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それは聖域のようで

アルテアは瞬時に意識を切り替えて、少女を庇うように前に出て周囲を警戒した。

何があっても対処できるよう、魔力で身体を強化する。


じっと身構えていると、幾度か咆哮が続いたあとにぴたりと止んだ。

森は平静を取り戻し、不気味なほどの静けさがあたりを覆った。


気配を探り辺りに危険がないことを確認してから警戒を緩めたその直後、

ガサガサと木々をかき分ける音が聞こえた。


背後のノエルが息をのみ、アルテアが油断なく音のした一点を睨む。

ほどなくして草むらから一匹の魔獣が飛び出してきた。

魔獣は二人に気がついたのか、ある程度まで歩いたところでぴたりと

その動きを止めて威嚇するように身構えた。


「ねこちゃん……?」


ノエルが思ったままのことを口に出す。


「いや……違う。あれはケットシー、魔獣だ」


「ま、魔獣……!?」


魔獣と聞いて少女が不安がる。

多くの魔獣は人や他の生物に危害をなす存在だ。

ノエルが怖がるのも無理はなかった。

だがケットシーは少し毛色が違う。


「魔獣といってもケットシーは元来、気性が大人しい。

ペットとして飼っている人もいるという話も聞くし、怖がる必要はないだろう」


「そ、そうなんだ。良かったぁ」


ノエルがわかりやすいほど安心した顔になり、思い出したようにまた声を上げる。

「あれ?でも魔獣は森から出てこられないんじゃ……?」


「ケットシーは人と共生できる魔獣だからな。人を襲ったという話もあまり

きかないし、たぶん効果から除外されてるんだろう」


「じゃあ安心だね!」


少女が嬉しそうに笑う。

その後でじっくりとケットシーを観察して異変に気付いた。


「ねえ、アルくん。あの子……ケガしてない?」


少女に言われてアルテアもつぶさにケットシーを観察する。

確かにケットシーの体にはところどころに切り傷のようなものがあり、

そこから血が流れだして体毛を赤く染めていた。

魔獣同士の縄張り争いだろうか。

怪訝に思いつつアルテアも言葉を返す。


「確かにケガをしてるみたいだな。

襲われてここまで逃げてきた……って感じかな」


「たいへん!すぐ手当してあげないと!」


ノエルがケットシーに近寄ろうとしたところでケットシーが

唸り声を上げながら全身の毛を逆立てた。

ピンと上に立てられた尻尾がチリチリと帯電し、

バシュッ!と鋭い音が鳴る。


「きゃっ……!」


ノエルが短い悲鳴を上げてたまらず尻もちをつく。

彼女の足元の地面に焼け焦げたような跡がついていた。

アルテアは瞬時に少女を庇うように前に立ち、ケットシーを鋭く睨んだ。

それに負けじとケットシーもさらに全身の毛を逆立てて威嚇する。


「お、大人しいんじゃなかったの……?」


涙目の少女。

今にも泣きだしてしまいそう。


「そのはずだが、あの警戒心……人に襲われたのかもしれないな」


「誰が……どうして?」


「誰かはわからないけど、ケットシーは珍しいからな。

ケットシーから採れる素材の価値は高く、生け捕りにして

売ればそれなりの金になるとも聞く。たぶんそういう目的だろう」


「そんな、ひどい……」


ノエルが悲しそうに呟いた。

先ほどまでとは種類の違う涙を翠の瞳に浮かべながら、

傷ついたケットシーをじっと見つめる。


そう感じることのできる少女を、アルテアは少しだけ羨ましく思った。

欲望に溢れた世界。誰かのエゴで生み出され、死地に送られ、

彼らの欲望のために戦い続けてやがて虫けらのように死んでいく。

ここと違う世界ではるが、少年は人間の欲深さをいやというほど知っている。


この世界にもきっとそんな人間は溢れている。

諦観か、達観か。

いずれにせよ、少年が人間の欲にまみれた行いに心を痛めることはない。

大して何も感じない。

仕方がない。そう思うだけだった。

でも、少女にはそうなってほしくはなかった。


「……そうだな」


彼女の優しさを失くしてしまわないように、

大切なものをしまうように、アルテアもそう言った。


なおも威嚇を続けるケットシーと睨みあうこと数秒、少年に隠れるようにしていた

少女がおもむろに立ち上がり、


何かを決意したような顔で一歩、歩みを進めて少年の前に出た。


「……どうした?」


問いかける少年に、ノエルが決意に満ちた声で答える。


「わたし……行ってみるね」


「行く……?お、おい!危険だぞ!」


前に進む少女に声をかけるが、彼女を引き留めるには至らない。

バチッ!とまたもや彼女の足元に雷撃が落ちる。

傷の影響からか大した威力の魔法ではなかった。

それでもモロに当たればそれなりのダメージは負う。


加えてノエルは魔力的な防御を何もしていなかった。

ケットシーに害意がないと伝えるためなのだろうが、それは危険すぎた。

銃弾を生身で受け止めるようなものだ。

当たりどころが悪ければ最悪、死ぬかもしれない。


また閃光がはしり、鋭い音と共に雷撃が落ちる。

それでもノエルは歩みを止めない。

普段の少し自信なさげな様子は微塵も見えない、堂々とした歩みだった。


すぐにでもノエルの腕を引き連れ戻すのが正しいのかもしれない。

でも、何故かアルテアはそれができなかった。

見守らなければならない。そう感じた。


一歩、また一歩とかみしめるように距離を詰め、ケットシーに手が届くところまで

来たところで、ついに雷撃がノエルの体に直撃する。


「きゃあああっ!」


悲鳴とともに少女の小さい体が崩れ落ちる。

「ノエル!」


「ま、待って!」


慌てて駆け寄ろうとするアルテアを、少女が必死に制止する。


「だいじょうぶ……だから」


少女は静かにそう言って、

しびれた体に活を入れるようにバシッと頬を叩いてまた立ち上がる。


少女は激しい唸り声を上げるケットシーの前に立ち、膝をかがめてゆっくりと手を伸ばす。

暴れるケットシーを優しく持ち上げ、そっと胸に抱いた。


興奮したケットシーが彼女の胸の中で暴れている。

少女のか細いからだに爪をたてて引っ掻き回し、鋭い牙で肩口に嚙みついた。

さらに電撃が少女の体にほとばしる。


ケットシーから溢れ出す感情を少年は知っていた。

人間を恐れ、憎み、殺意を抱いているのだ。

殺されそうになったのだから当然だろう。

刻まれた憎しみや恐怖はそう簡単に消えはしない。

それは人も魔獣も変わらない。


そのことはケットシーと相対している少女が一番実感しているのかもしれない。

それでも少女は優しく声をかけ続ける。


「だいじょうぶ、こわくないよ」


なおも増え続ける裂傷にひるむことなく、

痛みなどまるで気にならないとでもいうように

ノエルは優しく微笑んでいた。



——どうしてだ。

敵意を、殺意を向けられてなお、どうしてそんな顔ができる。

痛くないのか。怖くないのか。死ぬかもしれないんだぞ。どうして笑える。


アルテアはその光景をただ眺めていることしかできないでいた。

戦うことでしか物事を解決することをしらない少年には何もできない。

それが口惜しく、また悲しかったのかもしれない。


何時間そうしていたのだろう。あるいはほんの数秒なのかもしれない。

ノエルが優しく声をかけ続けるうちに、ケットシーが次第に落ち着きを取り戻していく。

それと同時にケットシーの体が淡い光に包まれて、だんだんと傷口がふさがっていった。

ノエルが治癒の魔法を使ったのだ。

すると今度はノエルの体が光り輝く。

ケットシーもまたノエルを癒しているのだ。


薄暗い空の下、まるでそこだけ太陽の光が差し込んでいるかのように、

互いを慈しむ、あたたかな慈悲の光が彼女たちの周辺を覆っていた。


「きれいだ……」


アルテアの口から言葉がこぼれた。

別世界の光景のように、きれいで、儚く、そして遠い。


やがて治療がおわったのか、

あたりを淡く照らしていた光が収まった。

少女の腕の中でケットシーがねこのような鳴き声をあげて

少女の頬をぺろぺろと舌で舐めた。

少女はくすぐったそうに笑ってケットシーを撫でていた。


誰にも侵すことのできない聖域だった。


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