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『ノエル』

 私は一匹の虫

 地を這い 泥にまみれ 風に焦がれ 泥水に映る星空に ありもしない手を伸ばし ありもしない羽で空を飛ぶ夢を見る

 いつか手をもらえるように 羽をもらえるように


 私は一匹の虫

 青黒い優しい暗がりに浮かぶ星に恋をした 手も羽もない ノロマな一匹の芋虫

 私は もう夢を見ない


 ───────


 私は自分が嫌いだった。

 私の身体は他の子たちとは違う。

 泣いたり笑ったりすると、耳がナイフみたいにすらりと長く伸びてしまう。


 初めてそうなったのは、いつも遊んでいた仲の良い村の男の子と二人きりになった時だ。

 その時の私はとても幸せな気分で、胸がとてもどきどきしていた。

 なんだか耳がとてもむずむずするなと思って触ってみたら、

 なぜか長く伸びてしまっていた。


 その時、嘘をついたら鼻が伸びてしまうようになった子供の話が描かれた絵本のことをふと思い出した。

 私は何か嘘をついてしまったんだろうか。心当たりはなかった。

 でも、耳が突然伸びる理由はもっとわからなかった。


 とても不安になった私は助けてほしくて男の子の方を見ると、

 その子も驚いた顔をしていた。


「なにそれ……。なんかきもちわりー」


 さっきまで幸せだった私の気持ちはどこかに飛んでいった。

 嵐で遠く飛ばされていく木の板みたいに。

 そしてその木の板と同じように、私の幸せな気持ちが戻ることはなかった。


 それから私は自分を隠すように髪をのばし始めた。

 変な部分は隠してしまえばいいと思った。

 そうして伸ばし続けた髪は耳だけでなく私の表情まで覆うようになり、

 いつの間にか私はお化けだとかバケモノだとか言われるようになっていた。


 皆と遊びたくて輪の中に駆け寄るけど、

 私が来た途端に皆は遊ぶのをやめて別のところに行ってしまった。


「お化けとは一緒に遊びたくない」


「バケモノは仲間にいれてやらない」


 だいたいそんなことを言われたと思う。


 でも、私が一番ショックだったのはそんなことじゃなかった。


「おまえ、本当はお前のお父さんとお母さんの子供じゃないんじゃない?

 だって普通はそんな耳じゃないもん」


 そう言われた時、かろうじて保っていた私が私であるという認識が、

 砂のお城みたいに呆気なく崩れた。

 その後に何があったのかはよく覚えていない。

 気づけば家にいて、お父さんとお母さんの前で泣いていた。


「私はお父さんとお母さんの本当の子供じゃないの……?」


「私だけどうして皆と違うの……?皆と同じが良かったよ……。

 どうして同じにしてくれなかったの……?」


 私がそう言うと、二人は何かに刺されたように顔を歪めてぎゅっと抱きしめてくれた。

 私の言葉でお父さんもお母さんも悲しくなったはずなのに、

 それでも二人は私を抱きしめてくれた。

 二人の身体から伝わる温もりだけが私がここにいる理由なんだと、そう感じた。


 それからは部屋にこもりがちになった。

 外に出るのがすっかり怖くなったからだ。

 お父さんもお母さんもなにも言わなかった。


 絵本を読んだり、お父さんがどこかから借りてきてくれた、

 ちょっと難しい本を読んだりして過ごした。

 難しい本にはたまに誰かのメモ書きのようなものがあった。

 最初は気にせず流し読む程度だったけれど、

 何度か見かけるうちになんだか親近感のようなものを感じて熱心に読むようになった。

 私は、たぶん寂しかったんだと思う。

 人の気配のようなものを求めていたのかもしれない。

 やがて均整の取れた綺麗な文字の主を、私はどんな人かと想像するようになった。

 たぶん、ずっと真剣に勉強を続けるこの本の持ち主の無骨さや熱心さが好きになったんだと思う。


「こんなに難しい本で勉強をしてるんだから、きっとすごく年上で偉い人だよね」


 誰もいない部屋で私は呟いた。そう言った瞬間、

 私はなぜだかほんのちょっとだけ寂しい気持ちになった。

 もし同い年の子なら、仲良くなれたかもしれないのに。

 そんな有り得ない希望とも妄想ともつかないものが私の中で燻っていた。

 ある日、勇気を出してお父さんに聞いてみた。


「この本はどんな人が読んでるの?」


 お父さんは、この本は領主様のお屋敷から借りているのだと教えてくれた。

 領主様は――正しくは領主代行だが村の皆からはすっかり領主様と呼ばれている――私も見たことがあった。

 背が高くて長い赤髪を後ろで縛り付けたかっこよくて優しそうな男の人だった。


 そんな偉い人の本を読ませてもらえる嬉しさの反面、やっぱり寂しさの方が大きかった。領主様なんてとても友達になれそうにない。

 そんな私の残念な気持ちに気づいたのか―――たぶんたまたまだ―――お父さんはもっと詳しく教えてくれた。

 それで私はこの本を読んでいるのが領主様のご子息だということを知った。

 アルテアと言う名前で、その子が同い年なのだと知った時は久しぶりに笑顔になっちゃった。


 それから私はいっぱい難しい本を読んだ。

 内容はほとんどわからなかったけれど、

 ページの端にある綺麗な文字を探すのは楽しくて、

 見つけた時はまるで宝石がいっぱい詰まった宝箱を見つけたみたいに嬉しくなった。


 本には私と似たような状態になる人のことを少しだけ書いてあった。

 大隔世遺伝というらしい。

 意味はよくわからなかったけど、

 昔のご先祖様の特徴が急に出てきたりすることがあるみたい。



 そのことがわかって、私は久しぶりに少しだけ幸せな気持ちになった。

 お父さんとお母さんの子どもじゃない、というわけではないことがわかったからだ。

 私はお父さんとお母さんの子どもなのだ。


 そんなことがあって、私はもっと本を読むのが好きになった。

 だからたくさん本を読むことにした。


 耳が伸びているときの私はいつもより少しだけ頭が良くなった。

 なんだが、性格も少し変わっている気がする。

 耳が伸びてどうしてそうなるかはよくわからなかったけど、

 そうなってしまうのだから仕方がないと私は納得した。


 頭が良くなった私は、それまでわからなかった本の内容も

 少し理解することができるようになった。

 私がずるみたいなことしてるのに、アルテアくんは何もせずに

 難しい本の内容を理解しているようで、すごいと思った。


 そしていつしか「私と同い年でこんなに難しい本を読むなんてすごい!」と

 尊敬や憧れの気持ちを、会ったことすらないその人に抱くようになっていた。


 そうやって毎日を過ごしていると、お父さんがある事を教えてくれた。

 アルテアくんは屋敷の近くの高台で魔法の練習をしていて、

 たまにそこを訪れる子供たちにも魔法を教えているらしい。


「わ、わたしも教えてもらえるかな……友達になりたいな……」


 そんな気持ちが私の中に芽生えていた。

 外に出る恐怖とアルテアくんに会ってみたいという葛藤。

 ドアの前まで行ってはそこから一歩が踏み出せずに部屋に戻る。

 そんなことを何日か繰り返して、私はついに決心した。

 ドアの前で大きく深呼吸をして、獲物を見つけたネコみたいにドアをじっと睨みつけた。


 えいっ!という掛け声と共にドアを勢いよく開け放って外に飛び出した。

 久しぶりの太陽はとても眩しくて目がしんしんと痛かった。

 簾のような髪の毛で顔が隠れてなかったらもっと痛かったかもしれない。

 それでも何ヶ月ぶりかの外の空気はとてもおいしいような気がして気持ちよかった。


 お日様の日をたくさん浴びた草花の匂いをいっぱい吸い込んでから、

 目を細めて狭い視界を頼りにアルテアくんのいるところを目指した。

 顔が隠れているせいか、周りの視線はあまり気にならなかった。

 ただアルテアくんに会ってみたいというその一心で歩き続けた。

 それが私の原動力だった。


 歩くのも久しぶりで、息も切れて絶え絶えになってきたころ、

 屋敷の裏の林道を抜けて開けたところで出た。

 村全体を一望できて、ここが目的の場所なんだと瞬間的にわかった。


 事前にお父さんに聞いていたアルテアくんの特徴を思い出しながら辺りを見回した。

 でも全然それらしい男の子の姿は見えなかった。

 残念な気持ちとほっとした気持ちが半分ずつ。


 ため息をついて帰ろうとしたところで、さらに奥の方から話し声が聞こえてきた。

 アルテアくんがいるかもしれない。

 そう思うと、私は無意識のうちに駆け出していた。

 でもそこにアルテアくんの姿はなくて、

 いたのは私を仲間外れにした村の子供たちだった。


「あれー?なんでお化けがここにいるんだ」


「ほんとだ!お化けは明るいうちは出てきちゃいけないんだぞ」


「バケモノは人とは住めないんだぞ!」


 私は一気に数ヶ月前に時間が巻き戻ったような錯覚を覚えた。

 胸がどきどきして息苦しくなって、とても立っていられなかった。

 気づけば耳が変化していて、その場にへなへなと尻もちをついた。

 頭上で、それを見た子供たちが何かを言っていた。


 世界から色が抜け落ち真っ白に染まって、やがて音も聞こえなくなった。

 息をする度に苦しくなって、悲しくて辛くて消えてしまいたかった。

 助けを求めて必死になって顔を上げると、

 子供たちがニヤニヤと笑いながら手を私に向けていた。


 そこに魔力が集中しているのが感覚的にわかった。

 アルテアくんはここで魔法を教えていたんだったと思い出す。

 彼が彼らに教えた魔法で私は殺されるんだろうか。

 いっそそれもいいかもしれないとさえ思った。


 かたく目を瞑ってその時を待った。

 どのくらいそうしていたか、それは永遠に訪れなかった。

 ゆっくりと瞼を開けると、太陽に愛されたような赤い髪を靡かせて、

 ひとりの男の子が私を守るようにして立っていた。


「お前ら、何してるんだ?」


 歳の割には少し低めの、凛として理知的な声だった。

 男の子にそう問われて、子供たちが少し焦ったように早口に言った。


「だって、あいつの耳みてみろよ!長くてきもちわりーだろ!」


「そうだ!顔も見えないお化けなんだ!」


「バケモノは俺たちが退治するんだ!邪魔するな!」


 そう言われて、目の前の男の子が振り返った。

 やっぱり歳の割に凛々しい顔立ちをしていてとても同い年だとは思えなかった。

 その子は以前に見た領主様の面影がはっきり見て取れて、

 この人がアルテアくんなんだとすぐにわかった。


「少しだけ見ていいか?」


 お父さんとお母さんが話してくれる時みたいな優しい声音でそう言って、

 私の顔を覗き込んだ。

 私は慌てて耳を隠そうとしたけど腕がうまく動いてくれなくて、

 身体をびくっと震わせるのが精一杯だった。


「……ふむ」


 彼は短くそう言った。

 終わったと、思った。

 アルテアくんにまで嫌われてしまったと。

 それは今までに言われたどんな心無い言葉よりも不幸なことだと感じた。


 でも彼はそれきり何も言わなかった。

 気持ち悪いとも、バケモノだとも、何も。

 私が恐る恐る彼を見ると、思いがけないこと口走った。


「初めて見たけど……綺麗だな」


「えっ……?」


 その時、私は呆気に取られて彼の顔をまじまじと見つめてしまった。

 晴れた日の空みたいな碧い瞳に、私の顔が映っていた。

 それ見て、私はつい、アルテアくんと同じことを思ってしまった。

 なんてきれいなんだろう。


「ど、とこがきれーなんだよ!そんな長い耳みたことないぞ!

 人間じゃないんたぞ、気持ちわりー!」


 子供の一人がそう言うと、アルテア様は呆れたような口調で返した。


「いや……。耳が長いのはエルフだからだろ?

 白く真っ直ぐ伸びてて綺麗じゃないか」


 きれい、という言葉が私の中にすっと入ってきた。

 それから彼はまた私に向き直った。


「エルフの耳には……魔法の適性が強く顕れると本で読んだことがある。

 白くしなやかで薄氷のように伸びた耳。君にはきっと魔法の才能がある」


 そう言う彼は全く笑っていないのに、

 何故か優しく微笑んでいるように、そう見えた。


「そういうわけだ。彼女をこれ以上いじめるのはやめておけ」


「なっ、いじめてなんかいないや!そいつはバケモノなんだよ!」


「そうだ!そいつの父ちゃんと母ちゃんは普通なんだぞ!そんなのおかしいだろ!」


「そうだそうだ!そいつは本当の人間の子供じゃない、バケモノの子供なんだ!

 だから俺たちが退治――ぶべぇっ!」


 ひとり、わめきたてていた子供が棒きれみたいに飛んで、

 石ころみたいに地面を転がった。

 何度も地面を転がったところでやっと止まって、

 ぴくりとも動かなくなった。

 他の子供たちはその光景を呆然と眺めていた。


「次にまた同じことを言ったやつは八つ裂きにしてやる」


 アルテアくんがドスを聞かせた声で言った。


「いい機会だ。お前ら、俺を舐めてるようだから……

 本物の化け物ってのがどんなものか教えてやるよ」


 そう続けて彼は手を頭上に翳した。

 彼の手の中に嵐みたいに魔力が渦巻いてそれが凝縮されていった。


雷迎雨(ソルド・レーゲン)


 静かな呟きと共にアルテアくんの手がまばゆく光った次の瞬間、

 雷が落ちたような轟音が大気を震わせた。

 その爆風と衝撃に耐えきれず、子供たちはゴロゴロと地面を転がった。


 何が起きたのかわからず、私はきょろきょろと辺りを見渡した。

 すると、遠くにある山の一部が消し飛んで真っ黒な煙を吐いていた。

 アルテアくんの魔法でああなったということがその場にいた全員にわかった。


「化け物ってのはこういうことができる。こんな泣き虫と同じにするな」


 アルテアくんはそう言って私を指さしながらギロりと子供たちを睨みつけた。

 子供たちはガタガタと震えながら分かったというように何度も首を縦に振った。


「わかったら散れ。目障りだ」


 なおも動こうとしない――というかこわくて動けないんだと思う――子供たちを

 魔法で脅しつけて追い払っていた。


「きみもそろそろ行きな。ご両親が心配するよ」


 子供たちが去って一息ついてから、

 そう言ってアルテア君はわたしの手を取って立たせてくれた。


「驚かせて悪かったな。まあ、あれだけ脅せばもう何もされないだろう。

 ……出来ればやりたくなかったけどな」


「ごっ、ごめんなさい……。私のせいで……。

 友達に嫌われるようなことさせて……」


「気にするな。俺は元々ひとりがすきだ。あいつらは勝手に来てただけだよ」


「で、でも…わたしがっ、バケモノで……こんな……変な耳だからっ……」


「さっきも言ったろ。それはただのエルフの身体的特徴だ。

 こんなに綺麗なバケモノ……俺は知らないよ」


 泣きじゃくる私の頭を撫でながらアルテア君はそう言ってくれた。


「悪いと思うなら……そうだな。

 代わりにお前がここに来てくれればいい。

 俺はだいたいここに居るから、気が向いたら来てくれ」


 彼はずっと仏頂面を崩さずにいたけど、私にはやっぱり微笑んでいるように見えた。

 彼と別れて家に戻って、私は真っ先にお母さんに髪の毛を切ってもらった。

 それからちゃんと外にも出て、他の子たちと遊ぶようにした。


 相変わらず気味悪がって仲間に入れてくれない子もいたけど、

 そうじゃない子もいた。そうやって私は少しずつ前の生活に戻っていった。

 そうすることが彼への恩返しになると思った。


 私が変われたとき、また彼に会いに行こう。

 そう思った。

 そしていつしか、私は自分が嫌いではなくなっていた。

 それからしばらくして、私は彼と再会することになった。


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