カーラ
お父様から、これを機に離れることになる侍女たちへ労いと挨拶をしておきなさいと伝言がありました。侍女たちは私に仕えてくれていますが貴族子女に違いなく、いつまでも私に付きっきりのお世話では婚姻が結べませんし、6年前とでは各々が抱える事情が違ってきていました。私が隣国へ無理を言ってついてきてもらうことなんてできません。
これを機にお暇することになったのは、カーラ、マリー、ゾフィ、ナディアの4人です。私は姉代わりであり良き教師であり共に闘病生活を送った侍女たちとの別れに暫し涙いたしました。3週間いっぱいまで傍にいてくれると言うので、私はその心遣いを有難く思います。心残りの無いよう過ごしましょう。
カーラは、ベルージ男爵家領地の病棟業務に携わるということでした。そして、そこに勤める医師である婚約者の方と祝言を上げるそうです。お互い下級貴族の継承権の低い者同士でしたので手に職を付けることが第一にしておりましたがカーラが27歳をお迎えた今年にそろそろ、というお話があったそう。
カーラは快活な、音楽を愛する女性です。私は指の皮が薄いのでバイオリンの弦を押さえるのは難しく、ピアノも大きくて私の部屋には入らない為に、ついぞ私は楽器を弾く機会がありませんでした。それでもカーラは私が手持ち無沙汰な時はバイオリンを持ち込み演奏で耳を楽しませてくれましたし、楽譜の読み方も、バイオリンの手元を見せて指捌きも教えてくれました。
今日、カーラはバイオリンを持ってきて言いました。
「お嬢様、バイオリンを弾きましょう」
「え、でも…」
「こちらに革の手袋を用意いたしましたわ。演奏は難しいでしょうが、弦で指を怪我することはないでしょう。入学前に仕上げていきましょうね」
私は初めて楽器を弾きました。革の手袋は女性用の華奢な造りですが、それでも弦の位置が見えづらく滑らかな演奏が出来ません。カーラの軽やかな指捌きを真似しようにもあれはとんでもない高等技術なのだと実感いたしました。
カーラはたどたどしい演奏をする私に忌憚なく檄を飛ばしてゆきます。
「お嬢様、テンポが遅れていましてよ」
「は、はい」
「手を見ない! 優雅に前を見て心の目で弦に触れるのです!」
カーラの指導は厳しいものでした。今までで一番の鬼の形相を見て、新たな一面を知れたことに新鮮な心地がしました。
私は、カーラはそれだけ楽器が好きなのだわ、なんて思っておりましたが、後からこれは3週間でどこに出しても恥ずかしくない技量を急ごしらえでありながら身に着けさせようと必死になっているだと気付いて胸がジンとしました。私の肌が弱すぎて革越しでも弦を押さえた指が痛くて痛くて、刺繍がなかなか捗らないという事態にもなりましたが。
この指導のおかげでどうにか入学までに付け焼刃ながらそれなりの技量を身に着けることが出来ました。
「カーラ」
「はい、お嬢様」
本日分の指導を終えて、お茶を嗜んでおりました。カーラの入れてくれるお茶は、実は最初の頃香りは素敵でしたが味は薄くって。遠慮して伝えたことはありませんでしたが、6年も経てばお茶を入れる腕前も格段に上がるというものです。
「カーラはお茶、好きかしら?」
「私はあまり馴染みがございませんね。お茶は輸入物でございましょう? それよりは領地にワイナリーがありますし、西の方ではオルチャータが一般的ですからお茶を飲む機会はあまりありませんでしたの」
「オルチャータって何かしら?」
「植物の地下茎に水と砂糖、もしくは蜂蜜を混ぜた甘い飲み物ですわ。見た目も味もミルクに似ていてまろやかで…子供の頃はよく一つ上の兄と競って飲んだものです」
「ふふ。カーラは負けず嫌いなのね。それともオルチャータがそんなに美味しいのかしら」
カーラは笑ったかと思うとスクっと立ち上がり、バイオリンを手にして戻ってきました。そうです、カーラは突拍子もないことをするところがありました。ちょっと説明不足なのですが、もう慣れたものです。私は、何かしらとカーラの言葉を待ちました。
「そうですわ。お茶の時間に曲名当てゲームをしましょう。楽しみながら教養を得ましょうね」
「まあ、カーラったら面白いことを思いつくのね。やってみたいわ」
「では行きますよ」
カーラの演奏は美しいです。その旋律に時々うっとりとしながらゲームに興じ、最後にカーラの領地で古くから愛される曲を弾いてもらいました。
「これは、“ああ、愛しのエスパーヌ”…故エスパーヌ王国であり現在のエスパーヌ地方で良く歌われますわ。歌詞は、『ああ、愛しのエスパーヌ! 情熱のエスパーヌ!』ですの」
「素敵ね」
「でも、〆の歌詞は『それでも最愛のマリアには敵わぬて』ですから。最後は自分の好きなものが一番と叫ぶ曲なのですわ」
「ふふ、面白い。カーラはなんて歌ったの?」
「勿論『それでもオルチャータには敵わぬて』です」
私たちは顔を見合わせて笑いました。