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侯爵令嬢の穏やかな生涯  作者: 柏鶏子
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ナディア

 ナディアは3姉妹の末子です。将来はそれなりの家柄の方と結婚することが求められておりましたが、姉たちが婿を迎え、婚姻を結んでいるので、急ぎではないと大目に見てもらって今まで看護の職に就いていました。私の事もナディアのご両親はご存じですから公爵令嬢の道楽と思えども無理に連れ戻す、なんてことは無かったのです。

 ナディアは真摯に看護に向き合いこの職で生きていくつもりだったそうですが、両親の説得に骨が折れているようでした。

どうにかしてナディアは私に付いてゆこうとしましたが、ナディアに求婚する男性が現れました。それはナディアと同格の公爵家の嫡男、蓄財も上手く始めた商売は飛ぶ鳥を落とす勢い、紳士と評判の今をときめく貴公子の1人です。

 両親だけでなく親族一同こんな上手い話を逃すはずもなく、ナディアの婚約は本人のあずかり知らぬところであれよあれよと整えられてしまったようです。

 ナディアは大層立腹しておりました。


「私は悔しゅうございますわ。私の人生を私で決められないのですもの」


 ナディアはしっかりしています。一人で突き進む強さがあるから故なのでしょう。ナディアはマスクに隠されている口元を大きく歪めたのか、目にも険しさが表れました。

ナディアはいつも毅然とした態度から想像も出来ない程の激情を身の内に宿していたようです。それを必死に抑えながらも悔しさ、忌々しさを口にした途端、ナディアの目から真珠のような煌めきがポロリと一粒零れてしまいました。

 私は何とも言えずナディアの後ろにある窓を見ました。さらさらと風が吹き満月の光が眩い晩です。ナディアは私の寝る前の話し相手として椅子に腰かけて他愛もない雑談に興じておりました。そこで私が、不用意に「貴方はこれからどうするの?」と尋ねてしまったのです。

 ナディアは暫し黙って、「他言無用にお願いします」と赤裸々な思いを体中の矜持を振り絞りながら話してくれたのでした。


「…ナディア、私この事は誰にも言わないわ」

「はい…。はい…」


 ナディアは目をぎゅっと瞑って、背筋を伸ばしました。無様に泣き喚きはしまいとするその健気な様子が私の口を重くしました。私は何も分かち合うことは出来ないと思いました。一緒にこの思いを背負えても、今の私では心からナディアを理解することは出来ないのでしょう。

 私は夢見がちで世間知らずの娘で、目標が無いのですから。


「ナディア、言い足りなかったら私に言ってくれても良くってよ。ナディアの本音を知るのは私と、あの満月だけだわ」

「…」


 ナディアは息を一つ吐いて、それでは、と口火を切りました。


「彼の事が嫌いなわけではないのです。私の事も、私の仕事も理解を示してくれましたし、結婚は待つと言ってくれましたわ」

「良い人ね」

「はい。でも私は…。きっと彼関係なく結婚がしたくないのですわ。私の人生は私だけのもので、家の為のものでも彼に縛られる為のものでもないはずですから」


 ナディアは自嘲気味に笑いながら、「生まれる時代を間違えました」と言いました。吐き捨てるようでした。


「そうね…。生まれる時代が違ったら、ナディアはどんな人生を送っていたのかしら」

「え…」

「どんな人生を送りたいのかしら」

「私、そうですわね、私は、きっと仕事に生きていましたわ。生き甲斐ですもの。男性の様にあちらこちらを駆けまわって、私の為だけに勉学もお洒落も趣味もしていましたわ。何をしても誰にも文句を言われないような、そんな…そんな人生です」

「素敵ね」 


 ナディアはまた一つ小さな涙の粒を流してにっこり笑いました。


「お話しすぎてしまいましたわね。お疲れではございませんか?」

「ええ、大丈夫よ」

「それは良うございました。お休みなさいませ。いい夢を」


 ナディアは打って変わっていつも通りに振り舞い、退出しました。ナディアはやはり強いです。私に心の内を話してくれたのは、私がただ聞いてくれるだけだと信頼しているからでしょう。

私が余計な手出しをしたり、ナディアに共感して人生の指針にしないと分かっているからです。侍女たちもそうですが、やはりナディアも私をとりわけ小さな子供のようだと思っているようでした。それは少し寂しいですわね。

 寂しいのはナディアも一緒でしょうけど、と同情しました。あの話はここだけのことにして最後まで誰にも悟られることなく、隠し通してゆくのでしょう。

 ベッドに横たわる前に忘れまいとして、私はナディアの秘密を墓場まで持っていこうと月と約束をいたしました。


 あと5日しかありません。私は寝ることすらも惜しくなって私はサイドテーブルのランプを付けて、刺繍をしました。何時まで続けたのかは分かりませんけれど、ナディアとの秘密が不思議と私の心を震わせたのでした。

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