声が聞こえる
パラパラと舞う氷の破片の中にアルテア佇み、上空の男に視線をうつした。
「あとはあいつか」
アルテアは探知の魔法により、屋敷に向かった男のイーヴルの消滅にも気づいていた。
おそらくターニャが倒してくれたのだろう。
仲間がやられたというのに、鎧の男は依然として空に留まったままだった。
仲間意識がないのか、自分の強さに圧倒的な自信があるのか、理由はわからないが男は事態を静観していた。
「のんびりしている時間はないぞ。さっさとやつも片付けてしまえ」
ハクが急かすように言う。あまり聞き覚えのない焦りを伴う声音に、一瞬だけ視線を本にちらりと向けてアルテアが答える。
「ああ、わかってる。あいつを倒してそれで終わりーーー」
アルテアが目を見開いて言葉を止める。
鎧の男の姿が消えていた。
男から意識を逸らしたのはハクと話したほんの一瞬だったというのに、全く気配をつかめなかった。
探知の魔法を発動し雷のように視線を巡らせて男の姿を追ったところで、彼方から轟音が鳴り響いた。
屋敷の方からだった。
すぐさまそちらを確認すると、黒々としたキノコ型の煙が立ち上っていた。
「ターニャ……!みんな……!」
飛び出そうと魔力を身体に纏ったところで
「季節外れの氷のという存外、美しいものだな」
「ーーーッ!!」
背後から聞こえた声に反応し、鞘から剣を抜きはなって斬りかかった。
が、手応えはなく、剣は空を切った。
「貴様、何者かと存在を融合させているようだな。面白い魔法だ」
再び背後から声が聞こえた。
咄嗟に飛び退いて距離をとり、男を視界の正面に捉えた。
目鼻立ちの整った長身の男だった。
切れ長で氷のように冷たい目をしており、華奢ともいえる体格に不釣り合いなほど大きな、夜をうつしたような漆黒の鎧を身につけている。
まるで温度を感じない男の声音と瞳に若干の寒気を覚えた。
何よりもその身の内から発せられる力は他の二体のイーヴルとは比べ物にならない。アルテアは乾いた唇をそっと舐めて口を開いた。
「……皆は、ターニャはどうした」
「ターニャ……?ああ、あの女か。一撃見舞ってあとは部下を放っておいた。あれを相手にするのは面倒なのでな」
「随分と余裕だな。ターニャならすぐ片付けて加勢に来るぞ」
「万全ならそうだろうな。だがあの女は愚かなことに人間どもを庇って私の攻撃をまともに食らってしまった。それでも長時間は足止めできまいがね」
一旦言葉を区切って間をあけたあと
「まあ……」と続けて男が言う。
「貴様を殺すには十分な時間だ」
男の身体にまとう魔力がより濃密になる。
「……それはこちらの台詞だ」
「ふふ……それは楽しみだ。だがお前と融合している者は刻限が近いことに気づいているようだぞ?」
男は挑発的に言う。
見透かすような視線に嫌悪を感じてアルテアが怒声を放つ。
「それまでにお前を倒せばいいだけのことだ……!」
アルテアが魔力を身体に纏わせると同時に
「待て!!」
頭の中でハクの叫び声が響いた。ハクの制止も置き去りにしてアルテアは鎧の男に向かって疾走する。
必殺の気を込めて抜き放たれた剣が、獲物に狙いを定めて地を駆ける獣のように男に迫る。
男もそれを迎えうつため、撃ちおろすように抜剣した。
キィンと澄んだ音を立てて双方の剣撃がとまった。せめぎ合う鋼がギリギリと鈍い音を立てて火花を散らした。
鋼越しに両者の視線がぶつかり、お互いがすぐさま距離をとって剣撃を繰り出す。
お互いが必殺の一撃を放ち、それを払う。常人の目にはうつることすらない超高速の撃ち合いが繰り広げられていた。
両者はほぼ互角故に勝負がつかず、決め手に欠けていた。
しかし永遠に続くかと思われたそれも、やがてあっけない形で終わりを迎える。
突如、アルテアは身体から力がいっきに失われるのを感じた。剣を持つ腕にも力が入らずだらりと剣を振り下ろし、その重みを支えることすらできずに糸の切れた人形みたいに地面に倒れふした。
「な、にーーっ」
突然の異常事態に急速に思考を巡らせようとしたところで、それは尋常でない痛みによって遮られた。
「ぐ……がはっ……!ぐああああっ!」
全身を襲う突然の痛みにたまらず叫び声をあげる。細胞のひとつひとつが丁寧にすり潰されているような不快感と痛みだった。
身体のいたるところからは血が止めどなく流れ出し、呼吸をするだけで骨が砕けたように痛んだ。
「なん……だ……どうなって……」
顔を動かすこともままならず、息も絶え絶えになんとか意識だけをハクに向けた。
「……『魂魄融和』の反動だ」
ハクの焦りを含んだ硬い声が頭に直接流れ込んでくる。
「これが、反動……?ぐっ、があああああ」
自身に起きた異常を把握しようとするが痛みのせいでそれもままならない。そのまま意識が途絶えてしまいそうなところを、気合いだけで持ちこたえていた。
そんなアルテアを嘲笑うかのように頭上から男の声が降り掛かってきた。
「魂とは本来、存在の本質。決して混ざり合うことなどない。融合しようとすれば反発、消滅してもおかしくはない。短時間とはいえ、その魂を融合させていたのだから当然の反応だろう。むしろまだ生きていられるとは驚きだな」
男の声がどこか遠く聞こえる。
「その男の言う通り……魂の反発に肉体が影響を受けている。お主はもう限界だ」
ーーまだ、やれる。
そう言おうと思ったが、言葉にならなかった。
「お主はよくやった。もう寝ていろ。この場からお主と逃げるくらいの力ならまだ私にもある。ここで逃げても誰も責めはせん」
誰も責めはしない。それは本当だろうか。
アルテアは父と母の顔を思い浮かべる。
彼らなら、きっと犠牲になってでも自分を逃がそうとするだろう。
ターニャもそうだ。
ーー坊ちゃんが無事なら私はそれでいいのですよ。坊ちゃんをお守りすること、それが私の使命であり喜びです。
きっと、こんなことを言うに違いない。
イーリスも、ノエルも、テオも、アッシュも、村の皆も、逃げてもきっと責めはしないだろう。
ーーお前だけでもいいから逃げろ。
そう言うだろう。お人好しばかりだ。
ーーなら、俺は逃げてもいいんだろうか。
答えは、否。
ぼんやりとした意識の中で、しかしその思いは炎のように強烈に燃え上がる。
炎の意思がアルテアの身体に熱を入れていく。
「俺は逃げないよ」
力強く目を開き、ぎちぎちと顔を持ち上げて敵を睨みつける。歯を食いしばり、地面に手を付き身体を起こす。骨が軋み、砕けわうとするが構わない。
震える手で剣を拾って敵を見据える。
「『魂魄融和』ッ!」
先程の感覚を思い出しながら再びハクと魂魄を融合させた。
もはや痛みなのかもわからないほどのあらゆる苦痛に苛まれているが、アルテアは構うものかと敵に向かって地を蹴った。
「ほう……」
鎧の男が少しだけ感心したように呟いてアルテアを迎え打つ。
再び激しい打ち合いが始まった。
頭の中でハクが必死で何かを言っていた。
不思議な感覚だった。敵と戦っている自分を、少し離れたところからもうひとりの自分が見ているみたいだった。
あいにく、ひどい痛みのせいで内容までは理解できないが、自分を心配しているのだということだけはわかった。
キンキンと頭の中でハクの声が鳴っていた。ハクの言葉を聞く余裕も、もはやない。だから悪いとは思いつつ、一方的に話し続けた。
「……一度死んでみてわかったことが、ひとつ……あるんだ。後悔は死んだあとも続く……。皆が許してくれても、神様が許してくれても……それはずっとずっと続いていくんだ。だから……俺は、もう……自分の生き様で後悔はしたく……ないっ!」
父や母、ターニャ……その他の人も、皆はきっと命を賭けて自分を守ってくれるだろう。
だから、自分も命懸けで守らなければならない。
それに何より、皆との絆はこの世界で手に入れたかけがえのないもの。
たとえ死んでもそれを失いたくなかった。
生きたいと願いつつも、矛盾した想い。
普段の何十倍にも引き伸ばされた思考と感覚のせいか、飛び散る血がきらきらと輝いて見えた。
さっきまで聞こえていたハクの声が聞こえない。鋼が撃ち合う音も、息をするだけで感じていた耐え難いほどの苦痛も、もう何も感じなかった。
加速されていく思考とは反対に、世界の景色はどんどん緩やかになっていく。
先程より苛烈さを増しているはずの男の剣さばきや身のこなしがひどく緩慢に見える。
隙だらけだ。隙しかない。
どこでも切れそうだ。
試しに胸を切りつけると、あっけないほど簡単に、男の身体を鎧ごと切り裂いた。
男はさすがと言うべきか、痛がる様子などひとつも見せることなく反撃に転じてくる。剣ははっきりと見えてはいたが、身体の動きが思考に追いついてこなかった。
まあ、痛みも何も感じないのだから関係ない。避けることは諦めて、致命傷だけは避けるように男の剣をその身に受ける。
肩が大きく抉られて、一瞬だけ身体が熱くなったような気がした。
そしてお返しと言わんばかりに男の腹のあたりを切りつけた。
砕けた鎧の破片や血しぶきが宙を舞う。
そしてアルテアは気づいた。
もしかしたら、自分は死ぬのかもしれない。だから痛みも感じないし身体もぴんぴんしてるみたいに動くんだ。
死ぬのは二度目だった。
そう思えば怖くはなく、どれだけでも力を出せるように思えた。
己の全てを魔力に変換する。そうすれば目の前の男を倒せるだろう。
だからそうしようと思った。
ーー本当に、それでいいのか?
不意に聞き覚えのある声が聞こえた。
他の誰でもない、自分の声だ。
ーーお前が死んだら全然意味ないだろ。命にかえるな。死ぬな。生きて守り通せ。
自分がターニャに言ったことだ。
ーー生きて、幸せにね。
夢の中で、少女に言われた言葉だ。
『 死ぬなよ、アル』
『アルちゃん、この子と一緒に待ってるわよ』
『……おにい、ちゃん……』
『坊ちゃん、皆は私がお守りします。どうかご無事で』
『アルくん……無事に帰ってきてね』
『アル坊!』『アル兄……』『アルテア様』『アルテア様』
イーヴルと初めて戦った時と同じだった。
また、皆の声が聞こえた。
「死ぬな、バカもの!」
さっきまでは聞こえなかったハクの声もしっかり聞こえていた。
ハクはいつの間にかアルテアの腰元に収まっていた。
その声は、泣いているように聞こえた。
きっと自分のせいだと思った。
「すまない。……それと、ありがとう」
ハクを見て微笑んで、本の表紙を優しく撫でた。
皆の声が聞こえて、アルテアは自分の愚かさに気がついた。
大切な人を失う苦しみ。無力感。後悔。
これまで自分がずっと苦しまされてきたものを皆にも与えてしまうところだった。
自分は生きなければならないのだ。
「終わりだ、人間……!」
鎧の男が魔法を放つ。
なんの魔法かはわからなかったが、それがとてつもない威力を秘めていることはわかった。先程までのアルテアなら決死の覚悟でそれに突っ込み、特攻をしかけたかもしれない。だが、今は違った。
死んで勝つのでは意味がないのだ。
「俺は……俺は……死なない!」
アルテアが吼え、迫る漆黒の魔法を真っ向から迎えうつ。
「契約により 我に従え 聖約の光王
其に命ずるは 名も無き旅人
顕現せよ 聖なる光痕 魔封の聖剣 三千世界を遍く照らせ」
「 『白夜流転』!!」
魔法は精神力。意志の強さ。
アルテアの意志の力が、極大の光帯となって撃ち出された。
白光と漆黒の波動とがほんの一瞬、中心で衝突し、次の一瞬で白光が漆黒を呑み込んだ。
「なにっ……ばかなーーッ!!」
極大の光が、鎧の男もろとも世界を呑み込んだ。




