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侯爵令嬢の穏やかな生涯  作者: 柏鶏子
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待ちに待った入学

 入学は出来ましたが、もともと在籍はしていたようですから進級という扱いになるそうです。私は待ちに待ったこの日を迎えられたことに深く感動しておりました。漸く一般的な病弱程度の健康状態になれましたので、二週間に一回の検診のため病院へ行くだけとのことです。私の住まいは学園内にある迎賓館の日当たりのいい一室を頂きました。 

 学園に通う前にお父様とお母様は会いに来てくださるとのことでしたが、運悪くあの流行病に罹患し、回復された後も領地の立て直しに奮闘しているのだとか。領民が多く罹患したために、帝国のあちこちの領地でも影響を受けているのだそうです。

 直ぐに特効薬が作られたので死者をそれほどは出しませんでしたが、養鶏をしていたところは軒並み鶏が死んでしまったのだとか。我が領でも養鶏を生業にしている者も多かったために救済策を打ち出しているとのことです。

 お兄様もクロエーシャ共和国へお父様の名代として飛び回ることになりました。大変名誉なお仕事なのだそうですが、お体が心配です。疲れてらっしゃらないかしら。

 お会いできなくなるのは寂しかったのですが、物を自由に取ることが出来るようになりましたので、お父様たちとの文通をしております。とても嬉しくって楽しくって、ちっとも寂しくなんかありませんでした。

 お兄様はレシェク殿下を頼るようにと再三念を押していました。血族を大事にする一族であるから何も心配はいらないし、あちらも心得ていることだろうと。でも、さすがに遠慮してしまいます。

 レシェク殿下方も同じ迎賓館にいるとのことでしたが、流石に広いものでご挨拶に伺ったきりですね。それに私は昨日まで大事をとって部屋での食事でした。今日から食堂で食事をとることが出来るのですって。楽しみです。

 制服は丸襟の、踝まであるワンピースに丈の短い上着があります。しっかりとした真新しいおろしたての生地は触り心地が良くて何度も意味もなく撫でてしまいました。ベッカやルビーはお部屋や保健室で待機しているとのことで、私は生まれて初めて一人で行動しているのでした。それだけでももうワクワクと胸が弾みます。柄にもなく冒険小説の主人公になった気分です。

 事前にあった案内の通り、進級に当たっての集会が第二講堂にて行われているようです。第一講堂は入学式に使われているのですって。私は、集会などの集まりを最初の内は避けるように指導されていたので、集会が終わるまでの間そこらを散策しておりました。

 フランセイスの建築様式は何とも華美で豪奢で、曲線が印象的な造りです。私のお気に入りの猫足のバスタブを思い出しますね。

 学園内に鐘塔があるようで、時間の区切りはその鐘が告げるようです。私には懐中時計があるので次に鐘がなるのはあと十分ぐらいですわね。集会に出ないためにゆっくりと朝の準備をしておりましたが、ルビーはずっとおろおろして落ち着きがないようでした。

 「お嬢様、せめて教室までは私と一緒に参りましょう。危のうございます」と指を組み懇願するルビーを置いていくのは胸が痛みましたが、私ももう一人でできますからと出てきたのでございます。

 しかし、ユーゴ様からお手紙が事前に届いており、王国内の世話はレオン殿下が任されているため遠慮なく言うこと、そしてとりあえず学園の案内はレオン殿下がなさる旨が書いてありました。そういえば、教会にも行けずじまいですから近いうちに訪ねに行かねばと思います。病棟では男女関係なく自由にお喋りできましたからね、マナーのおさらいをしなくてはいけませんでしょう。

 あら、レオン殿下はいいのかしら? ユーゴ様に頼まれたとはいえ、未婚の男女同士だけれど。

 何はともあれ、頼る先が多いのはいいことです。恵まれているわ、とヴィオラへ手紙を出せば『そうじゃないかもしれない』とありました。何か違うのでしょうか? あら、そうですね。無償で頼ろうなんて甘い考えでした、お礼も考えておかねばなりませんよね。

 大事な心得です。甘いお菓子はお好きかしら?

 あと3分ほどで進級に当たっての集会が終わります。帝国からの留学生は同じクラスにいるとのことで、その教室までご一緒してくださるとのことですから講堂の近くのベンチに腰かけておりました。

 講堂に輝くステンドグラスは見事なものです。何でも、聖書の一部を模ったものだそう。クリストが説いた友愛の心をこの学園に通う子息たちにも忘れぬようにということなのでしょうね。フランセイスはクリスト教を支持していますから、こういった宗教画も多くあるそうです。

「でもこれは“隣を見よ、その者を愛せ”か“打たれる頬を差し出されん”か、どちらかしら。どちらにもとれる意匠だわ」

 そう呟いていると、講堂の扉が開き生徒たちがわらわらと出てきました。実は私はその時怖気づいていましたの。ここまで大勢の人を間近で見ることが無かったのですもの。ベンチに腰かけていなかったら、道にへたり込んでいたのかもしれません。

 私は立ち上がり、スカートをはたきました。レシェク殿下方をお待ちするためです。どちらにいらっしゃるのかしらと辺りを見渡していると、どうやら不注意で人にぶつかったようでした。

「きゃっ」

 踏ん張りがきかず倒れこんでしまいました。前を見遣ると、私と同じように尻もちをついているのは、小柄な可愛らしい方です。ふわふわと流れる柔らかなピンクブロンドとくりくりとした円らな瞳が印象的でした。ブラウンの瞳も光の加減でまるで苺のようで、それに目が零れるほど大きくって。

「ご、ごめんなさい」

 そう言って彼女はそそくさと立ち上がり、私に駆け寄って手を差し伸べます。なんてお優しいのかしらとぼんやりしていましたら、彼女が目を見開き急いで制服のポケットをまさぐりました。

「ごめんなさい、私が急いでいたせいで、お怪我されてしまったのね。どうかこれを…」

 その言葉でようやく私の膝は擦りむき怪我をしていることを知りました。いいえ、放心している場合ではございません。彼女は親切心で傷口にハンカチを当てようとしていますが、私は傷口には消毒されたものしかあててはならないとお医者様に言われているのです!

 思わぬところに命の危機が迫っている驚きで、私は声を上げました。

「やめてくださいまし!」

「えっ」

 差し出されるハンカチと膝の間に間一髪で手を挟み込むことができ、ほっとしたのもつかの間、私は咄嗟に仕出かしたこととはいえ声を張り上げあまつさえ人の善意を無下にしてしまった事に気付きました。

 どうにか弁明しなければと思い、立ち上がります。

 親切心に感謝を述べて、そして謝意を見せて、そう! ヴィオラが教えてくれたように微笑まなければと私は頭が回りすぎてぐあんぐあんと痛くなりながら必死に口を動かしました。


「貴方のお気持結構でございましたわ。ごめんなさいましね、私、身に着けるものは細心の注意を払うようにしていますの」

 

 そして、にっこり。

 頬の筋肉が緊張のせいか麻痺しているのですが、きっと笑えていることでしょう。そうして、ヴィオラに教えてもらった、せめて少しでも許してくださいますようにと小首を傾げました。

 初めてのお方との会話はこのようなものでよろしいのかしらと、緊張していましたらどうも周りの音が一瞬だけ消えたように静かになりました。

 余計に私は不安になり、委縮してしまいそうでしたが、ヴィオラの助言を思い出し出来る限り胸を張って小首を傾げて笑います。すると、ピンクブロンドの方は今度こそ目玉が落ちてしまうのではないかというほどに目を見開きました。

 途端に周りがざわざわと騒ぎ出したのですが、そこへ美しい赤毛の方が割り込んできました。アレッシア様です。

「失礼、保健室に連れて行かねば」

 そう言って私を横抱きにするとさっさとこの喧騒から離してくださいました。私は大勢の人がいる場ということにもいっぱいいっぱいで、私の言動がどのように受け取られていたか振り返ることもできていませんでした。


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