100-黙示録を前にして、フロストバーン
―――王都セントロンド下街。
真新しさと古臭さの混在する、レトロフューチャーな街並みを持つ王都セントロンド……それを囲むようにして広がる庶民層居住区。
その街は剥き出しの歯車と無数のパイプにまみれており、ネオヴィクトリアンな服装に身を包み真鍮製のガスマスクで顔を隠す住人達が住まう街であり、そして、環境への影響を顧みない蒸気機関の多用によって空が黒い煤に覆われている、退廃的な雰囲気漂うスチームパンク風の街でもある。
そんな街の一角にある巨大なカジノ施設に、悪に憧れるプレイヤーが二人。
「俺達みてぇな大悪党のためにあるような街だぜ……」
煤混じりの黒い雨が叩きつけられる窓から空を見上げ、体中に施した入れ墨が特徴的な大男……スコーチが手にした酒のボトルを傾けながら満足げに呟く。
「ハートのキング、か……なら、LOW、だ」
そしてスコーチの後ろでは彼の相棒であるベロウが一人用のミニゲーム『ポーカー』をプレイしており、今は役の完成後に挑戦できる『ダブルアップ・チャンス』に挑戦している所だった。
これはディーラーの持つカードが自身の持つカードよりも大きいか小さいかを当てるチャレンジであり、成功すれば払い戻される掛け金が倍となり、外れれば0となる。
一見してリスクが大きいように思えるが、実の所は挑戦し続ければ確率的には勝つように出来ているルールであり、カジノにおいてコインを稼ぐのであればポーカーでツーペアやスリーカード等の簡単な役を作り、ひたすらこの『ダブルアップ・チャンス』に挑戦し続けるのが最も効率が良いとされている。
「……ざんね~ん! スペードのエースよ」
「ざっけんなあ! イカサマだろうがぁ!」
が、効率が良いのとストレスが貯まらないのはまた別の話だ。
普通に考えて自分がキングを握っていれば、ディーラーが握っている札は多くの格下のはずであり、唯一の格上を握っていることなど確率上早々ないはずなのに……! テーブルにエースを堂々と出されてベロウは思わず全力で叫んだ。
……いや、これが一度か二度ぐらいならばベロウも声を荒げることは無かっただろう、なにせベロウはスコーチとは違って冷静冷徹冷血なクールな二枚目の悪党なのだから。
「これで五回目だぞ! お前確率って知ってるか!? なあ!」
しかし、こういった風(3でHIGHを選んで2を出されるだとか、13でLOWを選んでAを出されるだとか)にされて掛け金を虚無にされるのがこれで本日五度目だったとなれば、思わずディーラーのバニーガール―――バニースーツの上にトレンチコートを羽織った挙句に当然ガスマスクまでしているので大分異様な風貌のバニーガール―――に食って掛かるのも仕方がないことだろう。
「ふふふ、これに懲りずにまた挑戦してね♪」
……まあ、当然ながらディーラーはNPCであり、客がいくら声を荒げようと特に反応を示すことはないのだが。
「こ、コイツっ……!」
それが余計にベロウのストレスを大きくし、思わずワナワナと手を振るわせて……着席する。
どれだけムカつこうが、自分達が更なる力を手に入れるためには、このポーカーを続けてカジノコインを増やすしかない。
キレる体力があるなら黙々とポーカーをしたほうがいいというものだ。
「なあ、相棒。俺ァずっと不思議に思ってたんだがよ……」
「あ? なんだよ、急に」
「HIGHか、LOW……どっちかがアタリで、どっちかがハズレなら……どっちを選んでも確率は同じ50%じゃねえか?」
「いまそれ言われると納得しちまいそうだからやめてくれ」
そんなベロウへとスコーチが酒を呷りながら不意に呟いたのは全確率50%説。
それはありとあらゆる確率に敗北したクソザコラックの人間が辿り着く極論……ではあったが、そうだと言われたほうが納得出来るぐらいには信じられない外し方を続けているベロウは思わず首を縦に振りそうになってしまうがギリギリなんとか堪える。
その考えに囚われた先にあるのは破滅なのだから。
「ふっ、実に惨めだよ。君達」
落ち着け、確率的にそろそろ勝ち始めるはずだ……と自分に言い聞かせ、再びポーカーをプレイしようとしたベロウ、相棒がポーカーに齧りついてる様をツマミに酒を楽しむスコーチ、その二人へと嘲笑混じりの声が突如掛けられる。
「あ? なんだ、てめぇ……」
普段であればどんな相手にもクールに応対するベロウだったが、理不尽な負けを五連続で味わった今は気が立っているので嘲られては怒りも覚えるというものだ。
声の主である男を睨み付け―――だが、殴り掛からんとしたベロウの代わりにスコーチが無言で立ち上がり、突如として絡んできた男へと詰め寄る。
「今の言葉、取り消しやがれ」
「スコーチ……」
どうやら相棒であるベロウを馬鹿にされたことで怒りの火が心に灯ったらしい―――。
「惨めなのは相棒だけだ、俺は違ェ」
「スコーチッ!!」
―――と思ったのだが、全然違った。
……そこは相棒として俺を擁護するところじゃないのか? ベロウは思わず目の前のディーラーや、唐突に絡んできた男よりも相棒であるスコーチに強いストレスを感じてしまう。
なんで俺はこんな奴と組んでるんだろう?
「確かにな。君は別に惨めでもなんでもないか、Mr.スコーチ。悪かった、謝罪しよう」
「分かりゃいいんだ。ミスは誰にでもあるからな、気にすんじゃねえよ」
「おいィ!!」
ベロウが疑問を抱く中、絡んできた男とスコーチが無事に和解して当然ながらベロウは立ち上がって声を荒げる。
「なんなんだよ! 急に現れて! てめぇ!」
「そうワーワー喚くな、『瞬間凍結』の二つ名が泣いてるぞ?」
それじゃあ『瞬間沸騰』だ―――なんて言いながら、男はその挑発に対し更に激昂したベロウの言葉を遮るようにテーブルの上に巨大な袋を二つ置く。
じゃらり、なんて音を立ててテーブルの上に乗せられた袋、その音から察するに、恐らく中身は……。
思わずベロウは喉まで込み上げてきていた罵倒の言葉を飲み込み、男が置いた袋へと目をやる。
「気になるか? 開けていいぞ、どうせくれてやるつもりだからな」
そんなベロウの視線を見て肩を竦める男。
こんな自分達を舐め腐っている男の言いなりになるのは少々……いや物凄く癪だったが、自分の予想が確かであれば、この無限ポーカー地獄からも抜け出せる……。
「チッ、大したモンじゃなかったら覚悟しとけ」
……己のプライドといい加減ポーカーをやめたいという感情の間で二秒ほど葛藤し、結局ポーカーをやめたいという感情がプライドを木っ端微塵に粉砕し、ベロウは袋の紐を緩めて中を覗き込む。
すると、そこには彼の予想通り大量のカジノコインがぎっしりと詰まっている―――凄まじい量だ。
これだけあればベロウが自分とスコーチのために手に入れようとしている装備を交換してもお釣りがくるだろう。
「てめぇ、なにが目的だ」
とある装備のため連日連夜ポーカーに身を打ち込み続けているベロウとしては、この目の前の大量のカジノコインは喉から手が出る程欲しいものだった。
しかし、男がこんなものを自分達の目の前にぶら下げるのには必ず理由がある……だから、まずはその理由から話せ。
そう目で告げるベロウに対し、男は顔から先程までの嘲りを消して神妙な面持ちで腕を組んだ。
「……第三回イベントの報酬である【騎士】の力は、【騎士】そのものに選ばれたプレイヤーの他、そのプレイヤーがパーティーに加えた三人に『賜与』することが出来る。それは知っているな?」
「あぁ、もちろん」
そして口にするのは先日発表された第三回イベント―――『黙示録の試練』において、得られるという【騎士】の力の性質の一つについてであり……それさえ聞けば、彼がなにを考えてベロウとスコーチに接触してきたかは簡単に察することが出来た。
詳細こそ不明だが、第三回イベントでは優秀な成績を残したプレイヤーには【騎士】の力が与えられる。
そして、そのプレイヤーはパーティーを組んでいる他のメンバー3人に【騎士】の力を『賜与』することが出来るらしいので―――。
「なるほどな、欲しけりゃ俺達の連盟に入れろってか?」
―――固定でパーティーを組むことが多いであろう小規模の連盟に所属し、その連盟の中の誰かが【騎士】の力を得られれば高確率で自分も恩恵を得ることが出来るというわけであり、彼の目的は間違いなくそれだろう。
「理解が早くて助かるね、Mr.ベロウ。……現状、三人未満の連盟で最も有力そうなのは君達だ……だから、どうかね?」
だからこそ、彼はベロウとスコーチの連盟『フロストバーン』に入ることを希望しているのだろう。
たった二人で『雪嵐の王虎』や『蛮竜』を乗り越えている彼らの実力は折り紙付きだし、それになにより―――。
「……へっ、そうだな」
―――その話し方や表情、身に纏った黒いレザージャケットを見れば秒で分かることだが、この男は自分達と同じ悪ぶりたい盛りおじさんだ……間違いない。
ベロウはノータイムで彼を受け入れることにした。
「てめぇ、運が良かったな。丁度そろそろ人員を増やそうとしてたところだったんだ」
「……そうだったのか!?」
人員を増やすなんて話あったか!? と目を剥いて驚くスコーチ。
勿論だが、そんな話は一切していない……ワルっぽい雰囲気を出すための出まかせである。
「そうだよ、話したろ? この間」
「そうだったか……」
それでも、前に話しただろ? とベロウが言えばスコーチは納得してしまう。
こんな嘘でも簡単に騙されてしまうスコーチのことはさておき、この謎の男は気が合いそうなのでとりあえず連盟に加えるとして。
だが、その前にベロウはひとつだけどうしても知りたいことがあった。
「ただ、最後に教えろ。どうやってこれだけのカジノコインを集めた?」
それは、どうやってこれだけの大量のカジノコインを稼いだのか? ということだ。
現状、ポーカーでダブルアップ・チャンスに挑み続けるのが最高効率であり、それをベロウは実践しているわけだが……彼がくれてやると放ったカジノコインの量はベロウの手持ちを遥かに超えており……真っ当な方法で稼いだとは考えにくい。
「なんだ、そんなことか? 単純だよ。確率は裏切るが、犬は裏切らない……知らないのか?」
「なッ、ドッグレースでこれだけ……!?」
自らの質問に対し返ってきた男の答えを聞いて、ベロウは驚愕した。
『ドッグレース』……このカジノに置いて最もオッズが高くなりやすいが、生物が絡む関係上最も予想が難しく、考え無しには勝ち続けることが困難とされるゲームだ。
だのに、この目の前の男はそれを用いてこれだけのカジノコインを稼いだという。
「つーかお前はいらねぇのか、コイン」
「あぁ。私はこの導書の導きにしたがってコインを稼いでいただけだからな。別に欲しくて集めたわけじゃあない」
いったいどんなインチキをすりゃドッグレースで連勝できるのかと、真剣に考え始めたベロウを傍目にスコーチはふと思いついた疑問を口にしてみるが、男は古ぼけた本を取り出してピンと指で弾くばかり。
「ふぅん」
なんだそのクソきたねえ本、お前の日記か? とスコーチは心の中で思うが口にはしない。
日記帳の好みは人それぞれであり、自分もデカい熊がアップリケされた日記帳を使っているのだから。
……ちなみに言うまでもないが男が取り出したのは男が自分で口にしている通り、条件を満たすとスキルノートを発行する強力なアイテムこと『導書』であり、間違っても日記帳ではない……スコーチが導書の存在を知らないだけで。
「まあ、いい……。分かった、入れてやるよ。で、あんた、名前は?」
「今更聞くのか? まあ、いいがね。私はグッドキース、よろしく頼むよ。Mr.ベロウ、Mr.スコーチ……フフフ……」
ドッグレースで連勝する方法は気になるところだが、とりあえず男……グッドキースを迎え入れることにしたベロウは、グッドキースが怪しげな笑みを浮かべながら差し出した右手を、ニヒルな笑みを浮かべながら握り返し、そしてなんか良く分からないがとりあえずベロウに倣ったスコーチが順に握り返す。
……グッドキース。
謎が多い男だが、連盟に所属せず、固定でパーティーを組んでいる相手もいる雰囲気がないのに自分達と同じように王都セントロンドにまで到達している彼は……間違いない、強者だ。
そうベロウは判断し、浮かべた悪い笑みを深くする。
なお、彼が王都セントロンドにいるのは第一回イベントに娘と一緒に参加した際に(そもそもこのゲームを始めたのも中学生の娘の付き添いだ)偶然カナリア達と同じチームに入っていたからというだけであり。
ひとりでこの場にいる理由も元々お目付け役として母親が遣わした存在であるグッドキースを邪魔だと感じていた娘が、彼から離れるべく社会人のプレイ時間ではノルマが厳しく加入が出来ない大規模連盟『フィードバック』に所属してしまったからだ。
……そう、妻には顎で使われ、娘には煙たがられる悲しき父親―――それがグッドキースだった。
その正体は名前を逆から読めば分かる通り、ただの悪ぶりたい盛りの犬好きのオッサンである。
―――王都セントロンド下街。
真新しさと古臭さの混在する、レトロフューチャーな街並みを持つ王都セントロンド……それを囲むようにして広がる庶民層居住区。
その街は剥き出しの歯車と無数のパイプにまみれており、ネオヴィクトリアンな服装に身を包み真鍮製のガスマスクで顔を隠す住人達が住まう街であり、そして、環境への影響を顧みない蒸気機関の多用によって空が黒い煤に覆われている、退廃的な雰囲気漂うスチームパンク風の街でもある。
そんな街の一角にある巨大なカジノ施設に、悪に憧れるプレイヤーが三人。
「ったく、ひでぇ雨だな。サイテーだぜ」
売店で購入した傘を差しながらベロウが呟く。
「君は嫌いか? 私は好きなのだがね、この街の雨が。……人間の傲慢に満ちていて、どす黒く、美しいじゃないか」
ベロウの呟きに対し、グッドキースがニヒルな笑みを浮かべる。
「ああ、間違いねえ……」
そして最後にスコーチが口角を吊り上げた。
彼らは『フロストバーン』、クールな悪役に憧れを抱くベロウと、自分のことを悪だと勘違いしているスコーチと、悪を演じることで妻と娘に虐げられる現実から逃避するグッドキースの三人で構成された、悪の『連盟』である。