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魔王

いつもの高台で、火の手が収まりつつある村を眺めて、もう何度目になるかわからない探知の魔法を使う。

現出が収まってきたおかげか、あたり一帯に存在する魔力を持つ生物の位置を正常に感覚していくが、そこにイーリスらしき反応はなかった。

やはりおかしい。意見を聞こうとハクへ話しかけた。


「なあ、お前はどうーー」


突如、ガラスに爪を立てて引っ掻いたような甲高い不協和音が村全体に響き渡った。


「なんだ?!」


アルテアは反射的に耳を塞ぐが音を遮ることができない。頭の中に直接流れ込んでくるようだった。あるいは自分の内側から湧き上がってくるようだった。

正体はまるで不明だが、なんらかの魔法による攻撃を受けていることははっきりとわかった。

凄まじい憎しみを感じたからだ。


世界中の悲鳴を一箇所に集めて煮詰め、怨嗟だけを抽出したような。

聞くもの全てに絶望を与えんとする、どす黒く、闇をも塗りつぶしてしまいそうなほどの怨念だった。


「な……んだ……これ……は……」


脳が沸騰するかと思えるほどの音が絶え間なく続いていた。周囲の風景が何重にも重なり激しく揺れて、苦痛と吐き気をもたらした。魔力枯渇状態に似ていたが、それの比ではなかった。


気を抜けばすぐさま意識が刈り取られそうになるのを、歯を食いしばり必死に堪えた。やがてブチブチと何かが千切れる音が頭の中で聞こえて、アルテアの目と鼻から血が流れ出した。

もはや立っていることすら限界に近い。


「くそっ……」


アルテアの意識が怨念に塗りつぶされようとしたとき、


「ちっーー精神魔法か」


ハクが苛立ったように言う。魔本が眩く光りを放ち、淡い光がアルテアを覆ってやがて身体に吸い込まれるように消えていった。それと同時に、ずっと鳴り響いていた不協和音も聞こえなくなった。

糸が切れた人形のように、どさりとアルテアが地面に膝をついた。


「対抗魔法を使って中和した。調子はどうだ?」


「はぁ……はぁ……すまん、助かった……」


アルテアは血で汚れた顔を服の袖で乱暴にぬぐった。ハクが助けてくれなければ気を失うか、最悪死んでいた。


「いったい、誰がーー」


「……来るぞ」


ハクが声を低くして言った。

普段のどこか軽い調子は微塵もなく、氷のように冷えきっていた。

その冷たさが事態の深刻さを告げると同時に、混乱するアルテアの思考をなんとかひとつにまとめた。


上空から重圧を感じた。

アルテアは鋭い眼差しで空を見上げる。

空が円状に裂け、まるで触手を伸ばすように亀裂が広がった。亀裂の向こうは重い黒一色で満たされていた。光の存在を許さない暗黒だ。

その闇より、死という現象をそのまま纏ったような怪物が姿を顕した。

数は三体。骨のような鎧と外套を身につけた男を筆頭に、その後ろに残りの二体が騎士のように控えていた。

姿形は人間そのものだった。


「人、か?いやーー」


アルテアはかすれた声でうめくように呟いたあと、すぐさま考えを改めた。

隠す気もない尋常ならざる殺気。

三体の怪物がその身の内に秘めた怨嗟と憎悪の魔力はまさしくイーヴルのそれだった。

だが、これまで対峙してきたイーヴルとは決定的な違うところかあった。

それはーー


「次元が違う」


三体のイーヴルが放つ魔力を直に感じてアルテアは戦慄する。

頭上から海が落ちてきたかのような圧迫感。離れた場所に立っていても呼吸が乱れそうだった。


「あやつらは……」


呼吸を荒くするアルテアの腰元で、ハクが

信じられないものを見たという声を出した。


「お前、あいつらのことを知っているのか?」


空から地上を睥睨するイーヴルを見据えてアルテアが聞いた。だが、ハクから返ってきたのは怒号だった。


「今すぐ退け……!!」


ハクが叫んだのと同時に、先頭に立つイーヴルがふいに手を掲げた。

広範囲の地面に紋様が浮かび上がり、地面から生えるように黒い触手が出現して壁を形作り、やがて村全体をすっぽりと覆い尽くしてしまった。


「なっ……!?結界魔法か……!」


「ちっーー隔絶されたか!」


結界魔法は広範囲に魔法障壁を展開して結界の内外を分断する魔法だ。

時には要所を守る防壁に、そして時には獲物を逃さぬ鳥籠になる。

この場合は間違いなく後者だった。

閉じ込められたことにアルテアが焦り、ハクが苛立つ。

そして鎧をまとったイーヴルが静かに口を開いた。



「羽虫のように湧いている」


かなり距離があるため普通なら聞こえるはずのない男の声が聞こえた。

あいつらは敵だ。はっきりとそう認識した。意識を切り替えて瞬時に魔力を励起させる。


「殺せ」


男が声だけで後ろのふたりに告げた。

おそらく従者だろう、背後に控える二体のイーヴルが鎧の男の命令を受けて忠義の深さを示すように深々と腰を折ったあと、突如アルテアの視界から消えた。


「右に跳べ!!」


ハクの怒鳴り声が耳を打ち、考える間もなく反射的に体が動いた。

土を蹴り横に跳ぶと、アルテアの居た場所を鋭い風圧が打ち付け、すっぱりと地面を切り裂いた。


「次は後ろだ!!」


続く声にも瞬時に反応して後ろに大きく跳躍する。目の前の地面が押しつぶされたように陥没した。

空中で身体を捻り着地し視線を走らせて敵を探す。

敵は二体、アルテアの正面に佇んでいた。

アルテアが剣のように鋭い眼差しで二体のイーヴルを睨みつけた。


「今のを躱すかよ。おもしれぇガキだ」


面白い獲物を見つけた、といった様子で右に立つ男が薄い笑みを浮かべた。

鍛え上げられた鋼のような体躯にその内から溢れ出す圧倒的な魔力。


乱暴な口調とは裏腹に、その眼には冷静に相手の実力をはかろうとしている理性の色があった。

ニヤニヤとアルテアを値踏みする男に向かって、隣の白いローブを身にまとった女性が声を掛けた。


「あら、あなたの腕が悪いんじゃないのかしら?私にはそんなに強そうな坊やには見えないわ」


見えないイスに腰掛けるように、空中に浮かんで足を組みながら女が言った。


「かわいい顔はしているけれどね。将来有望そうだわ。殺すのがもったいないくらい」


足を組みかえ、いかにも残念だというように眉尻を下げた。女の所作はその全てが計算されていた。

現実離れした美貌とローブの上からでも凹凸がはっきりするほどの豊満な肢体、そして頭を揺らすような甘い吐息交じりの声音。


それらを巧みに使い、その女と対面するものの心を惑わせる。囚われたが最後、二度と目覚めない眠りにつくことになるだろうとアルテアは思った。


「うっせーんだよ、年増ババア。てめぇの攻撃もかわされてただろうが。てめぇから先に消してやってもいいんだぜ」


「あらあら、いいのかしら。アイン様に叱られちゃうわよ?まあ、あなたみたいなクソガキに私を殺せるとは到底思えないけれど」


「ああ……?試してやろうか?」


「どうぞご自由に。でも、死んでも知らないわよ」


両者の間で放たれた殺気がぶつかり火花を散らした。自分に向けられていないとはいえ、その圧倒的な暴力にアルテアの背中に冷たい汗が流れる。


「あいつら、何者だ……?」


小声でハクに問うと、硬い声が返ってきた。


「はるか昔にこの世界を蹂躙していた……四天魔王と呼ばれた古のイーヴルのうちの三柱だ」


「あれが、魔王……」


「異界の神の眷属の中でも上位の存在だ。

先刻まで現出していたイーヴルとは文字通り次元が違う。……今のお主では決して勝てんぞ」


確かに、目の前の二体からは隔絶した力の差を感じた。

前世を含めてもこれほど実力差を感じたのは初めてかもしれない。

ハクの言う通り、戦っても勝てないだろう。

だがアルテアに逃げるという選択肢はなかった。ここで逃げれば、きっと屋敷が襲われる。


やるしかない。


それに、今なら敵は油断している。

目の前で罵りあいを続ける二体の怪物たちは隙だらけだった。先手を取って仕掛けるなら今しかない。

そう決意したアルテアは瞬時に魔力を練り上げて二人に向けて魔法を放つ。


「よせ!!」


雷迎雨(ソルド・レーゲン)!」


ハクの制止を振り切り、解き放たれた魔法は雷撃となり空から降り注いだ。

いくつもの雷撃が地面を穿ち大爆発を起こした。

爆風に目を細めながらも粉塵の中を注視する。

詠唱破棄とは言え上級魔法。倒すまではいかないまでも少しのダメージは与えられる算段だった。


だが、アルテアはその見込みが甘かったことをすぐに思い知った。

もうもうと立ち込める土埃が晴れると、無傷で佇む二人の姿があった。


「ハッ……てめえの顔を見てると本気で殺っちまいそうだ。……えらく人間の集まってる場所がある。俺はそっちに行くぜ」


何事も無かったかのように男が話を続けていた。


「そうね。これ以上あなたと顔を合わせたくないのは私も同じ。そっちはあなたにあげるわ」


次元違いの強さと、何より二人の会話の内容にアルテアはぞくりと背中を震わせる。

人間が多く集まる場所。今のこの村でそんな場所はひとつしかない。


「行かせるか!!」


勝ち目は、ない。先程の攻撃でそれは確信に変わったが、やつらを屋敷に行かせるわけにはいかなかった。


「ばか者が……!さつさと逃げろッ!」


またもハクが叫ぶが、アルテアは構わず地を蹴り男に突っ込んだ。

腰に下げた剣の柄を握り魔力を流し込み強化すると共に、刃に雷の魔法を纏わせ、鞘の内部を雷で満たした。

鞘の中で雷が爆ぜ、その勢いを利用して抜剣する。


閃光を放ち、雷のごとき斬撃が男の首元に迫る。男はまるで反応できていない。

決まった、とアルテアは確信した。

凄まじい衝撃と轟音が大気を揺らし、巻あがった土埃があたりを覆った。


「馬鹿な……」


土埃の中からアルテアの驚愕の声が漏れ出た。

覆っていた埃がはれ、変わることない健在な男の姿が浮かび上がった。完璧なタイミングだった。だが、剣は男の首に届くことなく腕によって阻まれ、わずかに皮膚を切っただけだった。


どんなに力を込めようが、魔力で強化しようが、アルテアの剣がそれ以上先に進むことはなかった。


「くそっ……!ハクッ!」


先程の攻撃に乗じて男の背面へ回り込こんでいた魔本が、アルテアの呼びかけに応じてひとりでにパラパラとページをめくり、魔法弾を発射する。

着弾。爆発。爆発に紛れてその場を離脱、いったん距離をとった。

爆炎の中から現れた男にダメージはまるでない。


「直撃したはずだが……バケモノか……!」


「ハッ。俺に防御を……しかも血を流させるとはな。やるじゃねえか。おもしれぇ魔道具を使いやがるしよ」


男がアルテアとハクを一瞥する。

先程までの玩具を見るような薄ら笑いを含んだ顔ではなく、敵と認めた者を見る眼差しだった。


「俺が直々に殺してやりてえところだが……てめえの相手はババアに譲っちまったんでな」


「関係ない……お前を行かせるわけにはいかないんだよ!」


「いい心意気だ……嫌いじゃねえぜ。だが、いいのか?俺にばっか気ぃ取られてっとーー」


男がそこまで言ったところで、アルテアは背中に悪寒を感じてすぐさま飛び退くと、

その直後、不可視の力が地面を抉った。


「じゃあな。もしてめえが生きてたら俺が相手をしてやるぜ」


男はアルテアに言い残し、瞬間移動のような速度で姿を消した。

行かせてしまった。


屋敷の皆が危ない。


どうしようもない焦燥感がアルテアの胸を焦がした。


ーーはやく助けに行かないと……!


そんなアルテアの心中を知ってか知らずか、神経を逆撫でするような間延びした甘い声が頭に響いた。


「私を無視するなんてひどいじゃない、坊や。お姉さんと遊びましょう。とっても楽しい気持ちにさせてあげるわよ?」


女はアルテアの前に回り込み、豊満な双丘を持ち上げるように腕を組んでこれでもかと胸を強調するポーズをとった。

あまりにも大きくて腕からこぼれ落ちてしまいそうな程だった。


「悪いな、おばさんには全く興味がわかないんだ」


相手を怒らせて隙をつくれはしないかとあえて挑発すると、女はその美貌をわずかに歪ませて、声を低くする。


「いいわ。その安い挑発にのってあげる。……楽に死ねると思わないことね」


女の魔力が爆発的に膨れ上がった。

本当に魔力なのかと疑わしいほどの凄まじい密度と重圧で、それだけで押しつぶされてしまいそうだった。

挑発したのは失敗だったかもしれない。


アルテアの額に滲んだ汗がつうっと顔を伝って地面に染みをつくった。

挑発は成功したが、女からは一切攻撃の気配はない。先手は譲ってやるとばかりに女は余裕の表情だった。


完全に舐められているのだ。

悔しさが込み上げてきて、今すぐ飛びかかりたい衝動に駆られるが、それを理性で必死に抑え込んだ。

舐められている。だがそれでいい。

そこにこそ付け入る隙がある。


「やるぞ……ハク!」


「ええい、逃げろと言うに……仕様のないやつだな!」



「じゃあ、始めましょうか。少しは楽しませてよね?」


蠱惑的な微笑みで女が開戦の合図を告げた。




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