パンパン
私はね、こう見えて、そこそこのお嬢さんだったんだよ。小学校を卒業すると、両親は私を、私学の高等女学校に入学させてくれた。お父さんは私にとっても優しくて、私の為に色んな物を買ってくれた。奇麗なお洋服はもちろんの事、当時では珍しいんだけど、本もよく買ってくれた。その本の中にね、アンデルセンの人魚姫があったの。悲しい話なんだけど、とても好きだった。何度も読み返したのを憶えている。あの頃が、一番幸せだったんじゃないかな。
でも、それも、戦争が始まるまでのことでね。お父さんが兵隊に取られてしまってからは、母親と一緒に疎開をした。私が、十六歳の時に戦争が終わったんだけど、疎開先から、大阪に帰ってきたら、辺り一面が焼け野原になっていてね。ここが住んでいた大阪だなんて、ほんと信じられなかった。あったはずの家も、きれいに焼けて無くなっていてね。とても見晴らしが良かったの。気持ち良いくらいだった。
その日は、とても暑い夏だった。日が落ちても、まだ蒸し暑くてね。額から脇から汗が吹き出すの。家がないから、その日は、しかたなく、お母さんと身を寄せ合って夜露をしのいだんだ。私にとって頼るべきものは、もうお母さんしかいなかった。でも、世間知らずな私のお母さんは、とっても弱い人でね。私を抱きしめながら、ずっと泣いているの。私の方こそ泣きたいのに、私はそんなお母さんを慰めていたのを憶えている。ところが、そのお母さんが、暫くすると居なくなってしまったんだ。私を捨てたのかもしれないし、何か身の危険があったのかもしれない。今となっては、もう分からないんだけど。ただ、確かなことは、私は一人で生きるしかなくなってしまったってこと。
でも、あの頃は、そんな子供は私だけではなかった。私よりも、もっと小さな子供たちも戦災孤児として、焼けた街の中に溢れていた。あの頃の記憶は、ただ「お腹が空いた」それだけだったね。金属片を集めてお金に換える子供や、靴を磨いてお金を貰う子供。カツアゲをしてお金を取り上げる子供や、スリをしてお金を奪う子供。みんな、生きるのに必死だった。そんな中で、私を拾ってくれたのが、パンパンて呼ばれるお姉さん達だったんだ。
パンパンって知ってる? 男に対して体を売る女の事だよ。当時はね、街中にアメリカの兵隊さんが沢山いてね、国を挙げてそのアメリカの兵隊さんの為の慰安所が作られたんだ。何故かって? 放っておくと、アメリカの兵隊さんが日本の女達を手篭めにするからだよ。だからね、お客さんは、沢山いた。それは、もう、凄かったんだよ。私は、そうした公認の慰安所ではなくて、街中で男を捕まえるパンパンのグループに所属していたんだ。所謂、立ちんぼだね。ショバ代も含めて、地元のヤクザとの付き合いが必要だけど、売上も含めて仕事を自分で管理することが出来る。これが大切だったんだ。慰安所は国策だから良いように見えるけれど、一日に三十人も四十人も、兵隊さんを相手をしないといけないから大変なんだ。それに、病気も怖いしね。
私は、お姉さん達に教えられながら、男との付き合い方を憶えていった。怖かったのは初めだけ。多分、性に合っていたんだろうね。コンドームを切らさないように注意しながら、私は男との駆け引きを楽しんだ。私は若かったし、自分で言うのもなんだけど、人気者だった。お金はくれるし、美味しいものは食べさせてくれるし、天職だと思ったよ。
ところがね、仕事を始めてから五ヶ月位経った頃に、段々と体調が悪くなってきたんだ。年が明けて、寒い一月だった。お姉さん達に、そのことで相談をしたら、生理の有無を尋ねられた。私は、「最近、生理が来ていない」と答えたら、「おめでただね」と返された。凄く不安だったのを憶えてる。でも、お姉さん達は、あっけらかんとしたもので、私に堕すことを勧めてくれた。私も、怖いから、お姉さん達の言うとおりに堕すことにしたんだ。お姉さん達に引っ張られる様にして向かった先は、産婆さんの家だった。四十を越えた位のおばさんが出てくると、冷たい目でお姉さん達を見るんだ。
「堕ろすのかい?」
ぶっきらぼうな言い方だった。
「うん。でも、私じゃないよ。この娘」
そう言って、お姉さんは私の背中を押した。私は、押されるままに前に出る。私は、恐る恐る、そのおばさんを見上げたよ。閻魔様に睨まれる、罪人のような気持がした。掠れるような声で私は言った。
「宜しくお願いいたします」
おばさんは、冷たい目でお姉さん達を見た。
「お前たちは帰っていいよ。後は、やっておくから。それとね、今晩は、アンタ達のねぐらじゃなくて、私んとこに泊めるから」
「分かってるって。後は宜しくね。おばちゃん」
そう言って、お姉さんたちは帰っていった。私は、一人残されて凄く不安になった。拳をギュッと握って立ちすくんでいると、おばさんが優しく微笑んでくれた。
「こんな子供に……さあ、こっちへおいで」
そう言って、奥の居間に入って行った。私は、慌ててそのおばさんの後ろを付いていく。居間に入り隅っこで立っていると、おばさんは、私に、ストーブの近くに座る様に指示をされた。目の前でおばさんは、手際よく準備を始めた。台所で湯の準備をして、大きなタライを用意する。居間の真ん中に布団を敷いた後、堕胎に使うであろう道具を並べ始めた。私は、その一連の様子を、どこか他人事のようにして見ていた。今から自分に起こることなのに、考えることを放棄していた。作業そのものは、手慣れたおばさんの手によって速やかに行われた。男と寝るよりも、簡単だった。
「少し寝るといい。目が覚めたら、体力を付けるために、美味しい食事を用意するからね」
そう言って、私に布団を掛けてくれた。お母さんと別れてから、こんな風に優しくされたのは初めてだった。目を瞑ると、安心感からか、直ぐに寝てしまった。
「良く寝れたかい?」
目が覚めると、おばさんが私を見てほほ笑んでくれた。私は、布団の中から頷いた。居間には、ご飯が炊けた匂いが漂っていた。私が鼻を動かすのを見て、おばさんは頭を撫でてくれる。
「ご飯にしようか?」
私は、また頷く。暫くして、お膳にご飯が用意された。白いご飯とお味噌汁とお肉が並べられていた。
「アンタ達のお陰で、生活をさせてもらっているからね。ご馳走だよ」
布団から抜け出した私は、匂いに誘われる様にして、お膳の前に座った。手を合わせる。
「いただきます」
温かくて美味しいご飯だった。湯気が立ち上り心が温まる味噌汁だった。
「そのお肉はね、生姜醤油で食べるんだよ」
キラキラと輝いた、そのお肉を箸で挟む。初めて食べるお肉だった。生だった。とっても柔らかくて、こんなに美味しいお肉は、これまでに食べたことがなかった。
「美味しい……」
思わずそう呟くと、おばさんが微笑んだ。
「美味しいだろう。アンタの血肉になるから、しっかりと食べな」
私は、おばさんの優しさに涙が出てきた。涙を流しながら、それでもご飯を食べていた。すると、そんな私を見ておばさんが笑った。「泣くのか、食べるのか、どっちかにしなよ」と言って笑った。食事が終わると、私は気になっていたことを、おばさんに尋ねた。
「私の赤ちゃんはどうなるの?」
おばさんが、私を見つめる。
「心配いらないよ。近くにお寺があるから、そこのお坊さんに供養してもらう」
私は、思い切っておばさんにお願いをした。
「見せてもらってもいいですか?」
おばさんの顔が、少し曇った。
「いいよ。でも、見て、楽しいものじゃないよ」
「いいの。私なりに、けじめをつけたいの」
おばさんは、私を真っすぐに見つめた後、立ち上がった。隣の部屋から、白い布に包まった胎児を、両手で優しく抱いてやってきた。丁寧に広げると、手のひらに乗るくらいの小さな胎児が眠っていた。小さな手と小さな足が確認できた。目は瞑られている。私は、その人間になれなかった胎児に手を添えると、「ごめんね」と呟いた。呟きながら、私は、自分が犯した罪を嚙みしめる。今後、私は母親として生きていくことはないだろうと、心の隅で思ったんだ。




