理想的学生生活
……懐かしい夢を見た。
在りし日の彼女との思い出は、日当たりの良い温かな寝室の窓際だった―――。
春は花の香りに満ち溢れ、夏は爽やかな風が頬を撫で、秋は木々が色付いては散っていく、冬は雪を眺めて暖を取る。
一年を通して、ベッドの脇に据えられた木製のスツールが自分のスペースだった。
父親の訓練をこっそりと抜け出し、その場所へ座ると、彼女は嬉々とした表情で迎え入れてくれた。
「ありがとう、今日も来てくれたのね」
そして幼い頃の自分は、得意げに語る彼女自身の冒険譚がとても好きだった。
「じゃあ、今日は何の話をしようか―――」
亡き母、アルトリア=グリフォード、病に蝕まれても笑顔を絶やさない人、そんな彼女をとても尊敬していた。
母は若い頃に魔術師として世界中を旅し、幾多の困難を仲間と共に乗り越えてきたのだと言う。
麓の村々を襲う邪竜退治に、世界支配を目論む秘密結社との激しい抗争、果ては古代兵器の破壊指令など様々な話を聞かせてくれた。
どこまでが本当の事かは解らないが、下手な夢物語より楽しい、そんな彼女の話す冒険譚に一喜一憂した事を今も覚えている。
それは、何ものにも代えがたい、穏やかな日常の光景だった。
その後、父親に見つかり強制的にサバイバル訓練を施されたのも、今となっては良い思い出なのかもしれない―――。
………いや、括り罠を使って一晩中逆さ吊りにされたり、虫除けだと言って汚泥を身体中に塗りつけられたりした事は、断じて良い思い出ではないな。
「強く生きろ!人生とは即ちサバイバルだ!!」
豪快にそう笑う父親との思い出は碌なものではない、アレは訓練と言う名の児童虐待だ。
「虐待?違う、これは父の愛の鞭だ!!」
訓練時に良く見せた父マイクのしたり顔が、頭の中をグルグルと飛び回っている。
いつの間にか迷い込んだ悪夢に、追い立てられる様に、意識は徐々に覚醒していった。
「……最悪の寝覚めだ」
レンガ造りの壁に採光用の窓が一つ、学生寮の古びた木造ベッドの上でエドワードは目を覚ました。
懐かしい大切な思い出が滅茶苦茶に汚された様な気がして、爽やかな筈の朝の空気が酷く憂鬱な物に感じられる。
「酷くうなされてた様ですが、大丈夫ですか?」
同じ部屋にもう一組あるベッドに腰掛け優雅に読書をしていた同居人、リオン=グルシアが声を掛けてきた。
「んーーっ、あぁ、大丈夫だ」
気分を変えるため、大きく伸びをしながら答えると、リオンは更に言葉を続けた。
「まぁ、憂鬱になる気持ちは解りますけどね……」
ふぅ、と溜息混じりにリオンは読んでいた本をパタンと閉じた。
「学校一怖い生物に目を付けられた訳ですから、正直、同情しますよ」
リオンの一言で、エドワードは先日のAクラス主席メルト=アイゼン=スノウとの揉め事を思い出す。
「……うっ、忘れようとしてるんだから思い出させるなよ」
幼少の頃より特訓と称して様々なモンスターと対峙させられてきたエドワードだったが、メルトの威圧感にそれらを軽々と超える程の恐怖だと感じていた。
「流石にAクラスの方は魔力の規模が凄くて、肝が冷えましたね」
クゥとメルトの間に割って入ったリオンも同じように冷や汗をかいた様で、思い出して乾いた笑いを漏らしていた。
「でもまぁ、普段はクラスも違うし歴史の授業以外で会うことはないだろ」
魔術師の杖に入学してから約半年程経つが、エドワードとメルトはクラスが違う事をから、今まで接点がほぼ無かった。
「そうですね、彼女はエリート、我らは落ちこぼれですからね」
そう言って、リオンは大仰に立ち上がると道化師の様におどけながらウィンクをする。
「さぁ、3人仲良く落ちこぼれましょう」
「……それ言うとクゥに殴られるぞ」
「それはそれで、楽しいスキンシップになりそうですね」
互いに冗談を言い合い、和やかな雰囲気で笑いあった。
リオン=グルシアはさりげなく相手に気づかいが出来る男であり、とても空気の読める男だった。
憂鬱な気分が少し和らぎ、エドワードはリオンに感謝した。
「さて、朝食でも食べにいこうぜ」
「えぇ、早く行かないと待っているクゥさんに怒られますしね」
エドワードは手早く上着を羽織り、リオンと一緒に学生寮を後にするのだった。
朝食を食べようとする生徒達の姿で込み合う学生食堂、その一角に朝食の黒パンに噛り付きながら悪態をつくクゥの姿があった。
「もーぅ、遅いよ二人とも!」
頬を膨らませながら、半立ちの長い耳がぴょこぴょこと左右に揺れている。
「悪りぃな、ちょっと列が混んでた」
「すみません、お詫びにリンゴを一切れ差し上げます」
2切れのリンゴとキャベツのサラダ、大き目の黒パンに一杯の牛乳、オーソドックスな朝食プレートをテーブルの上に置き、上着を使って確保していた席に座りながら、エドワードとリオンはクゥに謝罪する。
「えっ、リンゴ!?ちょー好き!!」
不機嫌な様子など無かったかの様に、リンゴ一切れに目を輝かせる獣人の少女―――。
その喜怒哀楽のはっきりした性格故に、何となく庇護欲がそそられる。
「…俺のも一切れやるよ」
「わぁーい、ありがとう」
そっと、クゥの皿の上にデザートのリンゴを載せてみると、満面の笑みが返ってきた。
野生の小動物に餌付けする人間の気持ちを悟り、エドワードは優しい気持ちで自分のパンにバターを塗って食べ始めた。
「……エド、その考えはばれたら殺されますからね」
「……リオンも同じだろう」
小声で密談する二人の様子をみて、クゥが小首をかしげる。
「ん?どうしたの??」
「「いや、別に」」
それは、とても仲良しな3人組の朝の日常風景だった―――。
その後、授業まで余裕がある事を確認して、のんびりとパンを齧っていると、クゥが思い出した様に話題を変えてきた。
「そう言えば、そろそろ実技で演習やるみたいだよ」
「演習?」
聴き慣れない言葉に疑問符を浮かべるエドワードをみて、クゥは得意げに続きを話しはじめた。
「そう、いくつかの班と合同で課題に挑戦するんだってさ」
「……いくつかの班って、俺達のクラスは1班しかないぞ?」
何となく嫌な予感を感じつつ、エドワードはこの手の話に詳しいリオンの方をみる。
「学年演習なので基本的に他のクラスの方と組むみたいですが、相手はまだ未定の様です」
予定は未定―――。
「んー、班が気になるなら後でシザール先生に聞いてみようよ」
エドワードは、Eクラスの担任教師も勤めるシザール先生の顔を浮かべつつ、演習班の相手がAクラスでは無いことを祈るのだった