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侯爵令嬢の穏やかな生涯  作者: 柏鶏子
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迎賓館から学園まで、帝国の皆様が脇を固めレシェク様が私の手を取ってエスコートする様は本当に大事にされた深窓のお嬢様のようです。

 少し疲れたと言っただけでなんて大袈裟なんでしょう。でも、それだけ私を大切にしてくださっているのだと必死に心の中で唱え続けました。そうしなければ恥ずかしくて恥ずかしくて。顔から火が出てしまうくらい真っ赤に火照っているのです。

 その為私は少し俯きがちに登校しておりましたが、昨日より周りの空気が把握できているのが不思議でした。

 昨日より一層厳しくなった目が私を見詰めているのでしょう。勝手に息が詰まっていくような息苦しさです。この囲われているような、さもこの学園で一番丁重にされているような状態が珍しいのかしら。

 奥歯を噛みしめたことをおくびにも出さず、教室が近づいてきたところで私は顔を上げました。せめて教室では背筋を伸ばしていなければ、と思っていたところにヴィヴィアンヌ様を見つけました。

 同じく教室へ向かうのでしょう、向こうから歩いてくるヴィヴィアンヌ様とばちりと目が合いました。


―――なんて、お声掛けしようかしら。「ご機嫌よう」くらいは言うべきなのかしら、それとも軽く会釈するべきかしら。


 私が逡巡していると、その横をヴィヴィアンヌ様がすり抜けていきました。まるで何もなかったみたいに。何も見なかったみたいに。

 ガツンと殴られたような衝撃が体中に波及していきます。そのショックで暫し動けなくなりました。


 それからです。私が帰りたいと、もうここにいたくないと思うようになったのは。

 情けないことに、私はこの日以降から体調不良を理由に登校しなくなりました。 






「私、こんなにも打たれ弱かったのね…」


 ベッドで二三度寝返りを打って目を固く閉じました。呟きはベッドシーツに深く沈み込んでいくようで部屋はしんと静けさが漂っています。

 驚いたことにあの日から学園へ行くことを考えると心臓がどきどきと忙しなく打つようになりました。ヴィヴィアンヌ様やフランセイスの学生の方たちの目を思い出すとシクシクお腹が痛みます。

 最初、体調が芳しくないことを理由に休んだ時、レシェク様達は「早く良くなりますように」と眉を下げ気遣ってくださいました。それが申し訳なくて。次の日も次の日も休むことを伝えるとレシェク様は私の部屋へ立ち寄って、挨拶と言葉をかけてゆくようになりました。

 すると、それについても嫌な想像を膨らませてしまうのです。


レシェク様達が私を面倒に思い、厭う様になったらどうしよう。いいえ、もうなっているかもしれない…。


 そうなると自室から出るのも億劫になりました。

 毎日何もしないというのはやはり苦しいものです。焦燥感、劣等感、圧迫感に緊張感が渦巻いていて。でもそんな一日の中にもふと一息つける穏やかな時間がありますの。お茶を飲んだり、何も考えずに空を見たり、という時間が私を生かし更に緩やかに地獄へ落としていくような錯覚を覚えます。


「お嬢様、図書室へお出になりますのでしょう?」


 起こしに来たのでしょうベッカが私を優しく揺すります。ルビーが湯の張った盥を持って来ています。私は観念して布団から出ました。

 二人は学園を休むことに何も言いません。最初の三日は病院の手配等を視野に入れて私を注視しておりましたが、私が仮病を使っている事に気付いたのでしょうに。二人は呆れているかもしれませんわね。


「ありがとう、ベッカ、ルビー。そうね、もう半刻後に向かうわ」

「お嬢様、本日は2年生の全クラス合同でダンス演習があるようですから教室移動は時間がかかると思いますわ」

「あら、そうなのね。では、もう少し遅く出るわ」


 ダンス、踊りたかったわ…と零した呟きは窓に広がる晴天に消えていきました。




 私は病気療養のために入学した学生枠に用意されている特例を利用しています。それは「レポート提出で単位取得を認めること」、そして「規定時間の教科学習が認められれば進級可能であること」の二つです。

 私は人目を避けるため皆様が教室で講義を受けている時間に図書室で勉学とレポート作成に励んでおりました。時々、私が病弱でなければこの特例を利用できない不便さでどうなっていたのかしらと考えてしまいます。

 こんなに打たれ弱いのですもの、きっともっと生きづらくてよ。私、このことに関しては幸運だわ。

 

 仕度を終えて、迎賓館をルビーと出ます。ベッカはお留守番、ルビーは図書室まで同行してくれた後、私の勉学が終わるまで保健室で待機です。

 麗らかな陽気の中庭を抜けて図書室へ向かう道のり、遠くの講堂が心なしか賑やかに華やいでいるような気がします。ワルツの旋律に、リズムに合わせたステップ、楽し気な笑い声。


「とっても素敵ね…」


 ルビーは自分に向けた言葉ではないと判断したのでしょう。緩く頷いただけで、中庭の花々に私たちは目を向けました。花さえも風に乗ったリズムに合わせて踊っているようで、私だけがこの世界で一番つまらない思いをしているように思えました。


 図書室に入り、レポートに役立ちそうな目ぼしい本を早速見つけました。そして直ぐに私の定位置になっている中庭を見下ろせる窓際の席へ座ります。そよそよと揺れる木の葉に頬を緩めてペンを走らせました。

 最近ですが、集中していると焦燥感が薄れることを知りましたの。以前より熱心にお勉強するようになりましたわ。そろそろ、本を借りてみるのもいいかもしれません。この空虚な気持ちを紛らわせるためにずっと教本を読んでいたのですもの。

 そろそろ別の、レポートとは関係のない本も読みとうございますね。

 ある程度までを書き進めていると、不意に図書室の扉が開く音が聞こえました。私が顔を上げると目の前から美しい黒髪を揺らした女生徒がいました。


 深い黒髪は濃紺と紫の色彩で照っております。下ろした髪は腰まで届き毛先はくるりと内に巻いていて絵本のお姫様を思い出します。背が高くって、私と同じくらいではないかしら。堂々と歩くだけでとても見栄えのする華のあるお方です。

 烏羽色というものを初めて目の当たりにしましたわ。両手には黒レースの手袋を、スカートから覗く足にも黒レースのストッキングを着用しています。あら? よく見るとどちらも蝶の模様があります。

 とても優美で可愛いわ。

 臙脂色のタイは3年生でしょう。先輩だわ。

 久しぶりに対面する学生に心臓が跳ねます。しかしそれを凌駕したのは、彼女の容姿でした。端麗であることは間違いありません。きりりとした眉に、目の縁を黒く彩る睫毛に、意志の強い煌めく瞳はカリスマ性を感じさせます。ふっと流し目で微笑めば妖艶でしょうに、緩く口角を上げ大きな目を狭めさせないその表情は女性ながら「勇壮」の表現が似合います。

 でも、そうではなくて。そんな彼女の顔の左側は大きな火傷の跡が残っていました。顔半分を覆うほどの大火傷、いえ、よく見ればレース越しの左手、左足の皮膚も右側に比べて赤いのですからそれは左半身に及んでおりました。左目は火傷の影響でしょうか、瞳の色が抜けています。

 深い藍と水色のような薄い瞳が神秘的でした。


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