とある童話
結局、ふたりともアルテアの家へ着いてくることになった。
道すがらイーリスに宿に戻るのか尋ねると、
「一度アルの家に行く。お父様とお母様、……ターニャにも会いたい」
と彼女は答えた。
するとノエルも「私も行く」と言い出したからだ。
少し不穏な気配を感じた気がしたが、特に拒否する理由もなかった。
その結果、三人で屋敷へと戻った。
出迎えたターニャが「おや……」と珍しく驚きをあらわにする。
ティアは好奇心に満ちた口元を手で隠しながら「あらあら」と言った。
イーリスはふたりに挨拶をしたあと、続いてアルゼイドにも声をかけようと思ったのか、きょろきょろと部屋を見回していた。
「父さんなら視察に行ってるからしばらく帰らないぞ」
アルテアがそう告げると、イーリスは残念そうに「む……」と唸った。
その様子をティアとターニャが生暖かい笑顔で見守っていた。
薮をつつかれても面倒だ。
アルテアはそう判断して話もほどほどに終わらせて自分の部屋へ行こうと促した。
足早に階段を上がる途中、母とメイドのかしましい声が聞こえた。
何か良からぬことを噂されているはずであるが面倒なので放置する。
自室に通すと、二人の少女は真逆の反応を見せた。
「わぁ……アルくんの部屋すっごくひろいんだね!初めてだからびっくりしちゃった……!」
感動に目を輝かせてノエルが言う。
人懐っこくアルテアの手を取ってはしゃいでいた。
イーリスがその様子を横目に見ながら静かに告げる。
「変わってない……ね。むかしのまま。
何度もよく来た」
なぜか回数について言及する。
何度、の部分が強調されていたような気がする。
「へぇ……。イーリスちゃんは……よく来てたんだね」
ノエルの声が心持ち低くなる。
「ん。何度も来て、アルと一緒に勉強した」
「そっか……。わたしはアルくんと、
裏手の高台で、毎日ずっと一緒にいたから今日が初めてなんだ」
ノエルがそう言ってにこっと笑顔をつくった。
ふたりは普通の雑談をしているはずなのだが、アルテアにはなぜかそう思えない。
気のせいか、少し寒気のようなものも感じる。
ノエルの頭の上でくつろいでいたジルバーンも何か身の危険を感じたのか、
びくっと体を震わせてアルテアの頭に飛び移った。
頭に飛び乗ってきたジルバーンを撫でながら、言い知れぬ寒気を感じるのはやはり気のせいではないのかもしれないとアルテアは思う。
気付かぬうちに、背中に嫌な汗が流れていた。
ついにいたたまれなくなりベッドに腰を下ろすと、とても自然な流れでイーリスが隣りに座った。
それを見たノエルも即座に反対側に陣を置おいて三人が一列になった。
「……なあ。これでは話しにくいんじゃないか?」
アルテアが左右交互に視線をやって遠慮がちに、しかしもっともなことを言った。
「へいき」
「気にしないよ」
左右から即応。
「そ……そうか。なら良いんだが」
気圧されたようにアルテアが言う。
仕方がないのでそのまま話を続けた。
話し始めると思いのほか会話が弾み、実に色々なことを話した。
イーリスと出会った頃の話、反対にイーリスが去った後にノエルに魔法を教えた日々のこと。
すごくどうでもいいような、思わず眠くなるような話も。
イーリスとノエルのふたりだけで楽しそうに話すこともあった。
ふたりとも同い年で同性の友人ができて嬉しいのかもしれないとアルテアは感じた。
これなら心配なさそうだなと、ベッドから立ち上がる。
「……どうしたの、アル?」
「二人の邪魔をするのも悪いと思ってな。俺は本でも読むことにするよ」
すると二人とも同時に立ってアルテアの横に並んだ。
「わたしも行く。えんりょは無用」
「わたしもっ」
「あ、そう……」
結局三人で父の書斎に向かうことになった。
「わあ……」
部屋に入るなりノエルが圧倒されたように目をぱちくりとさせた。
「すごい数の本だね……!」
ノエルが驚くのも無理はなかった。
アルゼイドの書斎はなかなかに広く、たくさんの本が並んでいた。
幼児のころにアルテアがよく泣きわめいて本をねだったので、
童話から専門的な魔導書、領地経営や経済学の本まで幅広く揃っていた。
アルゼイドは剣の腕も達者だが領主の代行だけあり学もあるようで、深い見識を持っていた。
おそらくここにある本には一通り目を通していると思われた。
ノエルがひとつひとつ本を手に取ってはうっとりとした顔でページをめくっていた。
いつの間にか耳がピーンと長く変化している。
どつやら相当興奮しているようだ。
イーリスが驚いてやしないかと思わず彼女の方へ目をやるが、彼女はちらりとノエルを一瞥しただけで特に気にした風もなく、またぼけっと本棚を見上げ始めた。
もしかしたら彼女は大物なのかもしれないと感心した。
まあ、気にしないならそれに越したことはないよな、と思い直してノエルに声をかける。
「そういえばノエルは本が好きだったな」
アルテアが言った。
「うん!実はね、いつか童話みたいなお話を書いてみたいなって思ってるんだ」
「へえ、そうだったのか」
「びっくり」
はにかんで声を細めるノエルに、アルテアとイーリスが驚いてみせる。
「でもノエルには向いてそうだな」
「むいてる」
「えへへ……」
ノエルは友達に褒められたことで頬を緩ませてさらに続けた。
「ふたりは、童話とか絵本とか好き?」
「すき」
イーリスが即答する。
意外な答えにアルテアは驚きを隠せない。
一方ノエルは嬉しそうに目を輝かせていた。
まるで同志を見つけたとでも言わんばかりだった。
「お姫さま……あこがれる」
「だよね!白馬に乗った王子様が迎えに来てくれる……女の子の憧れだよ!」
「ん……王子さまに助けてほしい」
イーリスがこくこくと頷く。
嬉しくて仕方がないのか、ノエルがイーリスの手を握ってぶんぶんと振り回した。
彼女も嫌ではないのか、抵抗せずになすがままにされていた。
「そういうものか」
盛り上がる二人の少女を横に、アルテアが肩をすくめた。
「アルくんはどう!?」
二人がぐいと顔を寄せてアルテアに詰め寄った。
少しのけ反りながらもアルテアが答えた。
「うーん……俺は苦手だな」
「ええー!どうして!?」
「気になる」
痛みを感じるくらい不満げな視線に、アルテアは思わず顔をしかめた。
「俺の知ってる話は悲しい結末のものが多いんだ。
お姫様が空に連れ去られたり、泡になって消えてしまったり、良い事をした男が急に爺さんになったり……。
だからなんとなく苦手なんだ」
昔に読んだ話を思い出しながらアルテアが言った。
それを聞いてノエルが顎に指をあてて首を傾げる。
「えぇ~?そんなお話あったかなぁ……?」
今までに読んだことのある童話の内容を記憶から掘り起こしているようだった。
思い出せないのも無理はない。
これはアルテアが前世で読んだ物語だった。
「ま、そういうわけで俺は絵本や童話の類は少し苦手だ」
深く尋ねられても困るので話を畳にかかる。
少し強引かとも思ったが、ノエルもイーリスも特に気にした様子もなく、ただ残念そうに頷くだけだった。
「でもきっとアルくんの好きになるお話もあるよ!ううん、いつか私が書いてあげる!」
励ますようにノエルが言う。
「ああ、そうだな」
そんなノエルを見てアルテアも首肯した。
ノエルはそれで納得したのか、本棚に向かって小走りで駆けていった。
それが合図となって、三人は別れてそれぞれ違う本棚に足を伸ばした。
アルテアが本を物色していると、
イーリスが探す手を止めて一点を見つめているのが横目に入った。
視線の先を伺うと一冊の童話があった。
【勇者】というシンプルな題だ。
「なつかしいな」
呟くように言いながらイーリスの横に並んだ。
アルテアも読んだことがある。
伝承を元にした童話らしく印象に残っていた。
アルテアが本を抜き取り表紙をめくるとノエルも傍に寄ってきて、三人で顔を突合せて本を覗き込んだ。
ノエルは内容を知らいようで
「どういうお話なの?」と尋ねた。
アルテアは物語の内容をかいつまんで説明する。
この本はアリエスという名の勇者とその一行が魔王を倒すために旅に出るところから物語が始まる。
旅に出た勇者たちは次々に送り込まれる魔王の刺客を倒しながら魔王城に近づいていく。
時には仲間を失いながらも、それでも諦めることなく戦い続け、やがて彼らは魔王城にたどり着き、魔王を倒した。
そして世界に平和が訪れたわけであるが、
自国に帰った勇者はある日突然、人を襲いだしてしまう。
勇者は魔王の呪いを受けていたのだ。
呪いにおかされた勇者の髪は、魔王のように白く染まり、その目は血のように赤く濁っていた。
かつての仲間たちはなんとか勇者を助けようとしたが、魔王の呪いは強力で解呪できなかった。
ふいに、意識を取り戻した勇者が仲間たちに言った。
人としての意識があるうちに俺を殺してくれ、と。
それを聞いた仲間たちは泣く泣く勇者の命を絶った。
それでも魔王の呪いは完全には消えることなく、仲間たちは勇者の亡骸を遠い地に結界で封印したのだ。
その地には封印の維持と監視のために防人と呼ばれる一族が暮らし、やがて国を築くまでになった。
そしてアリエスはずっとそこで祀られ、国の行く末を見守り守護する存在となりそこで物語は締めくくられる。
「なんだか、かなしいお話だね……」
アルテアの説明を聞いて、ノエルが言った。
「……そうだな」
アルテアも小さく頷く。
勇者アリエスは己の手でかつての仲間を殺すことだけはしなくて済んだ。
それだけが救いだろう。
イーリスも悲痛をあわらにしていた。
なんだか泣きそうに見えた。
白い髪、真っ赤な瞳。そして呪い。
思えばアリエスとイーリスは共通点が多い。
彼女が忌み子といわれていることに関係しているのかもしれなかったが、深く詮索はしなかった。
彼女もそれを望んではいないだろう。
それから、ノエルはイーリスのことを怖がってはいないことが今更ながら気になった。
だが、本人のいる前で聞くのは気が咎められた。
重くなった空気を払うように、ノエルが作ったような明るく新しい本を取り出す。
「これはどういうお話なのっ!」
手に取った本を掲げてアルテアに尋ねた。
内心で彼女に感謝して、その本をノエルから受け取る。
装丁はなく、題も書かれていないくすんだ
灰色の本だった。
「題も書いてないなんて変わった本だな。こんな本あったかな……」
手に取りページをめくってみるが、文字はいっさい書かれていなかった。
もはや本ですらない、ただの紙束だ。
とても父が置いておくとは思えなかった。
少女たち怪訝な顔で横から覗き込んでいた。
最後までページをめくり終わると、最後のページに魔法陣のような幾何学模様が描かれていた。
『見つけた』
誰かの声が聞こえた。
アルテアが「ん?」と怪訝そうに周りを見回すやいなや、本がまばゆい光を放った。
「──ッ!?」
とっさに本を遠くに投げ捨てようとするが、どういうわけか手に張り付いたように離れない。
「アルッ!!」
必死の形相で叫びながら手を伸ばすイーリスの動きがやけにゆっくりに見えた。
こいつこんな顔もするんだな、と場違いな感想を抱く。
そして意識は途切れた。




