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「ああ、そういえば、レオン殿下にご挨拶しなければなりませんね。ユーゴ様からのお手紙もありましたし私の事も聞き及んでいるのではないかしら…」
「レオン殿下か。公務でお休みになることがしばしばだね。本日は午後から出席されるとのことだけど」
「そうですのね」
食後の紅茶を嗜みながら、アレッシア様に頷きます。
ユーゴ様がわざわざ頼るようにと言ってくださったのですが、このままの私ではレオン殿下にお目通り願うことも難しいでしょう。せめて挨拶だけでもしておきたいと少しばかり自身を奮わせたのですが、レオン殿下は不在のようです。まあ、お顔も拝見したこともないので、レシェク様にお取次ぎ願おうと思っていましたから、それは次の機会ですね。
「それより、講義が終わった後はこの学園を案内しようか? それとも、このうちの誰かと共に視察に行くかい? エラの関心を惹ければいいけれど」
「レシェク様のお心遣いは嬉しいですわ。私、教会へ赴きフランセイスのマナーの教えを乞うつもりですの」
「それでしたら私が共に参りましょう。私も教会の伝がありますし、街中をエラ様と散策する名誉を下さいな」
私はアレッシア様の言葉に微笑みながら、口をキュッと引き締めました。
そう、決意表明ですわ!
「レシェク様、アレッシア様。どうか私のことにそう大事なお時間を割かないでくだしまし。皆様は両国の懸け橋となるために、ご自身の未来をより良いものにするためにフランセイスまでいらしたのですから」
「しかし、エラ。大事な再従姉なのだから、貴方が気にすることでもない。私がしたいのだけれど」
駄目だろうか? と言葉にされない続きは、レシェク様の目が雄弁に語っています。眉を下げて垂れている目尻が更に垂れた悲し気なお顔に胸が痛みました。皆様の善意を無下にすることってこんなにも辛いことなのね。
しかし、私も負けてはいられません。新しい環境に適応するためには私も変わる決意をしなければならないのです。小説の主人公たちもそのようにして道を切り開いてきたのですから、倣わないといけませんね。
胸に両手を当てて、レシェク様を見つめ返しました。私の真の気持ちがどうか伝わりますようにと願いを込めて、目をそらすことはいたしません。
「レシェク様。私は成長をしなければならないのです。もう13歳なのですもの。皆様に頼ってばかりでは駄目だと遅まきながら理解いたしました次第で、自立するために私に出来ることから始めたいのですわ。
ベッカやルビーが補佐についてくれていますから、大丈夫です。先ずは教会へ行ってみるところから始めたいのです。ね? 大事な再従弟のレシェク様。危ないことは致しませんから、心乱すような種になりませんから」
段々ときちんと構成された文章でなくなっていきましたが、どうにか必死に言い募りました。
たっぷり5秒は見つめ合っていたのではないかしら。人とこれまで長く目を合わせた経験は無いので平素なら恥ずかしくって仕方なかったでしょうが、この時ばかりはそんなことは露ほども思いませんでした。
先に目を伏せたのはレシェク様でした。長い睫毛を瞬かせてふうと息を吐きました。その様子にまた私の胸は痛みましたの、虐めているようなのですもの。
「はあ…再従姉にここまで言われるのなら仕方ないね。エラ、どうか困ったことがあれば僕たちに言うんだよ。それも条件だからね」
折れてくださったばかりでなく、こんな気遣いをしてくださるなんて! 嬉しくって何度も頷き、何度もお礼を言いました。「そんなに嬉しいのかい」なんてレシェク様方は苦笑してらしていました。
「ふふ」
「まあ、アダルジーザ様。いかがなされたの?」
食後、次の講義がありますから迎賓館を皆で後にしました。次は武術や体操をする、体を動かす講義です。男女別で分かれていますが、ABC、DEFのクラスは合同で行うのです。そんな特色ある講義がフランセイスでは推奨されているようです。
健全な肉体づくりに励むために己の鍛錬だけでなく競技化した講義内容であれば、それを楽しく思う方もいるだろうとお偉い方の思し召しがあったようです。
ダンスや武術とは違い、駆けて順位を競うこともしているのですって。不思議なことです。帝国にはありませんでしたね。武術は武術、ダンスはダンスですもの。東にはそこに「道」といって極めんとする志あると書物で読んだことがあります。帝国の考え方もそれに近いです。
駆けるのは武術に活かす、あくまで副次的なものとしての能力ですからそれを主体で講義を行うのは奇異に見えました。だって、遊ぶためのものでしょう? 私も小さい頃はお兄様と庭を駆けて笑いましたもの。
どうやら医療を軸に国を発展させるためフランセイスでは20年以上も前からこの講義が組み込まれたそうです。所変わればというものですね。
私はその講義を欠席する手続きを取っておりますから、レポート提出で単位取得することになっています。
資料を求めて私は図書室へ、皆様は講義が行われる運動広場へ、とお別れをする少し前に私の横にいらしたアダルジーザ・ミケランジェリ伯爵令嬢はくすくすと愉快な声を零しました。
錆色とご自身は仰っていましたが、錆なんてとんでもない! カールが素敵な暗い仄みの黄赤色の髪を揺らした、あどけないお顔をした方です。その方が楽しくって仕方ないという様にお笑いになるものですから、次の講義が控えてらっしゃるというのについつい尋ねてしまいました。
アダルジーザ様は先に歩を進めた皆様を見遣り、十分に距離を取ったことを確認してもなお注意深く私に囁きました。
「ふふ。ごめんなさいましね、思い出し笑いですの。…だって、あのレシェク様の雨に濡れた子犬のようなお顔に勝てる方がいらしているなんてって思って」
「そうですのね。確かにレシェク様には悪いことをしてしまいましたわ」
再びちくちくと良心が責められそうになった時、アダルジーザ様は「違うわ、違うの」となおも笑い手を振りました。
それに私は虚を突かれていました。
「レシェク様はご自分のお顔の威力をよくご存じですのに、それに渡り合うどころか同じようなお顔をエラ様もして見詰めっているんですもの、もう可愛くって、うふふ。流石、再従姉ですわ。そっくりで、でもエラ様の方がずっと上手でしたわね。エラ様、あのレシェク様から言質を取れたこと自体が奇跡の御業ですから十分に活用なさいましね、ではまた後で」
アダルジーザ様は笑いすぎで涙を浮かべながらそうまくしたて最後は私と握手をして別れました。あまりに早口で興奮していたので、じわじわとですが「ひょっとして私、すごく幸運なことをやってのけたのではないかしら」という肯定感で包まれましたの。
そういえば、本の中の人物も己の顔をよく分かって立ち振る舞う者がおりました。レシェク様ってその方のようになさる部分があったのね、と思うとこれもまた不思議な興奮がありましたの。
本の中の事だけだと思っていたわ! って。
勿論、創作物と現実は乖離していることを自覚しないといけません。ヴィオラが言っていましたわ、「現実は本の通りだと思い込むような厄介な人間にはなりたくない」と。本には酔いしれたいけれど、心の聖典ではあれども、正しく聖典だと思い込み生活するのは駄目だと。
とっても大切です、と表情をキュッと引き締めました。




