溶けぬ氷の優等生?
メルト=アイゼン=スノウと言う少女の話をするのならば、彼女の生まれ育ったスノウ家の話をしなければならない。
マナアギア王家を筆頭にスノウ、フランブ、ノクト、ガイアス、ヴァン、ルミナの六公爵家は始まりの七賢者の子孫の血筋として国民から畏敬の念を向けられる家柄である。
特に、多くの宮廷魔術師を輩出し、現宰相のアキリア=ザンゼ=スノウが当主を務めるスノウ家は代々王家に最も近しい家系として絶大な権力を持っていた。
メルトは幼き日より母アキリアから帝王学を学び、スノウ家の次代を担う者として初代当主ハルシア=イトク=スノウの残した家訓を規範として生活を送っている。
曰く「才ある者よ、力を示し民を導け―――汝、賢者たれ」
エドワードが食堂の片隅で友人と談笑し、シザールが魔導書の整理に精を出している、その頃―――。
学校の西の敷地にそびえる一際大きなドーム状の建物、黄色い屋根が特徴的な魔術訓練室では熱心な学生達による、魔術の早朝訓練が行われていた。
学校の単位とは別に、申請した者が特別な許可を得て行う事が出来るこの訓練は、様々なクラスの人間が入り混じり思い思いの方法で魔術の行使をしていた。
そんなカオスな環境を監督する教師はAクラスの担任マクスウェル=タタ=ノクト、年齢は30代後半、黒髪の短髪に地黒な肌、無精髭を生やしただらしない風体をしているが国内随一の闇属性魔術の使い手で騎士団の団長も務める才媛である。
「闇の衣よ全てを抱け」
マクスウェルは生徒達に怪我人が出ないよう、広い魔術訓練室の中を覆うように魔術の威力が抑えられる結界を幾重にも張り巡らしていた。
「……はぁ、朝練の監督ってのは完全にババ引いた気分だ」
魔力の調整をしながら、こっそりと溜息混じりに愚痴をこぼす中年男性の姿は、格好良い騎士団のイメージを粉々に打ち砕く程度には哀愁が漂っていた。
「……先生、お言葉ですが力ある者として当然の責務だと思います」
「メルト様の言うとおり、私達みたいなエリートの仕事があって初めて凡夫にも魔術が使えるのよ」
「どうでも良いけどヒゲ先生、はやく次の結界張ってよ」
そんなマクスウェルを冷ややかな目で見つめる銀髪の少女と数人の女生徒、メルトをはじめとするAクラスの生徒達だった。
「いっちゃなんだが、お前らのお守りも俺が溜息ついてる理由だからな、復唱」
次の結界を張りながら、マクスウェルは少女達に向き直る。
「ふんっ、なによ普段からメルト様にお手伝い頼んで楽してるくせに、偉そうだわ」
二つ結びの赤髪を揺らしてメルトの取り巻きの少女、エーコ=モブリスはマクスウェルに食って掛かる。
「エーコ、ヒゲ先生に何言ったって無駄だよ、この人昔からこうだから……固定」
エーコを諌める長身の少女、シィーナ=オウグ=ルミナは自慢の黒髪を指先で弄りながら結界の補助魔術を唱えた。
「俺は、生徒が学校の事を自主的に考えて動けるように教育しているだけだぞ」
「ご高説痛み入ります、先生がそんなに学校教育に熱心だったとは知りませんでしたわ」
慇懃無礼にマクスウェルに返し、にっこりと笑みを浮かべるメルトだったが、目が笑っていないのはその場の全員が感じ取っていた。
「うっ、まぁ、君達にはいつも助けられてるな、うん!」
誤魔化す様にマクスウェルがメルト達から視線を外し、訓練室内の他の生徒へと顔を向けた、その時事件は起こった。
「あーっ調子乗ってんじゃねぇぞ、こらぁ!!」
「んだと、てめぇもう一回言ってみろ!!」
大柄のスキンヘッドの男子と、小柄なトサカ頭の生徒が言い争う姿が見える。
魔術を使った模擬戦闘訓練をしていたBクラスの生徒数人のグループが、突如として大声で喧嘩を始めたのだ。
「あーなんだ、喧嘩かぁ…面倒くせぁなぁ…」
「いいから仲裁しに行きなさいよ、あんた教師でしょ!」
傍観を決め込もうとしていたマクスウェルの背中を必死に押すエーコ、そんなやり取りを後目に血の気の多いBクラスの生徒達の喧嘩はどんどんとエスカーレートしていく。
「てめぇの、へなちょこ火炎弾なんか屁でもねぇって言ってんだカス!」
「はぁっ、お前の真空波なんてそよ風レベルじゃねぇか、扇の方がマシだぞハゲ!」
模擬戦の勝敗で揉めている様子だが、その罵声のレベルは子供の喧嘩と大差ないものだった。
「どうやらハゲ先生の結界が効きすぎて、勝敗のつかないレベルまで魔術の威力が落ちたのが原因っぽいわね」
「おいっ、誰がハゲ先生だ、ヒゲ先生って呼び名も微妙だからな……たくっ、おーいお前ら、喧嘩はやめろー」
シィーナに煽られて、渋々マクスウェルが仲裁に入るがBクラスの男子達の喧嘩は収まらなかった。
「「先公は引っ込んでろ!!」」
息ぴったりに吼える二人の大声に一瞬たじろぐマクスウェルだったが、溜息まじりにゆったりと再度仲裁に入って行く。
「引っ込まないぞー、あんまり度が過ぎると俺も実力行使にでるからな」
鷹揚なやる気のない仲裁をいくら受けても、二人のボルテージは下がる気配が無い。
「「上等じゃ、止められるもんなら止めてみろや!!」」
「おー息ぴったり、伝統芸能か?」
一言一句違わず啖呵を切る彼らに、あきれだけでは無く感動すら覚えるマクスウェルだったが、そんな彼の横をそれまで静観していた少女の影が横切った。
「実力行使はわかりやすいですね―――力を示せ」
「「あ?」」
両手に全力で魔力を密集させ、メルトは大規模戦闘向けの魔術の詠唱に入る。
「我が眷属は水の精霊、絶対零度の裁きをもって罪深き者達を氷櫃の安寧へと導かん―――」
「あっバカ!」
慌てて、結界の出力を上げるマクスウェルだったが、そんな彼の努力も虚しくメルトの大軍魔術が炸裂する。
「凍てつく氷の暴風」
結界の中を吹き荒れる絶対零度の嵐は、一瞬にして人間の熱を奪い、氷の塊の中へと閉じ込める。
氷の彫刻と化した哀れな男子生徒には目もくれず、メルトは悠々と言い放った。
「―――喧嘩両成敗、くだらない言い争いなどせず、もっと高貴なものを誇りなさい」
魔術訓練室にいたその他大勢の生徒は思った、もう二度とこの場で喧嘩をしないと……。
「流石です、メルトさま!!」
「とりあえず、完全に死ぬ前に蘇生魔術をかけましょうか聖天使降臨」
目を輝かせるアホが一人、慣れた様子で冷静に対処する者一人、そして―――。
「こいつら本当めんどくせえぇーーー!!」
頭を抱えて激しく嘆く者が一人。
天才的聖魔術師の活躍により死傷者0人、これが、メルト=アイゼン=スノウと言う少女の日常の一コマである。