11歳の転機
11歳になり、また少し咳き込むようになって参りましたが秋ですものね。木枯らしが吹く季節ですから珍しいことではございません。病態が重くならないようにと部屋を暖め水分を多めに摂るように気を付けておりました。9歳の時よりも病気を頻発することは無くなってきたため、漸く肉が付き始めております。
骨も目立っていますが、ぼこぼこと浮き上がってはおりません。寝具で痛さを感じることも少なくなってきたためより快眠を得られるようになりました。快眠だとお肌のくすみや張りが違うのですわ。隈も無くなってきて、良くなられて嬉しいとベッカ達は少し泣いていました。
私がフォークを握る力が出てきましたので、ベッドを横断するように机が架けられました。ここで滋養に良い病人食を、マナーに則って食べていきます。知識は使わないと忘れるのよ、と教えてくれたのはヴィオラです。反復練習のため出来るだけ忠実にマナーを守って食べました。
食事を終えて、さて今日は何のお勉強かしら、と問いかける前にベッカが言いました。
「本日は旦那様と奥様から重要なお話があるということでお部屋にいらっしゃいますわ。」
「え? お父様とお母様が?」
私を目を瞬きました。窓から遠目にお見掛けする、もしくはお兄様が両親のスケッチをくれる、という以外でお顔を見る機会は5歳ぶりなのです。しかもお話だなんて!
驚いているうちにドアがノックされ、ベッカがいらっしゃいましたね、なんて言うものですから私は急いで手袋とマスクを装着しました。早く直接言葉を交わしたいと気が急いて、上手く手袋が嵌められないことももどかしくって。そして、ドアが開けられるとそこにはスケッチと同じように年を重ねた両親の姿がありました。マスクと手袋をしていますが、スケッチと同じお顔でいらしたものですから、私はぼんやりと「お兄様は絵の才能がおありだわ」と思っていました。
両親は椅子に座り、私に嬉しさから垂れた目を向けました。
「ああ、エラ。可愛いエラ、不自由はしていないかい? 久しぶりだね、体調が快方に向かいつつあると聞いて私たちも嬉しいよ」
「エラ、まあ、こんなに…。本当によく頑張ったわね。今まで会いに来れなくてごめんなさい」
両親が私の手を握ります。手袋越しに触れる温もりに幼き日を思い出され、鼻がつんとしました。
「いいえ、お母様、お父様…。私、お会いできて嬉しいわ。今日のご用はなあに」
「そうだね、あまり長居はできないから簡潔に言おう。
エラ、隣国のフランセイス王国に留学する気はないかい?」
「留学?」
入学してもいないのに気の早い話です。それにしてもなぜフランセイス王国なのでしょうか。
「フランセイス王国は薬学と医療の発展が著しい。王国がそれを主軸に売り出しており、貴族専用の病棟や、病人、怪我人でも無理なく通えるような学校制度も目新しい。帝国よりもエラの病状にすぐ対応し重篤化させないことが明らかだ。体が良くなり次第帝国へ戻れるが…もしかしたら16歳まで王国に留まるかもしれない。侍女たちも全員がついてゆくことは難しいだろうし、家族とも離れることになり心細いだろう。エラ、よく考えてほしいんだ」
お父様は私にそうお話しくださいました。あまり私の判断に影響を及ぼしたくないのでしょう、淡々とした口調です。
私は目を閉じて考えました。
帝国でいるならば16歳まで外へ出るのは控えるべきです。成人してようやく学校へ入学することになるでしょう。年下と混じり勉学して、16歳のデビュタントはそうね、難しいでしょう。教養の基本を修めてすらいないのですから。でも、ヴィオラとの文通も今まで通り続けられますし、絆を育んできた侍女たちとも別れなくて済みます。一方、王国なら早い回復が見込めますし、王国の学校ですが通えて勉強もできます。一人で心細い環境です。王国に親戚でもいたらもう少し楽に暮らせるでしょうがそんなお話も聞いていません。
私は俯いた顔を上げて、お父様とお母様へ向き合いました。二人の瞳は心配と不安と、一つの希望が見え隠れしています。何の希望かまでは分かりませんけれど、私はこの目を見て決心いたしました。
「私、王国へ行きます」
母が息を飲んだのが分かりました。そして、少し震える声で仰いました。
「答えは急がなくていいのよ、もう少しゆっくり…」
「いいえ、お母様。私もう決めましたの」
「…そうか」
父は重い溜息を一つ吐き、私の手を固く握りました。お父様は侍女たちと少し二言三言交わして、また私に向き合いました。
「エラの体力が戻ってきていることを踏まえて、早めに隣国に渡るほうがいいだろう。エラの体調が良ければだが、3週間後に発つ予定を組もう。それでいいね?」
「はい」
「そうか…。隣国の勉強や身辺の整理をしておきなさい。出発には家族で見送ろう」
「うふふ、嬉しい。私、お勉強頑張りますわ」
お父様とお母様はきっかり10分で退出なさいました。もう少し考えこめば、また両親は私の部屋に訪ねにきてくださったかもしれないと気付き、惜しいことをしたわ、と後悔します。駆け引きって難しいですわね。
「ベッカ、お話聞いていて?」
「勿論にございます。早速隣国のお勉強と、最新の情報を持ってまいります」
「ありがとう。助かるわ」
私は3週間後に向けて歩を進めることにいたしました。
ベッカが持ってきてくれたのは新聞と、幾つかの記事の切り抜きを纏めたノート、そして留学といいますか、正確に言えば入学ですわね。入学する隣国の学校情報が載っている冊子を持ってきてくれました。
新聞はフランセイス王国の情報が載っているもの、ノートには医療面での最新情報が収集されていました。
「お嬢様、これは旦那様の私物ですのであまり汚さないように気を付けましょうね」
「お父様の?」
私は、幾分か古ぼけたノートを撫でました。長い時間をかけて私のために収集してきたのでしょう。すっかり感激してしまいました。
フランセイス王国は帝国とは違い、議会がありません。王権は絶対的なものとされ貴族階級の厳しい規律のもとで生活しております。帝国のように業務を請け負う各省がありますが、その責任は全て王が負っているので有能な方が求められます。
「フランセイスは厳しいわね」
「特権階級が明確ですから、その分義務も大変なものでしょう」
ベッカは「それに“聖女”がおりますからね」と続けました。
「聖女? それって何かしら?」
「王族に輿入れする貴族子女は教会に上がり王妃教育とは別に清廉潔白、慈悲の心を持つようにと教育されますの。そして“聖女”の認定を受けて漸く嫁げるのです」
「“聖女”って名前が必要なのかしら? ただ、『王妃教育は合格』って言い渡されるのと違うの?」
「“聖女”は『清廉潔白と慈悲の心』の象徴ですから、王家の不正を許しませんの。もし、王家や聖女の堕落が見られれば民衆が反発しますわ。クリスト教者がほとんどですものね。
教会も権威が堕ちることを厭いますから指摘しますでしょう。このような体制を敷いて政治をしていますのよ」
「面白いわ。本当に教会の役割は帝国と違うのね」
「ええ。そういえば、過去の王が悪政を為そうとした際に王妃は教会と手を組んで王を退けた、なんて逸話もありますのよ」
「まあ! 王妃様はお強かったのね」
次に産業です。内陸国であり、大陸では3番目の領土を持ちます。帝国の3分の1程の領土です。帝国が大きすぎるのだわ。
「平野が多いですから農業と牧畜ですわね。そして、特筆すべきは鉱山ですわ」
「多いのかしら」
「そうですわ。更に言えば、鉄鉱石、金や銀や銅に宝石が多く取れましたの。およそ150年間で小国2つ3つは買えますわね」
「ええ? そんなに?」
「その加工で外貨を得てデザイン、というか芸術ですわね、花開いて一気に建築様式等が華やかになりましたの」
「さぞ、美しいのでしょうね」
「しかし鉱山から毒が多く流れ出ましたし、宝石等が産出する量も年々減っていきましたの」
「まあ…」
「そこで、その時までは見向きもされなかったガラスの原料を使って、ガラス製品を生み出したのですわ。ガラスペンもフランセイスが考えたのですよ。宝石の研磨技術がありましたから、ガラスでも同じように加工して、お皿やガラスも模様付の技法の多くが出来ました。この邸にもパーティーに用いるグラスや大皿がありますよ。そのぐらい大陸中を席巻したのですわ」
「ガラスペンはフランセイスからだったのね。華やかなペンが多いもの、益々フランセイスに行くのが楽しみだわ」
私は少女小説のような華やかな世界に憧れてしまいますので、俄然楽しみになってきました。
「お嬢様は楽しみでいらっしゃるようで、良うございましたわ」
「ええ、とっても! どうぞ続けて」
「ふふふ、はい。200年程栄えたガラス工芸にまた衰退の兆しが見え始め、3代前の国王が国策として医療技術の向上を推進しましたの。ガラス工芸は、レンズの研究に切り替えられて、そうして効能を持つ物質の抽出、結晶化に成功したらあとはもう駆け足で大陸一番の医療技術を持つに至ったというわけですわ」
「努力が実を結んだのね。長いことかかったでしょうに、不断の努力ね。素晴らしいわ」
「その開発したお薬や顕微鏡…レンズを複数合わせてより詳細に物を観察できる機械ですわね、その輸出は困難ですの。十分に梱包されなければ、薬は海を渡ったら変質してしまうかもしれませんでしょう? レンズも高価ですから万が一割れてはいけませんもの。眼鏡も高価ですが、眼鏡の何倍も何百倍も見れるものですからとっても高価だと、在学時代の教授が仰っていましたわ。
その教授はレンズを隣国で買い付けて下着の下に入れて大切に持ち帰ったそうですけれど」
「ふふ、仕方ないわ。大事なのですもの。それに納得したわ。だから私、隣国に行くのね」
「ええ、これで外貨を得るには治療目的で訪れる貴族を増やさねばなりませんからね。一人につき一部屋、専属の僕を連れていける貴族用病棟が出来たり、町中も身体に障害を持つ方も利用しやすいように道を舗装しなおしたり、国を挙げて大きく売り出しております。
帝国から留学に訪れる方も多いのですよ」
ああ、昔お兄様が仰っていたことです。
「では、帝国出身の方にお会いできるかもしれないのね」
私は、寂しい気持ちはすっかり何処へやら、王国の寄宿学校を紹介する冊子を開きました。
王国の寄宿学校は全ての貴族に進学の権利と義務があり特例を除いて殆んどの王国貴族の子女が入学するとのことでした。
「ここでは社交界の縮図であり、未来の社交界そのものですわね。己の振る舞いが影響を及ぼすのですから親御様も気が気ではないでしょうね」
ベッカが目を丸くして呟きました。
「そうね。ここでお友達が沢山できるといいわね」
私は冊子の他国からの編入や入学に関する注意事項を読みながら相槌を打ちました。ああ、良かった。入学試験はありますが、特例として治療目的のための入学である為私の事情を考慮してもらえそうです。王国の歴史や単語の綴りに不安があるのです。言葉は似ていますが、一字違いや発音が少し違うために母音も違うから、うっかり間違えてしまいそうなの。
「まあ、図書館に庭園に娯楽室に音楽室、演奏ホール…すごいわね。ここで学生生活を送れるなんて楽しそう」
「施設も多うございますから退屈もなさいませんでしょう」
ベッカの言葉に頷いて時、ぴんと私は閃きました。
もしかして、少女小説のような青春ラブロマンスが巻き起こるかもしれないわ。
購読している雑誌が新たに始めた連載の舞台が学園なのです。ヴィオラは女性のみ通う
フィニッシングスクールですし、私は未だ学校に通えておりませんし、お互いときめきこそすれこの恋物語にはピンと来てはいませんでした。
まだ宮廷が舞台であるほうが、私たちにとって現実感があります。同じ年頃の男性と同じ空間で勉学をする? 廊下の曲がり角でぶつかる? 手渡しで照れた様子の気になる男子生徒からお手紙を貰う?
そんなことってあるのねえ、でも本当なのかしら、と純粋な疑問を抱きながらヴィオラと感想を言い合っています。
ですが、私が王国の寄宿学校へ入学すればそんな身近に感じるものなのかもしれませんし、少女小説のより詳細な世界観を描けるかもしれないし、何より多感な紳士淑女はそこで運命の相手と出会うかもしれない、そしてそんな一番の盛り上がりを私は目撃するかもしれないわ―――!
まあ、まあ、まあ!
私は、そのあと少し熱が出ました。ただの興奮で熱が出たなんて白状するのは恥ずかしかったのですが、幸い病気に罹ったわけでもなく翌日にはすっかり熱も下がりましたので安心いたしました。
私はルビーへ革靴と革に刺す刺繍針、香油、ハンカチの手配を頼みました。入学に向けて準備をする必要がありましたもの。
ああ!楽しみ!