幕間 これから始まる学園生活とそれぞれの思惑と
ヴィオラ・レンテリアは不意に振り返り呟く。
「そうか…エラは恋なんて興味ないのか…原作とは違うわよね」
そりゃそうだと、遠くにある病棟へ目を向ける。前世の病院の様に堅牢で造りもしっかりしているそれは、医療発展国として有名なフランセイスだからか、はたまた貴族専用病棟だからか。きっとどちらもだろうし、原作者のオリジナリティだ。
18世紀から19世紀にかけた世界観、なのに一部は17世紀だわ現代風だわで歴史を学んだあとに漫画を読んだら違和感が凄かった覚えがある。何なら、この少女漫画が好きすぎて大学の専攻もヨーロッパ文化史に決めたぐらいなのに。卒論はフランスとイギリスの文化伝播についてなのに。
まあ、そんなものか。そんなことを言えば世界地図を見れば地形が全く違うんだし言っても詮無きこと。それよりも、その具合が緩いところがあるからエラも生き延びられたのかもしれない。ごくごく当たり前に上下水道や検疫体制が整っているからペストの再発も抑えられているのだ。
だって、絶対あったでしょ、ペストやら何やら。
つい最近はインフルエンザのような流行り病があった。私はごくごく普通のモブなのでチートなんてできないし、石鹸での手洗いやうがいの徹底を言われていたから前世通りその通りに予防するしかなかったけど、明らかに前世の様に早くワクチンと治療法が確立されたのには驚いた。
うっそ、この世界観で?って。
兎にも角にも医療大国フランセイスの威信が守られたわけだ。そういえば、主人公は流行り病で父が危うくなった経験から医者になろうと必死に勉強をしているのだっけ。これが背景だったんだ。エピソードゼロの裏側を知れてちょっと楽しい。
でも、それは今だから思えることで、当時はエラの手紙が減っていたし漸く来たと思ったら罹患して療養しているというしで心配で仕方なかった。文通していた今まででも、こちらがひやりと肝を冷やしたことが何度もあるぐらいエラは体が弱かった。それに、ベルレブルク侯爵家の方々も流行り病にかかったと風の噂で聞いた。エラの家族に何かあったらと思うと、手紙に書けなかったし聞けなかった。エラにも知らされていたかどうかも定かじゃない。
それにしても、エラのご家族は早いうちに回復されたと聞いたけど、もしかしたら病気に弱いのかもしれない。あの一族皆色素薄いし、何代か前までは血族内での婚姻が盛んだったそうだしね。
エラが入学の時期が遅れてしまったと聞いて、出来る限り勉強になる話題を選んで手紙に書いた。エラは勤勉で真面目で、入学するまでは出来る限り自主学習を続けていくみたいだった。
そして、暫くすると健康になってきて身長と体重が少しずつ同年代に近づいてきたみたいで、栄養も足りなかったんだと更に事実を知って胸を痛めた。身長が伸びたのよ!って三通続けてきたときは成長期を無事に迎えられたんだって、寮のベッドに潜り込んで泣いた。
漸く会えたと思ったら、点滴が腕に繋がっていて未だ弱いままなんだと実感した。白く細い腕に何度も刺したからかな、黒ずんだ跡がいくつか残っていたけどそれを顧みない程、頻繁に点滴に頼っているということだよね。もしかしたら、原作者の知識と画力が点滴しかできなかった説もあるけどね。
わかる。普通に健康だったら詳しくなるはずないもんね。私もそうだし。
初めて会うエラはすごく可愛い美少女だった。綺麗系の顔立ちなんだけど、手紙の文面通りおっとりしていてほにゃほにゃしていて、原作では吊り上がっていた目眉も優しく垂れているのだ。そして、素直に褒めてくれるし、多分自己申告していた通り鈍感だ。ちょっとズレてる。
私は親戚仲を心配したのではなくて、レシェク殿下に一目ぼれしたかどうか聞いているんだけど…他人事のように言うけど学園の恋模様は貴方も含まれているんだけど…。まあ、そんなところも可愛い。
雛みたいにピヨピヨついてきて、子猫みたいに懐いてくる感じが可愛い。私の親友が可愛い。
同じくフィニッシングスクールに通えなくて残念だわなんて言っていたけど、あの子がうちに来たら姫と化すか毒されるかだ。女の子が集まればどこも似たようなもので、お嬢様がいっぱいいてもやはり女子高のノリだ。憧れの先輩たちの武勇伝や悪戯話なんて日常茶飯事だしね。外面が最高にいいから淑女としては完璧なんだけど。教師も卒業生だったりするから教師も教師で上回ってくる破天荒さがあるけどね。やっぱり天国って言いすぎよね。
エラに話しているフィニッシングスクールの話は濾して濾してその上澄みを掬っているのに過ぎないので、どうかエラは原作のようなキラキラした学園生活を送ってほしい。
たとえ、恋をしなくてもだ。
皆薄々勘付いている。エラが、レシェク殿下一行と留学する訳を。数多あるフランセイスの学園からフランセイスの第一王子レオン・フランソワと同じ学園に通うことになったかを。
そして、あのユーゴ・ヴァリエールから援助と庇護があるという噂もこの考えを裏付けるのだ。
エラ・ベルレブルクという極上のパイを取り合っている。
帝国側、レシェク殿下にとっては婿入り先の一つ、もしかしたら血縁の誼もあるのかもしれない。
王国側はレオン殿下の婚約者にうってつけだから。ユーゴ・ヴァリエールが所属する革新派と保守派やその他派閥諸々との対立は察せられるからそれを打破するためにもエラはきっとうってつけなんだろう。
私は、エラが幸せになるほうでいいと思う。でも、エラの幸せはこの選択肢には無いらしい。なら、応援するしかない。私は私の出来る範囲で、時にはその範囲も飛び越えてやるという気概で可愛い親友を応援すると決めて街へ向かった。
情報収集がてら、原作の舞台でも見に行こうっと。
レシェク・ウィンザーはタイを締め、息を吐いた。
帝国からの交換留学、学生とはいえ国の貴族同士の行き来でもあるため、賓客でもある。普段は学園の寄宿舎、とはいえ迎賓館にて寝泊まりしているが週に一度は宮廷に招かれる。会食や会談、一応国の代表として相対するためになかなか気楽にとはいかない。それに帝国はフランセイスより格上だ。あちらも丁重にもてなさねば体面に関わる。
今晩も宮廷にて、レオン第一王子とユーゴ・ヴァリエール次期公爵との会食だ。なかなか国王はお忙しいのでご一緒することは無い。帝国側からは高位貴族のアレッシア・タロッツィ公爵令嬢とエルマー・ゴルツ伯爵令息が出ている。他の者は流石に荷が重いだろう。まあ、美食を学びに来たマルセルは宮廷料理を食べてみたかったろうが。
「どうかね、一年過ごされて?」
「ええ、新しい環境に戸惑うこともありましたが、学園の皆様のお力を借りて今は楽しく日々を送っています」
ユーゴからの質問に模範解答で返して、ちらりと銀食器を見る。まだ、交換留学の年限は来ていないはずなので、ユーゴは所用で戻ってきたついでにと会食へ参加したのだ。面倒だぞ、とレシェクは思う。
なんせこのユーゴ、兄と負けず劣らずの悪童なので。アディが苦労させられたところを間近で見ているので油断できないなあと肉を口へ運んだ。折角の美食も味がしない。ここで失言しようものなら生涯にわたって揶揄されるだろうなあという危機感がどうしたって拭えないのだ。
「そうか…。そういえば、漸くレディ・エラも快方に向かわれて今年には入学できそうだとか。いやあ、安心した。彼女にはフランセイスを楽しんでほしいからね、私が連れまわしたいぐらい」
そら来たぞ、と口角に力が入る。アレッシアやエルマーは小さく反応したが大きな動揺等は見せず緩慢に口を拭いている。
「ええ、再従兄の私としても安心しているところです。彼女は好奇心が旺盛なので、我々と一緒にフランセイスについて学ぶ予定です」
「なるほど、だがフランセイスは帝国に及ばずとも広大だ。連日視察ばかりでは疲れてしまうだろう。王家からも使いを出そうか。なに気にするな、私はレディ・エラが心配なだけでね」
「有難いお心遣いです。必要になりましたら遠慮なく言う様にと申し伝えておきましょう」
レシェクは、いつ必要になるかは知らないけどなんて心中舌を出す。アディから重々お願いされてきたのだ。あのフランセイスに妹が絡めとられるようなことが無いようにと。
元々この留学にはアディ・ベルレブルクも参加予定だった。だが、クロエーシャ共和国の都市開発事業の為に帝国側からの協力者として招聘されたのだ。ベルレブルク侯爵の名代としてアディは出向いたが、それは十中八九ユーゴが手を回したからだろう。タイミングが兎に角よかった。
それに、フランセイスでできた特効薬はどうやらベルレブルク侯爵家に優先して配布されたらしい。帝国でもフランセイスからの特効薬を真似て量産されたが、罹患したベルレブルク侯爵家の者は周りより回復が早かった。ベルレブルク侯爵家はまた恩を受けたという形になってしまったために、クロエーシャ共和国の要請もその意図があると含まされたのを分かったうえで受けざるを得なかったのだ。
ユーゴは出来るだけ帝国側の者とエラ・ベルレブルクとの接触を少なくしたいようだった。帝国への里心付かせないようにするためだろう。そして、どうにかレオン王子とのお膳立てをしたいのだ。
「では、体調が整えばレディ・エラとお茶でもしようと言ってくれ。彼女もレオンと知己になることはそう悪い話でもないだろう」
「ええ、楽しみですね」
表面上は和やかな会食は僕とユーゴの笑い声で締められた。レオンはユーゴに場を譲ってか、一言も喋らずに食事を続けている。今まで出てこなかったエラの名前に目を瞬きしたきりだ。まあ、何かあるから王国で囲いたいのだろうなぐらいの事は察せられているだろう。
隣のアレッシアはグラスを傾けながら、目を閉じている。さも飲み物を堪能しているような顔だが、実際はエラをどのように援護するか考えているのだろう。頼りになる幼馴染だ。エルマーもこのことを帝国の留学生たちに伝達してくれることだろう。
ほっと胸を撫で下ろしていると、徐にユーゴがそうだ、と声を上げた。
「レオン、俺の代わりにどうか彼女に学園やら教会やらを案内してやってくれ。約束していたのだがな、果たせないようでは面目も立たないがお前で不足は無いだろう。それに俺が帝国へ行ってしまってはレディ・エラの庇護が十分か分からないからな、全部の面倒を、とまではいわないから彼女が不自由なく過ごせるよう便宜を図り、他貴族に紹介してやってはくれないか。うん、それがいいな! 俺では手紙の往復で時間を食ってしまうからな! どうだ?」
「ええ、構いません」
「そうかそうか。ついでにレシェク殿の負担が少なくなるように取り計らおう。王国からの遣い、勿論信用のおける者たちを傍に置きましょう。いやあ、ここまで気が回らなくて申し訳ない、この一年はさぞ苦労されたことでしょう。ご寛恕いただきたい」
「い、いいえ、そんな。それに私たちはあくまで学生として赴いたのであって、これ以上の気遣いは過分でありましょう。有難いのですが…」
「いえいえ、他国から来たのであれば私たちが慮るのは尤もなことですとも、遠慮なさらず。でもそうですね、学生として振舞うことの大事さは私も理解しているつもりですからな。せめてレディ・エラの初めの一年だけでも苦労が無いようにレオンによくよく言いつけておきましょう」
わざとらしい言葉遣いに様変わりした、にっこりと笑うユーゴに、この野郎と、悟られない程度に歯噛みする。強引ではあるが、レオン王子の気持ち云々より周りからどのように目されるかを優先して外堀を埋めに来たのだろう。
エラ・ベルレブルクは病弱であるために療養目的でフランセイスへ進学したのでサポートは必要だ。更にフランセイスより帝国の方が格上で、帝国の侯爵令嬢がフランセイスの王族と釣り合うぐらいなのだから何も間違ったことはしていない。普通で、模範的で人道的。完璧が求められるフランセイス王族がなすべきことには違いない。
それに医療面を売り出していきたいフランセイスから見ればエラ・ベルレブルクは格好の広告塔だ。「帝国の高位貴族御用達」「悲劇を背負う令嬢の命を救ったフランセイスの医療」と箔をつけるためには必要なことだ。
視覚情報から得るものは大きい。「レオン王子が帝国の第三皇子よりもエラ・ベルレブルクの世話を丁寧に焼いている」―――さぞこの国の社交界を駆け巡るだろう。勢力図が組み替えられるほどには。
レオン王子も少し目を細めて口角を上げる。笑顔の仮面の向こうには、エラ・ベルレブルクとは何者かという疑問が見えた。これは、会食の後に身の上の調査がされるだろうな。
レオン王子は驚いたことに王やユーゴの掲げる革新派にも、宰相率いる保守派にも属していない。傀儡になるには些か役不足なほど良くできた王子は何を考えているやら、なんていつも悩まされる。
社交になると完璧だが、学園では普通に仏頂面。振り幅も大きいがどちらも読めない。因みに仏頂面でも学園では人気者だ。何でだろうね? まあ、皆がみんな似たようなものだからかもしれないな。社交は頑張るけど、大人の目が極力ない学園では自由に振舞いたいし、ただの13歳だし。
それはさておき、エラ・ベルレブルクはの好条件ぶりはレオンがどの派閥に肩入れしようにもうまいに違いない。
アディの言う通り、絡めとられないように気を付けなくてはならない。エラ・ベルレブルクは気の合う再従姉で、帝国有数の権力者だ。王国とのパイプは一般的な高位貴族がちょうどいいぐらいで、王国そのものに囲われるにはあまりに惜しいのだ。
それにいくら医療が発展しているとはいえ、「銀の色合い」を嫁がせるなんて不安が過ぎる。
もし、エラ・ベルレブルクが政敵に毒でも盛られたら?
もし、妊娠に不安があったら?
そしてそれが発展して、世継ぎの為に側妃を迎え入れて、なんて考えると笑えない。
16歳になれば人並みに丈夫になるとはいえ、「銀の色合い」は帝国では政略に用いられてこなかった。そして、きっとこれからもない。
―――だって、トントン拍子に婚約されようものなら、一緒にお茶をして空を見てぼうっとすることが出来なくなるじゃないか。
前世は双子なのではないだろうかというぐらいの居心地のいい関係も十分惜しまれるものだった。




