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出会いと旅立ち

 この世界できみだけが 本当の空の青さを知っていた


 ───────


 黒く濁った水の中を漂っているような感覚だった。

 進むべき道も、自分がどこに向かっているのかもわからない。

 もしかしたら自分は1歩も進んでいないのかもしれない。

 不意に思った。

 寄せては返す波みたいに、同じ場所を行ったり来たり。そんなことを繰り返している、そんな気がした。

 そして、それは当たり前のことなのかもしれないと少年は思う。

 自分には帰る場所も、帰りを待つ人もいないのだから。


 ──どうして俺だったんだろう。


 意識の袋小路の中で、その問いが、明滅する電球のようにチカチカと繰り返された。


 ──俺は生きていてもいいんだろうか。


 当然答える者はおらず、少年自身にも答えはわからない。

 わからないなら死ぬべきなのか、それを見つけるための生だったのか。

 答えが出ないまま少年の心はばらばらに拡散して暗いところに沈んでいく。それは穏やかな絶望だった。

 自分はこのままゆっくりと消えていくのだと思った時──


「選択するの」


 声が聞こえた。闇の中に光が差し込むみたいだった。


「選ぶよのよ、あなたの意思で。誰の許可もいらないわ」


 澱の中から、ばらばらになって散っていた心の欠片のひとつが、光を目指してゆっくりと浮かび上がっていった。


 ──死にたくない。


 それが少年の選択で、希望だった。


───────


 暦は目覚めると白い空間にひとりで立っていた。


 数秒前の記憶が脳裏によみがえり、ㇵっとなって胸元をまさぐる。


 胸に血はなく、傷跡もなかった。


 己の身に起きた事態に理解が追い付かず頭を悩ませていると、とつぜん頭上から声が響きわたった。


「あーもう!!またですかーーー!!」


 若い女の声だった。声の調子から何やら怒っているらしいことがわかった。


「今日だけで何人目なんですか、まったく!まいにちまいにち、いやになるなあ!もう!」


「…うるさいな。頭に響くからだまってくれませんか?」


 少年が天に向かって文句を言う。


「なっ、なんて無礼な人間なんでしょう!そっちに行くから待ってなさい!」


 そういって声は途切れた


「出口もわからないし…まあ、待つか」


 少年は大人しく待った。

 ほどなくして、眼前に光の柱が降り立って、その中から白い服を着た女が顔を出した。


 白をベースに、ところどころに紫のラインが入ったドレスのようなものを着ていた。


 衣服としての機能を果たせているのかも疑問に思うほど、布地面積は少なく、

 ヘソや胸の谷間がその存在を主張するかのようにむき出しになっていた。


 年は見た目通りなら18~20歳ほどだと思われた。


「羞恥心を忘れたようなかっこうですね」


 女を見るなり、思ったことを口に出した。


「まっ、またバカにした!無礼よ!女神にたいして無礼だわ!」


「女神…?」


 暦は思わず驚きの声をあげる。目の前の女は、とても神には見えなかったからだ。


 威光もなければ後光もなく、神々しさなど微塵もなかった。


 神とはもっと神々しい存在だと思っていただけに、内心ショックだった。


「はっ、やっと私の神々しさを感じ取ったようね!まあ、ただの人間がなかなか理解できないのも仕方がないわね。許してあげるわ!」


 女は腕を組みながら鼻を鳴らして、得意げな笑みを浮かべていた。

 何か誤解をしているようだが、それを解くのも面倒なので

 そのまま話をすすめることにした。


「それで、ここはどこですか。俺に何の用でしょうか」


「……なんだか生意気ね。もう少し、神である私に敬意を払ってもいいんじゃないかしら」


 もはや面倒くさいので言うことをきくことにする。


「申し訳ありません、女神様。とつぜんのことで動転しており、無礼をはたらいてしまいました。先ほどの数々の非礼、お許しください」


 暦はそういって頭を下げた。


「なんか調子くるうわね……。まあ、わかればいいわ。許してあげる。女神だから!」


 女神という言葉をやたらと強調するのはなぜなのか。


 まあ、いい。許しをいただいたので顔をあげることにした。


「それで女神様…この空間は一体なんなのでしょうか?」


 暦は本題をきりだした。


「そうだったわね。ここは言うなれば、死後の世界…かしら」


「死後の世界?」


「そうよ。あなたは死んでここにきたの」


 思わず聞き返した暦に対して、あっけらかんとした様子で女神はそう返した。

 両親に銃で撃たれて死んだのは現実だったらしい。それを思い出した途端に、怒りが込み上げてきた。

 これまでの18年の人生で自分にできることは何でもやって己を磨いてきた。それをたった一度の失敗で、一瞬に、一方的に壊されたのだ。

 理不尽に命を奪われたことに対する怒りが炎のように暦の身体に広がっていった。しかし、怒ってみても後の祭り。

 死んだ暦にはどうすることもできなかった。


 深呼吸を繰り返し、頭を冷やして女神に問うた。


「ということは、俺はこれからどこか別の世界に転生する…ということでしょうか?」


「そうよ、あんたの世界じゃ有名でしょ」


 そして苦虫をかみつぶしたみたいな顔で「あー忌々しいわ!」と地団太を踏んだ。


「なぜそんなに怒っているんですか?」

 殺されたのは俺の方だというのに、と暦は思った。


「一万三千九十九……」


 女神が生気を失ったような声でぼそりと言った。


「はい?」


「一万三千九十九人!今日だけで、あんたの世界からきた死者の数よ!!!」


「お、多いですね…」


 さすがの暦もそれには面食らってしまい、素直に女神に同情した。


「多いなんてもんじゃないわよ!異常よ、異常!!!まいにちまいにち、一万人近くの人間があんたの世界からくるのよ!どうなってんのよ!」



「お、おちついてください」


 暦は女神の剣幕に押されてつつも彼女をなだめた。

 彼女は、はあ…とため息をつき「そうね…」と諦めたようにうな垂れた。


「ふつうは転生するにしても数が少ないの。一日に死ぬ人なんてそんなに多くないのよ。でもね、あんたの世界ではナーロー教とかいうイカれた宗教が信仰されてるでしょ。そのせいよ」


 肩を落としながら説明してくれた。

 確かに暦の世界ではナーロー教のおかげで人々は死おそれない。

 それどころか、極めて善意で、無能な人間を殺害するほどだ。

 だがその一方で、ナーロー教の主張が正しかったと証明されてしまったことに暦は愕然とした。

 女神の言いぶりからして、どうやら本当に異世界へと転生することができるようだ。


「ナーロー教が広まってからずっとよ。天界に帰る暇もないのよ。八千年もひとりで仕事してるの。それってすごく悲しいことよ」



 八千年。人間である暦には及びもつかない年月だった。


「事情はわかりました。俺の世界が迷惑かけてるみたいで、すみません…」


 今度は本心からの謝罪だった。自分と同じナーロー教に苦しめられた被害者だと思うと、彼の中で女神に対して親近感がわいてきていた。


「あんたが謝る必要はないわ。悪いのはナーロー教を広めた教祖よ」


 そういって女神は力なく笑った。

 それまでのかしましい雰囲気はすっかりなりを潜めていた。


「さて、お話はこのあたりにしましょう。そろそろあんたを異世界に送らないといけないわ。あともつかえてるしね…」


 その言葉を聞いて、暦に新たな疑問が芽生える。


「もう一度、元の世界で生き返ることはできないんですか?」

 予想外の問いだったのか、女神は一瞬きょとんとした顔になってから言った。


「基本的に...同じ世界に転生させたり、生き返らせるのは違反なの。天界の掟よ」


 少年は少しの間考え込んでから再び尋ねた。


「では、教祖はどうして転生のことを知っていたんでしょうか。一度死なないとわからないはずですよね?」


「ああ…あいつはきっと転移者よ。違う世界から次元を超えてやってきたんじゃないかしら」


 暦は転移者という単語もナーロー教の聖典で見た覚えがあった。確か、召喚されるなどして

 別世界に渡ってしまった者たちのことだ。


「なるほど。では世界間を移動する方法があるんですね?」


「あるわよ。まあ、できるのは各世界で一握りの者だけでしょうけどね」


「世界は、そんなにたくさんあるのですか?」


「ええ。あんたの世界では星は見えたかしら?」


 何の関係があるのかよくわからず、暦はその質問に「はあ…」と曖昧に返事をした。


「あいにく、見たことがないですね。映像でなら昔の星空を見ましたけど」


「そう……見たことないのね」


 女神が目を落として伏し目がちに言う。

 彼女はとても悲しそうだった。あるいは何かを懺悔しているようにも見えた。


「あの……どうかしました?」


 暦が伺うように尋ねると、女神はわずかに首を振ってから気を取り直したように顔を上げて再び話し始めた。


「その星すべてが異界なの」


「ええっ!?」


 あまりにも衝撃的な事実に驚きを隠せなかった。だが少年はあっさりと納得することができた。

 暦の世界では、大気圏外に打ち上げられた人工衛星やロケットがことごとく行方不明になっていたからだ。

 異界に突っ込んでいったとなれば、帰ってこられないのも道理だった。


「驚くのも無理ないわね」


 そう言った後に、女神は訝しんだ目で少年を見つめた。


「それより、あんた元の世界に戻りたいの?...私が言うのもどうかと思うけど、あんたの世界ってかなりひどいわよ」


 女神の問いに、少年は押し黙る。少しの沈黙のあと、意を決したように顔を上げて話し始めた。



「戻りたいかって言われたら、正直戻りたくはないです。でも…。確かにひどい世界だったけど、俺はあそこで懸命に生きていました。そして一方的に命を奪われた。俺はそれが許せません。次の世界があるからと死を推奨する、他人を殺すことを許容する世界を俺は認めない」


 暦は自分の考えを素直に伝えた。


「だから、俺は元の世界に戻ります。そして、ナーロー教を潰す」


 ぽかんとした表情で女神は少年を見た。そして盛大に笑い声をあげた。


「はは……あはは……あはははは!」


 そんなに笑うことないじゃないか、と暦は思った。そんな暦の心境を察したのか、女神はひとしきり笑ってから謝罪の言葉を口にした。


「いやーごめんごめん。面白くって、つい笑っちゃったわ」


 そう言った後に「バカにしてるわけじゃないのよ?」と続けた。


「そんなこと言う人間はじめてだったから、ついね」


「まあ、そうでしょうね。転生後の世界では神様にもらった力で異世界生活を満喫できるみたいだし」


 暦が言うと、女神が「んん?」と首を傾げた。言葉を重ねてさらに説明する。


「異世界に転生するまえに、神様はすごい力を授けてくれるんでしょう?ナーロー教の聖典にそう書かれていましたよ」


 彼の説明をきいた女神が「なるほどねー」と納得した顔をしてから、一部の誤りを訂正する。

「それはほんの一握りの人間だけよ。神側の手違いで死なせちゃったり、生前にかなりの徳をつんだ特殊な場合で、転生する人間すべてに力を与えるわけではないわ」


 暦は落胆すると同時に納得してもいた。女神との会話から、転生する人間は自分に及びもつかないほど膨大な数に及ぶだろうことがわかった。

 そして、その人間ひとりひとりに超常の力を与えるというのはさすがにあり得ないのでは、と考えてもいたのだ。


 そして、ナーロー教に対しての怒りが再燃してきた。やつらは重要な部分を誤魔化していたのだ。


「そんなに都合の良い話があるわけないか」


 暦は怒りをおさえつつ、現実を受け止める。


 そして女神もそれを肯定した。


「そうね。未来は自らの手で切り開くものよ」


 そう言ったあと、女神は優しく笑った。


「あんたならきっとできるわ」


 儚げで神聖さを帯びたその微笑みに、暦は不覚にもどきりとさせられた。


 このとき、暦ははじめて女神がとても美しい容姿をしていることを意識した。


「ありがとう」と照れながら礼を伝えた。


「さ、そろそろ行かなきゃね」


 女神が何もない空間に手をかざすと、亀裂がはしったように空間がひび割れていき円状の穴が出来上がった。

 中は見えず、ただ白い光が広がっているだけだった。別の世界へと通じているのだろう。

 暦が穴に向かって歩いていき、その手前で不意に立ち止まって女神に尋ねた。


「全部…数えてるんですか?」


 唐突な問に意味がわからず女神が首を捻る。


「ここに来た人達だよ。さっき言ってたでしょう、一万三千九十九って。いちいち数えているんですか?」


「なんだ、そんなことか。当たり前じゃない…私は女神なのよ?ここに来た者達のことは覚えてるわ。名前と、簡単なプロフィールくらいはね…」


「意外だな。神様ってのはもっと俺たちに無関心なものと思っていたよ。せいぜい玩具とか、観察対象とかくらいかと」


「まあ、そういう神がいるのは否定しないわよ。でも私はそうはなれないわ。できることなら、もっと…」


 女神が声をつまらせて、大きな目をそっと伏せた。その視線の先に女神が何を見て、何を思うのか、それは彼女にしかわからない。

 ただ世界を見守り続け、やがてそこで死んだ者達を出迎え、何もせずに見送ることしかできない。

 それは暦の想像以上に辛いことなのかもしれない。


「優しいんだな、あなたは。きっと神様には向いていないと思えるほどに」


 暦が思ったままのことを素直に口にする。

 女神が不意をつかれたように顔を上げた。


「名前を教えてほしいな」


「…ステラよ。空の女神ステラ」


 意外そうな顔をしながらも快く答えてくれた彼女に礼を告げ、境界を越えて穴へと入った。


「ステラ」


 暦が優しく、だがはっきりとした声で名前を呼んだ。


「俺が死んだのはあなたのせいじゃない。俺だけじゃなく、他の誰もが。優しい女神様...あなたを解放してあげるよ」


 その言葉に一瞬、女神の瞳が大きく揺れて頬が赤く染まった。


「…ほんとに生意気なんだから」


 ぽつりと呟いた後に、彼の名前を呼んだ。


「暦」


 呼ばれて振り返る暦の頬に、柔らかくてあたたかい感触が広がる。


 ちゅっ、というリップ音が響いた。頬を染めて少し恥ずかしそうにしているステラの姿をみて、暦は頬にキスをされたことを悟った。


「すごい力はあげられないけど…ほんの少しだけ、女神の加護をあなたにあげる」


 予想外の出来事にあわてる暦を見て、してやったりという風にステラが笑った。


「ありがとう」と照れながら暦が言った。


 彼の身体が白い光に包まれて消えていく。


「あなたに、天地無窮の幸運を」


 それが、天神暦という人間が聞いた最後の言葉だった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公がこの先どう動いていくかなど今後の展開が楽しみです。ブックマークに登録させていただきました。今後とも執筆頑張って下さいませ。
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