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勇気

ノエルは揺られる馬車の中でなんとか逃げ出す方法を考えていた。

契約したばかりのケットシーに手紙を挟み込んでなんとか逃がしたものの、

助けが間に合うとは限らなかった。


それに。こんな時。


ひとりの少年の姿が頭に浮かんだ。


自分の憧れる少年ならきっとひとりでなんとかしてしまうだろう。

憧憬とも崇拝ともつかぬ思いと。頼ってばかりではいけない、

助けてもらってばかりではいけないと。二つ思いが同時に湧き上がる。


自分は何のために彼に魔法を教わったのか。

こんな時のために自分は強くなりたいと。

そう願ったのではないのか。

弱い自分と決別し、少しでも彼に近づきたい。


その思いが、手足を縛られ目隠しをされて声をだすことすらできない

絶望的な状況の中にあってなお、少女に希望を与えていた。

三人の男に気づかれぬように探知の魔法を発動して周囲の状況の把握につとめた。

きっとチャンスはくる。そう信じて少女はその機会を待ち続けていた。

そしてそのチャンスはほどなくして訪れた。


規則的だった揺れがなくなったことで、ノエルは馬車が停止したことに気づいた。

探知の魔法には三人の他にも大勢の人の生命反応が引っ掛かっていた。

耳を澄まして男たちの会話を聞いた。


どうやら野盗か何かに遭遇したらしかった。

逃げ出すチャンスはここしかない。

風の魔法でこっそりと手足を縛る縄を切って目隠しを外した。


幸いにも自分を攫った三人は野盗に意識が向いているようで

自分の行動には気づいていない。

気づかれないようにこっそりと馬車を降りて、それから一気に走る。


そう決断して足音をたてぬように馬車の中を這ってすすんで、

だが突如として起きた異変に少女の足はとまった。


間の抜けたような男の声と共に噴水のような血飛沫が上がり、

男の首が地面に落ちた。


自分を攫った男たちの醜悪で暴力的な笑み。

穏やかな風が吹き、青い草木が揺れる牧歌的な風景の中で、

今までに聞いたこともないような悲鳴を聞いた。


ひとつ、ふたつ、みっつ。

探知していた生命反応が次々と減っていき、血の跡だけが増えていった。

その凄惨な光景を目の当たりにして、先ほどまで抱いていた意志も、

決意も、覚悟も、何もかもが砕け散った。


足がすくんで身体が震え、その場から一歩も動けなくなってしまう。

こわい。

その感情が少女の全てを埋め尽くした。

血の匂いと死の気配に侵されていく狭く暗い馬車の中で、

少女はひとりだった。




戦闘、いや、殺戮はものの数分で終わりをむかえていた。

10人以上いた盗賊風の集団も既に3人にまでその数を減らしている。


「ハ。帝国軍つってもこんなもんかよ」


頬についた返り血をぬぐいながらケンが吐き捨てる。


「まあ、帝国軍といってもピンキリだろうからね。

今回は運がなかった。そういうことだよ」


ザーンが剣を振って血を払う。


「こういうときばかりはあなたたちを雇っていて良かったと……

心の底からそう思いますよ」


ソルドーが拍手をする場違いな音がむなしく響く。


「くそっ……化け物共め!我らに手を出してただですむと思うなよ!」


「ははは、何を言ってるんです?私たちは襲ってきた盗賊を返り討ちにした。

ただそれだけですよ。正当防衛です」


「……ぐっ!くそおっ!」


盗賊風の男ふたりが同時にソルドーに飛びかかるも、その前に立ちはだかったザーンと

ケンの攻撃によって一人は胴体が真っ二つに、一人は原型をとどめないただの肉塊に

変貌した。


「あぁ、つまんねぇ。そいつもうお前にやるわ」


残った一人を顎で指してザーンにそう告げながらケンが馬車に戻る。


「君は本当に飽き性だねぇ」


呆れたように肩をすくめてひとり残った獲物の方へと足を向ける。

恐怖に染まった獲物の顔を眺めて嗜虐的な笑みを深めるザーン。

剣を振り下ろそうとして、ケンの声がそれを止めた。


「おい!」


「なんです?そんな大きな声を出したらお嬢さんが驚いてしまいますよ」


楽しみにしていた遊びを邪魔された子供のように、

ザーンが不満げに言った。

ケンはザーンの機嫌などおかまいなしに更に声を大きくして叫ぶ。


「そのガキがいねぇんだよ!」


「はぁ……?」


「なっ……!?」


間の抜けた声を上げるザーンと驚愕したソルドーが馬車に駆け寄り中を覗き込むも、

確かに先ほどまでそこに縛って転がしていた少女の姿はなかった。


「い、いったいどこに……どうやって!?」


慌てて周囲を見回すソルドーより先に、獣じみた直感力を

発揮したケンが少女の姿を捉えた。


「ちっ……あそこだ!」


街道の来た道を戻るようにして必死に走る少女の姿を視認してそう叫ぶやいなや、

ケンも魔力をまとって地を蹴った。



狭い馬車の中で少女はひたすら震えていた。生命反応ももはや3つ。

あとは全員死んでしまったらしいとわかった。

人が死ぬ。

その悲惨で陰惨で凄惨などうしようもないほど悲しい現実とそれを上回るほどの

恐怖が少女の中で渦巻いていた。


どうしようどうしよう。死にたくない。

そんな言葉しか頭に浮かんでこない。

弱い自分が嫌になる。


魔法を教えてもらったというのに、弱い自分から何も

変わっていない、変われていないという思いが少女をさらに絶望させていた。


自分はここで死ぬかもしれない。

そんな絶望に直面して思い出すのは憧れている少年の顔だった。

その少年は表情の変化に乏しく、いつも眉間に皺をつくっていて、

ずっと何かに怒っているような顔をしていた。

そのくせ、かけてくる言葉は優しくて。


少女はまだ彼の笑った顔を見たことがなかった。

自分が頑張ってすごい魔法を使えるようになったら、彼は笑ってくれるかもしれない。

それが、少女が魔法に精を出す目的のひとつでもあった。


そのことを思い出して、少女は震える身体を両手で抱えながら目を開けた。



「まだアル君の笑った顔もみたことないんだよ……」


ぽつり。


「もっと、アル君のいろんな顔が見てみたい……もっといろんなことを知りたい……

わたしのことも、知ってほしい……こんなところで、死にたくない」


そう思えば、不思議と身体の震えは止んでいた。

いつだって、少女を勇気づけてくれるのは少年だった。

身体の芯に残った恐怖をそれ以上の勇気で抑えつけ、少女は強く立ち上がる。


そして自分をさらった男たちの隙をついて外へ飛び出し、

馬車とは反対方向にただひたすらに走った。


辺り一面は血で染まり、死体がそこかしこに飛び散っている。

足の裏にべっとりと粘つく血の感触に身の毛がよだつ。

また恐怖で立ち止まりそうになる足を拳で叩いて抑えつけ、

ただ前だけを見て駆ける。


ほんの少しして背後から男の怒号が聞こえてきた。

気づかれた。

少女の心臓が大きく脈打つ。

鼓動がどんどん速くなり、息が乱れて苦しくなった。


それでも少女は走ることを止めなかった。

死にたくない。生きたい。生きてもっと彼と過ごしたい。

だから走った。


男の気配がだんだん近づいてくる。

身体強化の魔法を使っているのに、それでも男の方が速かった。


「ハッ!ガキにしちゃ随分はえぇが、相手が悪かったな!」


男の声が聞こえた。もう追い付かれている。すぐ後ろにいる。

後ろから男の手が伸びてくる気配を感じた。



捕まる。それでも。

諦めずただ前だけを見た。


そして男の手が少女に触れようとした直前。

少女は視界の端で赤い閃光を捉えた。


ズドォン!


轟音と共に男が吹き飛び、同心円状に衝撃をまき散らして平野の草木がさざめいた。

そしてその巻き返しのように、ふわりとした優しい風が少女の身体を

包み込むように通り過ぎた。

その優しい風と共に、少女は聞きたくて仕方のなかった声を聞いた。


「大丈夫か、ノエル。……よく頑張ったな」


「あ、アル君……」


少年の顔を見て、少女の目から涙があふれた。

頬を流れる涙を優しくぬぐって、少年は言う。


「少し、待ってろ。すぐにお父さんとお母さんのところへ連れて行ってやる」


「う、うん……!」


一歩、少年は少女を守るように歩みを進め、

眼前の敵を睨んで怒気を放つ。


「前にも言ったはずだ。……この子に、触れるな!」


全身から膨大な魔力が立ち上る。


「ハッ……!おもしれえ!」


強敵と見て取ったケンは、

野獣のような目に暴力的な光を宿す。


そして追い付いてきたザーンとソルドーも合流し役者が揃った。

二人も瞬時に状況を察して臨戦態勢へと移行した。

四人の視線が中空で交差して火花を散らす。

戦いが始まろうとしていた。


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