夢のおわりに
死に名状しがたい恐怖を覚えるのは 愛したものに会えなくなるから
死に名状しがたい安らぎを覚えるのは かつて愛したものに会えるから
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夢を見ている。
視界いっぱいが赤く染まったいつもの夢とは違う。
どこかの草原だろうか。
辺りには草木が生い茂っていて、ほがらかな風が吹くたびに緑が揺られている。
高い空は青く澄んでいて、手を伸ばせばそこに溶けていってしまいそうだった。
全く知らない場所だった。
でもなぜか、どこに行けばいいのかはわかっていた。
迷いなくある一点を見て、緑の大地を踏みしめて歩き出す。
柔らかい草の感触が心地よかった。
ほどなくして、目的の場所にやってきた。
そこにはやはりというか、予想通りというか、ひとりの少女が佇んでいた。
「リーナ……」
少年が名前を呼ぶと、少女は静かに振り返った。
彼女に驚きはなく、まるで少年が来ることを知っていたようだった。
風になびく青い髪を片方の手で抑えながら、彼女は挨拶をした。
「や、ひさしぶりだね」
ちょっと遠征に行ってきて帰ってきたよ、というような軽い口調だった。
あまりの軽さに少年もつい、本当に彼女は少し遠征に行っていただけなのでは、と
錯覚しそうになる。
「……ずいぶん軽いな」
「悲壮な顔で、なんでお前だけが……!って言えば良かった?」
いたずらっぽく少女が言う。
「それは……」
心を読んでいるような少女の発言に少年は言葉を詰まらせた。
それはいつも自分が考えていたことで、
彼女もきっとそう考えているに違いないと思っていたことでもあった。
暗い顔で目を伏せる少年に向かって少女は跳ねるように言う。
「あはは、冗談なのに。そんなこと思うわけないってば!
そんなこと気にしてるなんて、きみってば相変わらず根暗だね」
「いや、でも……俺は……」
「……ほんと、昔から変わらない。仕様のないやつだな」
ぼそっと呟いた後、
少女はずいっと体を寄せて人懐っこい猫みたいに少年の懐に入り込んで、
人差し指で少年の眉間を揉むように撫でた。
「こんなに眉間に皺よせちゃって……他の人に怖がられたらどうするの?
また友達できなくなるよ?」
核心をつくような少女の言葉に、少年はまたしてもぐうの音も出ない。
「それは……もう手遅れかもしれない……」
「そんなことないよ。変わるのに遅いなんてないんだからさ。
変わりたいと思った時、それが始まりだよ」
教訓めいたことを言ったからか、少女はご満悦といった様子で
にんまりと顔を緩めて何度も頷く。
「それにね。せっかく生きてるんだからさ。
人生楽しまないと損だよ、損」
「楽しむ……」
あっけらかんとそう言い放つ少女の言葉を、少年はそのまま繰り返した。
まるで初めて聞いた言葉だというように、呆然とした顔で。
「そんな間の抜けた顔してどうしたの?わたし、何か変なこと言った?」
「いや……あまり考えたことなかったから。俺だけが……そんな……」
陰鬱な気を発しながら影を落とす少年を見て、少女も押し黙る。
重い沈黙が挟まった。
再び声を発するにはあまりに重く、長い。
それでも少女は沈黙を切る様に口を開いた。
「自分だけ生き残ったことがそんなに不満かい?」
核心に迫る問いに、アルテアは答えを返せない。
また重い沈黙が降り積もる。長い時間をかけて雪が積もる様に。
それでも少女は、少年が話し始めるのを待った。
きっと彼なら答えてくれると信じているように、少年のほうをただ黙って見ていた。
「そう、だな。不満……だった。
どうして俺なんだって。ずっと思ってた」
非常にぎこちなく、たどたどしかった。
それでも、少年は自分の気持ちを伝えようと言葉を紡いでいく。
自分の知っている言葉から最も正しい言葉を選び取るように、丁寧に。
「もしお前にまた会えるなら、聞きたかった。どうして俺なんだ。
どうして俺を助けたんだって。どうして俺が生きてるんだって。聞きたくて仕方なかった」
「今でも、まだそう思ってる?」
「正直、そうだな……聞きたいよ。でも、それはできない」
「それは、どうして?」
少女の問いに、少年は数秒押し黙る。
だが、先ほどのような重い沈黙ではなかった。
その静寂は少年が決意を固める時間だった。
「だって、お前は……みんなはもう、死んでしまっているから。
みんなはもう答えてはくれないんだ。いや、答えてくれるとしても……
その答えは俺自身が出さないといけないんだ。
俺が何を成すべきなのか。俺の命の意味は、俺が見つけないといけないんだ。
だって、生きているのは俺なんだから。お前に助けてもらった俺がやらなきゃいけないことなんだ」
何かを吹っ切ったような、決意に満ちた声だった。
それの少年の姿を見て、少女は満足したように微笑んだ。
「うん、わかったよ。じゃあ言わないでおくね。
やっぱり聞きたいって後で言っても、もう遅いからね?」
「そりゃ、まいったな」
イタズラっぽくいう彼女に少年が苦笑を返す。
それから、ふたりで草原に並んで座って、少しの間話をした。
夢とは思えないほど彼女の反応は熱が籠っていて、
本当に生きていると思ってしまいそうだった。
「ね。そう言えば、ここ、どこだかわかる?」
唐突に聞く彼女に少年は頭を捻った。
「いや、さっぱりだ。こんなきれいなところ見たことないな」
「ふふ……なんとびっくり、ここは地球だよ」
「地球……?ここが……?」
「うん。あの怪物も環境汚染もなかったころの、
自然でいっぱいだった頃の地球だよ」
「そうか……これが本当の……」
心に刻み込むように、少年が感慨深く周りの景色を眺めた。
少女はそんな少年を満足そうに見守っていた。
ふたりでそうして景色を眺めているうちに、やがて周りの景色が白くぼやけだす。
夢の終わりだ。少年は直感的にわかった。
少女が、少し名残惜しそうにわずかに目を伏せてから、勢いよく立ち上がる。
それに続いて少年もゆっくりと立ち上がり、少女と向かい合う。
空のような青い髪に若葉色の大きな瞳。
彼女がよく好んで着ていた、燃えるような赤い服が風に靡いて炎のように揺れている。
「お前も相変わらず……派手な服が好きだよな」
昔を思い出しながら、懐かしそうに少年が言う。
「赤はヒーローの色なんだよ。
戦隊モノのリーダーは赤色だし聖典の主人公は炎使いが多いからね」
意外と子供っぽい理由に少年は思わず苦笑して、
リーナという少女をしっかりと目に焼き付ける。
世界が発光するように、だんだんと光が強くなっていく。
光に包まれていく世界で、いつの間にか彼女の後ろにはかつての仲間たちも立っていた。
みんな、少年の門出を祝うように穏やかな笑みを浮かべていた。
それはもちろん、目の前に立つ少女も例外ではない。
太陽のように明るいその笑顔を見て、少年は改めて自分の愚かさに気づいて自嘲する。
「……ばかだな、おれは。みんなが恨んでいるとか、そんなことばかり考えて」
「きみは少し考えすぎる。まるで他の誰もが考えるのを止めているから、
みんなの代わりにきみが深く考えているみたいにね。
ま、それがきみのいいところでもあるのだけどさ」
ずけずけとダメ出ししてきたかと思えば、
掌を返したように褒めてくる少女の飴と鞭に少年はまたも苦笑する。
もうすぐ消えてしまう世界で、
かつて共に戦い、共に生きた者たちが向かい合い、最後の言葉をかける。
「リーナ。あのとき俺を助けてくれてありがとう。
そして……さよなら、リーナ。さよなら、みんな」
「さよなら、アル。
生きて、幸せにね」
最後に見たのは、そう言ってほほ笑む少女の姿だった。
少年は白い光に包まれて、意識が光と溶け合うように消えていった。




