っ先を向けながら独白を始める。
「だから、斬るの。斬って確かめるんだ、私と貴女、なにが、どこが違うのか。人は斬らないと分からないから」
急な独白に動きを止めたアリシア・ブレイブハートへと少女が投げかける言葉は、凡そ理解に苦しむ言葉だった。
だが、彼女がそれこそが自分の生き方なのだと言うのであれば、アリシア・ブレイブハートは別に気にはしないし否定などする気など毛頭もない。
だが、しかし。
「無理ですね。あなたには私を斬れません」
だからといって斬られてやるつもりはない、アリシア・ブレイブハートは切っ先を向け返しながら首を横に振る。
「……どうしてそう思うの?」
お前には自分を斬れない、そう断じられたのが少し癪に障ったのだろう……少女の語調が強くなる。
一方で、アリシア・ブレイブハートは―――ジゴボルトの予想に反して―――酷くつまらないものでも見るような表情を更に顰めさせ。
「だって、あなた鈍じゃないですか」
そして心の底から湧き出る嫌悪を抑えられない、といった雰囲気を纏う低い声色で告げる。
お前など取るに足りない相手だと。
「……言うね!」
その言葉を引き金に少女が駆け出す、刺突を狙う上段の構え―――アリシア・ブレイブハートの象徴でもある盾で防ぎ辛い点の攻撃を準備しながら。
然程の間を置かず目にも留まらぬ速度で繰り出される、鋭く、喉を狙う一撃。
それをアリシア・ブレイブハートは右手に持つ中盾で受け流し、返しとばかりに下から剣を振り上げる。
「『パリィ』!」
それは非常に読み易い攻撃であり、少女はサベージにそうしたように刀を用いてアリシア・ブレイブハートの攻撃を弾くことにした。
自分ですら、余裕がある時でなければ対人戦では用いない『パリィ』を臆せずに―――そして、尚且つ的確に―――使用する彼女は間違いなく高い戦闘センスを誇っている。
恐らくは、キリカのように現実世界で武術の類を嗜んでいるのだろうとアリシア・ブレイブハートは判断した。
「『イクイップスイッチ』」
「……ッ!?」
だからこそ、現実世界ではありえないゲームであるが故の動き……例えば『右手に握っていた中盾と左手に握っていた直剣が一瞬で入れ替わる』などといった奇術めいた動きが猛烈に突き刺さることもあるだろうとも考え、そして事実、間違っていなかった。
迫る直剣を受け流そうと動かしていた少女の刀は逆にアリシア・ブレイブハートの中盾によって弾かれ、思わず姿勢を崩したところに右手に握られた直剣による鋭い突きが襲い掛かる。
「く、あッ……!」
だが、初見のサベージ相手に華麗に『パリィ』を決めれるほどの反射神経を持つ少女は、完全に不意を突かれたその一撃に対してもギリギリ反応してみせ、刀でその突きを僅かに逸らして直撃を回避する―――ものの、当然ながら僅かに掠りはしてしまい、それによってHPを削られてしまう。
……『イクイップスイッチ』。
シーラの手によって作られたアリシア・ブレイブハート専用の中盾『ダリアステイン』に与えられたスキルは、ダリアステインを握る手とそうでない手に握る装備を一瞬で入れ替えるトリッキーな効果を持つ。
それは非常に効果的な不意打ちを仕掛けることこそできるが、発動後は普段握っている手とは逆の手で武器を扱わなければいけないという重いデメリットを持ち、これは扱いやすいか、扱い辛いか、というだけの話ではない。
なにせ、このオニキスアイズというゲームは、プレイヤーの右手や左手が利き手と呼べるかどうかを機械的に判断し、それによって『シールドチャージ』や『シールドバッシュ』などの『利き手に装備している際に使えるスキル』や『利き手に装備していない際に使えるスキル』をプレイヤーに与えており、この際に対応する逆のスキルは習得できないように設定されている。
なので、利き手ではない手で普段と逆の武器を握ってしまうと、基本的に今まで習得した全てのスキルが使用できなくなるのだ―――。
「『シールドチャージ』」
「なあッ!?」
―――そう、アリシア・ブレイブハートのように、オニキスアイズのシステムが『両手とも利き手である』と判断するような特異な体質の持ち主でもなければ。
不意打ちに驚きこそしたが、手に持つ武器が入れ替わったことで満足にアリシア・ブレイブハートはスキルを使えないであろうと高を括っていた少女は思わず声を上げ、そのまま防御すら間に合わずに『シールドチャージ』をもろに食らってしまい、吹き飛んで倒れる。
「私のこと、甘く見てませんか?」
「ッッッ!!」
少女が背を打ったことで肺の中の空気が口から無理矢理吐き出されるような錯覚を覚えている間に、アリシア・ブレイブハートは右手の直剣―――シーラの手によって作られたアリシア・ブレイブハート専用の直剣『ブラッキィマリス』を逆手に握って飛び掛かる。
それをなんとか、ギリギリ、その刃が顔を貫く寸前で少女は横に転がって離れると、そのまま腕の力だけで体を跳ね起こして素早く体勢を整える。
「『イクイップスイッチ』、『デスラプトエッジ』」
一方でアリシア・ブレイブハートは床に深々と突き刺さったブラッキィマリスの刃を『イクイップスイッチ』で左手のダリアステインと入れ替えることで素早く引き抜くと、そのまま上段から袈裟斬りを放ち―――その軌道に沿うように生まれた紫色の刃が地面を抉りながら少女へと迫る。
「『血刃:斬波』ァ!」
その刃が迫る速度から、今から回避行動を取ったのでは間に合わない……間に合っても大きな隙を晒すこととなってしまう。
そう判断した少女は、先程『血祀り』で刃に塗りたくった血をコストにアリシア・ブレイブハートが放った『デスラプトエッジ』のような遠距離攻撃スキル『血刃:斬波』を使用。
振りぬいた刃の軌道に沿った赤黒い刃が宙を進んで紫色の刃と衝突し、激しいスパークを残して消滅する。
「『フェイタルエッジ』、『グラップル』」
「―――え……っ?」
互いの遠距離攻撃がぶつかり合って発生した眩いエフェクトの向こう側から、相変わらず低く一定のトーンで発されるアリシア・ブレイブハートの声と、ひゅん、という風切りの音がして―――それに続いた、紫色に輝く光線のようなものによって少女の左肩は撃ち抜かれ、そのまま落ちてしまう。
「首を狙ったつもりだったのですが……練習が足りなかったようですね。『コールバック』」
突如として片腕を失って動揺する少女を見ながらアリシア・ブレイブハートがそう呟き、淡い光の中から取り出した……いや、呼び戻した白い槍―――一般的な槍よりも穂先が大きく、柄は短い、所謂投擲槍に分類される槍―――、二つ目であるシーラ手製の武器『キトゥンゴア』をぐるぐると回して感覚を確かめる。
「……ッ!」
「おや」
それこそが先程自らの左腕を奪った攻撃の正体であり、このまま距離を離していては当たる度に四肢を奪う凶悪な投擲槍の恰好の的だと気付いた少女は残る右手で刀を上段に構えてアリシア・ブレイブハートへと肉薄し始めた。
構えこそ最初に近付いた際に取ったものと同じだが今度繰り出すつもりなのは突きではなく、やや大ぶりな横薙ぎ。
隙は大きくなってしまうが、最初に突きを見せている関係上アリシア・ブレイブハートは再び盾で受け流そうとするだろうし、その際に彼女の中盾自身が視界を塞ぎ、彼女にもまた隙が生まれるはずだ。
だから、そこに合わせて『血斬り』を放つ……1対1である現状では『血斬り』自体には大きな意味はないが、彼我の距離や状態に関係無く『血祀り』による自傷ダメージを無理矢理支払わせられるようになるのは、アリシア・ブレイブハートという防御の固いプレイヤーに対し非常に有効なはずだ―――。
「鈍が」
「な……ッ!?」
―――と、そう思っていた少女だったが、アリシア・ブレイブハートは不意に盾を捨てて刀を手で掴み取ってきた。
現実世界であれば手に大きな裂傷を負う行為だが、この『オニキスアイズ』という世界において、刃を掴み取るという行為はジャストタイミングによるガード成功と判断されてダメージはほぼ皆無となり、勿論痛みで力が緩むこともない。
少女は意表を突かれて一瞬硬直するが、すぐにこれが自分にとっての好機だと気付く。
なにがどうなっているにせよ、アリシア・ブレイブハートが自分の刀に触れている事実は変わらないのだから、ここから『血斬り』を……。
「『グラップル』」
「え」
そう考えていた〝間〟こそが致命的な隙となり、アリシア・ブレイブハートが使用した、掴んだ物を勢いよく投げるだけのスキル……『グラップル』に反応できず、それによって少女の得物である刀―――そして、それを握っていた右腕までもが肩から引き千切られて投げ捨てられる。
「……えっ?? え、な……きゃあ!」
かつてアリシア・ブレイブハートの『パリィ』によって腕ごと吹き飛ばされた少年と同じように、自分の腕が無くなった理由が分からずに困惑する少女……それをアリシア・ブレイブハートは蹴り倒し、その喉を足で踏みにじった。
「斬れない、というのは少々語弊がありました。……あなたには、私を斬る資格がない」
「なっ……」
「だって、そうでしょう? 自分のユーザーネームを隠さないと人に刃を向けることも出来ない……仮想現実の自分自身にすら悪意が向くのを嫌がるような臆病者に、この私を斬る資格などありません」
少女の白い首をギリギリと足で締め上げながらアリシア・ブレイブハートはその少女―――自らのユーザーネームを非表示にし、その名を不可視にしている少女を冷めた目で見つめた。
……オニキスアイズでは、ユーザーネームを非表示にすることが出来る。
当然、それは自らの信用を犠牲とする代わりに素性を隠すために使われ、この少女はそれを使ってこのイベントに参加していた。
更に言えば、少女は顔をガスマスクで隠しているし、武器以外はどれも王都で揃えられるようなものだ。
なので、このイベントが終わった後、誰かが彼女を見つけ出すことは難しいだろう―――それが、アリシア・ブレイブハートは気に食わなかった。
「殴りたいが、殴られたくはない……そんな甘い考えでよくも私に憧れてるなど言えましたね、恥ずかしくはなかったのですか?」
「……ッ……放して!」
少女が自分の喉を踏むアリシア・ブレイブハートの足から逃れようとする……が、どうやら彼女はSTRには振っていないようであり、両腕を失った状態では抜け出せそうにない。
しかし、彼女が本当に逃げ出したいのはこの拘束からではなく、アリシア・ブレイブハートに痛いところを突かれる現状からだろう。
「……はあ、もういいです」
「……わ、私はっ……!」
「聞きたくありません、『フェイタルエッジ』」
この状況から逃げようとする自分へと心底失望したような目を向けてきたアリシア・ブレイブハートへ、なにかを少女は言い掛けるが……それよりも早く『フェイタルエッジ』が発動し、少女の頭部は素早く振られたキトゥンゴアによって刎ねられてしまう。
「……あなたみたいな人は、まるで鏡を見てるようで、一番嫌いです」
確かな実力を持つが仮想の世界でさえ自信が持てない弱い心の持ち主であった、誰とも分からぬ少女の死体へ向けて、吐き捨てるようにアリシア・ブレイブハートは呟く。
アリシア・ブレイブハートとしては、彼女のことは一切理解できない……だが、有栖院詩名としては―――。
「……嫌い、本当に嫌いだよ、自分を殺すことしか出来ない人って」
―――一言だけ呟いて、アリシア・ブレイブハートは即座に頭を振った。
ここはオニキスアイズの中であって現実世界ではないのだから、その名前に関する思考や言葉は必要ない。
ここにいるのはアリシア・ブレイブハート……グランド・ダリア・ガーデンの連盟長の少女だ。
決して、あんな脆弱な少女ではないのだから。
「……アリシアん、大丈夫?」
「大丈夫ですよ、別に、どうもしません」
心配そうな声、というよりは自分を落ち着かせるような優しいジゴボルトの声から顔を背ける。
先程の少女の姿に引き摺られ、あちらの自分が表に出て来ようとしている今は……誰にも近付いて欲しくなかったから。
「かー! やられた、やられた! まさかあんな状態異常があるとはなァ! なあ、スザク! ビビったよな!?」
「確かに驚いたよ、私がなにかされたのは明確だったのに、それがなにかを確かめもせずに彼女に斬りかかったお前の浅慮さにな」
と、ここで勝敗が決したことでサベージとスザクが光に包まれて戻ってきた。
サベージは反省などまるでしてないような様子で後頭部を掻き、スザクはそんなサベージを軽く睨みつつ……申し訳なさそうな表情でアリシア・ブレイブハートを一瞥し、すぐに素早く頭を下げた。
「申し訳ありません、連盟長。お手を煩わせてしまって」
「……構いませんよ。ただ、次の試合からは最初から全員で戦闘しましょう。そろそろ相手の質も高まってきたようですから」
「はい、了解しました」
そして続いた謝罪の言葉に対し、アリシア・ブレイブハートは興味なさげに返し―――そしてまた、ふと思ってしまう。
今でこそ、こうして自分に頭を下げている彼女だが……本当の自分を知った時に彼女はどうするのだろうか? と。
「……はあ、本当に……本当に、もう……」
再び頭を振る。
……あの少女にその気はなかったのだろうが、彼女の立ち振る舞いの全てがアリシア・ブレイブハートの中を掻き乱し、苛立たせていた。
だからこそ、自らの手で殺したのだが……まるで気分は晴れない。
どころか、このゲームでは痛みを感じないはずなのに、彼女の刀を握った右手がじくじくと痛む気すらしてくる。
「お、おい、どうしたんだよアリちゃん。そんな怖い顔して……兄ちゃんが頭撫でてやろうか!」
「殺しますよ?」
蘇った途端顔に飛び込んできた、戦闘が始まる前よりも更に不機嫌そうにしているアリシア・ブレイブハートの顔を覗き込みながら、サベージは眩しい笑顔を見せる。
だがその素敵な笑顔から放たれる意味不明な提案に思わずアリシア・ブレイブハートは殺意を覚え、そして口から漏れだしてしまった。
流石のサベージもそこまで言われれば引かざるを得ず、あ、そう……と笑顔を硬直させて二歩三歩と後ろに下がり、そのままスザクの肩に手を回した。
「……ねえ! なんで俺こんな嫌われてんの!? 俺なんかしたか、スザク!?」
「だッ……お前、そういうところが嫌がられてるんだろうが! 離れろ、気持ち悪い……顔が近いっ!」
当然ながらスザクには嫌がられ必死の形相で引き剥がされそうになるが、サベージは納得できる答えを聞けるまで意地でも離れないといった様子だ。
「……ネ。男ってバカでカワイイでしょ」
「知りませんよ……」
そんなサベージの様子を見ながらジゴボルトが肩を竦めて同意を求めてくるが、アリシア・ブレイブハートはなにがどう可愛いのか理解できなかったので髪をぐしゃぐしゃと掻きながら溜め息を吐くことしか出来なかった。