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「うう…」
「お嬢様、さ、こちらのクッションに頭を預けて横になってくださいまし」
「お水もご用意してありますし、無理のない旅程で向かいますから大丈夫ですわ。休憩も挟みますから辛くなったら行ってくださいましね」
早速、馬車の揺れで酔ってしまった私にルビーとベッカが世話を焼きます。私はクッションに体を預け必死に呼吸を整えておりました。4歳ぶりの馬車の揺れは内臓に響きます。隣国へ行くのに馬車と列車を乗り継いで行きますが帝都からなら普通は3日もあれば十分だそうですけれど、私は日数を多く見積もってもらっております。無事に出国できるといいのですけれど、先行き不安ですわね。
「お嬢様はなかなか邸の外へ出ませんもの。ゆっくり帝国を見て回る良い機会ですわ」
「ルビーの言う通りです。帝国は『常世の春』と謳われていて大陸中から旅行者が訪れますわ。各地方に色濃い風習や文化が残っておりますからきっと楽しい旅行になりましてよ」
ベッカが私の額の汗をそっと拭いて笑ってくれます。
「そうね、きっとすばらしいのでしょうねっ…っっ…」
「お背中擦りましょうね」
「ありがとう…」
はふはふと荒い呼吸をしていますと御者の腕や道に難ありのように思えるでしょうが、道は舗装が行き届いていますし、御者は細心の注意を払って緩やかに歩を進めるようにしています。私の貧弱さが恨めしいです。
私たちはタウンハウスで今まで暮らしていましたのは利便性が高いからです。領地の方が静養に向いていますでしょうが私の移動が難しいこと、そして何より医師が直ぐに病棟から派遣される帝都にいたほうが楽なのでこのままでしたわ。
久しぶりに出た通りは人に溢れています。ここまでくると集合住宅や細長い屋敷が通りに並んでいますね。上流階級の生活圏ですが朝早いこの時間は紳士淑女よりその方々に仕えるメイドや男性使用人の方が多く通りを行き来しています。
そのまま帝都にある駅へ向かいましたところ、とりわけ大きな建造物がありました。高い時計塔に少女小説の挿絵にある宮殿のような建築です。
「お嬢様、あれが帝都主要駅ですわ」
「まあ、すごく大きいわね。それに堂々とした、というのかしら。重厚な造りなのね」
「お嬢様なら興味をお持ちになると思って、ご本を持参いたしましたわ」
馬車酔いに苦しみながら本を読んでは酔いが酷くなるらしいので、ルビーが読み聞かせてくれました。
「この建築様式はゴート建築と申しまして、そうですわね、歴史的・地理的条件が必ずしも影響しないという点や、建築の形態や技術、図像などの美術的要因の定義づけが難しいという点で、他の建築様式に比べるとかなり不明瞭…というらしいですわね。特に後期ゴート建築となると地方様式とも絡む複雑な現象で、装飾や空間の構成を述べることは大変難しいとのことですわ」
「まあ」
「でもそこはかとなく、他の建造物に対してもゴート建築の様式を感じ取れますものね。それは不思議ですわ」
「ええと、ゴート建築は尖ったアーチに飛び梁、アーチを平行に天井に押し出した建築様式が特徴的で、何より全体の調和を重視しているとのことですわ。これがベッカの言うなんとなくわかる理由かもしれませんね」
「知らなかったわ…建築って奥が深いのね」
「帝国でも主流の建築様式ですが、私も知りませんでした。勉強になりますわね」
3人頷きながら建築について話していると馬車が止まりました。我が家の家紋が付いた馬車はここでお別れです。御者のおじ様が柔らかな笑顔で会釈して見送ってくれました。
私はベッカに抱きかかえられ構内を行きます。とても天井が高くって上の窓は半円型の色とりどりのガラスが嵌めこまれておりました。
「人も多いわ」
「左様ですね。ルビーは切符を買いに行っておりますから、もう少しここで待ちましょう。お嬢様、マスクをしっかり着けていてくださいましね」
「ええ」
私はボンネットではなく、モブキャップを着けております。着脱しやすいこと、装飾が少ないことが理由です。でもここにいる方はボンネットやつばの広い帽子が多いように感じます。
「皆様、朝早くからお出かけなさるのね」
興味深くきょろりと見渡します。どうやら私は目立っているようです。小さい子でもあるまいし抱きかかえられているままなのですもの。視線があちこちから刺さるので居心地が悪く足がむずむずしてきた頃に、ルビーが切符を片手に戻ってきました。
ルビーは地図を広げ、指を線の上へ滑らせます。
「本日はここの帝都駅からエスパーヌ地方まで列車で行きますわ」
「どのくらいかかるのかしら」
「5時間半ぐらいでしょうか。馬車よりは揺れも少ないですし、広い個室ですからあっという間ですわ」
ルビーは一等車両乗り場へ案内してくれます。後、半刻もすれば出発なのですって。
初めての列車は、馬車よりも広い個室と車窓から絶え間なく流れる景色で快適な旅路でしたわ。個室のドアが付いていますので、人の目を気にすることなく席に横たわることが出来ましたからね。
車窓は街から村へそして緑が広がる大地へと移り変わってゆきます。
「ねえ、ルビー。あれは何かしら?」
「あれはブドウ畑ですわ。エスパーヌはワインも有名ですもの」
「カーラが言っていたわ。では、あれが醸成所かしら?」
頭の中にある知識と結び付けて見る初めての世界は大変楽しゅうございます。少しのうたた寝を挟んだのち、私はエスパーヌ地方の駅に降り立ちました。
駅周辺は栄えるということですから、私の降り立った土地も一番の街ということになります。帝都と変わらず人も多うございました。
「宿屋へ行きましょう。日が暮れると寒くなりますからね」
「まあ、まだお昼よ」
「お嬢様は初めてのお出かけですもの。お疲れになっているかもしれませんでしょう?」
私が連れて行かれたのは立派な建物です。街一番の高級ホテルでした。
「ホテルなんて初めてだわ…! お作法とかあるのかしら。ベッカ、ルビー教えて頂戴ね」
「ふふ。特別な作法などいりませんわ。ご自宅の様に寛ぎくださいな」
「あら、でも食堂があるとか聞いたわ」
「旦那様が宿泊施設や移動の手配をされていますから、融通が利くのですわ。お食事も私たちが監督し要請したお料理はお部屋でするように手配してございます」
「ああ、そうなのね」
私は折角の旅行なのに、なんて口を尖らせることはありませんでした。寧ろほっとしておりました。だって緊張しますし人前に出るのは気恥ずかしいでしょう?
私の体のことについての配慮もそうですが、何より恥ずかしがり屋の私に合わせた配慮のようで、それを考えてくださったお父様やベッカ、ルビーの思いやりにじわじわと嬉しさが込み上げておりました。
「お嬢様、お腹も空いておりましょう。食事の用意をしてまいりますわ」
そう言って、ベッカが退出します。私は消毒されたベッドへ早速横になっておりました。ベッドシーツは嗅ぎなれた清涼感のある香りです。ルビーも机やドアノブを消毒液で拭いていましたし、先に洗剤やらの物資を送っているのかもしれませんね。
ふう、と一息つくと私は何やら首を傾げます。と言いますのも、お腹は別段空いているわけでもないのです。朝早くから移動し水を飲んでいただけなのですが。小腹なら空いているかもしれませんが、昼食を食べるものはそれほど気が進みません。
「ねえ、ルビー。ベッカに昼食はいらないと伝えてくれるかしら。今更で悪いのだけれども」
「では、おやつの用意をするようにベッカに伝えましょうね」
ルビーは早速察していたようです。そしてそれは勿論ベッカも。ベッカはルビーの言伝があってから幾分もしないうちにトレーを持って入室しました。最初からこれを用意していたからそこまで時間がかからなかったのね。
運ばれてきたのは、チョコレートラテにチュロスという揚げ菓子です。とはいえ、私専用に作ったのですからチュロス本当はもう少し違うのでしょう。目の前にあるチュロスは一口サイズの菓子で、揚げた後に油を落とすように工夫がされているようです。チョコレートラテも牛乳と水で希釈されている飲み物です。私の胃に負担がかかりますからね。
「いつかオルチャータも飲んでみたいわ」
私はチュロスをつまみながら笑いました。オルチャータはカーラが言っていたとおり冷たいままの方が美味しいのでしょう。加熱処理されたものしか食べられない私には今は無理ですけれど、こうしてベッカ達がその地の特色を現した食事で楽しんでもらおうという心遣いがより一層嬉しくて、「また帝国内をいっぱい旅行しましょうね」と二人に笑いかけました。
二人には「まだ旅行の初日ですわよ。気が早いですわ」なんて笑われましたけれど。




