③
「花の種…ですか」
私はユーゴ様のお手にある包みを凝視して言いました。ユーゴ様はずっとそれを手に入れたかったようで興奮気味に教えて下さいます。
「ああ、これはケシの種だ。ネーデロントには原種があってそれをずっと手に入れたかったんだ! いや、実をいうとこの留学も目的がこれでなあ」
「明日の花市には無い種なのですか?」
「ケシは中毒性が強い、ましてや原種となればいかほどかな。それを個人が栽培するのは禁じられているし、輸出入も固く禁じられていてね。種子法って言うんだが王弟の権力でも入手に一年かかるんだよ。ならば来てやろうと思ってな! 大丈夫だ、ちゃんと皇帝とネーデロントの領主には許可を取った。書状もある」
余りにも情報が多くって目が回りそうです。でも、そういえば昔に侍女たちが教えてくださいましたね。痛み止めのお薬は私たちが手配するものをお使いくださいと。薬品によっては使う度に意識が昏倒したり、幻覚が見えたりと、中毒性の高い植物から作られたお薬もあり私の様に一日に何度も使う者には適していないと言っていたわ。
きっとケシがそれに該当するものなのでしょう。それならば、法で定める意味も分かります。きっとあちこちにそれがあったら危のうございますものね。
そんなケシを手に入れたかった意味を考えた私は閃きました。なるほど、フランセイスは薬学の発展著しいのですもの。それに役立てるのね!
「ユーゴ様はフランセイスの為にケシをお求めになったのですね。ご立派だわ」
「ん? いいや、これは俺の趣味だ。専攻も史学だしな」
呵々と笑うユーゴ様に呆気にとられてしまいました。
「え? どうしてですか? そこまでの労力をかけて…」
フッとユーゴ様は笑います。ああ、また太陽の笑みが鳴りを潜め、月の美しさが垣間見えました。湖面に浮かぶ月を声にするとしたら、こんな声なのだろうという声で私を呼びます。レディ・エラと。
「学問に生産性を求めるなんて無粋だと思わないかね。知りたい、と愚直に進むものだけがいつだってその道を切り開いてきたのさ」
すかさず太陽の笑みに戻ったユーゴ様は、「その為にはさぼった罰も甘んじて受けとめないとな! 何、ルテン語は得意だ。完璧な論文を提出してやる」と笑い飛ばします。格好良かったのに。後ろのマクシミリアン様たちは溜息をついてますよ。
でもこの言葉は心に深く留めておかねばと直感しました。とても大事に思えます。いいえ、絶対に大事なのです。
私は笑顔でお礼を言いました。大事なことを教えてくださったお礼です。ユーゴ様は虚を突かれたようですが、直ぐに微笑み手を差し出してくださいました。
「長話であったかな? さあ、お手をレディ・エラ」
ベンチから立ち上がり、ユーゴ様は遊歩道の分かれ道までエスコートしてくださいました。そちらの池の周りには花も多く咲いていますよ、と付け加えて手を振って別れました。後ろのマクシミリアン様とランベール様は礼をしていました。お二人は騎士然としていて素敵ですね。
「ベッカ、ルビー待たせてしまったわね。足は痛くないかしら」
「いいえ、ちっとも」
ルビーは眉を下げ、フランセイスの恋愛事情をお耳に入れたくなかったのですが、と気まずそうな顔をしています。分かるわ。だって、少女小説を愛読している世間知らずの私に到底受け入れられる話ではなかったものね。
「フランセイスでは教会に通いましょうか。修道女も多くいますし、聖女候補との交流も図れるかもしれません」
そこから、フランセイスに馴染んでいこうというわけですね。なるほど。私も、知らないままに婚約者がいる男性に粉をかけるような、そんな少女小説に出てくる悪女のような真似はしたくないですもの。
「ええ、そうしましょう。教会のそんな活用の仕方知らなかったわ。ルビーは頭がいいわねえ」
「いいえ…あれはランベール様たちがお教えくださったのですわ」
「そうなの」
ユーゴ様のお話に衝撃を受けたために、少しでもそれを和らげようとしてくださったのですね。何というか、良くできた方たちね。まるで、私たちのようではありませんか。世話をかける主人と世話に追われる従者…あら?
「もしかして少女小説の悪役のようではなくて?」
「何を仰います!?」
ベッカはぎょっと目を剥き驚きます。そう思うに至った理由を説明すると、ベッカは頭を抱えて、はっきりとそんなことはありません! と否定します。
「お嬢様が悪役なら、この世界は悪役だらけです!」
そこまで強くいってもらえて漸く私も安心しました。でも、見ようによっては、ということが知れたのです。今日は沢山ものを学べる日ね。勉強になるわ。
公園の池や花を満喫し、私はホテルに帰りました。貧弱が過ぎて筋肉が痛いのは言うまでもありませんが、なにより酷かったのは足の裏です。長らく歩くことをしなかった足は、それはもう赤ん坊の様に柔らかくって。靴の底に擦れてしまって真っ赤に腫れ上がり、踵は破れていました。
そこを丁寧に洗われて、消毒液とガーゼで覆われました。それが厳重に保護しすぎて靴のようです。
「明日の花市は私たちが抱いて回りますよ」
ベッカから告げられた宣告は胸を強く打ちのめしました。沢山の人が来ているという花市に、赤ん坊の様に抱きかかえられて見て回ると言うの? 想像だけでも恥ずかしくってベッドに突っ伏してしまいました。
翌日の花市にはベッカやルビーが作った最短経路を駆使して回ったので、人に遭遇しなくても済んだのですが、それは花市が大きく展開されている大通りにもいかないということです。私が見たかったのはそうじゃないのにと、噛めるものならハンカチを噛んで悔しがりたかったのですけどね。
店舗、それも上級階級向けのお店でゆっくりと花を見て回りました。ここにあるのは見本の一部で、ご注文を頂いたら職人たちがそれに見合ったものを配送する仕組みらしく、なんだか花の展覧会のようでした。花と葉が確認できればいいようになっているのですって。
「どれも綺麗ね。香りが嗅げないのが残念だわ」
マスクを引っ張りながら呟くと店主はそれならばと幾つかの瓶を持ってきました。香水も取り扱っているのです。どれも花や香草の香りらしいのですが、ベッカとルビーは断りを入れました。
そうね。私が付けるのは難しいでしょうね。付けるとするならば国や然るべき機関のお墨付きか、もしくはベッカやルビーが製造工程を確認できたものに限られるでしょう。
店主はならば、と次に持ってきたものは布でした。花で染めた布です。残念ですが、これも私が使えるように洗剤や消毒液に付ければ色褪せてしまうだろうとのことで遠慮しました。
せめて、冷やかしにならないようにチューリップの球根をお母様へ送らせていただきました。
ネーデロントの名産なのですって。一度植えたらそのままでも毎年花を咲かせるのですって。きっと可憐ですよ。ちゃんと現物を確認して購入したので心配なさらないでね、と一言のメモを添えました。きっと邸のお庭に良く映えることでしょう。
店を出て、駅へ向かいます。ルビーに訊けばここからフランセイスはそう遠くないのですって。ですから寝台列車を予約して、夜通し揺られることになりました。寝台列車って初めてだわ!
そういえば、お兄様のお手紙に、お友達のアーロン様が恋しがっていたわね。私たちが予約したのは一等車両の寝台列車ですから、今まで泊まったホテルに比べれば少し劣りますが、十分快適に過ごせるらしいのですが、学生時分なら二等車両以下でしょうとベッカが教えてくれました。あまりに高価すぎて学生には勿体ないのですって。でも、疲れた体には三等車両の寝台でもとても有り難く体を労わってくれるものなのだとか。
なんだか、もしかして私って、かなりお金をかけてもらっているのでは? と背筋にひやりと汗が流れました。私知っています! 悪役は贅沢が当たり前だと思っている、そんな人間がおおいってこと!
少女小説の贅沢と言えば、宮廷や宝石、ドレス、四頭立ての馬車とかですが、こういった暮らしを楽にしようとするそれにも多額の金がかかることを知りましたの。それをベッカ達に言えば、「良いお勉強をされましたね」と吹き出しました。
「あんな真面目なお顔をして、可笑しいったら。お嬢様って本当に可愛くて困るわ」
寝台に沈んでいた私に知られていないと思って、そんなことを言っていたの私は聞いていましたよ。何が可笑しかったのかしら?




