老魔術師の憂鬱
シザール=マグノイアは悩んでいた。
堆く積まれた魔導書や史書の数々、歴史的に価値のありそうな杖や魔道具等の骨董品が所狭しと置かれている、ここは学科棟の一室、シザール本人の研究室である。
トレードマークの白髪に黒縁のビン底眼鏡を引っ掛けて、幾つのもの魔導書を机の上に広げた状態で、老齢のシザールは溜息と共に眉間を右手で揉みこんだ。
現国王に依頼され普段はマナアギア王国の歴史を研究している彼であるが、本業は立派な宮廷魔術師である。
後進の育成の為、王立魔導学校の教壇立ったのが40代の後半、以来35年の歳月をこの学校の生徒と共に歩んできたベテラン教師でもあり、卒業をした教え子達からは敬意をこめて『教授』の愛称で呼ばれていた。
現在はEクラスの担任をしているが、この学校において教えるという事に関して右に出る者無しと言われる彼の元には、過去、様々な優秀な魔術師達が師事していた。
そんな彼の悩みは目下、可愛い3人の教え子達の事であった……。
「……さて、はじめるとするかの、解明の灯火」
手近にあった赤い表紙の魔導書に一冊に手をかざし、呪文を唱えるとパラパラと音を立てて、高速で魔導書が捲れあがる。
パタンと最後のページが閉じると、魔導書の上に淡い光を放った魔術文字が浮かび上がり、綺麗に整列していった。
「……えーっと、クゥ=ククルクル年齢16歳、獣亜人種フワウサ族……魔術特性は『強化』……天真爛漫な直情型っと……」
魔術文字の配列を並び替えながら、シザールは過去の情報を整理して新しい情報を記入していった。
一般的な6大属性から外れたEクラスの生徒達は、特殊な魔術の使い手として正しく指導して行かなければ、その才能を最大限に発揮できないとされている。
例えば、今シザールが情報をまとめているクゥの魔術特性『強化』は自身の身体能力を文字通り魔術で強化するものだが、似た様な魔術は6大属性を持つAクラスやBクラスの生徒達でも容易に扱う事ができる。
しかし、魔術特性としての『強化』は本質としてそれらの魔術とは根本が違うのだ、魔術師が魔術を行使する場合には魔力と呼ばれる力の消費が必要となる。
一般的に魔術師は己の身体の中にある生命力を、この魔力に変換して呪文を唱える事で魔術を発現させる事ができるのだが、それには生命力の変換という枷がある以上、個人差はあれど上限が存在している。
つまり、魔術を使いすぎると生命力が枯渇し、最悪の場合は死に至るのだ。
クゥの扱う強化魔術は生命力の枯渇による術者の死亡という欠点が無い、何故なら彼女は自身の魔力をほぼ使わずに強化魔術を扱うからだ。
魔術特性、いや魔術特化とも言える特殊魔術の秘密は、世界に満ちる大魔力を直接自身の身体に取り込める事にある。
樹木や草花、小鳥や魚や虫までも世界中の生命達が、無意識に放つ生命の息吹、ほぼ無尽蔵に存在する膨大な魔力の塊を何の儀式も、装備も無く魔術に行使できる―――。
それは、精霊や神獣と呼ばれる人の上位にある存在が扱う魔法に近い特異な魔術であり、数百年に一人と言える程の天賦の才なのだった。
過ぎたる力には勿論欠点も存在する。
膨大な魔力の奔流、その制御がとても難しく過剰に魔力を吸収すれば『強化』を通り越し『狂化』自我を失い暴走する危険性を孕んでいる。
更にその先には、人の身という小さな器の崩壊、即ち過剰魔力による生命の消失、周囲数キロを巻き込んだ人間爆弾の完成と言う笑えない状況が待っているのだ。
「……故に、精神的未熟を鍛え、精密な魔力コントロールを学ぶ事が、彼女の最優先課題となるだろう」
パチンとシザールが指を鳴らすと、魔導書の中に魔術文字が吸い込まれる様に消え、わずかに残った魔術文字の光の残滓も暗い部屋の片隅に散って行った。
「ふぅ、次はリオン君の情報だな……解明の灯火」
クゥの情報が収められた魔導書の隣、緑色の表紙を持つ魔導書にはリオンの情報が収められていた。
実の所、特異な才能を育てるシザール自身も若かりし頃はEクラスに所属していた過去があり、特殊魔術の使い手だった。
シザールの魔術特性は『究明』、物事の真理を求め道理を明かす彼の特性は、失われた過去を探る考古学だけでなく、自身の力に悩む若者に道を示す教育者としてとても優れてた。
どんなに複雑で難解な特殊魔術であっても、彼が紐解き正しく指導する事ができれば制御する事ができる。
「……リオン=グルシア年齢18歳人間族、『光』と『魅了』の二重属性……」
普段は冴えない格好をした好々爺だが、経験に裏打ちされた彼の教育は正に『教授』と呼ばれるに相応しいものだった。
「――『光』の魔術はヒーリング等、聖魔術に特化している様子……。ふむ、リオン君の性格的な優しさが出ているようじゃな……。問題は『魅了』の方じゃな……」
リオンの持つ『魅了』の魔術は、他者の意識を奪い一時的に隷属させる事ができる稀有な魔術である。
過去にこの魔術を得た者は皆、歴史に名を残している―――が、それは悲劇的な物語として後世に語り継がれている。
自身の人格が魅了され、時代の権力者を影から操り最後は反逆者として処断された宮廷魔術であったり、偶発的に君主の妻を魅了してしまい最後は嫉妬に駆られた君主に捨て駒にされる騎士の物語など、その能力の暴走に自身が飲まれてしまい、人生を翻弄されてしまう者が多いのだ。
「……二重属性の利点を活かし、聖紋による能力の限定封印を実施、精神汚染を最小限に抑える事で、彼の人格を『魅了』の暴走から保護する必要があるっと……」
聖紋は光属性の封印術の一つで、魔力で特殊な紋章を身体に刻む事で対象の能力や記憶などを封印する事ができる聖魔術の上位魔術である。
非常に時間の掛かる儀式魔術なので、他者に施すのはとても難しく、犯罪者の能力封印や戦災被害者などの精神ケアの為の記憶封印に使われ、複数人の聖魔術師が合同で施術のが通例となっている。
だが自身の身体にならば、少しずつ時間を掛けて聖紋を刻んでいけばそこまで難しい魔術ではないのだ。
「彼は優秀な聖魔術師になれる人材じゃ、その力で人々を癒していって欲しいものじゃ……」
そう感想を洩らしながら、パチンと指を鳴らしてリオンの魔導書に魔術文字を収める。
「さて、最後はエドワード君か……魔術特性『感応』……」
エドワードの情報が書かれた青い表紙の魔導書を手に取るが、シザールは呪文を唱えずに彼の魔術特性を口にした。
「他者と精神的な繋がりを持つことで、膨大な量の魔力をその者へ供給する事ができる……が、渡せる魔力は自身の魔力を混合した大魔力又は、自身の持つ魔力のみ……」
眼鏡を外し、魔導書を持ったまま窓辺へと歩いて行くシザールの瞳は遥か遠くの空を眺めていた。
「……通常の魔術と違い、供給した魔力は自身の身体に戻らない」
青い空の上には雲の隙間から飛び出した、大きな翼を持った鳥が弧を描くように旋回している。
「……故に術者は短命の者が多い……エドワード君はキミと似た性格のようだ……」
シザールは先日のマナアギア国史Ⅰで起きた騒動を思い出す―――。
「危険を顧みず、友達の為に咄嗟に身体を動かしてしまう……」
20年前に卒業した教え子の少女、その活発な笑顔を想い浮かべ、シザールは溜息をついた。
「―――はぁ、どうか彼を守ってあげてくれ―――アルトリア君」
教え子想いの老教師、シザール=マグノイアの悩みは今日も尽きないのだった。