レゾンデートル
「成ったようだな」
アーカディアは安堵したような声色で告げた。
「竜……ですか」
アルテアは惚けたように呟いて、掌の上で鳴く小さな竜をまじまじと見つめた。
「うむ……ある日、我が魔力を蓄えた魔鉱石が生命を宿したのだ。言うなれば、我の子供……いや、分体のようなものか」
説明を聞いてもピンとこなかった。魔鉱石が生命体に変化するなどということが果たしてあるのだろうか。そんな疑問がわくが、実際に目の前で起こっているのだから認めるしかなかった。
「あの、それで……俺にどうしろと?」
何もこの現象を見せるためだけに呼びつけたわけではあるまい。困惑気味な思考を整理しながらアルテアが問いかけると、アーカディアは少し間を溜めてから重く口を開いた。
「そろそろお主の旅立ちの日も近いだろう。その際に、その子も共に連れて行ってほしいのだ」
「俺が、この子を?」
確かにアルテアは旅に出ることを決めていた。それはハクの記憶を探すという約束を果たすためであり、自分の元いた世界へ行く方法を探すため、そしてひとりの少女を戦いの宿命から解放するためだ。だがしかし、何故に自分なのだろうか。アルテアはその疑問をそのまま口にする。
「その、どうして俺なんでしょうか?」
「我には……もはや人間で知己と言えるような存在はお主とアルゼイドくらいしかおらぬ。アルゼイドはこの地を離れられぬからな。お主くらいしか頼める相手がいないのだ」
そう言うアーカディアはやはりどこか寂しげだ。
「その子には我と同じ道を歩ませたくはない。穴の中に閉じこもるなどというこはせず、できれば広い世界を見てほしいのだ」
「そういうことですか……でも、俺はーー」
「ダメだダメだ!私は反対だっ!」
それまで沈黙を保っていたハクが突如として大声を上げた。
「そんなトカゲ臭いトカゲを一緒に連れていくなど、許せるわけがあるまい!私は断固認めんぞ!」
「……やっと話したと思ったら、開口一番なんてこと言うんだ、お前は」
宙に飛び上がりバタバタと子供のように駄々をこねるハクにアルテアは呆れ果てた。
「うるさい!誰がなんと言おうと嫌なものは嫌だ!」
大人げがなさすぎる。頑として譲りそうにないハク。
アルテアはそんなハクを手に取り、諭すような声で語りかけた。
「……なぁ、ハク。ずっとひとつの場所に囚われ続ける苦しみはお前もよく知ってるんじゃないのか」
手の中でじたばたと暴れていたハクの動きが少し鈍くなった。ずっと同じ場所で過ごす苦しみを味わわせたくないというアーカディアの気持ちは、長い年月を本の中でひとり過ごしてきたハクならわかるはずだ。
「俺と出会って外の世界に触れた時、お前はすごく嬉しそうにしてたよな。ターニャの作るご飯をいつもおいしそうに食べてるし、俺の家族と話す時もなんやかんやで楽しそうにしてる。この子にも……いや、誰にだってそうする権利はあるはずだ。違うか?」
「それはそうだが……ぐうぅぅ」
「見てみろよ、小さくてかわいい仔竜じゃないか。こんな子に辛い想いをさせてもいいのか?」
ダメ押しとばかりに掌で踞る仔竜をハクにずいっと近づけてみせる。
「キュイ……?キュウ、キュウ」
自分の命運がかかっているとはつゆ知らず仔竜は呑気に欠伸をしたあと、ハクに鼻を寄せてくんくんとにおいを嗅いで、じゃれつくようにペロペロとハクを舐め始めた。
「ぐぬっ……うがががが……!」
震えながら奇怪な唸り声をあげて、ハクは脱力したようにパタンとアルテアの手の中に倒れた。
「……今回だけは特別だ」
ぼそりとハクが呟いた。
仔竜に自分と同じような想いをさせるのは忍びないという気持ちが勝ったのだろう。やはり根は良い奴なのだとアルテアは改めて思った。
「ありがとな」
アルテアも小さく呟き、そっと本の表紙を撫でた。
「ということで、この子を連れて行くのは構いませんが……」
どうも腑に落ちなかった。
「うむ……感謝する」
安堵したようなアーカディア。その様子を見て、やはりアルテアは疑問を感じた。本当にこれでいいのだろうか、と。
「でも、本当にこれでいいのですか?」
気づくとそう言っていた。
「本来、子は親とあるべきだと思います。たとえこの子が本当の意味での子供ではなく分身のようなものだとしても、俺はやはりあなたと共にいるべきだと思います。……あなたに掛けられた封印の呪縛は七年前のイーヴル襲来の折、異端教徒によって解かれたと聞いています。あなたは出ようと思えばここから出られるでしょう。何故、あなた自身がこの子を外へと連れて行ってやらないのですか?何故そんなにもあなたはこの地にこだわるのですか?」
アルテアが言い終わると、深い沈黙が訪れた。この大黒穴のように深く暗く、そして重い沈黙だった。
もしかしたらアーカディアの機嫌を損ねてしまったのかもしれない。あるいは「確かにそうだ!」と言ってすぐにこの地を離れてしまうかもしれない。
そうなればアーカディアの恩恵を受けている王国はもとより、世界中の国が大いに混乱するだろう。だが、聞かずにはいられなかった。
子は親といたほうがいいに決まっている。それができるのに、あえて選択しないアーカディアの心中を知りたかった。
「……主は心優しい人間だな。主の言うことはもっともだ」
重い沈黙を破ったアーカディアの声は優しげだった。
「我は封印の呪縛を自らすすんで受けた。異界へ繋がるこの穴を封じるためだ。だが既に封印は解かれ、イーヴルの現出は活発になっている。我がいることで水面下での国家間の争いも耐えず、悪化の一途をたどっている。我がこの場にいる大義は、もはや失われつつある。それでもなおこの場に留まるのは我の……私のわがままに他ならぬ。契約でも盟約でもない。些細な口約束を、ただ守っているだけだ。取るに足らぬ、本当に下らぬ理由だ」
アーカディアは過去を懐かしむように爬虫類的な目を細めた。ずっと遠くを見ているような、そんな眼差しだった。きっと彼も何かを求めて探しているのかもしれない。あるいは待っているのかもしれなかった。
「……下らない約束を、長い歳月をかけて守り続ける者はいない。それは人も竜も、どんな生き物だって同じだ。そうでしょう?」
アルテアが言うと、アーカディアは一瞬声を詰まらせて息を呑んだように目を見開いた。
「……彼女は人で、勇者だった。この地を頼むと、最後にそう言われた。私は遥か昔に交わした約束を守るために、私の子と呼ぶべき者すら主に押し付けようとしている。なんとも滑稽で醜い話だろう」
アーカディアが自嘲した。
確かに自分勝手でわがままな話だ。それで子供とも分身ともいうべき存在を他人に委ねるのだから。だが不思議と嫌悪は感じなかった。
アーカディアが人を超越した存在であるからなのか。それとも、どこまでも一途なその在り方を美しいと感じてしまったからなのか。
「そうですね。でも、ずっと変わらないあなたの在り方は美しいと思います。それにきっと……あなたが約束を守ってくれていることを、その人は喜んでいますよ」
アルテアが微笑み、手の中の仔竜を撫でた。
仔竜はくすぐったそうに目を細めた。
「この子は俺たちが広い世界に連れて行きます」
「異界の魔女ーーいや、ハクよ。そなたは良きパートナーに巡り会えたな。……失くさぬよう、大切にすることだ」
寂しい声だった。神代の時から生きる古き竜が、手の中の小さな竜と重なって見えた。
「……ふん。貴様に言われるまでもないわ」
「ああ、そうだな。その通りだ。……その子をよろしく頼む」
そう言って、アーカディアは深い穴の中に帰っていった。
「キュウ……」
仔竜が鳴いた。
きっと偶然だろう。
アルテアは優しく仔竜を胸に抱き、来た道を引き返した。




