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迷子の魂

作者: とら野

   1.余暇の始まり


 薄暗い物置部屋の壁に彼は背中をもたせかけ、足を広げ、座っていた。

 彼の視界は真っ黒だった。自分が目を開けていないのか開けているのかわからない程に。そう、もしかしたら外が真っ暗だから視界が真っ黒になっているだけのかもしれないと彼は思っていた。

 彼は少し経ってから瞼を動かしてみようと思った。というのも瞼を動かせば、外が真っ暗なのかどうか確かめられると思ったからだ。

 彼は瞼を開くように瞼を動かしてみると、実際に瞼が開いていく感覚がし、視界が変わっていくのがわかった。彼の瞼は開き、彼は今まで自分が目を閉じていたことがやっとわかった。

 彼の視界に飛び込んできたものは人の顔だった。目を開けたら、すぐ目の前に顔を近づけている人がいたために彼は驚いた。

「おっ」

 彼に顔を近づけている人物が声を発した。

 薄暗い物置部屋の中で彼はその声の主の性別がわからなかったが、声を聞いたことにより女性だと思った。それと髪が肩ぐらいまであることを彼は確認したからだ。

「おはよう……でいいのかな。まぁ、おはよう」

 彼女は彼に顔を近づけたまま、優し気にそう言った。

「お、おはよう」

 彼は彼女に挨拶を戸惑いながらも返した。

「なんでここにいるのかわかる?」

 彼女の質問に対して彼は「……わからない」としか答えられなかった。彼は何か意地悪をしてそう言っているのではなく、本当にわからないのである。彼は彼女が質問してきたときに初めて過去を振り返るという行為をしたが、何も思い出せなかったのだ。その際に視界が真っ黒だったときよりも前のことを一切思い出せないことにも気づいてしまった。彼は自分が空っぽだと思った。

「あなたは僕がここにいる理由を知ってるの?」

 彼は駄目元で彼女に質問をしてみた。

「ごめん、知らないんだ。それにわたしも自分がなんでここにいるのか知らないの。何も思い出せなくて……なんか空っぽな感じで……」

 彼女の答えに彼は不安を煽られるのと同時に自分と同じ境遇の彼女に親近感を覚え、少し心が安らいだ。

「僕も同じ。なんか空っぽなんだ。まるで記憶がごっそりとなくなってる感じで」

「……」

「……」

 彼は周囲を見渡した。そうしたことで彼は初めて今いる場所が小さな物置部屋だとしっかり認識した。

 彼女は彼の顔を覗き込むのをやめて、彼の前であぐらを組んで座った。

「名前とかあったりする?」

 彼女は彼に問うた。

「ない……ないと思う。あなたは?」

 彼は彼女も自分と同じように名前がない、もしくは忘れていると思いながらも質問した。

「えーっと――シホだよ」

「えっ!」

 少し愉快そうな声で彼女がシホという自分の名前を言い、彼は驚いた。

「名前、覚えてるの!?」

「ごめんごめん。覚えてないよ。今さっき、名前を付けただけ」

 彼女はそう言いながら、金属製だと思われる小さなプレートを手に掴んで彼に見せた。彼は薄暗い部屋の中で目を凝らしてそのプレートを見た。そのプレートにシホと書かれていることを彼は認識した。

「近くに落ちてたの。あっ、君の近くにも落ちてるよ。ちょっと見てみてよ」

 彼は彼女の言葉に促され、彼女が指し示した場所からプレートを拾い上げ、そこに書かれている文字を読んだ。

「君の名前は?」

 シホは彼に問うた。

「カイ」

「じゃあカイ、よろしくね」

「こっちこそよろしく、シホ」

 二人はなんだかおかしくて笑い合った。

 彼らはプレートに対して疑問を持ち、少し話し合ったが、結局大したことはわからなかった。わかったことと言えば、自分たちの今の状況はわからないことだらけだということであった。

「これからどうしよう」

「……このままじっとするのは?」

 シホの言ったことに対してカイはあまり前向きとは言えない意見を出した。というのもカイには何かをしようという気がなかった。カイに昔というものがあるなら、昔からこのような消極的な性格だろうと言えるほどカイはごく自然にあのような意見を出した。

「えーっ! 何かしようよ!」

 シホの反対する意見にカイは押され、顔をシホから逸らした。

「あっ! 今、顔そらしたでしょ。暗くてもわかるんだから。もう、ちゃんと聞いてよ」

 シホはそう言い、カイの顔に両手を伸ばし、カイの顔の向きを正面に直した。カイは暗い中でもシホと目が合ったことがわかった。それはシホも同様で、シホはカイの目を見つめ、カイもシホの目を見つめた。

「……」

「……」

 シホは互いに黙っている間もカイの両頬に両手で触れている。そのうちシホの指がさわさわと動き始めた。シホはカイの頬を何も言わずに撫でている。カイはシホのその行為に対して恥ずかしさを感じていた。無言であることが一層カイを恥ずかしくさせていた。

「硬い」

「え?」

 シホの沈黙を破る突然の発言でカイは驚き、まぬけな声を出した。

「……何が?」

 シホの発言が奇妙だったため、カイは恐る恐るシホに質問した。

「顔が硬い……まるで木みたい」

「そんなはず――」

 カイも自分の頬を触る。カイは自分の顔が木のように硬いことに気付いた。カイは自分の顔を触り続けていると、自分の顔が木のように硬いのではなく、木そのもので出来ていると理解した。

「ねぇ――」

「あの!」

 シホが何かを言う前にカイがシホの発言を遮った。カイには余程言いたいことがあるのだろう。

「な、なに?」

「シホの顔も触らせて」

 カイは自分だけがおかしいのではないかという不安を解消したいがために、シホの顔に触れたかった。

「いいよ」

 シホはカイの願いをすんなり了承し、カイの顔から手を離した。

 ゆっくりとカイはシホの頬に手を伸ばす、だんだんとシホの頬にカイの指が近づいていく。そのときカイは、もしシホの頬が柔らかったら、自分と違っていたらと考え、指が震えていた。

 ついにシホの頬にカイの指が触れた。

「硬い」

 カイはシホの顔が自分と同じということを確認し、安心した。そんな安心した自分をカイは少し嫌悪した。

 少し間を置いた後、シホは自分の頬にゆっくり触れた。

「本当だ、カイと同じだね」

「……うん」

 ――風が吹いた。

 カイはシホの顔から手を降ろした。

 風と共に薄暗かった部屋に月明りが差し込んだ。

「あっ」

「あっ」

 月明りが照らし出したのは二人の姿――木で出来た人形の二人の姿だった。

「人形だ……」

 先に話したのはシホだった。

「人形だね」

 互いに頬を触ったときに何かおかしいということを二人は知っていたためにあまり驚かなかった。

 二人の姿は木で出来た人形であり、カイはシャツとズボンを身に着けており、シホはシャツと長めのスカートを身に着けていた。

 カーテンがひらひら舞っている。窓が開け放たれていて、月明りと風が部屋に入ってきている。

「これからどうしようね」

 カイにはシホが微笑みながらそう言っていることがわかった。なぜなら表情がわかるほど人形がとても良く出来ていたからである。

「どうしようか……」

「あっ、困った顔してる」

「僕の表情がわかるんだ?」

「わかるよ、わたしの顔はどう?」

「微笑んでるのがわかる」

「お互い顔がよくできてるね、なんか変な言い方な気がするけど」

「変だね。でも本当によくできてるよ」

「……」

「……」

「…………ねぇ、外に出てみない?」

 シホは開け放たれた窓を見ながらそう言った。

 シホの言葉にカイは不安を感じたが、シホと一緒なら外に出てみてもいいかもしれないとも思った。

「うん、外に出てみよう」

「よし! じゃあ準備しようか」

 カイの返事にシホは喜び、部屋を漁り始めた。

「えっ、準備って何を準備するの?」

 シホの突然の行動にカイは驚きつつも、シホに質問した。

「帽子とマフラーを準備するんだよ。わたし達ってさ、見た目が人形でしょ。外に出たときに人に見られたら、騒ぎになると思って、帽子とマフラーで顔を隠そうと思ってね。あっ、見つけた」

 シホは帽子を二つとマフラーを一つ見つけ、それらを手に抱え、カイに見せた。

「カイも探してよ。あとマフラーが一つだけだから」

 カイは周囲をきょろきょろと見渡してみたが、それらしいものはない。

 仕方なくカイは探し回ることにした。

 探し回るためにカイは手を床について、立ち上がろうとしたそのとき、手に布の感触がした。何かと思ってカイは布らしきものを手に取り、立ち上がった。カイはそれを確認したら、それはマフラーだった。今までずっとカイのお尻の下で下敷きにされていたのだった。

 カイは何だかぺしゃんこになったマフラーを顔のおよそ半分が隠れるように自分の首に巻いた。さすがにこのマフラーをシホに渡すのはおかしいと思い、さっさと自分の首に巻いたのであった。

「シホ、マフラーを見つけたよ」

「おっ、もうマフラー巻いてるね。外に出る気満々だね。はい、帽子」

 シホはカイに帽子をかぶせてあげた。そしてシホ自身も帽子をかぶり、マフラーを巻いた。

 準備のできた二人は月明かりが差し込んでいる窓に向かった。

「ここは二階みたいだね」とシホは窓の下を覗き込みながらそう言った。

 シホと同じようにカイも窓の下を覗き込んだ。

「たしかに二階だね。すぐ下に庇があるから、その庇を経由して下りれば、安全に外に出られそうだね」

「それじゃあ、わたしから下りるね」

 二人は家にいるかもしれない誰かに見つかったら、厄介だと思い、窓から外に出ることにしたのであった。

 カイはシホが窓から庇に下りるのを慎重に見守った。

 シホは無事に庇にそっと下りて、そのまま地面に下りた。シホはカイの方へ向き直り、カイを促すように手招きした。

 カイもシホに倣うようにそっと庇に下りて、地面に下りることができた。

 家の外は緑に囲まれていた。どうやら家は丘の上に建っていたようだ。

 二人は微笑み合って、月明りの下で自然と手を繋いで小走りに原っぱを駆け、丘を下っていった。


   2.余暇と余暇の終わり


 丘を下ると、二人は小さな港町に着いた。

 空はまだ暗く、空気もひんやりとしているが、その冷たさを二人は感じていた。木製の人形なのに冷たさを感じることができていたのだ。そのことに二人は不思議な気持ちを抱いたが、喋ることや音を聞くことをそもそも最初からしていたなと思い、今更だなと思い直した。しかし、逆により一層自分たちの身体に不思議を抱いた。

 深夜の静まり返った港町を二人は静かに歩いて行く。

「ねぇ、波の音がしない?」

 シホがカイに寒さのためか身を寄せながら、そう尋ねた。

「え? そうなの? ……あっ、本当だ。波の音がかすかにする」

「よく聞こえたね。僕は全然気が付かなったよ」とカイはシホに振り向き、言った。

「わたしの耳はよくできてるのかな?」とシホは笑顔で言った。

「ははっ、僕らの耳は木製だけどね」

 カイもシホと同じように笑顔になった。

「そういえば、全然当てがないよね」

「わたし達は最初から当てなんてないけど、さっきみたいに外に出るとか何か目標を立てないと、退屈しちゃうね」

「人もいないし、もちろんお店もやってないし、どうしようか。……海に行ってみる? 波の音が聞こえたし」

「海か~いいね。あっ、でも真っ暗で海がよく見えないか」

「たしかに。……それなら朝日を見に行こうよ。まぁ、朝日を待つまでの時間が退屈かもしれないけど」

「どこで朝日が見れるかな?」

「なんとなく、海なら見れそうな気がする……方角とかわからないけど。シホは方角わかる?」

「あはは……わたしもわからないし、わたしもなんとなく海なら朝日が見れるんじゃないかなーって思う」

「それなら、海に行ってみようか。当てもないしね」

 二人は身を寄せ合いながら、かすかに聞こえる波の音を頼りに海へ歩き始めた。

 しんとした町に響くのは、波の音と二人の足音だけ。その音を二人は心地良く聞きながら歩いて行く。

 波の音が大きくなってきた。二人は海にだいぶ近づいてきた。もう海が見えてきた。

「何だか怖い」

 カイが真っ黒な海を見て、そう呟いた。

 シホはカイの手をぎゅっと握った。

 カイは先程呟いたとき、ここから引き返そうと少しだけ思っていたが、シホの行動に励まされ、朝日を見るんだと決意を固めた。そこまでして朝日を見ることが大事だという明確な理由はないが、それでもカイには大事なことのように思えた。それはもしかしたら、ただシホと一緒に行動したいがためなのかもしれない。いや、シホはたとえ海から引き返すことになっても、カイの傍にいてくれるだろう。でも、カイは真っ黒な海から引き返すことなく、朝日を見ることを選んだのだ。

「あのベンチで朝日を待たない?」

 シホは砂浜の手前にある二人掛けぐらいのベンチを指差して、言った。

 その提案にカイは「うん」と頷き、二人は手を握ったまま、ベンチに向かっていった。

 ベンチについた砂を払い、二人はベンチに座った。

 二人は真っ黒な海を見つめ続けた。カイは真っ黒な海を見つめ続けるのと同時に自分の内にある恐怖という感情も見つめ続けていた。その恐怖とは真っ黒な海からのものなのかどうかはいまいちわからないが、見つめ続けていくうちに恐怖という感情が落ち着いてきた。依然として恐怖は感じるが、その感情の大きさは小さくなっていった。

「ふふっ」とシホがカイの顔を見ながら笑った。

 その声に反応し、カイはシホに振り向いた。

「どうしたの? 僕、変な顔でもしてた?」

「大丈夫、変な顔してないよ。ただ……なんかね、良かったな~って思ったの。そしたらね、楽しい気分になっちゃた」

「僕には全然わからないや。むしろ少し怖くないの? 目の前に真っ黒な海があって」

「真っ黒な海は怖いけど、それとは別に良いことがあったんだと思う。わたしにもよくわからないけど。でも、少なくともカイのおかげな気がしてる」

「ふ~ん……」

 今に始まったことではないが、二人とも記憶がほとんどないためによくわからないことが多い。

 二人はまた海を見つめ続けた。

 しばらくすると、空が白んできた。

「もうすぐで朝日が見れそうだね。方角が合っていればの話だけど」とカイは軽く何気なく言った。カイは朝日が実際に見れるかどうかよりも朝日を見る決断をしたことを大事に思っていた。だから、たとえ朝日が見れなくともそれはそれでいいかとも思っていた。

「……朝日、見れるよ」

 シホが遠くを見ながらそう言った。

 カイもシホが見ているものを見ようとして遠くを見た。

「あっ、朝日だ」とカイは思わず呟いた。

 シホは笑顔になり、「良かった~」と嬉しそうに言った。

 だんだんと朝日は昇っていき、朝日が顔を出した。その間、二人はじーっと朝日を眺めていた。鳥の声も聞こえてくるようになっていた。風の音、海の音、鳥の声を聴きながら、傍らにいる者の存在を感じながら、二人は朝日を眺めていた。

 真っ黒な海はもうここにはなく、あるのは朝日に照らされた綺麗な海だった。

「朝日、見れたね」

 シホがカイの顔を見て、そう言った。

 カイはシホの方に向き直り、シホと目を合わせた。

「朝日を見れて良かった。朝日を見ようとここまで来て良かった。何だか気分が凄くいいというか、心が落ち着いていて心地良く感じれる。シホがいなかったらここまで来れなかっただろうし、今の気持ちを味わうこともなかったと思う。ありがとう、シホ」

 シホは微笑んだ。

「僕、穏やかな勇気が出てきたよ。これもシホが傍にいなかったら、出てこなかっただろうね。……僕ばかりシホから色々貰って、申し訳ない気がしてきたよ」

「そんな風に思わなくてもいいんだよ。だって、わたしもちゃんとカイから貰ったものがあるから」

「それは何だい?」

「暖かくて、大切なものだよ」

 風が強く吹いた。

「カイ、一緒に進んできてくれてありがとう。わたしはすごく! すごく! 嬉しい!」

「また言うけど、僕の方こそ、ありがとう。シホのおかげでこれから頑張れそうだよ」

「そうなの?」

「うん」

「良かった――」

 シホはそう言い、カイの肩に頭を預け、目をつぶった。

「シホ?」

 また風が強く吹いた。

「僕も目をつぶりたくなってきた……」

 カイはシホの方に頭を傾け、ゆっくりと目をつぶった。

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