001-チュートリアルにて。その1
この作品には暴力シーンや、グロテスクな表現が含まれています。
「……困りましたわね」
ベッドの上に置かれた黒いゲーム機と、シリアルコードが書かれた一枚の紙切れがとても居心地悪そうに入っている、やたら大きいパッケージを前にして勇小鳥は唸りながら腕を組んでいた。
事が起きたのは五分前。
学業を終え帰宅した小鳥を待っていたのは、妹である海月が両親と言い争い泣きじゃくる姿。
普段、滅多に諍いの起きない勇家においては小鳥の目にした光景は珍しいものであり、今日という日が海月の14の誕生日であったというならば猶更であった。
駆け上がるようにして自室へと戻ってしまう海月を見て、気が付けば小鳥は(やや責めるように)両親に事の顛末を尋ねていた。
当然、小鳥が生きているのは両親の存在があってのことなので、小鳥はもちろん両親のことを尊敬している。
が、同時に、大人というものが何一つ間違わない完璧な存在というわけではないことも知っていた。
故に、可愛い妹である海月の涙の理由は正しく知らねばならない。
そんな意志の下に動く小鳥の非難の籠った視線を浴び、困った表情で説明をする両親曰く……先の騒動の原因は海月が今日誕生日プレゼントとして両親に頼んだものであるようだった。
それは《オニキスアイズ》……つい最近リリースされたばかりのVRMMOゲーム。
……別にゲームであることが問題なのではない、勇家で問題となったのはそのゲームパッケージに記されていた一つの表記―――年齢レーティングD、対象年齢17歳以上……遊ぶのなら17歳になってからがいいですよ、という表記だ。
これが両親の目についたばっかりに今年で14歳である海月は当ゲームを遊ぶまでに3年間のお預けを食らい、こんなものをバカ正直に守って3年間もお預けを食らう不条理に憤り、言い争いになったらしい。
……と、ここまでは別段問題なく、小鳥も『それは仕方ないですわねえ』と頭を振るだけであった。
なんでやらせる気がないのに買ってきたのか、3年間もお預けを食らわせて海月がなにも言わないと思ったのか……等、いろいろ問題がある気はするが、勇家においてはここまでは問題ないのであった。
だが、この後に問題が起きる。
しばらく部屋で泣いていた海月が小鳥の部屋を訪ねたその時に『どうせ私遊べないんだし、お姉ちゃんやってみて!』……と、要約すればそういうことを海月が小鳥へと告げるという問題が。
海月より3つ上である小鳥は今年17……やや厳しめな勇家の目線で見ても彼女が『オニキスアイズ』を遊ぶのはなんの問題もない。
が、だからといって小鳥が喜んで受け取るかと言えば、そうではない。
「ゲーム、ゲームねえ……」
そもそもとして小鳥はゲームに然程興味が無かった。
それよりかは絵を描いたり文章を書いたり、なにかを作り出すことに興味があり、休日はそればかりをしている芸術家気質の少女であった。
故に、この時代には珍しくゲームというものを小鳥は殆ど触ったことがない。
一方で海月はバリバリのゲーム好きな現代っ子なので、彼女が遊んでいるところを見せて貰ったりなどは何度かあったが……。
「とはいえ、3年も寝かせておくのは確かにもったいないですわよねえ」
たっぷり十分程逡巡した後、結局小鳥は、食わず嫌いも良くないですし……と、どこか自分への言い訳めいた言葉を呟きつつ、オニキスアイズをプレイすることを決めた。
まるで興味がないわけではないし、なにより、リベンジしたい気持ちがある。
……というのも、小鳥には「一緒にやろう!」と海月に誘われ、あるVRMMOゲームとハードウェアをセットで買いはしたものの、(既にリリースから数年経っていたそのタイトルでは)最前線に追い付いて遊びたい海月と、最前線に追いつこうとする海月についていくことすら苦しく感じる小鳥では歩幅が合わず上手く楽しめなかった……という苦い思い出があったのだ。
だからこそ、発売からそれ程日数の経っていないこのゲームを自分のペースでプレイしてみて身体を慣らし、再度ギブアップした件のゲームにリベンジしてみよう……と、小鳥は考えたわけだ。
というわけで。
買ってもらったのはいいが、それ以降埃をかぶっていたVRゲーム用ハードウェア『セブンス』を(付着した埃を軽く払った後に)装着してベッドに横になり、オニキスアイズをダウンロードした後にシリアルコードを打ち込み、以前件のゲームを一度遊んだ際に作成したアバター(リアルまんま)を読み込む。
起動前にいくつか設定を変えられる点はありはしたが、この手のゲームに不慣れな小鳥は別段設定を弄ることもなく、右側頭部あたりに設置されたスタートボタンを軽く押す。
すれば、視界の先には現実離れしたリアリティが広がっていく―――。
「なあ、勇者。もうすぐ着くぞ」
―――久々のダイブに少々の酔いを覚える中、凛とした女性の声と馬が馬車を引く音が小鳥の耳へと飛び込んでくる。
「ほ?」
急に話しかけられた、その上『勇者』などという……なんともお約束な呼び名で呼ばれ、小鳥は思わず気の抜けた返事を返し、次に辺りをきょろきょろと見回してしまう。
そういうものだと分かっていたとて、自室から急に野外に周囲の風景が変われば驚くのが普通の人間の反応だ。
一定間隔で響く馬の足音、ギシギシという馬車の軋む音、大空を飛ぶ鳥の鳴き声―――様々な音が小鳥の耳へと入り込む。
そして、それと一緒に聞こえるびゅうびゅうという吹き付ける風の音が、それなりに高さのある場所をこの馬車が進んでいるのだと察せさせる。
実際、馬車から少し身を乗り出すと……落ちでもすればひとたまりもない高さの崖が目に飛び込んできて、小鳥は顔を青くさせて固まる。
「……大丈夫か、勇者? お前、自分が誰だか分かるか?」
別に小鳥のそんな反応を見たからではないだろうが、小鳥を勇者と呼ぶその女性……黒に黄昏色のメッシュというなんともファンタジックな髪色と、竜胆色の瞳をした美しい女騎士が小鳥に名前を問う。
「え、ええ。わたくしは―――」
素直に名乗ろうとした寸前、小鳥はこの質問が〝プレイヤー名を決めるための質問である〟と(ゲーム歴数週間とはいえ流石に)気付く。
名前、名前か……ある程度は自分を指し示しているのが分からなければ不便だな―――と、短く思考を巡らせ、小鳥はひとつの名前に辿り着いた。
「―――カナリア、ですわ」
その名はカナリア。
本名である〝小鳥〟を連想させつつも、ファンタジックなこの世界にあっても違和感のない名前であり、それでいて分かりやすく女性名かつ可愛らしい……実にピッタリな名前ではないだろうか。
名乗りつつも小鳥―――カナリアは思わず心の中で自画自賛をしてしまう。
「よかった、ちゃんと覚えていたか」
そんなカナリアを見て安堵したような柔らかい笑みを浮かべる女騎士。
だが、直後に彼女は少々意地の悪い笑みを浮かべた。
「ならこのレプスのこともキチンと覚えてくれているな?」
「え」
そして続く言葉。
小鳥は当然ながらこの作品に対するリサーチなどを一切していないので、目の前の彼女の名前どころか、彼女がいったい誰なのかなど一切知りもしない。
なので、当然口からは再び情けない声が出て、硬直する。
「……なんだ、私のことは覚えてないのか? フフ、酷いな」
カナリアの反応を見て意地悪い笑みを浮かべる女騎士―――レプス。
そんな彼女の表情はまるで生きた人間の女性のもののようで、彼女がデータ上の存在に過ぎないNPCであることを考えると、恐ろしいまでに生々しく、美しい。
だからカナリアは思わず一瞬どきりとして、最近のゲームは進んでますのね……なんて年寄りくさい感想を零した……別に昔のゲームを知っているわけでもないのに。
久々のゲームで、いきなり実際に生きているかのようなNPCとの会話をしてしまい、若干の緊張を覚えるカナリアだったが、レプスが今までの自分達のいきさつを語り、馬車が目的地らしき神殿に辿り着く頃にはすっかり緊張も解れ、馬車を降りる頃にはカナリアは頭の中でレプスの語った話をまとめていた。
レプス曰く、あらすじはこういった感じである。
プレイヤーはこの世界を支配せんとする巨悪〝大罪人ドーン〟を打ち倒さんとする若者であり、レプスはプレイヤーがドーンを打ち倒すために必要不可欠である『神秘の武器』が保管される遺跡の扉を世界で唯一開くことの出来る指輪を所持している女騎士。
ふたりは運命的な出会いを果たし、そしてドーンを打ち倒すため共に旅をしている……。
ベタな王道シナリオではあるが、王道とは良いものであるから王道なのだな、とカナリアは再確認しつつも、これから自分を待つであろう冒険に胸を躍らせ―――。
「え、それは困るんですけれども」
―――そして、躍らせた胸をシステムウィンドウに表示された一文に止められた。
『ストーリークエストや、一部のダンジョンでは進行するためにレプスを含めた特定のNPCをパーティーに加える必要がありますが、通常は自由なメンバーを3名までパーティーに加えることが出来ます』
その一文は、別に特段おかしなことが書いてあるものではない。
ようは『一部のコンテンツはこちらが用意したNPCと一緒に遊んでね』というだけのもの……よくあることだ。
しかし、それは非常にカナリアの頭を悩ませた……というのも、やはり最終的には妹である海月とこのゲームも一緒に遊びたいと思ってしまったからだ。
前回こそ最前線を目指す妹の攻略速度と長時間プレイについて行けず断念したが、今回はリリース直後から遊べているので、あそこまで私生活を投げ捨ててプレイしなくとも妹が満足する程度の位置にはいられるだろう……となればやはり、妹が結構な頻度で語るような『冒険譚』を間近で見てみたい……いや、出来る事ならば共に紡ぎたい。
だのに、このゲームは妹の隣に立つのは目の前のファンタジックな色合いをした女騎士だと言う。
「そういうのはよくありませんわよ」
『どうした? パーティーの申請をしてくれ』と、パーティーの組み方のチュートリアルの途中で放置されているレプスがNPCらしく繰り返すが、既にその言葉はカナリアの耳には届いていない……カナリアはどうすればこの運命を覆せるか必死で考えている。
……正直なところ、VRMMOにおけるメインストーリー等ただの付属物であり、海月が語っていた『冒険譚』はそこで紡がれたものではないのだが、残念ながらカナリアはゲームに疎く、それを察せられなかった。
「あっ、そうですわ!」
そうして辿り着いた答えは単純明快。
「ようは、わたくしがレプスの代わりになれればいいんですのよね! ねえ、あなた! その指輪、わたくしに譲って下さらない?」
話を聞く限り、レプスとプレイヤーが共に旅する理由はたったひとつ……〝レプスがドーンを打ち倒すのに必要となる神秘の武器が保管される遺跡の扉を世界で唯一開くことの出来る指輪を所持している女騎士だから〟の一点のみ。
故に、言ってしまえば彼女の価値は指輪のみであり、その指輪をカナリアが手に入れられれば彼女は不要な存在なのだ。
そう、指輪だけが彼女の存在意義―――。
「……すまない。この指輪は一度着ければ永遠に外すことの出来ない呪われた指輪でな。いくらお前の頼みといえど、あげることはできないよ」
―――ならば当然、レプスがその指輪を渡すわけがない……申し訳なさそうな表情で頭を振る。
「なら死んでもらうしかありませんわね」
そして突如としてカナリアが常軌を逸した結論に辿り着いたが、残念ながらこの場に彼女の異常な結論を指摘する存在はいなかった。
急になぜそうなってしまったのだろう。
カナリアは即座に腰に差してある直剣を抜き取りレプスへと振りかぶる。
思い立ってから行動に移すまで5秒もない。
「ぐっ!? な、なにをする! 勇者!」
突如斬りかかられたレプスが恨めしそうな目でカナリアを睨む。
カナリアの斬撃は完全に彼女の胸を切り裂いていたが、リアルな裂傷が出来たりなどはせず、赤黒いエフェクトがパチパチと光る。
だが血飛沫はアンリアルなほど飛び散り、カナリアや得物はべっとりと血で塗れ……カナリアはこのゲームが17歳以上推奨である理由を知る。
「あなたがわたくしをここまで追い詰めましたのよ!」
17歳以上推奨のゲームに相応しく、間違っても未成年に見せてはいけなさそうな思考回路をしているカナリアがレプスの瞳にも一切怯まずに続けて突きを繰り出す。
追い詰めるもクソもまだなにも話は始まっていないのだが、なぜカナリアはもう話を終わらせようとしているのだろうか。
「や、やめろ! お前のことは友だと思っていたのに!」
悲痛なレプスの悲鳴が響く。
いくら相手がNPCとはいえ、こんなことを言われれば常人であれば多少は罪悪感を抱きそうなものであったが、カナリアの攻撃は一切の躊躇いを帯びない。
彼女は目的のためであればどこまでも冷徹になれる恐ろしい少女であった。
「くっ、こうなっては仕方がない……恨むなよ!」
3度目の攻撃がレプスに直撃し、いよいよ彼女はカナリアに敵対する。
……いやむしろよくここまで理不尽な理由で攻撃されて3度も攻撃を受けたものだ……最初からそう設定されていたとはいえ。
やはりNPCはどこまでいってもNPCなのだろう。
「悔いるがいい! 暁に歯向かったことを!」
「ひゃっ!」
そして一太刀、カナリアの胸へとレプスの一太刀が浴びせられる。
それだけでカナリアのHPバーは9割消し飛び、死を直感させ、それは間もなく訪れた―――。
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