王都の聖堂
「まあ、凄い」
思わず零れた言葉に自分で驚いて口に手を当てました。図書室ではお静かに、と注意書きがあったのですもの。
放課後や休憩時間に利用する方が多いそうで、司書が一人いたきり、図書室はがらんとしていました。
でも、なんて賑やかなこと! 所狭しに並べられた様々な本はいかに世界が広いか私に教えてくれます。私のタウンハウスにも書庫がありましたが、個人の趣味でなく正に世界を知るために集められた書物は初めて見る分野のものもあり、学園に入学して良かったと飛び跳ねたい気持ちでした。
気持ちだけですよ、勿論。淑女としても、体力としても難しいですからね。
レポートを終わらせれば一冊ぐらいは読めるだろうと、早速取り掛かりました。レポートの課題は「人体構造について」ですって。医学書と運動に関する書物をいくつか選び参考にしました。
昨年、学園で必要な技量だろうとゾフィにレポートの書き方を教えてもらって良かったですね。自分の書きたいことをどのように展開して書くか、結論から書くべきか、参考にした本の裏付けを見てその本が執筆された際根拠とした説は何か、要点を押さえながら書き進めました。
ヴィオラも教えてくれたことはありますが、あれは「裏技」なんですって。文章のひな型を作ると楽だとか何とか。それよりも「表技」があるのかどうかが私は気になっているのです。
きっとフィニッシングスクールの生徒間で流行っている言葉なのでしょうね。ベッカ達もそういう学生時代に覚えがあるそうですから、あまり深くは聞きません。
必死にペンを走らせて書き上げます。深く集中していたために時間の感覚もなかったのですが、どうやらものの20分で完成させたようです。あんなに頭がぐるぐると回転して、文字を構成して単語を脳のどこかしこかから引っ張り出すあの時間がたった20分なんて!
世の物書きはきっと、とてつもない疲労を感じながら生みの苦しみに耐えているのねと思いを馳せました。私には向かないでしょうね。大人になったら、支援する側になりたいわ。パトロンじゃなくて、支援できる組織を作れればいいのだけれど。
そんな詮無きことを考えながら、席を立ちました。さあ、どの本を手に取ろうかしらとぐるりと辺りを見渡しますが、どれも面白そうで甲乙つけがたいですね。
私は目を閉じて当てずっぽうに指を向けました。偶にはこんな気まぐれな決め方でもいいでしょう。
背表紙のつるりとした感覚に目を開けました。そこには、「治水の歴史と発展」と銘打たれており、少しめくれば大陸の治水事業を纏めたものらしく図解で分かりやすい解説が載っていますので、好奇心がこれを読もう! と疼きました。
大陸は安定した地質の平野が広がり、河川は平野を掘り下げるように流れるため洪水時の氾濫原となるあまり広く形成されていません。
台風やモンスーンと呼ばれる気候も滅多になく、それによる多量の降水もないので、水害が発生する頻度は例えば東の地域と比較すると高くはない、恵まれた土地ではありますが、帝国のネーデロント地方は海面を干拓して土地を拡げたため国土の大部分が海面と同等かそれより低いのですって。更に3つの河の河口に位置しているので荒れやすいのだとか。
ですから水害を防ぐため河の床を浚い、土砂を取り除く工事をして河川流量を確保し、河川・海岸沿いには堤防をはりめぐらせ、さらに高潮対策として河口に堰を築いていると記述がありました。
さぞ長い時間がかかったことでしょう。
帝国の事なのに知りませんでしたね。ネーデロントの地理は習ったことがありましたが、治水の視点が無かったので当時は特に何も思わなかったもの。
フランセイスではまた法が違うみたいですから、面白いのですよ。何でも洪水防御の義務を負うのは王国や領主ではなく河岸所有者であり、王国や領主だけでなく住民も治水に対して相応の責任を有しているのだとか。
その為に住民が出来るよう簡単な工事方法が編み出されたようです。河岸所有者といっても富めるものも貧する者も、健康か否か、働き手がいるかなんて千差万別ですからね。
領地の責任は領主が、更に帝国が持つことが当たり前の私からすればあまりにも不親切に思えます。しかし、深刻な被害はないフランセイスですから王国を挙げる事業でないのも頷けますね。
やはり知らないことを学ぶのは楽しくって興奮します。
ほう、と恍惚に息を吐いてページをめくりました。裏表紙にはカードが差し込まれています。罫線が引かれたカードは貸出カードと呼ばれるもので、本を借りるにはその本に挟まれたカードと司書が管理する管理簿へ記名するのです。
どのような方が借りたのかしら、とまたここでも好奇心が頭をもたげました。本の趣味は人が表れるでしょう?
私が借りた本にまたその方の名前があれば、「趣味が合うのね」なんて親近感を持つだけです。いいえ、できれば、その、お友達づくりのきっかけにしたいわ。その方に会ったときに「この本をお読みになられたでしょう?」と話しかけたいのですが、それは淡い希望に留めてカードを眺めました。
文字にも為人が表れますね。急いでいたのかしら、走り書きの方もいらっしゃいます。その中で一際目を引く流麗な文字がありました。それが「レオン・フランソワ」です。
レオン殿下もお読みになられたのでしょう。フランセイスでは国を挙げて取り組んでいないとありましたが、王子はその分野を切り捨てることなく真摯に学ばれているのです。
「フランセイスは安泰ですね」
思わずそう呟いて、またハッとして口を噤みました。
そして、またある文字に目を惹かれました。レオン殿下の次にこの本を借りた方の名前です。可愛らしい文字で「カレン・リリー」とありました。
なんて可愛らしいお名前! 百合の花に、「純粋な」を意味する古代グリーク語のカレンはとても音も良くって、まるでシャボンやレースの世界から飛び出してきたようです。まるで、少女小説のヒロインのお名前!
今日はまるで物語の登場人物のような方に良くお会いします。このことをヴィオラへの手紙に認めようと決めて本を閉じました。
そしてその後は少女小説が多くある棚を見つけて、幾つかの本を借り、図書室を後にしました。レポートは教師から良くできていると褒められ、私は帝国のゾフィへ感謝を捧げるのでした。
その後の講義は、軒並み昨年度に学んだものを軽く浚うぐらいでしたから私はそこで自身の学力を推し量ることが出来ました。間違えて覚えていることもないですし、この程度でしたら問題なくついていけそうでほっと胸を撫で下ろします。初めての学園生活で一番の不安は勉学についていけるかでしたから。
ですから今から特別多くのお勉強を要することは無いと判断し、ベッカとルビーと共に教会へ向かうことになりました。そう、聖女教育です。何も聖女になるつもりはありませんが、フランセイスのマナーのお勉強と、何事も経験してみたいという心持で門戸を叩くことに決めましたの。
ルビーにはお昼には早速教会へ文を出してもらっています。訪ねるのは学園にほど近い王都パリュスにある大聖堂へ足を運びました。
大聖堂はパリュスを監督する司教がおわします。宮廷や貴族のタウンハウスも近いことから、貴族社会に慣れており聖女教育を多く受け入れているのです。また、パリュスは花の都とも持て囃されるフランセイスの観光地です。
国外から多くの方々が素晴らしい建築とステンドグラスを目的に行きますので、帝国出身の私も受け入れてくださるでしょう。




