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戦い、葛藤、戦い

深呼吸して敵を見据える。

既に恐怖は消えていた。


左手で少女を抱え、右手で剣を抜き放つ。

全身に魔力を通わせて脚に力を溜める。


激しい攻防を繰り広げる二人の戦闘に割って入るタイミングを見計い、溜めた力を解放した。矢のように風を切って一直線に突き進み、横一文字に剣を薙ぐ。


薄暗い森の中、銀色の剣光が疾風のようにはしる。

刃が男の首を捉える直前、男が一歩身を引いた。切っ先が男の首元ぎりぎりを掠めて空を切る。

が、アルテアは勢いそのままに跳躍。宙で体をねじって回し蹴りを放った。


ズガァン!!


巨人の一撃のような衝撃が轟音と共に放射状に広がり周囲の木々をしならせる。


だがその暴力の中にあってなお、男は傷一つ負ってはいなかった。常人なら肉塊になっているほどの衝撃に一歩たりとも動いていない。


アルテアの攻撃は男の顔に当たる直前で何かに阻まれていた。


「魔法障壁……!」


何重にも浮かび上がった幾何学的な光の模様。桁が違う密度の障壁にたまらず目を見張る。


その一瞬の隙をつかれて男に足首を掴まれてしまった。


「———ぐっ!!」


思わず顔を顰めた。


とてつもない剛力。


ギシギシと骨がきしんで悲鳴をあげる。

魔力で強化していなければ木の枝のごとく一息に潰されていたに違いなかった。


アルテアは痛みをこらえて男に向かって剣を振ると、男がさっと手を放して身を引いた。


剛力から解放されたアルテアは宙でくるりと反転して着地する。


その瞬間を狙って魔法を放とうと男の手のひらに炎が立ち上るがそれが放たれることはなかった。ターニャもまた男の隙をつき一足飛びに斬りこんできたからだった。


鋭く振りぬかれた短剣が男の胸を斜めにわずかに切り裂いて、血がパッと飛び散りあたりの草葉に赤い斑点を残した。


男と距離が開く。


わずかにできた小休止。


自分の傷を確認するより真っ先に、腕の中にいる少女に声をかけた。


「大丈夫か!?」


「ん……平気」


少女の返事を聞きながらさっと体を一瞥、傷がないことを確認してほっと胸を撫でおろした。


その間にターニャが横に並んだ。


「すまん、助かった」


礼を言う。


それに対して呆れたような、あるいは悪さをした子供を叱りつけるようにターニャが返す。


「相変わらず無茶をする方ですね」


危うく足をへし折られそうになったどころか、イーリスにも怪我をさせるかもしれなかったバツの悪さも相まって、少しだけ拗ねたように口をとがらせる。


「……逃げ道塞がれたんだ、仕方ないだろ」


「最初から逃げる気などなかったように見えましたが……」


「そんなことより、あいつどうする?」


誤魔化すように不気味に佇む男に顎を向ける。


男は自分の傷口に手を当てて手のひらについた血を不思議そうに眺めていた。


自分が傷を負ったことに驚いている。アルテアはそんなふうに感じた。


「倒します」


ターニャがそう言い切った。


「血を流すということは倒せるということです」


「まあ、確かにそうだ」


はっとした。

言葉がそのまま切れ味のいい刀になって真っ二つに斬られたような感覚だった。


「作戦は?」


「坊ちゃんはイーリス様を抱えておられます。ですので、私が斬りこんで奴を引きつけます。坊ちゃんは隙を見て一撃で仕留めてください」


「俺の攻撃が防がれたのを見てただろ?逆の方がいいんじゃないか?」


「イーリス様をあまり危険な目に合わせたくはありません」


そう言って柔らか眼差しを少女に向けてから


「それに」と続ける。


「単純な攻撃力という点なら坊ちゃんも私や旦那様に劣りませんよ。ただ技術や経験の差があるだけです。坊ちゃんならあの程度の障壁、紙のように切り裂けます」


彼女の言葉を後押しするようにイーリスも強く頷く。


「できるよ、アルなら」


繋がれた手がまた強く握られた。


「まったく……そこまで言われたらやるしかないな」


ため息交じりの呆れたような口調とは裏腹に、アルテアの心は凪いでいた。


不思議だった。


少女にそう言われたら本当にできると思えた。


何でもできる。そんな気持ちになる。


「では、行きますよ」


言うがはやいか、ターニャが男に向かって音もなく走り出した。


スカートを翻して中に仕込んだ短剣を手に取り数度の投擲、牽制を繰り返して瞬く間に距離を詰めていた。そしてそのまま流れるように近接戦に移行していく。

まるで洗練された舞踊を見ているようだった。


アルテアは思わず見惚れそうになる自分を律して瞑目。


精神を集中して魔力を練り込み、刃のように研ぎ澄ませていく。


研ぎ澄ました魔力を血のように全身に巡らせ循環、剣すらも体の一部と認識する。


そしてこんな状況だというのにひどく落ち着いている自分がいることに気づいた。


まるでもう一人の自分がはるかな上空から地上を俯瞰しているような感覚。


あるいは自分が大地に溶け込んで一体となっているようだった。


自分を中心とした半径数百メートルにも及ぶ領域に存在する全てのものの動きが手に取るように感じ取れた。今雨が降ったなら、雨粒ひとつひとつを数えられそうな気さえした。

そして偶然にも雨が降り出す。ぽつり。

水滴がアルテアの肌を打った。


———いく。


炎のように吹き出す強い確信に胸を衝かれて目を開く。


戦う二人を視界に収める。

世界から色が抜け、音がどこかに消えていく。

白い混じりけのない世界に、自分の進むべき道が光るように浮かび上がっていた。

降りしきる雨の間を抜けるようにして

光の道へ一歩踏み出す。

一歩、また一歩と歩みを重ねるごとに速度が上がり周囲の風景が矢のように後ろに流れていく。

ただ光を辿れば良かった。

ここを踏めと大地の声が聞こえるようだった。

二人の姿が近づいてくる。

男に向かって魔法を放つターニャが見えた。

それにタイミングを合わせてアルテアはさらに踏み込み速度を上げた。

ターニャを追い越し、彼女の放った魔法を追うように駆けて、男の死角に回り込み接近する。魔法を回避するタイミングに合わせて鋭く剣を振るう。

剣が風を切り電撃的な速度で相手の急所を狙う。

男が迎撃しようと剣を振り上げるが、遅い。

急所を捉えるわずか手前、剣が魔法障壁に阻まれるがそれも一瞬。強固な障壁を切り裂いていく。

男が仮面越しにも驚いているのがわかった。

そして幾重にも重なる障壁の全てを切り裂いたところで———甲高い金属音。

アルテアの持つ剣が真ん中あたりでぽきりと折れて、折れた刃がくるくると宙を舞った。剣が障壁を斬った衝撃に耐えられなかったのだ。

それでも無理やり体を動かし、ねじ込むように、半身を失った剣で男の胴から肩にかけてを切り裂いた。しかし。


「浅い———!」


斬撃は骨までには達していない。男の皮膚の表面を切るだけに留まっていた。

無理な体勢での攻撃がたたりアルテアが一瞬硬直する。


「おしかったな、小僧」


その隙をつき男が攻撃に転じる。

振り上げていた剣に濁ったような魔力の光が灯る。

ターニャが阻止しようと短剣を投擲するが男はそれを素手で弾き飛ばし剣をいっきに振り下ろした。


———死。


その一文字が頭をよぎる。

ゆっくりと剣が迫ってくる。

ターニャが何かを叫んでいる。

全てがとてもゆっくりで、緩慢だった。

思考だけが引き伸ばされていた。

無限にも感じるほど引き伸ばされた思考の中でアルテアはふと思う。


———この世界で死ねばどうなるのだろう。また別の世界に転生するのか。死後の世界のようなところに送られるのか。


答えはわからない。

もしかしたら無に帰してしまうのかもしれない。

でも、それでもいい。

かつての仲間と同じところへ行けるなら。

そう思ってしまう自分がいることに気づいた。

そしてアルテアが死を受け入れてしまいそうになったとき。


———本当にそうか?


声が聞こえた。

生前に何度も耳にした、よく知っている声。

まだ天神暦と呼ばれていた頃の自分だ。


———死にたいのか?


暦が問う。


アルテアにはわからない。


———生きたいのか?


さらに問う。


やはりわからない。

どうすればいいのか、どうしたいのか。

死に直面してもなお、わからなかった。


———呆れたやつだ。


暦が呆れた声でそう言った。


自分でも自分の愚かさに呆れていた。


———お前、仇をとるんじゃなかったのか?


……仇。

そう。

自分は元の世界に帰って教祖を殺さなければならない。

そうしなければどこにも行けはしないのだ。

笑うことも泣くことも、生きることも。全てはその先にある。


———なら死んでちゃ駄目だよなあ。


その通りだった。

自分は死ぬことを許されていない。

だからこそ、今こうして生きているのではないか。

いや、もしかしたら生きることすらも許されてはいないのかもしれない。

この生は猶予なのだ。

だから。


「俺、は……。俺は……死ねない!」


アルテアが叫び、止まっていた時間が動き出す。

瞬時に魔力を折れた剣に纏わせて折れた先から放出。魔力で擬似的な刃を作り出し、


無理やり体をひねって斬り上げる。

が、間に合わないことを悟る。

男の斬撃は目前まで迫っている。

相手の剣の方がはやい。先にあたる。

そう思った時、また心の中で声が聞こえた。


———ちょうど良い肉の盾がそこにある。


その声の先にいたのはイーリスだった。

アルテアの腕に抱かれ、ずっとくっついている少女。

今ここで左手を少し前に突き出せば、なるほど、確かに男の斬撃は防ぐことができる。その間だにアルテアの剣が男を捉えることも出来るだろう。


———どうせ去ることになる世界だ。不要なものは捨てていけ。


そうだ。自分はこの世界を去ることになる。だからここでの関係など一時的なもの。他人がどうなろうが気にしなければいいだけだ。

不要なものは捨てる。

アルテアは決意した。

少女を抱えた腕をそっと突き出し———

少女を横に放り投げた。


———あれ?何してるんだ、俺は?

考えとはまるで反対の行動に、アルテアは半ば唖然となった。

少女が驚いたように自分を見ていることに気づく。

離れていくイーリスを見て少しだけほっとした。

あの子が巻き添えで死ぬことはなくなったから。


剣が迫る。

たとえ自分が斬られても、何があっても決してこの刃を止めはしない。必ず仕留める。


そう決意して力強い眼差しで相手を見据えて剣を振るう腕に力を込めた。

男の剣が吸い込まれるようにアルテアの体に迫り、凶刃がその小さな体を両断せんとしたとき。


突如、尋常ではない重圧が降り注いだ。

誰かがどこからか、凄まじいまでの魔力をもってして威圧していた。

そしてその対象は。


「———っ!!」


威圧によって一瞬、男の動きが硬直した。

刃がアルテアの体に当たる直前でとまる。

そしてアルテアの剣が男の脇腹に食い込み、そのまま斜めに斬りあげ、男の腕を斬り飛ばした。

切り口から赤い血が吹き出し、口からも血がこぼれる。


「ちっ」


男は煩わしそうに舌打ちし、後方に飛んで腕を掴む。


「やるな。小僧」


男が淡々とそう言った。

胸の傷は浅くはない。加えて腕まで切断されたというのに男の佇まいは変わらない。


まるで痛みなど感じていないように、冷ややかな態度を崩さなかった。

恐るべき精神力に戦慄すら覚えてしまいそうな程だった。


あたりをぐるりと見回す男を前にアルテアは再び剣を構える。


そこへターニャと冒険者たちも駆けつけて男を取り囲む。


「やってくれるじゃねえか。死ぬところだったぜ」


「まったくだ。エレナのおかげで助かった」


「じっくりお灸をすえてあげないとね」


冒険者三人が口々に文句を言いつつ武器を構えて男を取り囲む。


どうやら怪我は軽傷ですんでいるようで胸を撫でおろす。


五人で男を取り囲み膠着状態になった時、男がおもむろに口を開いた。


「目的は達した。一度退くとしよう」


「……逃げられると思っているのか?」


アルテアが睨みながら男に言った。その強いまなざしが絶対に逃がさないと告げていた。


「あなたには聞きたいことがあります。ここで捕縛します」


ターニャもまた男を逃がすつもりなど全くなかった。


五人が輪を縮めるようにじりじりと距離を詰めていく。


その決意を挫くように男は言う。


「お前たちが部下と戦っているとき、俺が何をしていたと思う?」


「なんだと?」


アルテアが訝しみ他の四人も身構える。


男がパチンと指を鳴らすと、地面にいくつもの魔法陣が浮かび上がった。


「貴様、何を……!」


すぐさま飛びかかろうとするアルテアを男の冷淡な声が抑えた。


「俺にかまっている暇があるのか?」


男が言うのがはやいか、魔法陣の光がどんどん強くなっていく。


まるで爆発寸前の爆弾のようだった。


「くそっ、ターニャ!」


危機を察したアルテアが叫び少女の方へ走る。


ターニャがそれに応えるように素早く動いて冒険者たちの前に立つ。


魔法陣の明滅が強くなる。光が強くて目が明けていられないほどだ。


そして魔法陣から炎が濁流のごとく吹き出し、爆ぜた。


「時が来ればまた会おう」


男の言葉は炎に焼かれるように消えていった。


そしてあたり一帯が爆炎に包まれた。


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