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治癒魔法は難しい

 宿の一室。リードとアルテアは店主に事情を説明し、宿の一室へと彼らを運んだ。

 宴の喧騒はすっかりなりを潜め、部屋はぴんと伸ばした糸のような張り詰めた空気に包まれていた。今、リードを含めた数人が見守る中、スレインが男に治癒魔法をかけていた。


「傷の治療は終わりました。しかし毒の方は少し特殊なもので、解毒までは……。すみません」


 眉間にシワを作りながらスレインが苦々しくそう言った。


「参ったな。おめぇで無理となると、腕利きの術師に依頼を出すしかねぇが……」


 リードは言葉を切って男を見やる。傷口が塞がったおかげで顔色は幾分マシになってはいるが、それでも息は荒く脈も弱くなっている。このままでは長いことはもたないだろう。


「嬢ちゃんの方は大丈夫なのかい?」


「ええ、この子は外傷もなく毒などに犯されている心配もありません。今は少し疲れて眠っているだけのようです」


 スレインの答えを聞いて、張り詰めた空気がわずかに弛緩した。少女に大事がなかったのは不幸中の幸いだろう。やはり子どもが苦しむ姿は見たくない。


「なら、あとはこの兄ちゃんだけだな。よし、俺がひとっぱしりして治癒術師をつれてくっか!」


 リードが意を決して言う。


「ですが、急な依頼です。手空きの方がいればいいのですが……」


 スレインが一抹の不安を口にする。


「治癒術師か……」


 腕利きの治癒魔法の使い手と聞いてアルテアがまっさきに思い浮かべるのは母の姿だった。母なら簡単に解毒もこなしてみせるだろう。


 自分が本気で走れば数時間あれば村まで行ってティアを連れて帰ってくることができるし、事情を説明すれば快諾してくれるだろう。早すぎる帰郷になるがそんなこと気にしてもいられない。


 そう考え、治癒術師には心当たりがあると告げようとしたとき、不意に部屋のドアがノックされた。ノエルが部屋に入ってきて、心配そうな顔で尋ねる。


「怪我した人がいるって聞いて……。大丈夫ですか?」


「いや、傷の治療はできたんだが毒が少し特殊なやつみたいでな」


 アルテアがさっと状況を説明すると、ノエルがベッドに近づき男の容態を観察する。しばらく男の様子を見たあと「うん」と小さく呟いた。


「わたし、治せるよ」


「なにっ?!そりぁ本当か?!」


 リードが驚いたように目を見開いてノエルに聞く。


「はい。浄化の魔法を使えるのでこのくらいの毒なら大丈夫だと思います」


 しっかりとした声でそう返すノエルの様子を見るに本当に自信があることがわかる。


 ベッドに横たわる男に手をかざし、ふぅ、と一呼吸してノエルが魔法を唱える。


光り浄めろ(プルフィガティオ)


 光が男の体を覆う。数秒後に光が消えると、それまで紫色に変色し大きく腫れ上がっていた男の肌にあたたかな色味が戻っていた。ずっと聞こえていた呻き声も穏やかな寝息に変わっていて、治癒が成功したことをあらわしていた。


 いとも容易く治療を終えたノエルを、リードとスレインが驚きの眼差しで見つめていた。二人だけでなくアルテアも少し驚いていた。治癒の魔法は相手の体に魔力を流し込んで傷を癒したり病を治したりする。自分の魔力を相手の魔力の波長に合わせる繊細な魔力制御や傷を修復する想像力、他者への高い親和性が求められる高等技術だ。幼い頃から治癒魔法が使えるのは知ってはいたが、まさか彼女がここまで腕を上げているとは思っていなかった。


「す、すばらしい!」


 感嘆の声を上げながらスレインがノエルに詰め寄る。


「治癒魔法を杖もなしにこうも簡単に……!修行方法は?!独学!?でないとすれば、いったい誰に稽古を──あいたっ!?」


 よほど興奮しているらしく、目を輝かせながらノエルの手を取りまくし立てるスレインの頭をリードがコツンと叩き、ローブの襟を掴んでノエルからひっぺがした。


「姐ちゃんが困ってるだろうが」


「僕としたことが……申し訳ない」


 ごほん、と気まずそうに咳払いをしてスレインが謝罪する。


「あはは……。大丈夫ですよ」


 ノエルが苦笑いしながら言った。


「しかしまあ、スレインじゃねえが見事な腕前だ。いったい誰に習ったんだ?」


「故郷に治癒魔法を使える知り合いがいて、その人に教わりました」


 そう言いながら自分にウインクするノエルを見て、やはりティアに教わっていたようだとアルテアは納得する。


「なるほどねぇ。その姐ちゃんの師匠にも感謝しねぇとな。おかげで命を救うことができた」


「お役に立てて良かったです」


 ありがとよ、と頭を下げるリードにノエルが笑って返した。


「それで、この人たちは何者なんでしょうか?」


 ベッドに横たわる男と少女を見やりアルテアが聞くと、リードはがしがしと頭をかきながら唸る。


「魔獣か、それとも盗賊にでも襲われでもしたか……。まだ何とも言えねぇが、事件に巻き込まれたってのは確かだろうな」


「事件、ですか」


 まさか旅に出てすぐに厄介事に出くわすとは思ってもみなかった。なるべくノエルを危険な目には合わせたくないしどうするか、と考えてノエルを横目で見やる。


「なあに、心配する必要はねえ。何かあれば俺らがなんとかすっからよ!」


 アルテアの胸中を察したのか、それとも心配が顔に出てしまっていたのか、リードがこちらに向かって安心しろと笑いかけてきた。


「あとのことは俺らに任せて、ニイちゃんたちは部屋に戻って休んでくれ。夜更けに騒がしくして疲れちまったろ?」


 リードが言い、スレインもこくこくと頷く。どうやら彼に気を遣わせてしまったしまったらしく、少し申し訳なくなった。しかし留まっても自分たちにできることはもうないとも思えた。ならばここは素直に気遣いを受け取ろう。


 そう思いノエルに目配せすると、彼女も同じことを考えていたようで、頷きながら椅子から立ち上がった。


「では、お言葉に甘えさせてもらいます」


「おやすみなさい」


「おう、おつかれさん」


 挨拶を交わしてアルテアたちは自分の部屋へと戻った。


 どうやら本当に疲れてしまっていたようで、部屋に戻り再びベッドに横になるとしばらくして眠りに落ちることができた。


 ───────


 翌日、早朝。


「ふあ……ああぁ……」


「ふふ、大きなあくび」


 あくびをしながら伸びをするアルテアに、向かいの席に座るノエルが笑いをこぼす。

 朝一番に王都へ出発するため、日が昇る前に起きて朝食をとっていた。太陽が昇る前とあってか、食堂の空気はしんみりと冷たい。


「珍しいね。アルくん、朝は強いのに」


 ノエルの言う通り、本来アルテアは朝に強い。日が昇る前の時間に起きて鍛錬することもザラなので、いつもならこれくらいの時間に起きても眠気など全く感じないし意識はすぐに覚醒していた。


「昨夜の喧騒のせいかな……どうにも眠りが浅かったらしい」


 言いながら、おそらくそれだけではないだろうが、と心中で付け加える。やはりノエと寝床を共にしたことも眠りが浅くなった一因だろう。しかし当の本人を前にそんなこと言えるはずもなく、アルテアは重い瞼をこすり、出された紅茶を手に取りずるずると啜る。

 ハクはアルテアの睡眠不足の原因を察しているのか、眠そうに紅茶を飲むアルテアを横目にくつくつと声を殺して笑っていた。

 若干イラッとしたので、わざと奴の上に紅茶をこぼしてやろうかとテーブルの上に横たわる魔本を一瞥するが、それで喚き立てられては気だるい気分がさらに悪化するなと考え直し、紅茶と共に苛立ちを飲み下した。


「王都までは馬車を使っても長旅だよ?ちゃんと食べておかないとバテちゃうよ」


「キュウ~!」


「みゃん」


 テーブルの上にたんまりと並べられたサラダをもきゅもきゅと頬張り、意外な健啖ぶりを示すノエル。その横ではムゥとジルバーンがノエルに負けず劣らずの食欲を披露している。


「寝不足のせいか、どうも食欲がな」


 パンを手に取り口に運ぶが、どうにもまだ胃が起きていないようでなかなか飲み込めない。もそもそと何度か咀嚼したあと、紅茶で無理やり流し込んだ。


「こんなに美味しいのに、もったいないなぁ」


  ノエルがシャキッとしたサラダを食べながら、ねぇ?とムゥとジルバーンに呼びかけると、ジルバーンが「みゃ~ん」と返す。


「ジルはなんて言ってるんだ?」


「えっと、『情けない男ね』だって」


「それ、本当にジルが言ってるんだよな?」


 半信半疑でジルバーンに目を向けると目が合うが、「みゃーん」と鳴いたあとにぷいっと顔を逸らされてしまう。


「……今度はなんて?」


「『気安くジルって呼ばないでよね』だって」


「はは、すまん……」


 本当にあの短い鳴き声にそんな意味が?とぎょっとなりつつも、ジルバーンの手痛い言葉に少しショックを受けるアルテアである。その様子を見てついに耐えられなくなったのか、ハクがケラケラと吹き出した。


「よぅ、ニイちゃん、姐ちゃん。随分と早いじゃねえか」


 賑やかしく食事をとっているところに、リードが近づいてきた。昨日の喧騒での疲れを微塵も感じさせない、おおらかだが力強い声だった。


「おはようございます。リードさんも早いですね、お仕事ですか?」


「あぁ、まあ、な」


 アルテアが尋ねると、リードは短く答えたあと何かを考えるように黙りこくってしまった。豪放な彼にしては歯切れが悪く、神妙な面持ちをしていた。世間話程度の会話のつもりだったのだが、もしかして昨日、別れてから何かあったのだろうか。程なく、アルテアの予想は当たっていた。


「実は折り入って話があるんだがよ」


 そう切り出した彼の表情は真剣そのものだった。


「昨日の男とちっちゃい嬢ちゃんの身元が割れた。やつらはベルグ商会のもんだ」


「ベルグ商会、ですか?」


 聞き覚えがないのか、きょとんと首を傾げるノエルにアルテアが補足する。


「表向きは冒険者向けの商品を扱う何の変哲もない商会だが、ひとつ曰くがある。なんでも攫ってきた子どもに金を貸し付けて奴隷に仕立てあげて売り飛ばしている、と聞いたことがある」


 そういう奴らもいるから気をつけろよ、と以前に村を訪れていた冒険者ーークレイグだちだーーに忠告されたことがあった。


 その時は「まあ、坊ちゃんなら攫われる心配もねぇだろうがな!」とアーガスは笑っていたが、まさかこんな形で再びその名前を聞くことになるとは思っていなかった。


「奴隷……。じゃあ、あの子も……?」


 硬い声で尋ねるノエルにリードはただ黙って頷き返すと、彼女の顔が痛切に歪んだ。幼くして奴隷に仕立てあげられた少女の境遇を思ったのだろう。


「ニイちゃんの言う曰くってのは事実だ。ベルグ商会は意図的に奴隷を仕立てあげてそれを商品にしている。そんでだな、どうやら奴らは商品、まあこの場合は奴隷なんだが。奴隷の運送中に賊の襲撃を受けてそれをまるまる奪われちまったらしい」


  昨日、リードたちは意識を取り戻した男から事の顛末をきいたようだ。


「意識を取り戻した男に話を聞いたあと、俺はすぐに冒険者ギルドと商人ギルドに事の顛末を報告した。んで今日の早朝、ベルグ商会から冒険者ギルドを通して俺に正式な依頼がきた。依頼内容は、奪われた商品の奪還と賊の捕縛、または殲滅だ」


 そこまで聞いたアルテアは、なるほど、と納得したように呟き、リードが続けようとした言葉をさらう。


「それで俺たちーーいや、ノエルに手を貸してほしいってことですか?」


 そう言うと、リードがわずかに驚いたように目を見開いた。どうやら当たっていたようだ。


「率直に言えば、そういうことだ。うちの連中は腕利き揃いだが、なにぶん急な依頼だ。賊の使う毒への対策もできてねぇ。だから姐ちゃんの治癒術師としての腕を見込んで頼む。その力、貸してくれねぇか 」


 リードが身を乗り出してノエルに言った。ノエルはまだ状況が完全に飲み込めていないのだろう、半ば呆然とした様子でリードとアルテアの顔を交互に見やる。


「もちろん報酬はきちんと払うつもりだし、道中の魔獣や賊の相手は俺たちがする。姐ちゃんを戦闘の矢面に立たせることはしねえ」


 リードが説得するように語りかけるが、ノエルの反応は芳しくない。


「私は……」


 返答に詰まるノエル。たぶん、依頼主のことを気にしているのだろう。賊の被害に合っているとはいえ、子どもを奴隷に仕立てあげて売り買いしている連中だ。そんな連中の頼みをきくことを、ノエルの良識が拒んでいるのかもしれない。だからと言ってここでリードの頼みを断り、もし彼らから犠牲が出ることになれば彼女は罪の意識に苛まれるだろう。彼女も自分でそれがわかっているからこそ、答えを出せないでいるのだ。長い沈黙と瞑目を経てノエルは口を開いた。


「わかりました。そういうことなら、私も協力します」


「いいのか?」


 尋ねるアルテアにノエルは強い口調で答える。


「うん。もし私が断ってリードさんたちが傷ついたら、絶対に後悔すると思う。それに、その盗賊はきっとまた他の人を襲うよね。もっとたくさんの人が傷つくかもしれないのを見て見ぬふりはしたくないから」


「そうか。お前がそう言うなら、俺も何も言わないよ」


 アルテアがそう言って笑うとノエルも微笑み返した。話がまとまったところでリードが深々と頭を下げた。


「ありがとよ。恩に着るぜ」


 頭を上げた彼にアルテアが声をかける。


「俺も連れて行ってください」


 アルテアの申し出にリードが一瞬戸惑いの表情を浮かべた。その理由をアルテアは察している。


「だがよ、ニイちゃん。言い難いんだが……ニイちゃんには魔力がねぇだろ。俺も冒険者になってそれなりになるがよ、一切の魔力を感じねぇ人に会ったのは初めてだ。魔力に耐性のねぇやつが魔法飛び交う戦場に出るのはあまりに危険すぎるぜ」


 やはりバレていたようだ。確かに彼の言う通り、危険だろう。低威力の魔法でも耐性のないアルテアには致命になり得るし魔力による身体強化だって使えない。

 致命的なハンデ、いや、ハンデと呼ぶことすらおこがましい。本来なら同じ土俵に立つことすら叶わない。だが、ノエルだけを危険に晒すわけにはいかない。自分だけ安穏と皆の帰りを待つという選択肢は、アルテアには有り得ない。


「確かに、俺に魔力はありません。でも剣には覚えがあります。遅れはとらないつもりです。もし足手まといなら置いていってもらってかまいません」


 リードの目をまっすぐに見る。その眼差しは、決して引かないと不退転の意志が宿っている。

 リードはしばし逡巡して、根負けだというように深々と息を吐き出した。


「わーったよ。そこまで言われちゃ俺の負けだ。だが、危ねぇと感じたらすぐに退けよ?」


「ありがとうございます。無理はしないので安心してください。俺だって死にたくはないですから」


 こうしてアルテアたちは賊の捕縛に加わることとなった。

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