サバイバル初級編
大陸の南西、マナアギアから遠く離れた土地にならず者の国と呼ばれる小国『テルストル』はあった。
首都『テトル』には、広大なスラムが広がり世界中の犯罪者や貧民が追われる様にこの土地に流れ着いては、その版図を広げていった。
この国の成り立ちは正道では無く、世界中の黒歴史を煮詰めて凝縮した様な凄惨な血と争いが数世紀に渡り続き、そこに住まう者が多くの差別や侮蔑の果てに奇跡的に辿り着いた国家だった。
故に国民の結束は固く、国を取仕切る者に絶対的な信頼を置き、忠誠を誓っていると言われている。
『赤色鉄鎖』は、このテルストルで生まれた世界最大規模の盗賊ギルドである。
情報を支配し大陸中で暗躍するこのアハマルであるが、多くの謎に包まれた組織であり、様々な噂が絶えない―――。
唯一、一般的に知られてる事があるとすれば、通称『闇夜の怪鳥』と呼ばれるアハマルの長が、このテルストルを支配していると言う事だけである。
『情報の価値は秘匿する事により保たれる』
アハマルに所属する者……。
いや、テルストルで生まれ育った民は皆、グリフォンから教えられたこの言葉を鉄の掟とし、素性を隠して世界中の国々で生活をしているのだ。
テトルの街の程近く、大きな街道の外れに『グラレニールの森』はあった。
夜風に揺れる木々のざわめきと、耳元で鳴り響く虫の声―――。
季節は初夏、寒い季節はとうの昔に終わったとは言え夜の空気は依然として冷たく、身体の熱を奪っては疲労の蓄積へと姿を変えていった。
鼻腔に湿った土の匂いを感じながら、エドワード=グリフォードは茂みの奥で身を伏して、静に息を潜めながらその時を待っていた。
右手には諸刃の短剣、鋭く手入れされた刃先と幾つかの溝が掘られてた特徴的な刀身を持ち、微かな月光を映しては、時折鈍く光を放った。
ドッ…ドドッ…ドドドッ……。
地面に響く低い音は、徐々にその音量を上げ近づいてきた。
「…来たか」
誰に言うでもなく自然にそう呟くと、エドワードは短剣の柄を強く握りなおした。
ガササッ!!
―――近くの茂みが大きく揺れる。
次の瞬間、体長3メートルはある大きな影が勢い良く目の前に飛び出してきた。
『サスブロフ』四足歩行で硬い毛皮に覆われた、グラレニールの森に生息するモンスターである。
額にある特徴的な一本角で獲物である小動物、恐らく野ネズミの一種を串刺しにして、左右に激しく頭を振るっては暴れまわる。
元々好戦的で獰猛な性格で知られるサスブロフであるが、今は獲物の血を浴びて酷い興奮状態に陥っている様だった。
エドワードは身を潜めながら、冷静にそんなサスブロフの動きをジッと見据え、動きを良く観察していた。
「今だっ!!」
サスブロフがエドワードに背を向けた瞬間、引き絞った弓矢が放たれる様に全身のバネを利用して一直線に駆け出すと、エドワードは短剣をサスブロフの背中に深々と突き刺した。
「ブロォォォォオオオッ!!!」
「うおっとっ!?」
雄たけびを上げて、闘牛の様に上下に激しく身体を動かすサスブロフの勢いに負け、短剣の柄から手を放してしまい、高く宙を舞うエドワードだったが、半身を捻り辛うじて受身を取ると体勢を立て直した。
互いに向かい合う両者だったが、サスブロフはす既に前足を何度も地面に擦りつけては一本角を前面に押し出し、突進の準備をしていた。
「ブロォォッツ!!ブロォォッツ!!」
その背中には短剣が深々と突き刺さっていたが、鼻息も荒く、まるでダメージが無いかの様に鋭い眼光でエドワードを睨みつけていた。
「なんだよ、やる気満々じゃねぇか」
対するエドワードは完全な丸腰であり、冷や汗混じりに毒づいては、不敵な笑みを浮かべてファイティングポーズで相手を威嚇する―――。
ドゴォーーン!!!
森中に木霊する衝撃音、勝負は一瞬の出来事だった。
弾丸の如く駆け出したサスブロフだったが、エドワードの眼前でバランスを崩すとそのままの勢いで後方の木に激突して倒れこんでしまった。
「ブォォッ、ブォォッ…ブォッ……ブォ……」
ジタバタともがく巨体の怪物は、次第にその勢いを弱め、終にはピクリとも動かなくなった。
「はぁーっ、危ない所だった…」
両膝に手をついて、心底安堵した様に息を吐くと、エドワードは仕留めたサスブロフに近づいていった。
おもむろに短剣を引き抜くと、刀身にヒビや歪みが無いかを確かめる。
「まったく、こいつのお陰で助かったぜ」
細工をしてある短剣の柄を捻り、触らないように注意しながら中に入っていた小さな布包を地面に落とす。
べチャっと音を立てて落ちた布包は焦げ茶色に変色し、なんとも言えない鼻を衝く異臭を放っている。
エドワードの短剣は、攻撃の衝撃で柄の中の布包みから液が染み出し、刀身の溝を通って刃に伝わる仕掛けが施されていた。
もちろん布包の中身は、所謂『毒』である。
『賢者の兜』と呼ばれる鮮やかな紫色の花をつける植物の根からは、非常に強力な即効性を持つ毒を抽出する事が出来る。
この毒は、生物の体内に侵入すると呼吸困難や心室細動を引き起こし獲物を死に至らしめるのだ。
更に優れた点が一点、ブシトプスの毒は熱を加えるとその毒性が数百分の一に減る特性を持っている事が分っている。
つまり、この毒で仕留めた獲物の肉は長時間の加熱調理をすれば食べる事ができるのだ。
遥か古代の時代から現代までの長い間この毒は、狩猟目的に使われ、人類に脈々に受け継がれてきた由緒正しい毒なのである。
エドワードはグラレニールの森に自生するこの植物を利用する事で、3メートルもある怪物を一人で仕留める事に成功したのだった。
「……さて、もう一仕事をしたら今日は休むか……」
短剣の柄を元に戻し、手早く落ち葉と木の皮、枯れた小枝などを集めると短剣を使って手頃な大きさの石を叩き、飛び散った火花を使って火をつける。
焚き火の準備は、エドワードが今までの人生の中で何度も繰り返してきた手馴れた動作の一つだった。
「…後は、火が落ちない様に少しずつ枝を大きくしていって…とっ」
火の大きさが安定すると、毒を焼くために刀身を加熱する。
「よし」
そして、熱いままの短剣を使いサスブロフの解体作業をはじめるのだった。
足首を円を描くように一周分切れ目を入れ、そこから内腿を伝い胸から腹に掛けて手早く割いていく、四足全てに同様の切れ込みを入れると、エドワードは素手のまま指先と手首の捻りを使って硬い毛皮とサスブロフの発達した筋肉を丁寧に分けていく。
次に首筋に短剣を突き刺し血抜きをすると、頭蓋と胴を切り離し、内臓を抜き取る。
「……モンスターの内臓は寄生虫が怖いからな」
短剣で傷をつけない様に注意して抜き取った内臓は、そのまま焚き火の中にくべ処分する。
最後に骨抜きをしながら過食部位に切り分け、遅い夕食にする分を枝に刺して焚き火の炎が直接あたらない位置に設置し、遠火でじっくりと火を通す。
「残りは明日、街に持って帰るか」
串焼きにしたお肉を食べながら、今回の勝負の成果を振り返る。
「まぁ3メートル級の獲物なら、あのくそ親父も納得するだろう」
グラレニールの森を舞台とした一週間の真剣勝負、エドワードは自分の願いを叶えるべく、父親であるマイク=グリフォードに賭けを持ちかけたのだ。
内容は至極単純『短剣一本でグラレニールの森に入り一週間以内にモンスターを狩ってこれるか?』というものだったのだが……。
「期日ギリギリだったけど、何とか達成だな」
森の外で部下と一緒に監視しているであろうマイクの苦々しい顔を想像し、エドワードは少し愉快な気分になった。
「ふふっ、何が家督を継げだ!これで俺は晴れて自由の身だぜ」
家業を継ぐ為に、幼い頃より厳しい修行を課せられ耐え抜いてきた己の青春時代に涙するエドワードは、残りの人生、青春を謳歌すべく生きて行く事をいま一度心に誓うのだった。
地面に突き刺さったエドワードの短剣、その柄に刻まれた家紋、知恵を司る半鷹半獣の伝説の怪物『グリフォン』の意匠が焚き火の炎に照らされてゆらゆらと揺れていた。
これは、エドワードが魔術師として『魔術師の杖』に入学する三ヵ月程前の出来事である。