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侯爵令嬢の穏やかな生涯  作者: 柏鶏子
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旅立ちの朝

 朝、私は侍女たちが部屋に来る前に起きだして、ベッドの隙間に仕舞い込んだいつかのお兄様のお手紙を回収しました。それをベッド下にあるトランクへ丁寧に移します。これを忘れないようにしなくてはいけません。もう、今日には帝国を発つのですもの、取りに戻れないわ。

 ヴィオラから頂いた手紙も一つ残らず持っていきます。私はつい魔がさして、一番最近の手紙に手を出しました。ヴィオラも言っていたけれど、お片付けするときってついつい本やらアルバムやらを読んでしまうのですって。全くその通りね。



『エラへ


 王国に旅立ってしまうなんて寂しいけれど、必ず手紙頂戴ね。絶対よ。忘れちゃ嫌なんだから。私も手紙を出すわ。

 エラより一歳年上だから、先輩としてエラに学園で過ごす心得を教えるわ。それに卒業したらすぐ王国に行って貴方に会いに行くんだから。エラが元気になって帰ってくるのとどっちが早いかしらね?

 なんにせよ、貴方と会える日が楽しみ。でもそれより早くに手紙をくれる約束よ。

   ヴィオラ』



「ふふ…」


 私はまたお手紙をトランクに仕舞い込みました。

 暫くして侍女たちが支度の為にやってきました。今日は6人総出です。何だか大わらわという感じで、いつもより部屋が賑やかでした。

 旅支度は長袖のワンピースです。襟を閉め、上からコート、手袋、マスクに日よけの為の帽子、ワンピースから出る足を保護する長い靴下に、ブーツを次々着せられていきます。装飾を少なくした装いです。髪も邪魔にならないようにと結って纏めてあります。

 淑女として短髪にすることは憚られていましたので、どんなに吐血の邪魔になろうとも肩甲骨まで伸ばしており、その手入れの為に侍女たちに苦心させていた髪です。それも何だか、この部屋を出るにあたっては心強い味方でいてくれるように思えました。

 きっとそれなりに淑女に見えるはずです。

 私は、ここ数年ベッドから降りて運動することも少ないために足は棒切れのようで筋肉がありません。ベッカが私を横抱きにして階段を下りてくれました。どうやら、王国までこうして移動することになりそうです。一応杖も持参していますのに。


「ベッカ、私重たくはない? 杖もあるもの、歩けるわ」

「お嬢様は羽のように軽うございますので負担なんてありませんわ」


私に付いてきてくれるベッカとルビーは私と同じ旅装です。後ろではルビーがトランクを運んでいます。運んでいるのは一つだけ、二人のトランクは先に馬車に詰め込んだようでした。

 視線に気づいたルビーがにっこり笑います。


「お嬢様のお仕度は万全にいたしませんと。忘れ物なんてできませんでしょう」


 そうね、と頷いて、はて? と小首を傾げます。もしかして、お兄様のお手紙のこと、薄々勘付いているんじゃないかしら?




 玄関に行くと、両親に兄、私付きだった侍女4人、執事や乳母、邸の使用人が待ち構えていました。


「エラ」


 父がベッカに抱えられた私を引き受けて抱え上げます。お父様の久しぶりの抱擁に胸が熱くなり、私も力いっぱい抱き返しました。


「こんなに、痩せて…辛かったろう。よく頑張った」


 お父様の目が涙を湛えて私を褒めてくださいます。私は久しぶりに見たお父様の全顔に感慨深いものがありました。いつもマスクをした顔しか拝見できなかったけれど、表情って、やっぱりこんなに豊かになるものなのね。


「これから王国へ一人旅立つことを決意するなんて、エラ、お前は本当に強い子だ…。お父様もお母様も、お兄様も手紙を書こう。お前も書いておくれ」

「そうよ、エラ」


 お母様が近寄り、私の顔の輪郭を確かめるように撫でます。温かくて心地が良うございました。


「貴方はこれから多くの事が出来るようになるわ。楽しかったことも悲しかったことも何でも書いて頂戴ね」


 お母様は私の背に手を回し、額に口づけてくださいました。私が馬車へ運ばれるとお兄様が代わって私にさよならの挨拶をしてくださいましたが、私は驚いていてそれどころではございませんでした。


「お、お兄様? 本当に?」

「そうだよエラ、どうかしたかい」


 眉を八の字にして笑うお兄様はお父様と変わらないくらいの長身で、声も低くていらっしゃいます。金の髪が揺れる柔らかな笑みを湛えた美丈夫におなりになられたお兄様のその変貌ぶりといったら!

 いいえ、お兄様だからこそ、そこまで格好よく成長なされたのは当然ではありましょうけども!


「びっくりしたわ。どこかの物語から飛び出てきた王子様かと思ったの。お久しぶりねお兄様、本当に久しぶりに顔を合わせるわ」

「エラは本当に僕に夢見ていると思うんだけど、まあいいか」


 お兄様は私の手を握り、「手紙も出すし、長期休暇に入ったら見舞いに行くよ。王国からも留学生が来るだろうから、エラの事をよくよく頼んでおくから安心して立派な淑女におなり」と仰いました。


「ありがとう存じます。…駄目だわ、お兄様にびっくりしすぎて何も頭に入らないわ」

「ははは。それは困るよ」


 お兄様は私の頭を一撫でしてベッカ達に私の世話をよくよく言いつけておりました。


「カーラ、マリー、ゾフィ、ナディア、こちらへ来て頂戴な」


 私は、ここで別れることになる侍女4人を呼び寄せました。4人の全顔をこの6年間で初めて見ます。皆は淑女の微笑みを浮かべて背筋を伸ばしておりました。


「4人にお別れの品を用意したの。受け取ってね」


私は後ろに控えるルビーから品物を受け取りました。


「まずはカーラ。これはね、革のブーツよ。領地では訪問介護をしていると言っていたでしょう? 領地に戻っても使ってほしくて。私、頑張って小鳥の刺繍をしたのよ。エスパーヌの鳥よ」


 実はそのエスパーヌの鳥の周りには蔓バラがあしらわれています。我が家のことも思い出してほしくって、初めて革に刺繍を施しました。針も太くてなかなか硬くて大変でしたがそこは私の頑丈な指ぬきのおかげで怪我もなく進めることが出来ましたが、革靴に刺繍をするのはこれで最後にしましょう。兎に角、完成できてよかったです。

 カーラはそばかすが薄くあり、真っ赤な唇をしていました。その唇が戦慄き、お礼の言葉を紡ぎました。


「次はマリーよ。髪が綺麗でしょう? 香油を手配したの。それだけだと寂しいから櫛入れも作ったのよ」


 バラの香油はマリーの髪を美しくさせることでしょう。そして、螺鈿作りという貝を加工した美しい櫛をマリーは大事にしていました。平たい形の金属でできた形状の櫛は南諸島で親しまれているもので、私が使っている持ち手のある櫛とは異なり直ぐに無くしてしまいそうでしたので、刺繍を施した櫛入れを作りました。

 青バラと貝の刺繍は海に縁の深いマリーにぴったりです。


「ゾフィはブックカバー。お勉強をなさるのでしょう? だからこれよ」


 ゾフィには白バラと夏を模した模様の刺繍をしたブックカバーです。似合うと思ったのですもの。それに私のためにお勉強をしてくれるというのだから、少しでも力になれるようにと祈って針を刺しました。


「最後にナディアよ。ハンカチなの」


 ナディアがまた涙を流すことになってもその慰めになるようにと刺しました。2枚あり、一つは黒バラを隅に刺繍しました。ナディアの髪と、その確固たる不屈の精神が黒バラを想起させたのです。そしてもう一つは、ハンカチ全面に刺繍があります。少しでもナディアの人生が明るくなるようにと縁起の良い図柄を刺していたらまるで小さなタペストリーの様になってしまいました。

 ここまでの品を刺繍するのは骨が折れました。あら、なんだか私が言うと比喩に聞こえないわね。私の貧弱な腕は悲鳴を上げておりますけども、4人の別れの品としては良いものを贈れたと満足しております。

 私は4人へお礼の言葉を述べました。どうか馬車からの挨拶であることは大目に見てね。


「私、すごく感謝しております。世話だけではなく、貴方方から無償の愛と奉仕、真心からの献身を頂きましたね。ここまで生きることができ、更に生きることへの新たな一歩を踏み出せたのも貴方方のおかげです。

本当にありがとう。貴方方の幸福な人生を祈っています」


 4人は美しい礼を披露し微笑みを湛えました。いつものようにマスクをしていたら、私は最後まで4人を完璧な淑女だと思っていたことでしょう。皆、口の端が震えていたり、噛みしめていたりして必死に背筋を伸ばす姿を目にしたことで、私はほろりと涙が零れました。

 私と同じ気持ちなんだわ。同じ気持ちでいてくれるのだわ、と思いました。


「では、行ってまいります」


 私が、マスク越しにではありますので聞きやすいようできうる限りの声で挨拶をしました。家族は手を振り、使用人たちは頭を下げて見送ります。こうして、王国へ旅立っていったのでした。


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