ひと狩り行こうぜ
草木をかきわけ、森の中を四つの影が駆ける。
行く手を遮る木の枝や足場の悪さなどものともせずに、各々の影たちが獣じみた速度で森を疾走する。
一つの影は小さな民家ほどもある巨体で木々をへし折り、なぎ倒しながら進んでいる。
アウルベアと呼ばれる、フクロウの嘴とクマの体躯を併せ持つ魔獣で、森の生態系では上位に位置している。
そして三つの影がそれを追っていた。
影のうちひとつが、魔獣にむかって短剣を飛ばす。
魔獣は、自分の頭部めがけて凄まじい速度で飛ぶそれを、四本の足に力を込めて大きく横に跳んでかわした。
ズドン、と巨体が着地した衝撃で周囲の地面が軽く揺れる。
「そちらに行きました」
冷静な声で、女性が告げる。
彼女はその場においては明らかに不釣り合いな、給仕服を身にまとった、
いわゆるメイドだった
「ああ、心得た!」
大剣を持った男が、渋みのある声でそれに答える。身の丈ほどもある大剣を片手で軽々と振るって、アウルベアの横合いから斬りかかった。
魔獣の巨大な爪と大剣とがぶつかり合い、キィン、と甲高い音が鳴り火花が散った。
大剣と巨爪とが鍔迫り合い、魔獣が重量にまかせて男を押しつぶそうとするが。
「ハッ──!」
男が力を込めると、人間の胴ほどもある鋭利な爪が斬り飛ばされた。魔獣はその力を流しきれずに吹き飛んだ。
「グガアアアアアアアアア!!」
その痛みに魔獣がうめき声をあげ、周囲の木々がざわめいた。
男とやりあうのは分が悪いと判断したか、魔獣は標的を変更する。
最も小さな影に向かい、木々をなぎ倒しながら突進する。
「アル!」
そう叫ぶ男性の声が、魔獣のけたたましい咆哮で塗りつぶされた。
「グルアアアアアア!!」
普通の人間ならばそれだけで気絶しそうなほどの魔獣の威圧。
それを真正面から浴びるアルと呼ばれた少年──アルテア・サンドロットは、臆することなく剣を構えて身体を魔力で鎧った。人を肉塊にするには十分な威力をもって振り下ろされる巨大な腕を、少年は自らそれに飛び込むことでかいくぐった。
チッ、と魔獣の腕先が髪を掠めた音が耳をついた。
一瞬の交錯。
魔獣の懐へと潜り込んだ少年は剣に魔力を通わせ、魔獣の首の付け根に刃を放つ。
何の抵抗もなくするりと刃が肉骨を断ち、弧を描き剣が振り抜かれる。
魔獣の巨体は慣性で少しだけ前進したあと、糸が切れたように崩れ落ちた。ズン、と重い音が周囲に響き、両断された首が転がった。
少年は剣を振って血を払い、鞘に納めた。
「お見事です、坊ちゃん」
メイド姿の女性、ターニャが木から飛び降りてそう言った。
「やったな、アル!」
赤銅色の髪の、大剣を携えた男も駆けよってくる。
「ありがとう。でも一発もらった」
「なにっ!?どこか怪我したか!?」
男性はそう言って、慌てふためいて少年の身体をまさぐった。
「旦那様、坊ちゃんにお怪我はありませんよ」
「あ、ああ……ごめん。魔獣の腕が髪を掠めただけだよ」
アルテアは自分の赤毛を指先で触りながら伝えた。
「な、なんだ。そういうことか」
アルゼイドは、ふう、と息をついて分厚い胸をなでおろした。
「ややこしい言い方をしないでくれ。もしお前に怪我させたら父さんが母さんにボコボコにされる」
この屈強な父が剣の勝負で負けるところはアルテアには想像がつかなかったが、母に叱られる姿なら容易に想像することができた。
「坊ちゃん、旦那様を困らせてはいけませんよ」
「ターニャの云う通りだぞ、アル」
使用人の言葉にうんうんとアルゼイドが大げさに頷いて見せる。
「ただでさえ奥様の尻に敷かれているのです。これ以上、旦那様の肩身を狭くしてはいけません」
助けているのか貶しているのかよくわからないフォローにアルゼイドはがくっと肩を落とした。
そんな二人のやり取りを見て使用人なのに遠慮がないよな、と思うアルテアだった。
アルテアが生まれて五年ほど経つが、家のパワーバランスは女性二人に大きく傾いていることが既にわかっていた。
そしてターニャは使用人にもかかわらず、アルゼイドをからかうことも多い。
アルゼイドやティアもそれを咎めたりはしなかった。
不思議だと、二人を眺めていると、今もメイドにからかわれているアルゼイドと目が合った。
彼はちょうどいい逃げ道を見つけたといったふうに話題をかえる。
「しかしアル、また腕を上げたな」
かつてアウルベアだったものを見下ろしながら感嘆する。その切り口の鮮やかさは、熟練の剣士たるアルゼイドからみても美しいと感じるほどだった。
「父さんが爪を落としてくれたからね。安心して飛び込めた」
「いや、それにしてもこれは見事だ」
アルゼイドは同意を求めるようにターニャに視線をうつした。
「ええ、お見事です。アウルベアは冒険者ギルドの定めるランクによればD級上位の魔物。この個体は魔素溜りの影響で魔素を多く集めていたようですし、通常の個体よりも強力だと思われます。これだけ鮮やかに首を落とせる子供はそういないでしょう」
大人でもなかなかいませんが、という言葉を彼女は呑み込んだ。
彼女はいつでも淡々とした口調なので、アルテアは自分が褒められているのかよくわからない。
「ありがとう。でもまだまだ足りない」
前に立つ大人ふたりと自分とを交互に見比べてから、アルテアはそうこぼした。
「あれだけ激しく動いたのに、二人とも息が一切乱れてないし服に汚れもない」
森の中であれだけ激しく動き回ったというのに、二人に傷はなく、服にも汚れがなかった。父は動きやすい軽装なのでまだ納得できたが、ターニャは違った。
彼女は何故か戦闘時でも常にメイド服を着ていた。そもそも彼女がメイド服以外の服を着用しているところをアルテアは見たことがなかった。
動きにくくないか?と彼女に聞いたことがある。そのとき、彼女は「この服は万能なのです」と意味のよくわからないことを言っていた。
そして今も実際メイド服であるし、服には一切の汚れ、乱れすらなかった。
対するアルテアの服には木の葉や細かな泥が付着していた。木々をかき分け疾走したからか身体のところどころに細かいかすり傷を負っていた。
「父さんたちは年季が違うからな。なあに、お前も慣れればこれくらいのことは目もつむったままでもできるようになるさ」
励ますように言って、大きいな手でガシガシとアルテアの頭をなでた。
「今の坊ちゃんなら現役の騎士や冒険者に混ざっても遜色ないでしょう。十分にお強いですよ」
「だといいけどね。じゃあ俺、村の皆を呼んでくるよ」
「では、私も一緒に参りましょう」
「俺ひとりで大丈夫。子供じゃないんだ」
ターニャを制して、アルテアはひとりで村に向かって歩いて行った。ターニャが横目でうかがうと、アルゼイドが黙って頷きそれを認めた。
「どうも最近、あいつの様子が変ではないか?」
どんどん前へすすみ遠くへいってしまう息子の背を見てアルゼイドが尋ねる。すっかり息子を心配する父親の顔になっていた。
「変というならば、ずっとです。子どもならもっとわがままを言うものです」
「まぁそうなんだが、それとは別だ。……力に執着している」
「志が高いのは良いことだと思いますが」
「その気持ちが良い方向に向いていればな。あいつからはどこか危うさを感じる」
声を低くして、アルゼイドが言う。アルテアの中に潜む復讐心を、彼はぼんやりとだが見抜いていたのかもしれない。そして息子が間違った道に進むのなら、自分が正してやらねばならないとも思っていた。
「ご心配ですか?」
珍しくターニャが気遣う声をかける。
「まあな」
と短く言って嘆息したあとさらに続けた。
「村の子たちと喧嘩をした件もある」
「子どもなら喧嘩くらいしますよ」
「普通の喧嘩ならな」
アルゼイドが渋い顔で唸る。
「アルは魔法を使ったそうじゃないか。それも地形が変わるほどの威力だ……山が抉れているのを見た時は腰を抜かしそうになったぞ。あれほどの魔法……一線級の術師レベルだ、子供の喧嘩の範疇を越えてる。まあ幸いにも怪我人はなく、お互いに謝罪を済ませ穏便に終わったが……下手をすれば死傷者が出ていたかもしれん。しかも肝心の喧嘩の理由をまるで言おうとせん」
「何か理由があるのでは」
「俺だってそう思っているさ。しかし、俺にくらい話してくれてもいいじゃないか」
アルゼイドは大きな肩をすっかりと落として、すねたような口調で言った。
「信頼されていないのだろうか」
ぽつりと弱音をこぼす。普段の精強な姿からは想像できないほど弱弱しかった。
「坊ちゃんは旦那様のことを尊敬しておられます。それが見えづらいだけです」
いやにはっきりと断言するメイドに、反射的に問いかけた。
「なぜそう思う?」
メイドはクスっと微笑みながら言った。
「坊ちゃんは旦那様によく似てらっしゃいます」
メイドの言葉を聞いて、アルゼイドの頭の中に疑問が乱れ飛んだ。完璧とすら思える息子が自分と似ているとはとても思えなかった。やがてアルテアが村人を率いて戻ってくるまで、アルゼイドは頭を悩ませていた。




