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子どもだろ?

数分後、アルテアは地面に仰向けに倒れて乱れた息を整えていた。

今日もいつも通り、アルゼイドにはものの見事に打ち負かされた。

だがどういうわけか、以前まで負けるたびに感じていた焦燥感も

今はなりを潜めていた。

悔しいという気持ちはあるが、身を焼かれそうなほどの焦りはない。


どういう心境の変化なのか、自分でもよくわからなかった。

これが良いことなのか悪いことなのかさえわからない。


そんなことを考えていると、なかなか起き上がらない様子に

ケガをさせたとでも思ったのか、アルゼイドが心配そうな顔つきで

顔を覗き込んできた。


「アル……大丈夫か?」


ふと、少し意地悪をしてみようかと思った。


「……腕が痛くてたまらない。もしかしたら折れてるのかも」


片方の腕をさすりながらそう言うと、

アルゼイドはぎょっと目を見開いて精悍な顔を青くさせて

「なにっ!?」と仰天した。


予想外の事態にどうすればいいのかわからないのか、

何かを探すように顔を左右にさ迷わせてオロオロしたあと、

慌てて家の中へと駆けて行った。

そして少ししてから薬と包帯を持って足早に戻ってきた。


「す、すまん……!ケガをさせるつもりはなかったんだが……

つい力が入りすぎてしまったようだ……そ、その……」


そう言いながらちらちらと顔を見てくる父の姿は、

なんだかイタズラがばれて慌てている子供のようだった。

アルテアはやり過ぎたかなと反省し、ネタばらしをする。


「ごめん、嘘だよ」


「このことは……で、できれば、かっ、母さんには内密にだな……って――は?」


アルゼイドが大口を開けて呆けたように固まった。

この人でもこんな顔をするんだなと、アルテアは意外に思った。


「だから、嘘なんだ。別にどこもケガなんてしてないよ」


「なっ、え……?だって、おっ、おまっ……ええ?」


何がそんなに信じられないのか、困惑し続けるアルゼイドを納得させようと、

アルテアは上半身を起こして両腕をあちこちに動かしてみせる。


それを見てやっと理解が及んだのか、アルゼイドはすぐさま脱力して

地面にへたへたと座り込んだ。


「お、おまえなぁ……そういう嘘は心臓に悪いぞ……」


咎めるような口ぶりではなかった。

ただ、アルテアにケガがなくて本当に安心していると、

心底ほっとしていると、そういう様子だった。


「ごめんって。それにしても少し慌てすぎなんじゃないか?

父さんくらいのレベルなら、相手がケガしてるかどうかなんて

手ごたえですぐわかるでしょ?」


「まぁ、それはそうだが……お前が相手だと……慌ててしまった」


「俺が……?なんで?」


「……お前が嘘をつくとは思ってもみなかった」


恥ずかしそうに言うアルゼイドを見て、今度はアルテアがぽかんとなる。

どこかいじけたように、ぽりぽりと指で頬をかきながらアルゼイドが続ける。


「お前が嘘などつくわけないと……そう思っていた」


二度そう言われて、アルテアはしばし黙考して今までの自分の言動を振り返った。

確かに軽口をたたくことはあれど、冗談やこういった嘘はついたことが

なかったかもしれない。

アルゼイドからすれば信じ込んでしまっても仕方がないことかもしれなかった。


「嘘を……ついてみたくなったんだ。なんとなく」


「お前にしては……なんだか子供っぽいな」


「俺は子供だろう?」


「え……ああ。そうだな、お前はまだ子供だ。

お前くらいの時分の子どもはイタズラするのが仕事みたいなものだよな」


アルゼイドは一瞬ぽかんとしたあと「ははは」と笑う。

笑い声が途切れてからも、ふたりで何を話すでもなく肩を並べて庭に座っていた。

しばらくして、沈黙を破る様にアルテアが言う。


「俺は怖くなったんだ。

ノエルが連れ去られた時、父さんに止められて……敵を殺せなかった。

俺は弱くなっているんじゃないかって……不安になった。

だからそれを確かめるために……父さんに勝負を挑んだ」


言い終わってから、ぼろ負けしたけどね、と付け加える。

本心を素直に話すのは久しぶりのことで少し照れくさかった。

そんなアルテアを見て、アルゼイドは何か考え込むように黙り込んだ後、

少ししてから話し始めた。


「以前、力があるのと強いのとは別物だと、

父さんが言ったのは覚えているか?」


苦い記憶がよみがえる。

自分勝手にわめき散らして相手を傷つけ、そして逃げるようにその場を去った。

まだそのことを謝ってすらいない。

自分の身勝手さを決して忘れないように、アルテアは強く頷く。


「ああ」


「答えは得たか?」


「正直……まだよくわからない。

でも、強さとは必ずしも肉体的な……武力に対してのみ言う言葉ではない……と思う」


我ながらたどたどしい答えだとアルテアは思った。

だがあの時、強者と弱者を語る商人を前にして、それは違うと確かに思った。

ノエルを見て、腕っぷしの強さだけを言うのではないと思った。


「それをわかっているなら十分だ。お前は強くなっているさ」


正解だというように、アルゼイドがアルテアの頭をわしゃわしゃと撫でる。

そんな嬉しそうな父の顔を見ていると、素直に言葉が出た。


「ごめん」


「ん……?急になんだ?嘘ついたことなら——」


「違う、そうじゃない。この前の……手合わせの後、その話をした時のことだ。

父さんにはひどいことを言った。だから、ごめん」


「ああ……そのことか。いいさ。反抗するのも子供の仕事だ。

お前はそういうのが全然なかったんで逆に安心したくらいだよ」


またカラカラと笑う。

それは強がりだとわかった。

本当は深く傷つけてしまったはずだ。

あの時の彼の顔を見れば、それくらいのことはアルテアにだってわかった。

もう一度だけ、謝罪の言葉を口にしようとして。


「謝らなきゃならないのは父さんもだ」


アルゼイドが言った。

その顔からは既に笑みは消えていた。


「お前は父さんとは違いすぎた。

父さんが子供のころはもっと出来が悪かった。

たくさん悪さもしたし、その分たくさん怒られもした。そうして大人になっていった。

でもお前は違った。最初から教えることなど何もないと、そう思ってしまうほどだった。

完璧だとさえ感じた。

だから、理解できないと……自分とは違うからと、諦めてしまっていた。

お前にどう接すればいいのかわからなくなってきていた」


ぽつぽつと雨が降り始めるように、アルゼイドは胸中を語った。


「ノエルが連れて行かれた時、お前が助けに向かったと聞いて……

俺は正直、安心した。お前なら問題なく対処できると思った。

信頼。そう言えば聞こえはいいかもしれない。

だが……本来、子どものお前がするべきことではない。

大人の役割だ。お前にそれを託してしまったとき、

お前は本当にどこか遠くに行ってしまうと思った。

俺は恐れたんだ。お前がひとりで遠くに行ってしまうことを。

そしてお前が人を殺める覚悟を持っていると知って、俺はさらに怖くなった。

だから……お前が奴らを殺そうとするのを止めた。

殺人という業を背負い今後の禍根を断つというお前の覚悟は、戦士として正しいものだった。

あの時偉そうなことを言ったが、つまるところお前を止めたのは俺の身勝手だ。

一皮剥けばこの調子だ。

騎士としても父親としても、俺は失格だろうな」


寂しそうな父の顔を見て胸が痛んだ。

それは違う、とアルテアは思った。

失格などであるものか。

こんなにも自分のことを想い真摯に自分に向き合う大人が以前の世界にいただろうか。

前世どころか、この世界にだって家族をのぞけばそんな大人はきっといない。


伝えなければと思った。

ここで何も言わなければ、何か決定的なものが終わってしまうと感じた。


この世界を去るつもりでいるアルテアにとって、

あるいは終わってしまったほうが都合は良かったのかもしれない。

でも、それはきっと正しい答えではない。

そんな気がした。


「失格なんかじゃないさ。

俺も父さんも……まだお互いのことをよく知らないだけだと思う。

知らないことはこれから知っていけばいい……そうだろ?」


「アル……」


「あの時、俺を止めた父さんの選択は……戦士としては甘かったのかもしれない。

でも、親として……あの行いは決して間違ってなんかいなかった。俺はそう思う」


言い終わったあとで、自分を真っ直ぐ見るアルゼイドと目が合って、

急に恥ずかしさが込み上げてきて顔を逸らして目を閉じた。

顔が熱くなっているのがわかった。



しばらくそうしてじっとしていると急に体に浮遊感を覚えて、

慌てて目を開けると地面が遠く離れていった。

両脇に通された父の手の感触で、自分が持ち上げられていることに気づく。


「うわっ……ちょっ!急になんだ!?」


「なに、こうしてお前を抱っこするのも久しぶりだと思ってな」


「はぁ?確かにそれはそうだけど……もうそんなことされる年でも——」


気恥しさで抗議の声を強くするアルテアに、

アルゼイドはニヤリと意地悪な笑みを浮かべる。


「お前はまだ子供――だろ?」


そう言われてはぐうの音も出なかった。

喉の奥で小さな唸り声を上げて、観念したように体から力を抜いた。


「そうだね。たまにはこういうのも……悪くない」


アルゼイドは顔を輝かせて、アルテアを抱いたり撫でまわしたりと

好き放題いじり倒した。

そうしているとやがてティアとターニャもやってきて、

それからしばらくの間は人形のようにもみくちゃにされるのだった。


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