表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

エンドミュージック 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 君は、ピアノを弾くことに興味ある?

 先生はからっきしだが、弟はピアノがうまいんだ。

 弟は何かしらで行き詰ると、大人が一服するのと同じ要領で、ピアノで曲を弾く。レパートリーはそれなりにあるから、クラシックから最近の映画のテーマソングまで、幅広く演奏していたよ。

 ほぼ毎日、我が家はタダで演奏会を開いているかのよう。もはや習慣になっていたから、一人暮らしをすることになった時には、少し寂しさを覚えたもんさ。

 生演奏はいい。同じ曲でも、調子が違う日があったりすると、「ありゃ? 奏者に何かあったのかな?」と想像を巡らせるのも、またオツだった。

 おかげさまで聞き手として、妙な事件に出くわすことがあったんだけど……どうだい、聞いてみないかい?


 一人暮らしをするアパートは、一部の楽器の演奏が許可されているアパートだった。。

 それでも夜や休日になると、真下の部屋からギターを鳴らす、熱心なお方がいたんだよ。

 当時はエレキブームだったからね。聞こえてくる音色もエレキギターのそれなんだが、私はアンプを使った歪みサウンドというのが、肌に合わなかった。

 弟のピアノが、耳になじんでいたこともあるんだろう。門外漢の私なりに、もっと耽美で繊細な音色を聴きたいと思っていたんだ。

 



 休みの日。部屋にいてはまた、延々とギター練習に付き合わされることになりかねない先生は、外へ退避した。

 本格的なお出かけじゃない。ちょっと辺りを散策するだけのつもりだった。

 引っ越してからまだ一ヶ月足らず。近所にもまだ足を運んでいないところがたくさんある。地理の確認も兼ねていた。

 アパートの裏手は急な上り坂になっている。この小さい山を越えると、地図上では国道へのショートカットになる。だが、角度はなかなか危ないものがあって、もしも自転車で行く場合、サドルにまたがったまま上り下りするのは、命がけ。

 先生はやんちゃな盛りに、坂道で自転車を飛ばした結果、思わぬ出っ張りに引っかかって、危うく死にかけたことがあったんでね。てくてくと、のんびり歩いていったわけさ。

 

 坂を登り終えると、区画が変わる。ぶつかった十字路の脇を見ると、自治体が設置している掲示板があった。

 地域の催し物の告知、幼稚園が発行している定期広報誌の一面が貼りつけられているが、やがて先生は、そのうちの一枚に目をとめる。


「ピアノ教室やっています。あなたの生活、音楽をお供にしませんか?」


 下に、教室の住所と電話番号が記載されている。

 電信柱に貼り付けてある、区画の番号と照らし合わせながら、先生はピアノ教室へと向かう。

 教室へ通うことが目的じゃない。教室から流れ出る音楽を聴くことが目的だった。


 下り坂に差し掛かろうという地点の脇道。ブロックを積んで作られた簡易のゴミ捨て場を入り口とし、行き止まりとなっている道の途中にある一軒が、件のピアノ教室らしかった。

 ゴミ捨て場には、透明なゴミ袋がひとつ。「指定の日に出してください」と書かれたステッカーを張られていて、中身は丸まった新聞紙だった。

 しかし、誰かが蹴飛ばしたりしたのか。合わせた部分がほどけて、包んであったものが袋の内側にこぼれてしまっていたんだ。


 青い花柄にふちどられた、小さい皿とティーカップだった。端が少し欠けてしまっているのが、捨てられた原因だろう。

 しかも、欠けていない部分にも口紅らしきものの後がついている。ろくに洗わずにゴミに包んだとは、よほど腹に据えかねたのかもしれない。

 そんなことを考えていると、足を踏み入れようとした小道の奥から、ピアノの音色が響いてきた。

 以前、弟が演奏していたクラシック音楽のひとつだ。名前までは把握していないが、音色は覚えている。

 弟の演奏はストレスからか、曲調を乱しきらないほどのアップテンポのことが多いのだが、こちらの演奏は比較的、ゆったりとしたペース。同じ曲でも落ち着きが感じられる。

 私はしばらく、その場で聞き入っていたよ。そして実感する。

 ピアノの音色。それも熟達したものを聴く時が、ずっと心が安らぐのだと。

 演奏は小一時間ほどで終わる。先生はいったんその場所を離れたが、内心では「いい場所を見つけた」と、気分がよくなっていたよ。

 

 それからというもの、先生は休みの日に時間があれば、ここに来るようになる。

 いつもすぐに曲が聴けるわけでもないし、流れても先生の知らない曲の方が多い。それでもあのエレキギターの音を聞かされるくらいなら、ここで音楽鑑賞している方が、ずっと心地よかったからだ。

 演奏はいずれも高レベル。素人の耳で聞いた限りでは、気になるミスは感じられなかった。

 通っている生徒の腕が、いずれも素晴らしいものなのか。あるいは――いささか失礼な想像ではあるが――ピアノの先生自身が演奏を続けているのか。

 いずれにせよ、さほどの問題じゃなかった。私自身はよい演奏に心をゆだねることさえできれば、それでよかったんだ。

 でも、そうはいっていられない事態が、表面化してきた。

 

 演奏を聴き始めて、だいたい二ヶ月ほど経ってからのこと。

 その休日も、先生は10時過ぎにあのゴミ捨て場の近くまで来ていた。ピアノの演奏はこの午前10時と、午後4時の二回はほぼ定時で行われ、他はまばらな時間帯に行われることを、すでに私は把握していた。

 だが、少し早めにやってきても、私はピアノ教室に通う生徒の姿を、これまで一度も目にしたことがないのが、気になっていた。

 

 ――やはり、あまり通っている生徒がいないのかもしれない。

 

 ふとよぎった一抹の不安も、しょせんは他人事。私は知られざる観客として、ひたすらに演奏の時を待ちわびていた。

 

 ところが、10時を15分過ぎても、演奏が始まらない。今まではどんなに遅くても、10時10分にはピアノの音が聴こえ始めていたのに。

 何かしらのトラブルがあったことは、十分に考えられた。だが、もはや習慣と化していた私にとってはまだ誤差の範囲。

 もう少し待ってみようかと思った時、後ろから車のエンジン音が聞こえてきた。

 見ると、近くの家の車庫から出た車がこちらへ向かってくる。道幅は狭く、歩道代わりの路側帯がかろうじてあるだけ。先生はゴミ捨て場の近くへ寄って、道を開けた。

 その時だった。ブロックの影にあった何かが、先生の足に当たって「カシャン」と小さな音を立てたんだ。「なんだ」と音の源を見て、先生は鳥肌が立ったよ。


 あの日。初めてピアノの演奏を聴いた時に、ゴミ捨て場へ置いてあったゴミ袋。あの新聞紙に包まれ、身体をはみ出させていた皿とティーカップがそこに横たわっていたんだ。

 柄も同じ。捨てた主が、新しく同じものを買って捨てた可能性も考えられたが、先生の驚くところはそこじゃなかった。

 あの時、ほんの口紅がついているだけだと思った、カップの汚れ。それが明らかに広がっていた。

 いや、それどころか、カップの底に赤黒い液体が少し溜まっている。皿にも同じ汚れがこびりついていた。

 

 ――汚れが広がっている? いや、むしろ、増えている?

 

 そう思うや、先生のすねの裏側がズキンと痛んだ。思わず、うずくまってしまうほどで、先生は反射的にその部分をさする。

 袋から飛び出した皿やカップの破片が刺さったにしては、時間差があった。急に痛むこの感じは、こむら返りに近い。

 そばに誰もいなくて助かった。立って歩くことさえ、一気に辛くなった先生は、自分の家へとできる限り急いだよ。

 

 布団に寝転がり、すねの裏側を見ると、赤黒いあざができていた。心なしか、あのゴミ捨て場で見た汚れと、同じ色のような気がする。

 嫌な想像が、頭を駆け巡った。


 ――もしも、あの皿とカップを汚したもの。それが先生の身体から出たものだったとしたら……。


 その日は足の痛みが引かず、休養にあてたよ。次の日は学校だし、休みたくはなかったからね。

 だが、次の日。学校から帰って来た先生は、アパートの敷地に入ったとたん、またすねの裏に痛みが走るのを感じた。

 ダメなんだ。まっすぐ伸ばしていられない。まるで筋肉の内側の筋が、「ブチン」と力任せにちぎられたかのよう。それでも這うようにして部屋の前まで来た先生は、目を見張ることになる。

 あの花柄の皿とティーカップ。先生の部屋の前に揃っておかれていた。これからお茶でもいただこうとするかのように、きっちりと。

 そのいずれのふちにも、赤黒いものをなみなみとたたえてね。


 戻れない。足を向けるだけで、ひどく痛みが増す。

 先生は足を引きずりながら、敷地の隅にある木の根元に寄りかかって、腰を下ろす。

 カタカタ、カタカタ……。

 陶器の震える音が聴こえる。しかも、それはどんどん、どんどん大きくなっているような気がした。


 ――罠だったんだ。あのピアノ演奏は。本命はあの皿とカップで、演奏を聴きに来た者の血を吸いとるためだったんだ。


 もうカップたちは、すぐそこまで来ているように思える。増してくる足の痛みに、もうどうにでもなれ、とやけになりかけた。


 その時、ピアノの音が聴こえた。二ヶ月前の、あの曲。ゆったりとしたタッチで響く、名も知らない曲だ。

 ジャー、と水が流される音が、先生のすぐそばで聞こえた。見ると、先生が手をついていたほんの数十センチ横で、カップと皿が横倒しになっている。中身を地面に流し、すっかり空っぽになると、風もないのにころころと敷地の入り口へ転がっていく。

 そんな彼らを迎えるように顔をのぞかせたのは、グランドピアノだった。

 実家にもあるのと同じ形のそれの上へ、ぴょんとひとりでに飛び乗った皿とカップ。その直後、グランドピアノは塀の影に隠れてしまった。

 ものの数秒のできごとで、気づくと先生の足からはアザも痛みも引いていたんだ。


 あのピアノの音。もしかしたら、罠じゃなかったのかもしれない。

 あれはきっと、人の血をお茶とし、ケーキの代わりとするティータイム。それを管理するために必要な音色だったんじゃないかと、先生は思うんだ。

 

 

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ!                                                                                                  近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
[良い点] 私は、このお話すごく怖かったです。 最初のただティーカップが捨てられているだけの光景なのにスポットがあたることで、妙にドキリとしました。 足に当たった時ももちろんですが、部屋の前で待ち構え…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ