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侯爵令嬢の穏やかな生涯  作者: 柏鶏子
10/50

 次の日の朝、私は起きてすぐに吸飲みで口を潤して、ルビーに話しかけました。久しぶりに声を出したので上手くお喋りできていませんでした。


「今日の日付を教えて頂戴」

「は、はい。8月の5日にございます」

「8月…では夏季休暇でお兄様がお帰りになってらっしゃる?」

「左様にございます。2日ほど前からお戻りになっておりまして、エラ様への言伝も預かっております」

「聞かせて頂戴」

「畏まりました。…『親愛なるかわいいエラ、どうか君の健やかな一日が早く始まるよう祈っているよ。障りが出そうなことがあれば直ぐにベッカ達に知らせて。』…とのことにございました」

「…お返事を、伝えて頂戴。『お兄様が近くにあられるような気がして心強く思います。お嫌でなければ私のために足音だけでも聞かせてくださいまし』って。頼めるかしら」

「畏まりました」


 ルビーは頭を下げました。私はその言葉を紡ぐことさえも大変に疲れてしまったようです。目を閉じて息を整えているうちに眠りについてしまいました。いえ、それだけではありません。昨夜は手紙を手に泣き、ベッドからドアまでの往復ですけれど珍しく運動もして、溢れ出る興奮が体に負荷をかけていたのでしょう。

 


 昼過ぎに目を覚ました私はナディアに促されて、お昼ご飯を食べました。結局残してしまいましたが7割ほど無事に胃に収めることができました。 

 ナディアが食器をトレイに乗せながら、「本日はお体も辛くなさそうでようございました」と笑いかけました。


「え」

「重なる治療に心がお疲れのようでございましたから…。ですが本日は気力があるようで安心いたしました」

「…それは…」


 脳裏に浮かぶのはお兄様のお手紙です。心配をかけていたことを悪く思いながらも、それを正直に言うことはできません。俯いて口籠る私をナディアは優しい顔で見守ってから、一礼し下がりました。

 ゾフィが着替えのために私の服を脱がしていきます。より簡易的な白い衣服は病棟で患者さんが来ているものと同じだそうです。背中に温かいタオルを当てて丁寧に丁寧に拭いてくれます。

背骨にぼこぼことした感触が伝わります。それほどまでに浮いてしまっているのでしょう。

 ちろりと胸元を見れば、肋骨の形が見えます。肌も薄く脆い感じがしました。私8歳なのに、カイリスのお婆様のお肌と似ていました。


「お嬢様、寝苦しくはございませんか?」

「…いいえ、そんなことないわ…」


何を言えばいいのかわからず曖昧に濁します。ゾフィは続けました

「赤くなっております、褥瘡の…床ずれのようですわ。背中やお尻の血流が悪くなっているようです。

今後は脈拍を図るとともに体位交換もいたしましょうね。今までより多くお訪ねすることになりますわ」

「ええ…でも、それはしばらく後でいいわ」

「しかし…」

「私、寝返るぐらいできるわ。無精してしまったの、今後気を付けるわ。でも今日はいいわ。明日になったらまたそのことも報告するし、駄目なようなら考え直すわ」

「畏まりました」


私は、今晩のことを考えてついそんなことを口走ってしまいました。普段よりずっと多い口数に、必死な物言いが急に気恥ずかしくなりましたがゾフィはそのことについては何も言いませんでした。

 私はほっと安堵のため息をこっそりと吐きました。



 侍女がカーテンを閉め、部屋の明かりを消します。ふっと暗くなり、侍女たちは退出していきました。ベッドの中で私はできる限り息を潜めて一つの音も漏らさず耳に入れようとしていました。

 どれぐらいの時間が経ったのでしょうか。もう諦めかけていたところに、昨夜の軽やかながら忍んだ足音が聞こえてきました。

 お兄様だわ!

 私はベッドから跳ね起き―――実際はのろのろとベッドから出ていたのかもしれませんわね。体感では勢いよく動いたつもりですが当てになりません―――、杖を掴んでドアへ向かいました。

 向こうはドアの前で佇んでいたようです。私がドア前に到着してから、何かをご決心されたのでしょう、躊躇いがちに隙間から封筒が差し込まれました。

 私は封筒をいそいそと受け取りました。そして、侍女たちの目を掻い潜って書いたカードを代わりに差し出します。久しぶりに握ったペンですが、上手く書けないのが恥ずかしいほどの出来でした。5歳の頃より下手の文字です。

 カードには、お手紙をもらって嬉しいこと。秘密にするから寄宿学校へお戻りになるまでお手紙が欲しいことを書きました。

 差し出したカードが引かれて消えていくのを見届けて、私はベッドへ戻って心待ちにしていたお兄様からのお手紙をさっそく読みました。


『親愛なるエラ


 朝一番に叱られると思っていたのに、結局エラは侍女たちに言いつけなかったんだね。悪い子だなと思う反面、また手紙を出せることが嬉しいよ。

 出来ることならと、僕が寄宿学校へ戻るまではできるだけ手紙を渡そうと思っているんだ。でも嫌なら直ぐに言いつけてね。僕のことを気遣って言い出さないなんて駄目だよ。

アディ』


 私と同じことを考えていらしたのだわ、と嬉しくなります。久しぶりの交流に見えた、もう一つの繋がりに頬が緩みました。

 昨夜に頂いたお手紙と同じ場所へ隠して、ランプを消し、ベッドへ潜り込みます。早く明日になればいいなんていつぶりに思うのかしら。4歳のお誕生日のお披露目会を思い出して、一人でくすくすと笑います。

 忘れないように寝返りを打たねば、と機嫌が良いまま眠りにつきました。


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