ヒーロー
ゆらゆらと揺れる木々の間を縫って木漏れ日が差し込む鮮やかな緑の世界に、少女の黄色い声が木霊した。
「もうっ、アルくんっ!それは向きが違うよっ!もっと右に向けて!」
「ええと……こうか?」
叱咤を受けた少年が、金がかった茶髪の少女の剣幕に押されつつも、言われた通りに手に持った木の枝の位置を調整する。
「あっ、それは行き過ぎ!」
「えっ……わ、わるい」
少年はこういう、何かを造る作業を苦手としていた。自分の作業に自信がもてず、中途半端にしてしまうからよけいに上手くいかないのだ。
謝罪の言葉を口にしていると、少年の身体に横からすっとひとつの影が重なった。
「……アル。これは、こう」
白い髪に紅い瞳、透き通りそうなほど人間離れした神秘性を放つ少女が、体をぴたりと密着させながら少年の手を取った。
「それで、これはこっち」
少女は少年の背中に体を密着させて、少年の手を取りながら作業をすすめていく。
「あっ……!」
それを見た茶髪の少女が目をぎょっとさせて物凄い剣幕で言い募る。
「ちょっと、イーリスちゃん!な、なにやってるのっ!」
「教えてる」
イーリスはさも当然というふうに返した。
息を吸ってますけど、何か?とでもいうように。
「お、教えるなら口で説明すればいいんじゃないかなぁ……?そんなにくっつく必要あるのかなぁ……?」
少女がわざとらしく咎めるような口調で言う。
「ノエルはそうした。でもアルはわかってなかった。だからこうやって教えてる」
「でもでも、それじゃあほとんどイーリスちゃんがやってるみたいなものだよね。それってアルくんのためにはならないんじゃないかなぁ」
「口で言って伝わらないならそれこそ意味がない。一緒に実践したほうがいい」
子供の教育方針で対立する父母のように言い合う二人の少女。
「じゃあ、アルくんには私がちゃんと教えるから……イーリスちゃんは自分の持ち場に戻っていいよ。手伝ってくれてありがとう」
ノエルがにっこりと笑いかける。
有無を言わせぬ圧力を感じる笑みだった。
「だめ、それはできない。一度始めたことを放り出すのは良くない。
私が最後まで責任をもって教える」
無表情ながらも意志の強さを感じさせる声でイーリスが返す。
アルテアは二人の間に火花が散っているような錯覚を覚える。
「あーあ、また始まっちまったよ~」
呆れた声がすぐ隣から聞こえてきた。
ため息をついて金髪の少年がアルテアの隣にどかりと座り込んだ。
「なー、アル兄。あんたのことで揉めてるんだからさ、あんたがどうにかしなよ」
金髪の少年が言うと、周りからも口々に声が上がった。
「そうだそうだ!兄ちゃん、はやくとめてきて!」
「わ、私もはやく止めた方がいいと思うの……」
「痴話喧嘩は犬も食わねえって、父ちゃんがいってたぞ」
ひそひそとぶつけられる言葉に押されてアルテアが二人の少女の間に入る。
「な、なぁ……俺はひとりでがんばってみるからさ……二人とも落ち着けよ」
月並みな言葉で、なんとか場をとりなそうと試みた。
が。ぎろり、と殺気の塊のような視線を返されてアルテアは黙り込んだ。
「ははは……なんてな。やっぱりひとりじゃ不安かも」
そんなことを口にしながらおずおずと引き下がっていく。
その様子を見ていた金髪の少年がやれやれと肩を竦めた。
「アル兄……情けないぜ……」
金髪の少年が言うと、周りの子供たちもうんうんと頷きあっている。
「ならお前が止めてこい、アッシュ。他のやつでもいいぞ」
そういって周りにチラリと視線を向ける。
「そりゃ無理だ。魔獣の巣に突っ込むみたいたもんだよ」
彼の言うとおり、それくらいの凄みが二人の少女にはあった。誰も立候補するものはいなかった。
日を経る事にどんどん凄みを増していく少女たちに、アルテアも今では口答えができない。
家で母とメイドにイジられる父の気持ちが最近になってよくわかるようになった。
そのまま二人の少女を見守ること数分、今回はジャンケンで勝敗を決することになった。ふたりとも動体視力がかなり良いのか、
凄まじいまでのあいこの連続だったがやがてノエルの勝利に終わった。
ノエルが晴れやかな笑顔でスキップをしながらやってくる。
その後方で佇むイーリスの顔が見えないことが、アルテアたちにとって何よりの恐怖だった。
「じゃ、続きしよっ!」
ノエルの跳ぶような声で作業の再会が告げられる。
アルテアたちは半年ほど前の魔獣とイーヴルによる騒動の際に壊れてしまった子供たちの秘密基地をつくり直しているところだった。
いま共に作業をしているのはその時に救った子供たちだ。それがきっかけで、アルテアたちは彼らともたまに遊ぶようになっていた。
騒動からしばらくは森への立ち入りも禁じられていたが、ギルドから派遣されてきた闇狩りと星神教会からの異端狩り、それぞれの調査の結果、特に不審な点もなくあれ以来まさに平穏そのものの様相を保っているので、こうして立ち入りが許されるようになった。
そんな時に彼らから秘密基地を作り直すのを手伝って欲しいと声をかけられたのだ。
理由はわからないが、今回は前回に比べてイーリスも村に長く滞在していた。
そのこともあってか、最初はイーリスに対してどことなく気味悪がっていた子供たちも、今では遠慮なく遊ぶようようになっていた。
「それにしてもよぉ。アル兄がこんなに……なんていうか、ヘタレだとは思わなかったぜ。もっとおっかない感じだと思ってたのにさ」
隣にあるアッシュが木の枝で骨格を組み上げながら言う。
彼はグループのリーダー的存在だった。
助けて以来、アルテアを兄と呼び慕っている。
「俺もだよ。俺は自分をもっと冷徹な人間だと思っていた」
「なんだそれ。やっぱり変じゃん」
アッシュがゲラゲラと笑うと他の子供たちも大声で笑った。
日も落ち始めあたりが夕焼け色に染まる頃、秘密基地の改修はおわった。
森の木々を何本も跨いで骨格が作られており、壁と屋根には魔法で加工した土と葉をそれぞれ使っている。
ちょっとした小屋くらいの大きさはある、子供の秘密基地とは思えないほど立派なものが出来上がった。
皆が満足そうに歓声をあげていた。
「そろそろ帰るか」
周囲を見渡してアルテアが提案する。
特に反対する者もおらず、一行は村に向けて歩き始めた。
途中、イーリスが何度か立ち止まり周囲を探るように首を回した。
「さっきから周りを気にしてるけど、どうかしたのか?」
「……んん。なんでもない」
「そうか?ならいいんだが」
念の為アルテアも魔法で周囲を探るが何の反応も示さなかった。
警戒は緩めず歩き続け、やがて無事に村へとたどり着いた。
村人が農作業に精を出す見慣れた景色を目にしてアルテアは安堵した。アッシュたちとはそこで別れて家路に着く。
「おやぁ、アルちゃん。今日も両手に花かい。隅に置けないねぇ!」
「この間の干ばつんときは雨振らせてくれてありがとよぉ!」
「領主様によろしくな!」
歩く先々で声をかけられ、それに気恥しそうに手を挙げて応えた。
「これうちの畑でとれたんだ。ぜひ食べてくんな!」
ずいと差し出される野菜の入った袋を遠慮がちに受け取る。
「坊主、また一緒にひと狩り行こうぜ!」
「もう少し大きくなったらお姉さんのパーティーにこない?」
屈強な冒険者に背中をドンと叩かれ、ふらついた先では別の冒険者に勧誘されていた。
村は活気づいていた。
魔鉱を仕入れるために遠路はるばるやってきた商人とその護衛依頼を受けた冒険者や魔鉱採取の依頼を受けた冒険者で賑やかだった。
「アルくんもすっかり人気者だね」
いまだ慣れぬ様子でとぎまぎするアルテアを見てノエルがクスクスと笑いを漏らす。
「ぜんぜん慣れないけどな……そろそろ皆も普通に接して欲しいもんだ」
「それは無理なんじゃないかなあ。アルくんは村のヒーローだもん」
「俺がヒーローか……」
ノエルの言葉を反芻してから「柄じゃないな」と小さくこぼした。
それが聞こえていたのか、横を歩くイーリスが話に入ってくる。
「アルはかっこいい。だから仕方ない」
宝石のような深紅の瞳でまっすぐに見つめられて思わずどきりとしてしまう。
このまま見ていたら中に引き込まれそうな、魔性の魅力を放っている。
「アルは私の勇者さま」
「お、おお……ありがとな」
誤魔化すようにさっと目をそらす。
反対側からジトリとした視線を感じて、行き場をなくした目線を宙に彷徨わせると、左腕に柔らかい感触が伝わった。
「アルくんは私のヒーローでもあるんだよ……?」
ノエルが少し頬を染め、上目遣いで何かを訴えるようにアルテアをじっと見る。
愛嬌のある可愛らしい顔立ちで、大きな目の中で翠緑の瞳が揺れている。
ノエルは将来かなりの美人に育つだろう。
そんなことを考えていると、今度はぐいと右腕が引かれる。
「私の方が先に言った」
「大事なのは順番じゃないと思う」
アルテアを挟んで二人が膠着状態に入った。想像以上に二人の少女の握りしめる力は強く、だんだん腕が痺れてくる。
(痛い……こいつら意外と力が強いんだよな……)
アルテアは痩せ我慢するしかなかった。
村の大人たちがその様子を見て微笑ましそうにしている。
彼らにとってはもはや日課と言っていいくらい見慣れた光景だった。
ぎりぎりと睨み合いが続く中、ぬるい風が三人の間を吹き抜けていき、ふとイーリスが力を抜いて腕から離れた。
「今日はノエルの勝ち」
「えっ?あ、うん」
ノエルも拍子抜けしたという様子で答えて腕から離れた。
「イーリスちゃん、どこか具合わるかった?ごめんね、わたし気づかずに……」
いつもと違いあっさりと張り合うのをやめてしまったイーリスを見て体調が悪いと思ったのだろう。
ノエルがイーリスに心配そうに声をかける。
別に彼女たちは仲が悪いわけではない。
むしろ仲がいいからこそ気兼ねなく張り合うことができていた。
「確かに強情なお前にしては珍しい。大丈夫か?」
どことなく今日のイーリスの様子に違和感を覚えたアルテアも彼女の身を案じる。
イーリスは二人を見て、お礼を言うみたいに少しだけ微笑んだ。
「平気。少し用事があるだけ」
「ほんとに……?あんまり無理しちゃダメだよ」
「ん。ありがと」
二人の少女は手を繋いで言葉を交わした。
「じゃあ……私は行く。
またね、ノエル。アルも」
「……ああ、またな」
「またあした遊ぼうねっ!」
そこでイーリスと手を振って別れた。
彼女の様子にどことなく不穏な気配を感じたアルテアは、その予感に抗うように彼女の背中が見えなくなるまでじっと見守っていた。
ノエルも何かを感じ取ったのか、不安げな顔でイーリスが消えた先をじっと見つめていた。
「ノエルはさ、あいつのこと怖くないのか?」
不意にそんな言葉がついて出た。
「こわい?イーリスちゃんが?」
まるで考えもしなかったというようにノエルが可愛く首を傾げる。
「出会ったばかりの頃あいつが、自分は呪われてるとか、それで周りには怖がられているとか、そういうことを言っていたから」
「そっか……そんなこと言ってたんだ」
ノエルが悲しそうに目を伏せた。
きっとイーリスの気持ちがわかるのだろう。優しい子だなとアルテアは思った。
「俺は詳しくは知らないんだが、ノエルは知ってるか?呪いがどうとか……」
「ううん、私も詳しくは……。でも、白い髪は呪いの顕れだっていうお話は聞いたことある」
「やはりそういう言い伝えがあるのか」
アルテアがそう言うと会話は途切れてしまった。
横たわる重い空気を払うように、あえてアルテアが明るい調子で声を張った。
「ま、呪いなんて迷信だろう。
あったとしても、そんなの俺がプチッと潰してやるさ」
父を意識してニカッと笑いかけると、
ノエルもそれに合わせるようににっこりと笑った。
「そうだね、アルくんはヒーローだもんね」
「ああ、まかせておけ」
そうして二人は笑いあった。




