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お久しぶりです。
18日(日)まで投稿します。
今まで体を使った経験が極端に少ないので、点滴が初めて取れた日の朝水を摂り忘れて脱水症状でベッドへ戻ったことがあるのですから、用心も致しますでしょう?
それに体に負担にならない程度に、とレシェク様達たちともお約束しましたから倒れて迷惑はかけたくありません。
ですが、ヴィヴィアンヌ様は過去に奉仕活動をメイドに押し付けた方がいたことを思い出して警戒してらっしゃるようです。ヴィヴィアンヌ様は私の事情をご存じではないし、上手くお伝えしようにも私はなかなか滑らかに言葉が紡げません。
ですが、侯爵令嬢たるものもごもごと「あの」「えっと」なんて零せませんし、口をパクパクと開け閉めするのはよろしくないでしょうし、言いたげにじっと見つめるなんてもっての外です。
澄ましているしかないのが歯がゆいです。
「…分かりました。しかし、私はきちんと見ておりますから」
ヴィヴィアンヌ様はそう仰ってキッと目を吊り上げました。誤解が解けないままですが、機会があれば少しずつお伝えしようと思います。ヴィヴィアンヌ様は私に箒の使い方を教えてから、少し離れてご自身の区画の清掃に取り掛かりました。
…拭き掃除は侍女たちの動きを見ていたので自信がありますもの。その時にどうかヴィヴィアンヌ様に認めてもらいたいわ。
私は不慣れな箒に四苦八苦しながら、落ち葉を追いかけました。
「ふう…ふう…」
私は額の汗を手の甲で拭いました。ハンカチやら何やらの荷物は全て侍女に預けておくのが習慣なので、ハンカチが無かったのです。
私は必死に掃きましたが上手く塵が集まりません。漸く任された区画を掃き終えた頃には、ヴィヴィアンヌ様はその数倍の区画を掃き終えて後片付けまでしてしまっていたのでした。
早く終わらせなければご迷惑になるでしょうと足を動かしたとき、ぐらりと視界が揺れました。頭の中が揺さぶられているような感覚に、なんて性質の悪い立ち眩みだろうと込み上げる吐き気を必死に抑えつけています。
遠くで私の掃除を見届けるようにと言いつけたルビーは、片手にハンカチと水筒、もう片方には日傘と扇を握りしめて駆け寄ってきたのを尻目に私は壁に凭れかかりました。
「お嬢様! こちらの涼しい場所で楽にしてくださいまし、さあお飲み物を」
「あ、ありがとう…」
「お嬢様の集中力は並外れておりますものね、私ももっと注意深く見守るべきでしたわ」
私は日傘の陰とルビーの扇いでくれる優しい風にほっとしました。こくりこくりと少しづつ水を飲んでいきますと、途端に視界が明瞭になるのですから私は相当体が熱くて仕方なかったのねと考えました。
そういえば、吐き終えて漸く汗に気付いたのですもの。もう少し自分の体調に頓着しなくては。
ルビーは私の顔色が戻ったのを見て微笑みました。
「私が後の始末をしておきましょう。お嬢様は教会に入って横になられてください、よく励んでおいででしたから先ずはこのぐらいにしておきましょうね」
私はルビーの提案に目を丸くしました。先ほどのやり取りを見ていたというのに、私の気持ちも理解してくれている侍女がそんなことをいうなんて!
それに残す工程はあと僅かです。粗方集めた塵を纏めて捨てる、箒をもとの合った場所へ戻す、これだけです。
そう言い募ろうとしましたが、ルビーは「看護資格のある人間からの提案です」と何とも断れない文句が出ました。
「お嬢様、これ以上続ければ寝込むほど体調が悪くおなりになると長年看てきたルビーが申し上げております」
「でも、一休みすれば大丈夫よ、それでは駄目?」
「勿論です。体を大事にすることが一番ですからね」
そうにっこり微笑まれて箒を奪われては強く出れません。私はルビーにお礼と謝罪を繰り返し言うと「ほらお早く!」とさっさと切り上げて教会へ入るよう促されました。
水筒を持たされた手は暑さのせいか震えておりました。
私は教会の祭壇に近い長椅子に横になり体を落ち着かせていました。先ほど摂った水がまた汗になって噴き出したのではないかしら、というぐらい汗が流れます。
動いてもいないのにこんな有様だもの、ルビーの看護の腕は確かだわ、流石だわ。
私は水筒から水を手の平へ注ぎ、その水で首元や額を冷やしました。瞬間の体が冷める心地よさに目を閉じると、ほんの少しだけ乱暴な音を立てて扉が開きました。
私はそれに驚いて長椅子から体を起こし、そこへ顔を向けました。一体何でしょう、と私は胸を手で押さえます。
扉を開けたのはヴィヴィアンヌ様でした。険しいお顔、なんてものではないでしょう。眉根を寄せ、これでもかときりきりと眦を吊り上げていらっしゃいます。顔は紅潮しており、暑さだけでない、激昂の為であると察せられました。
その激昂の理由が何であるかは唐突に私へ突き付けられたのです。
ヴィヴィアンヌ様は私を認めて拳を握り全身を固くしました。そして、淑女として出すお声の二倍はあろうかという怒号が教会へ響きました。
「エラ・ベルレブルク!!! 事もあろうに伝統ある聖女教育をメイドへ押し付け、あまつさえ自身はここで惰眠を貪っているだなんて言語道断です!!!
清く正しい行いを理解されない貴方など、たとえ、万が一! 聖女になることがあったとしても、私が貴方を心から認める日は一生あり得ません!!!」
一息に言い切ったその言は私を深く深く突き刺しました。いいえ、最初の数秒は突き刺したことにすら気付くことが出来ず、このような大声に驚いて肩を僅かに竦めてから、ようやく理解できたのでした。
それからは早いものです。私は、学園で薄々感じていたことを認めざるを得なくなって参りました。
―――私は王国立学園の皆様から嫌われているのではないかと。
好奇の目、嫌悪の目、畏怖の目。帝国で育った私には縁のない感情ばかりが私の周囲をうろついているのは肌で感じておりました。しかし縁がないからこそ、そう断ずるのは早計だと見ぬふりをしていたのです。
幸いレシェク様達はその目を遮るようにいてくれていました。それに、ろくにお話をしたこともない見ず知らずの方がどうして私に悪感情を持つというのでしょう?
ヴィオラは「性善説」と「性悪説」を以前教えてくれましたね。その「性善説」を好む私にはどうしても、そのような我が身に起ころうとしている不条理が信じられなかったのです。
ですが、もう目を向けなければなりません。
何故、私が嫌われるのでしょう?
―――王国流のマナーがなっていなかったから?
―――掃き掃除をルビーに任せてしまったから?
―――何か、何か私が悪かったから?
いいえ、いいえ、いいえ! 私はそこまでの悪感情を持たれるほど悪いことはしておりません!
何が悪かったのか具体的に言ってくだされば謝罪と改善に努めます。でも、そのような指摘もなくただ突っかかってきたのは彼方ではありませんか!
「不条理だ」と感じてしまうと胸の中に巻き上がるのは怒りでした。頭に血がカッと一気に上り暑さに苦しめられていた体は更に熱くなりましたが、それは少しも苦ではありませんでした。
このように一方的に謗られている方が苦に違いないのですから。
子供時代でも癇癪を起すことは稀だったのに、私は彼女の頬を張りたい、彼女を感情のまま涙を流して責め立てたいとさえ思いました。
ですが涙を流すのは憚られます。九つの頃とは違い、今相対しているのは「私」ではなくヴィヴィアンヌ様なのです。
九つの頃、自身の儘ならない現状に漫然と、できることなら頭を搔き毟りたいような怒りを抱いていました。怒りとはそれだけ根深く、私の性根に結びついているものなのでしょう。
巻き上がった感情は抑えることなんてできず、それどころか次々と言葉へ行動へと移してしまいそうなほど膨れ上がりました。
ですが、それを実行してはいけません。感情のままに動いてはいけません。弱みも付け入る隙も見せてはならないと分かっておりました。
胸を張り、顎を上げ、目を逸らすことなどせずベルレブルク侯爵令嬢に相応しい態度で長椅子から立ち上がりました。




