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侯爵令嬢の穏やかな生涯  作者: 柏鶏子
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私の微妙な表情に気が付いてか、サフノフスカヤ先輩は瞳をキラリと光らせて笑いました。


「そう拗ねるな、愛い奴よ。ヴィトレー家の息女、ヴィヴィアンヌもまた生真面目で性根のすっきりした愛い奴ではあるのだ。融通が利かないがな」

「左様ですか」

「ふふ、こらこちらを向けエラ・ベルレブルク。彼の者も話せばわかる奴だ。認めてもらいたくば逃げるのではなく、対話を試みるべきだと思わんかね?」


 ほっそりとした指が再び私の顎を捉え、ついっとサフノフスカヤ先輩へ顔を向けるよう動かされます。私は、そんな勇気のいることをそんな呆気ないように言われるなんて、という感嘆とそこに小さな失望が混じりました。

 言える人は何とでも言えるのですもの。




「為になりますわ、サフノフスカヤ先輩」

「ふうん?」


 片眉を大きく上げて怪訝そうに私を見詰めている様に、私の心の底を知ったのだろうと思いました。有難いご忠告に耳を傾けない後輩を軽蔑されたかもしれません。それでも良いと思ったのは、自棄です。

 私は悪くないという矜持というか意地というか、ヴィヴィアンヌ様に謝罪するくらいならその対話も必要なく、それを勧めてくる人などこちらから願い下げ! …と拗ねていました。

 サフノフスカヤ先輩は目をゆっくりと細め、私を見詰めます。緊張で息苦しくこれが「蛇に睨まれた蛙」の気持ちなのだと逃避しておりました。 

 私は苦し紛れにサフノフスカヤ先輩へ尋ねます。


「“銀の皇女”と仰っていましたが、皇女教育は帝国の歴史までお勉強なさるのですね。造詣が深くていらっしゃるわ」

「“銀の皇女”は大陸中に予防医療を広めた、大陸に住まう者なら親しんだ話だ。ばあやの膝の上で聞くような、そんなものだ」

「まあ、そんなに。私、フランセイスでもわざわざ聞いたことは無かったものですから」

「それだけ浸透しているということだろう。ふふ、そういえば幾分か昔に“銀の皇女”をもじった“銀の聖女”なる小説が大流行していたな。15年ほど前だったか」

「小説が? どのような話なのです?」

「目が輝きだしたぞエラ・ベルレブルク。確か、体の弱い聖女がフランセイス中を旅しながら人々に癒しを与えてゆく―――」

「まあ冒険譚!」

「いや、恋愛ものだ。王子に見初められ、協力しながら旅をしていく何ともフランセイスらしい小説だ。ロマンスが思いのほか強かったな。そういった手のものは嫌いか?」

「いいえ! 大変面白そうですわ、早速探しますわね」


 気まずかった空気など忘れ、上気した頬に手を当てはしゃいでしまいました。それを見たサフノフスカヤ先輩が「愛い奴! 私には弟しかおらなんだ、エラ・ベルレブルク其方を妹にしても良いぞ」と仰り私の頭を撫でまわします。

 その撫で方が、先ほどの髪に触れた壊れ物に接するような触れ方ではなく、もう少し粗雑な手つきでしたが不思議と嬉しく思いました。

 弟君と同じように撫でてくださっているのでしょうね、あら、でも少し頭皮が痛いわ。男の子って丈夫なのね。


「…こう言っては何ですけれど、フランセイスの…私の同級生は無知なのでしょうか?」

「何故そう思う」

「だって、サフノフスカヤ先輩ですら“銀の皇女”に思い当たりましたわ。私、かの皇女と同じ虚弱体質なのです。ですが…皆様はそのようなことには思い当たらないようで…」

「ほう、だからあのような悪評が流れたと?」

「いいえ、そうでは…ただ、少し理不尽に思えたのです」


 私が目を伏せる横ではサフノフスカヤ先輩は顎を二度三度擦り、何事かを考えておりました。私は今更何を言っているのだろう、弁明するようなことを言って…と情けなくなりました。

 だからでしょうか。サフノフスカヤ先輩の「おお、怖い怖い。獅子の尾は踏みたくないものだ」という呟きなど私は到底知る由もありませんでした。




「さあ、あと少しで鐘が鳴るな。私は教室へ向かうが其方はどうする?」

「あ、私も迎賓館へ戻ります」


 そそくさと立ち上がりサフノフスカヤ先輩に続いて図書室を出ました。サフノフスカヤ先輩の3年生の教室は向かいの棟ですから中庭までご一緒することになりました。


「この時期に咲く花を取り揃える、ここの庭師はいい仕事をするな」

「ええ、いつ見ても美しゅうございますね」


 人とこうして美しきものについて語り合う時間なんて、フランセイスに来て初めてではないかしら。心が浮上し、足も浮足立ちます。私はすっかり口も軽くなったようでした。


「花もダンスを踊っているようで、ふふ私も踊りとうございますわ」

「ああ、今日は合同のダンスの講義だったか、ふむ。では踊るか!」

「えっ」


 サフノフスカヤ先輩は私の手を引き、中庭を横切ろうと芝の上を歩きだしました。講堂の近道を行くつもりです。

 私は慌てました。


「え、だ、駄目ですわサフノフスカヤ先輩!」

「何故だ? 早くせぬと講義が終わってしまうぞ!」

「で、でも私…クラスメイトと踊るなんて…」


 身を竦めてどうにか思い留まるよう祈りながら言い募りました。私、クラスメイトのあの視線に囲まれて踊る勇気などございません。いくらサフノフスカヤ先輩がついてくれていてもです。

 サフノフスカヤ先輩は不意に私のもう片方の手を取りました。抱えていたレポートとペンが芝の上に落ちます。後ろから着いてきてくれていたルビーが、泥が付かぬうちに拾い上げてくれました。

 ほっと安堵しつつ、サフノフスカヤ先輩に「どうされたのですか」と訊きましたら、サフノフスカヤ先輩は核心を突きました。


「ダンスは踊りたいが、講堂に行く勇気はない…とそういうことだな?」


 片眉をくいと上げるあの不敵な笑み。私は直ぐに謝罪しました。我儘を申し上げてばかり、サフノフスカヤ先輩のお心遣いを無駄にしてばかりです。

 サフノフスカヤ先輩は遠くの講堂を見つめました。そして、静かに「聞こえるか?」と問いました。


「何がでしょうか? 何が聞こえますの?」

「耳を澄ませ。ワルツの音楽だ…これは『春の声』だな。喜びに満ち溢れたいい曲だ」

「…ああ、聞こえましたわ。ええ、本当にいい曲」


 耳を済ませれば、ワルツの定番であり、かの有名なワルツ王とも呼ばれた作曲家のメロディが柔らかく私の耳朶を打ちました。

 うっとり目を閉じて小さく口ずさんでおりますと、サフノフスカヤ先輩の手が背を軽く叩きました。


「よし、では肩を張れ」

「え?」


 私が目を白黒しているうちにサフノフスカヤ先輩は私の腰に手を回し、私の手を取りそのままリードしだしましたの。もう驚いてしまって!

 最初は出遅れて危ない足つきではありましたが直ぐにサフノフスカヤ先輩に追いつきダンスの体裁を整えていきました。

 私は久しぶりのダンスが面白くって夢中でステップを踏んでいましたが、そうだそうだと思い至りサフノフスカヤ先輩にリードされながら質問しました。


「サフノフスカヤ先輩は男性のパートも踊れるのですか?」

「ああ、弟に教えるためにな」

「とてもお踊りやすいですわ、丁寧で優しくて」

「世辞か? 有難く受け取っておこう」

「もう! そうじゃありませんわ」

「はは、むくれるなむくれるな」

「次の講義までお時間は宜しいのですか?」

「うん? 見せつけてからでも遅くはないだろう」


 あら、誰に見せつけるのですか? と訊くより早くサフノフスカヤ先輩のステップは難しいものへと変化していきます。途端に私も心に火が点いたと申しましょうか、かっと体中に活力が漲り足さばきへ神経を集中させました。

 生きているとはこの事を言うのだわ! 夢中で息が上がりながら笑みを零すこの時間と言ったら!

 くるくると中庭をダンスで横断していきます。人もいないのですから思いっきりターンをして、大股で踊れます。

 花が観客、音楽は私達の心の中だけ、飲み物は無くこの汗を冷やすのはそよそよと吹く風なんて、小説の中の煌びやかな世界じゃありえません。

 なのにどうして、こんなに心が弾むのでしょう?!




 余りのもこの時間を終わらせることが惜しく、先ほどまで躊躇していた心持も何処へやら、最後のステップを踏み終えたとき、私は下手な誘い文句をサフノフスカヤ先輩へこそりと囁きました。


「二人とも女性パートで踊ったらどうなるのでしょう? 私知りたくなってしまいましたわ」


 サフノフスカヤ先輩は喜色満面に「愛い奴だ!」と笑いかけて、私たちの2曲目のダンスが始まりました。


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