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七年

 少女は いと永き孤独の果てで 少年と出会った

 少女は いと深き孤独の底で 少年と出会った

 少年は いと暗き孤独の中で 少女と出会った


  ─────── 


 息苦しい。

 体の上に何かが乗っているような重い感覚だった。

 あたたかい泥のような無意識の中に高い 声が響いていた。

 その声に引き寄せられるように、少年の意識は覚醒していく。


「おにいちゃん、起きろー!」


「んん……」


 鼻から抜ける息に呻くような声が混じった。すなわち目覚めの合図である。

 まだ眠気のこびりつく重い瞼を開くと、うっすらとぼやける、うつつな網膜に少女の顔が映った。


「おはよう、リーナ……今日も随分と早起きだな」


 少年はくぐもる声でそう言って、

 寝起きで意識と上手く繋がらない肉体をなんとか動かし、自分の腹の上で馬乗りになる少女の頭を撫でる。


「むぅー!おにいちゃんがお寝坊さんなんだよ!パパもママも、ターニャだってもう起きてるもん!」


 どこかトゲのある言葉に、少年は何かを考えるようにしばし少女の顔を眺めた。

 流れるような金髪にくりっとした優しげな大きな目、白磁のように白く美しい肌。

 少女はまだ七歳と子供ながらも非常に整った顔立ちをしていた。

 一言で表すならば大変な美少女であった。

 リーナ・サンドロッド。

 少年ーーアルテア・サンドロッドの実の妹である。

 その妹がいま、腹の上で馬乗りになりながら睨むように自分を見ていた。


 魔力的な輝きを秘めた金色の瞳には抗議の色が混ざっていて、柔らかそうな頬は中に不満を溜め込んだようにぷっくりと膨れている。

 怒っているようだった。


「今日は朝から魔法をおしえてくれるって約束したでしょ!」


 アルテアは口をへの字に曲げて抗議する妹から窓際に視線を移し、指揮棒を振るような仕草で指を振るうと、彼の指の動きに合わせて閉じられていたカーテンが鋭い音をたてて開いた。


 窓からすっかり顔を出している太陽のあたたかな日差しが差し込み、アルテアは反射的に目を細めた。

 なんだか「寝すぎだぞ」と咎められているような気持ちになった。

 いや、実際にそうなのかもしれない。

 アルテアは再び妹へ目をやり、頭をぽりぽりとかいた。


「すまん……寝すぎてしまった」


「お兄ちゃんのバカ!ねぼすけ!」


 リーナはアルテアの声に被せるように叫んで、彼の胸をぽかぽかと小さな手で叩いた。

 リーナの目にうっすらと涙が滲んでいるのを見て、途端にアルテアの中にふつふつと罪悪感が湧いてきた。

 眠気はどこかに吹き飛び背中にじっとりと汗が滲んだ。


 なんとかしてこの子を幸せにしてあげなければならない。

 その一心でアルテアの脳は高速で回転を始めた。


「す、少し遅くなったけど……朝ご飯を食べたあと魔法のお勉強をしよう。今日は特別にハクもかしてあげるぞ」


 アルテアはにこりと微笑みながら枕元に置いてある灰色の分厚い魔導書を手に取って掲げてみせた。

 すると、今にも泣き出しそうだったリーナの顔がぱあっと光がさしたように明るくなった。


「ほんと?ハクちゃん、かしてくれる……?」


「ああ、本当だとも。ハクもリーナと一緒に遊びたいって言ってるしな」


「わぁ……!おにいちゃん、だいすきっ!」


 理由は不明だがリーナはハクのことをとても気に入っていた。

 ぽかぽかと兄の胸を叩きまくっていた攻撃の姿勢から一転、リーナは馬乗りの姿勢そのままアルテアに抱きついた。

 アルテアは妹の機嫌がすっかりなおったことに安堵の息を吐くが、突如その手に収まる魔導書から声が上がった。


「おい、待て。私はそんなこと一言もーーふぎゃっ!」


 どすん。とアルテアは魔導書をこついた。

 魔導書の異議はアルテアの拳によって封じられた。


「……ハクちゃん、どうしたの?」


「リーナと遊べるのが嬉しいってさ」


「そっか、ハクちゃんも嬉しいんだ……!おにいちゃん、はやくご飯食べて遊びに行こっ!」


 リーナが跳ねるように体を起こしてぴょんとベッドから飛び降りた。


「ああ、そうだな。下へ降りようか」


 アルテアもベッドから体を起こし、妹と一緒に部屋を出た。


 ーーーーーーー


 家族で食卓を囲み朝食をとっていた。


「うまい……!」


 色とりどりの料理が並んだ食卓に恍惚とした声が響いた。

 声の主は食卓を囲む家族の誰でもなかった。

 食卓の上に置かれた一冊の魔導書が、本全体から淡い光を放ちながら「うまい、うまい」と連呼していた。


「もう少し静かに食べろよ。というかお前、本当に料理の味わかってるのか?」


 バカのようにうまいと繰り返す魔導書ーーハクをアルテアが呆れた目でみやる。


「愚か者め。わかると何度も言っておろうが。私の再現は完璧だ!」


 本来、本が食事をとるなどできるわけがない。目の前の魔導書も実際に食べ物を口に入れて咀嚼しているわけではなかった。


 なんでも本人曰く、魂魄魔法の応用で任意の対象と回路を繋ぎ、その者が食べた食べ物を構成する物質の情報を自分の魂に取り込み感覚的に味を再現している、らしい。


 魂操魔法を使えない今のアルテアにはいまいち理解が追いつかなかった。

 そしてハクは何を食べてもうまいとしか言わないから、本当に正確に味を再現できているのか疑問だった。


「そのわりには何を食べてもうまいとしか言わないじゃないか。疑いたくもなる」


「それはだな……筆舌に尽くしがたいうまさなのだ。それ以外に言葉が見つからん」


「ただ単にお前が言葉を知らないだけなんじゃないか」


「あっ、バカにした!また私をバカにしたな!」


「してないしてない」


 そんなやり取りを繰り広げる二人を、周りの家族たちはにこやかに見守っていた。

 魔導書が喋るなど異常そのものであるが誰もその事に驚いている様子はなかった。


「本当にアルちゃんとハクちゃんは仲が良いのねぇ」


 おっとりとした口調で、アルテアの斜め向かいに座る女性が言った。

 リーナとそっくりの、陽の光を編み込んだような金髪に慈しみに満ちた金色の瞳を宿した優しい目した女性だ。

 母、ティアは全く衰えない美貌を誇っていた。


「……まあ、七年も一緒にいるんだ。それなりにはね」


 母の言葉に少し照れた様子でアルテアが答えた。

 全面的に認めるのは小っ恥ずかしいが、仲が良いということじたいは否定しないアルテアである。


「ふ、ふん……いまさら契約を反故にされては私もかなわんからな。そのためには良好な関係の構築も必要であろう」


 ハクも仲が良いことは否定しない。

 素直になれない二人なのである。


「照れてるハクちゃん……かわいい……」


 隣の席に座るリーナの呟きが聞こえた。

 なんだか妹が特殊な価値観を構築していそうでアルテアは少し不安になった。


「ふぅむ。それにしても、アルに存在を打ち明けられてから随分と経つが……魔導書の中に人の魂が宿っているとはな。にわかには信じ難い」


 アルテアの対面に座る赤銅色の髪を束ねた偉丈夫ーー父アルゼイドが腕を組んで唸るようにハクを見た。

 以前は皺ひとつなかった彼の顔にも、七年という歳月の中で徐々に小さな皺が刻まれていた。

 だがそれは老いや衰えを感じさせるものではなく経験を積んだが故の奥深さがあり、いっそう彼の魅力を増していた。


「ハクちゃんってそんなに珍しいの?」


「この世界では魂それじたいの研究はあまり進んでおりませんからね」


 リーナがかわいらしい仕草で首を捻ると、その背後に控えるメイドが静かに説明を始めた。


「魔法はイメージ、精神の力。魂がその力の根源であることは以前にご説明しましたね?」


「うん、覚えてる!」


 メイドの問いかけにリーナが元気よく答えた。メイドは満足そうに頷いて説明を再開する。


「魂は、はるか昔の天才的な魔法使いによってその存在が証明されました。そして現在、その魂を根源とする魔力を使った魔法の研究も果敢に行われています。しかし、魂そのものを操る術について未だ人類は到達点しておりません。魔法は魂の力。その根源たる魂を操る魂魄魔法は非常に高度な魔法であり、魔法の深淵……この世界と生物を創造したという女神に迫る力だと言ってもいいでしょうね。ちなみに魂の研究と言いますと、とある文献には死者の魂が還るうつろなる都を発見したとの記述がありーー」


「はわぁ……ハクちゃんって、かわいいだけじゃなくてとってもすごいんだっ!」


 熱が入ったのか、メイドは魂についての研究を説明し出すが、当のリーナはそれを聞くこともなくハクを手に取り小さな胸に抱き抱えた。

 不意打ち気味に掴まれたからかハクが「ふぎゅっ!」と呻き声のようなものをあげた。


「まあ……未だ謎は多いがリーナが気に入っているなら良しとしよう」


 アルゼイドがまとめた。

 いや……それでいいのか、父よ。

 アルテアは心の中でツッコミをいれた。

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