蹄音
「ベッド……ひとつしかないね」
部屋に入るなりノエルは唖然となった。借りるのは一室とはいえ、二人で泊まるのだからベッドは二つだろうと思っていたのかもしれない。現にアルテアは部屋に入るまでそう思っていた。
「……俺は床で寝るから使っていいぞ」
考えるまでもなくそれが最適だろう。しかしノエルはそれを頑なに拒んだ。
「だめだよ、それじゃアルくんがかわいそうだもん。それにかぜひいちゃうよ」
「別に俺は気にしない」
「だめ!わたしが気にするのっ!」
いつになく頑固なノエルだった。何度か同じやり取りを繰り返したあと、結局アルテアが折れることとなり、二人でベッドを使うことが決定した。
「気の良い人達みたいで良かったね」
やり取りを終えてしばらくして、部屋の窓から外を見下ろしながらノエルが言った。一瞬なんの事かと思ったが、彼女の視線の先を見て誰のことを言っているのか察した。窓から入る柔らかい風に乗って、仲間に指示を飛ばすリードの快活な声が聞こえてくる。
「ああ、そうだな。一泊だけとはいえ、面倒な連中と宿を共にはしたくないからほっとしたよ」
「うん、そうだね。わたしちょっと思ったんだけど、リードさんってわたしのお父さんにちょっと似てない?」
そう言われてみると、懐の広さを思わせる豪胆ぶりはテオと通ずるところがあるかもしれない。
初対面ながらもリードという男をどこか魅力を感じたのはそのせいもあるのかもしれなかった。
「確かに似てるな。なかなか立派な髭もあったし」
「でしょ?まあ、お父さんはあそこまでカッコよくないけどね」
そう言ってころころと笑うノエルにつられてアルテアも頬を緩ませた。それからベッドに腰掛けてしばし他愛のない話を二、三したところでノエルが、ふわぁ……と可愛らしく欠伸をした。
「……そろそろ寝るか」
「ん、そだね……。馬車に乗り遅れてもいけないしそろそ寝よっか」
部屋の明かりを消して二人はいそいそと同じベッドに潜り込んだ。
「おやすみ、アルくん」
「ああ、おやすみ」
そう言葉を交わして眠りについた。
それから数時間後、アルテアはまだ起きていた。隣にノエルが眠っていることを考えると、どうにもうまく眠れないでいた。
一方で彼女はすんなりと眠りに落ちたらしく、すぅ、すぅ、と規則正しい寝息を立てている。何やら夢でも見ているのか、たまに「んん……」と声を上げながら寝返りを打ち、その度にわずかであるがノエルの体が触れ合る。
そのせいか余計に隣の彼女のことを意識してしまい、眠りからどんどん遠ざかり意識は覚醒していく。目を瞑ってなんとか眠ろうとするが睡魔は一向に訪れなかった。
眠ることを半ば諦め、アルテアは隣の少女を起こさないようにゆっくりと体を起こす。枕元ではムゥとハクが身を寄せあって眠っていて、どうやら眠れないのは自分だけらしいと妙な疎外感を覚えた。
すこし夜風に当たろうと思い、静かに部屋を出て下へと降りて外へと進む。
途中、食堂からリードたちの賑やかな声が聞こえてきた。随分と盛り上がっているみたいで何やら歌声のようなものまで聞こえてきて、酒で酔っているのか、かなり奇天烈な仕上がりになっていた。参加していないアルテアまでついおかしくて笑ってしまう。
宿の外へ出ると彼らの喧騒も耳には届かず、夜の街には死んだような静寂が溶け込んでいた。時折、風と虫の音が聞こえるだけで、まるで自分だけが世界から切り離されてしまったような錯覚を覚えた。
家族と離れて少し感傷的になっているのかもしれないと思いながら夜の星を眺めていると、後ろから人の気配を感じた。
アルテアが振り向くより先に、その人物が声を発する。
「よう、ニイちゃんか。こんな夜更けにどうしたんでぃ」
リードだった。
「ちょっと眠れなくて、夜風に当たりたくなったんです。リードさんこそ、どうしたんです」
「誰かが外に出ていくのが見えたからよ。どうせ飲みすぎた誰かだろとちと介抱しようと思ったんだが、ニイちゃんだったとはな」
あてが外れたとばかりにリードが髪を撫で付けながらにっと笑った。
「面倒見がいいんですね」
「ま、仲間だからな。にしても、悪かったな。騒ぎすぎたみてぇだ。もう少し静かにするように言っとくぜ」
リードが申し訳なさそうに言いながら、頭を下げた。どうやら彼らの宴会の喧騒のせいだと思っているようだった。
誤解で彼らの宴に水を差しては申し訳ない。アルテアは慌てて首を振った。
「俺が眠れないのは別の理由ですよ。勘違いさせてすみません」
「んお、そうなのかぃ?それならまあ、良いんだがよ。何かあれば遠慮なく言ってくれていいからよ!」
「ええ、ありがとうございます」
リードの豪快さに半ば圧されつつ曖昧な笑みを返したとのろで会話も途切れ、また静寂が戻ってきた。
二人で何も話すでもなく夜の街を眺めていると、不意に遠方からの嘶きがその静寂を切り裂いた。何事かと二人して辺りを見回すと、入口の方から一頭の馬が駆けてくる。馬の上には必死の形相で血を流す男と小さな少女が乗っていた。その様子と、静かな街中に響く、石畳を蹴る慌ただしい蹄の音が何らかの火急の事態であることを暗に告げていた。
街までたどり着いたことで、猛スピードで走っていた馬の速度が急速に落ちていき、やがて立ち止まる。男はその慣性に耐える力も残っていなかったのか、身を投げ出すように少女ごと地面に放り出されてしまった。
「おい、大丈夫か!?」
血相を変えて飛び出すリードにアルテアも続く。
「これは……」
男の容態を見たアルテアが唸る。傷口は深く腹のあたりが血で赤く染まっているが、問題は傷の深さだけではなかった。
「う……うぅぅぅ……」
苦悶に呻く男の腕が大きく腫れ上がり紫色に変色してしまっている。
「……毒か」
男の容態を見て呟くと、リードもそれに頷きを返す。すぐに治療しなければ危うい状態だった。
次に少女見て状態を確認する。一見したところ少女に外傷はなく、毒に苦しんでいる様子もなかった。ただ気を失っているのか、目を瞑ったままぴくりとも動かない。
いずれにせよ放っておくわけにはいかなかった。リードも同じ考えらしく、男を抱えてゆっくりと話かけた。
「安心しな。俺の仲間にゃ治癒魔法が使えるやつもいる、すぐに治してやるぜ。ニイちゃんはそっちのちっこい嬢ちゃんを頼む」
アルテアはそれに頷いて応え、少女を抱えて宿へと戻った。