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沈黙を埋めるように風が吹いた。

風にさらわれて肩口で柔らかに揺れるノエルの髪を、

アルテアは懐かしむように眺めていた。


「髪……切ったんだな」


つい二年ほど前のことなのに、どこか遠い昔のことを話すような口ぶりだった。

アルテアにとってその出来事はそれだけ印象的だったのかもしれなかった。

アルテアの言葉に何を思ったのか、

ノエルは一瞬、何かをこらえるような沈痛な顔を見せた後、すぐに笑顔をつくる。

長く真っ直ぐ伸びた白い耳、

その輪郭を慈しむように撫でながら、言う。


「アル君が……耳……きれいだって言ってくれたから……。

もう隠さなくてもいいのかなって、そう思って……」


「お前自身がそう思うことができたなら、俺も嬉しいよ。

それで……あれから、皆とは仲良くできているのか?」


「うん……。バカにしたり悪口言ったりしてくる子もいるけど、

一緒に遊んでくれる子もできたよ……アル君の、おかげだよ……!」


少女の微笑み。でも同時に泣きそうにも見えた。

アルテアは仏頂面のまま、そんな少女を慰めるように声だけかえて、

少しおどけた口調で返す。


「どうにかうまくやれてるみたいで安心したよ。

魔法まで使ってあのクソガキ共を脅しつけた甲斐があったってものだ」


そうだろ?と促すように少女の方へ顔を向ける。

その先にいる少女は、もう微笑んではいなかった。

痛みに耐えるようにぎゅっと固く結ばれた口から言葉は漏れず、

目じりには涙がたまっている。

少女の柔らかそうな頬を流れる一筋の雫を見て、アルテアは失言を悟る。


「……すまない。いやなことを思い出させちゃったな」


謝罪。そして沈黙。

沈黙がきまずさに変わる前に少女が口を開いてかすれた声で言う。

自分の中から溢れてくる何かを押しとどめてフタをするように。


「どうして……謝るの」


「それはその……いじめられてたこととか、あまり言われたくはないだろ。

だから……すまないと……」


「ちがうよ……!アル君が謝る必要なんてないっ……!」


心の底にたまったものを吐き出すような叫びだった。

いつもの少女からは想像できないほどの苛烈で悲痛な姿を見て瞠目するアルテアに

少女はなおも続ける。


「謝らなきゃいけないのは私なの……!

私を助けたせいでアル君がみんなに嫌われて……それなのに私だけ……皆と仲良く……」


「ノエル、お前……」


「ずっと謝りたいって、謝らなきゃって、思ってた。

ここでまたアル君と会ったときも……謝ろうって……。でも、できなかった。

もし恨まれてたらどうしよう……許してもらえなかったらどうしようって……

怖くて……言えなかったの。

アル君は変わったって言ってくれたけど、本当は全然変われてない……。

卑怯で弱い、私のままなの……!アル君が私に謝ることなんて何もないの……!」



少女の叫びが夜の闇に木魂した。

堰が切れたかのように少女の目から涙が溢れ出した。

少女はその場に膝から崩れ落ちて手で顔を覆う。


「ごっ、ごめんなさい……私のせいで……ごめん……ごめん……」


泣き崩れる少女を見やり、アルテアは押し黙る。

こういうとき何と声をかけていいのか、よくわからなかった。

だが、わかっていることもあった。

だから、それをそのまま言葉にする。

いや、そうすることしかできない。

膝を折り、少女の名前を呼ぶ。


「ノエル」


顔を覆う少女の手に自分の手を重ねて、静かに語りかける。


「俺は……お前を恨んでなんかいない。

俺に対する皆の態度をお前のせいにするつもりもない。これは俺が招いたことだ」


少女を助けたことはただのきっかけだった。

元々、あまりに大人びた態度で接するアルテアに、

村の大人たちが違和感を覚えていることをアルテア自身も知っていた。

のどに魚の小骨が刺さっているような、ほんの少しの違和感。


それでも領主代行——アルゼイドの息子だからということで、

大人たちは納得していた。

アルテアという子供の存在は、

すぐにでも崩れてしまいそうな危ういバランスの上に成り立っていた。


そしてそのバランスはあっけなく崩れた。

子ども同士の喧嘩で上級魔法を使ったからだ。

ひとつ間違えれば大勢の死者が出ていたかもしれない。

精神が未熟な子供には不相応で大きすぎる力。

それは村の人々にとって恐怖だった。


アルテアが本当に何もわからない子供だったなら、

村の大人たちの不安はもう少し解消されていたかもしれない。

未熟なら使い方を正しく教えてやればいいからだ。

だがアルテアは違った。

大人顔負けの知識と頭脳があり、

明確な目的と意志をもっているにもかかわらず一切の口を閉ざした。


だからこそ大人たちはアルテアをおそれた。

何を考えているのかわからない。

もし少年の気まぐれでその強大な力が自分たちに向けられたなら。


大人たちの中で燻っていた違和感という火種はいっきに燃え上がって伝播した。

それから彼らの態度が目に見えて変わるのに時間はかからなかった。

村の中に人ではない、人の皮をかぶった化け物が紛れ込んでいる。

そんな異物を見るような視線。恐れ。嫌悪。


事情を説明することも、ただすこともせず放置したのは自分だった。

どうせすぐに去るからと捨て置いた。

だから自分のせいなのだと、アルテアは思っている。


「俺が決めてしたことだ。誰のせいでもない。

それに……俺は元から、少し嫌われてた。お前の一件はきっかけにすぎない。

あれがなくても、いつかは今と同じような状況になっていたんだ。

だからお前が謝る必要こそどこにもないんだ」


そう言いながら重ねた手をゆっくり下に動かすと、涙に濡れた少女の顔があらわになった。

翠色の瞳が涙でまさに宝石のようにきらきらと光を放っていた。

その涙に少女の優しさが詰まっているような気がして、

場違いだとわかっていつつもそれを美しいと感じた。

その宝石のような瞳にアルテアの姿が映っている。


「でも……!でもっ……!」


なおも泣きじゃくるノエルの瞳を真っ直ぐに見つめ返して、

父や母が自分にそうしてくれるように、優しく少女の身体を抱きしめた。

一瞬、びくりとノエルの体が震えたが、すんなりと受け入れてくれた。


「いいんだよ、ノエル。

……お前はこうして約束を守ってくれたんだから」


「あ……」


「お前はちゃんと、俺のところに来てくれた。

遊び……とは違うけど、

久しぶりに誰かと何かを一緒にすることができて……俺も楽しかった。

だからもう、気にしなくていいんだ」


そう言って少女の頭を優しく撫でた。

ノエルの髪の毛はふかふかで柔らかくて、触り心地がよかった。

少女の目からこぼれる涙が自分の肩口あたりに落ちていくのがわかる。

その涙を少しでも止めてあげることができればと思い、さらに言葉を続ける。


「すぐに気づいてやれなくてごめんな。

それに……約束を守ってくれてありがとう」


ありがとう。

その言葉を聞いて、少女の目からさらに涙があふれ出した。

嗚咽で声を詰まらせながら、少女も言う。


「うぅっ……わっ……わたしのほうこそ……

遅くなって……ごっ、ごめん……な、さいっ!

あのとき……助けてくれてっ……私を救ってくれて、ありがとうっ……!

きれいだって……そう……言ってくれて、ありがとうっ……!

うっ……うぅっ……うわぁあぁん!」


「まったく……泣き虫なのは相変わらずみたいだな」


アルテアがからかうような調子でそう言って、少女の背中を何度もさすった。

それからしばらくの間、少女は声を上げて泣いていた。


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