ブラックドリーム
「本当に申し訳ありません……」
ツクヨはオヴァンに向かって深々と頭を下げた。
「謝ることはない。ケーキ如きに負ける俺の軟弱な舌が悪かったんだ」
「次は勝ってみせる」
オヴァンは真っ直ぐな目をツクヨに向けた。
「ブルメイ様……!」
ツクヨは潤んだ目でオヴァンを見返した。
二人は熱い視線を交わし、見つめ合った。
「ケーキって『勝ち負け』ではないと思うのだけど……」
ネーデルの至極真っ当な呟きは二人の耳には届いていないようだった。
……。
休憩を終えた一行は狭い谷底を進んでいく。
草木すら無い無味乾燥とした景色が続いていた。
「辺鄙な所にオリジナルを隠したものだな」
オヴァンがネーデルに話しかけた。
「そうね。うんざりするわ」
「どうして貴重なオリジナルを帝都で保管しないんだ?」
「見れば分かるわ」
「何もかもね」
……。
やがて、谷を進む一行の前に崖が見えてきた。
行き止まり……では無い。
崖の壁面には高さ10ダカールを超える巨大な扉が見えた。
「オリジナルはこの扉の先に有るわ」
ネーデルが言った。
「……オヴァン」
「何だ?」
「この『扉の先に有る物』の事を、決して他所に漏らさないと約束して」
「約束しよう」
「ありがとう」
ネーデルが右手中指の指輪を扉へとかざした。
すると重い金属の扉が一人でに開いていった。
「その指輪もオリジナルなのか?」
オヴァンが尋ねた。
「ええ。ただの鍵で大した力は無いんだけどね。欲しい?」
「いや」
「それじゃあ行きましょうか」
オヴァンはネーデル一行と共に扉の奥へと足を踏み入れた。
扉の先は直径30ダカールほどの円形の広間になっていた。
崖をそのままくり抜いたらしいが、その壁面は滑らかで綺麗だった。
「これは……?」
オヴァンは広間の中央に有る物体を見た。
そこには長さ10ダカールほどの黒い柱が建っていた。
柱には長く太い金属の鎖が巻きつけられていて、鎖の部分部分には紅い石が埋め込まれていた。
「この鎖がオリジナルか……?」
「ええ。これがオーシャンメイルを統べるメッサー王家に代々伝わる……『負の遺産』よ」
「いったい……これが何だと言うんだ?」
「オリジナルが巻き付いている物……何に見える?」
「何って……柱……」
「いや……」
「これはまさか……『指』か?」
柱の最上部を見るとそこには尖った爪らしきものが生えていた。
よく観察すると表面には指紋らしきものも見える。
「ええ。これは指」
「『邪神の小指』よ」
「邪神だと……?」
久しく聞いたその言葉にオヴァンは身が引き締まる思いがした。
「そう。五百年前に女神アルメーオと五人の騎士が討ち倒したという『邪神フラースゾーラ』……その小指」
「伝説では、邪神が倒されても切り落とされた小指は生きていて、何十年もの長きに渡って人々に害を為した」
「それを見かねたオリジンがオリジナルを創り、小指を封印したと言われているわ」
「オリジンが施した封印を見守るのが、私達王家を継ぐ者に与えられた役目なの」
(これが……俺が倒すべき邪神の……)
(小指だけでこれだけの大きさというのなら……)
(邪神の本体はいったいどれほどの大きさになると言うんだ……?)
オヴァンは洞窟の薄闇の中に邪神の全容を幻視し身震いした。
(愚かな)
(心の中の敵を恐れるのは臆病者のすることだ)
オヴァンは目を閉じ、一呼吸すると目を開いた。
既にオヴァンの心は落ち着いていた。
「それで、封印とやらは大丈夫なのか?」
「ええ。異常らしきものは見られないわね。……帰りましょうか」
「良かったのか? 部外者の俺をここに連れてきてしまって」
「あなたなら良いわ」
「む……」
オヴァンは戸惑った。
そこに一瞬の隙が出来た。
ネーデルはオヴァンの頬に手を伸ばしていた。
ネーデルの手がオヴァンの頬に触れる直前……。
オヴァンの背後から雨音が聞こえてきた。
「クロスオーバーだ!」
洞窟の外から兵士が叫ぶ声がした。
「オヴァン!」
「わかっている」
オヴァンは金棒を片手に洞窟の出口へと足を向けた。
「っ!」
オヴァンは目を見開いた。
洞窟の外……。
予報外れの大雨が降っていた。
かつてオヴァン達を襲った黒い人型の化物が滞空していた。
化物はオヴァンに向かって指を向けた。
いや……オヴァンの後ろにある邪神の小指に向かって。
(水弾が来る……!)
水弾はかつての戦いでサンドの大盾を貫いている。
並の防具では防御することも出来ない。
オヴァンは突進した。
オヴァンは一瞬で化物との間合いを詰めた。
オヴァンの金棒が化物の腹を突いた。
水弾がオヴァンの側面をかすめていく。
腹を穿たれた化物が谷の隘路を転がる。
オヴァンは化物にとどめを刺そうとさらに駆けた。
だが、化物は翼を羽ばたかせ、谷の上空へと飛翔した。
化物は目の無い顔をオヴァンへと向けると北へ飛び去っていった。
「逃したか……」
オヴァンは吐き捨てるように言った。
(もし剣が有れば……いや……)
「オヴァン!」
谷底から空を見上げるオヴァンを少女の声が呼んだ。
オヴァンは自分が今までいた洞窟に目を向けた。
(やられたか……)
邪悪の小指を縛っていたオリジナルが変質を始めていた。
黒い化物が放つ黒い水は呪いの雨と同じ性質を持っている。
すなわち、生き物を呪い、オリジナルをデッドコピーに変える性質を。
「オヴァン……! オリジナルが……!」
鎖のオリジナルはぶよぶよとした黒い粘液に変質を始めていた。
黒い粘液はやがて大サソリに……。
「させん」
オヴァンはサソリの頭部に金棒を叩き込んだ。
産まれたばかりの化物は何一つ暴威を為すことなくオヴァンの武威に敗れ去った。
大サソリは粘液化し、黒い煙を上げて蒸発していく。
デッドコピーは死に、あとにはオリジナルだけが残された。
「今のは……?」
ネーデルが尋ねた。
「デッドコピーだ。見たことが無いか?」
「外の奴よ。あいつがオリジナルをデッドコピーに変えた。雨……あいつが降らせたの?」
「さあな。それよりどうする?」
オヴァンは鎖を拾い上げた。
「大事な封印が解けてしまったようだが……」
封印が解けたことで邪悪の小指からはどす黒い瘴気が漏れ出し始めていた。
それはクロスが蒸発する時に放つ煙に酷似していた。
「再封印しないと……!」
「どうやれば良いんだ?」
「とにかく、鎖を小指に巻きつけて……」
その時……。
邪悪の小指に無数の裂け目が生まれた。
裂け目が開くとそこには眼球が有った。
無数の眼球がオヴァン達を睨みつけた。
「う……」
眼球と目を合わせた兵士達がバタバタと倒れていった。
皇帝ネーデルとメイドのツクヨも例外では無かった。
オヴァン以外の全員が地に倒れ伏した。
(これは……)
オヴァンは地面に膝をついた。
(眠い……)
オヴァンに睡魔が襲いかかっていた。
オヴァンは負けじと脚に力を籠めた。
だが……。
(くそ……)
ついにオヴァンも倒れた。
邪悪の小指がオヴァン達を見下ろしていた。
……。
「う……」
オヴァンは目覚めた。
オヴァンが立ち上がると、周囲には闇が広がっていた。
そこに有るのは無限に広がる闇と……僅かな光。
(光っているのは……俺か)
やがてオヴァンは光源が自分自身であるということに気付いた。
(この光……どこかで見たような気がするな……)
オヴァンが光の正体に思い至ろうとしたその時……。
オヴァンの後方から足音が聞こえてきた。
オヴァンは振り返り……そして目を見開いた。
「やっ。オヴァン」
そこには……。
「ナジミ……!」
かつてオヴァンがその手にかけた仲間が立っていた。
「久しぶりだね」
「幻覚か?」
「酷いね。久しぶりに会えたのに、どうしてそんなことを言うの?」
「お前は……死んだはずだ」
「そうだね。その剣で真っ二つにされて」
ナジミはオヴァンの手を指さした。
いつの間にか……オヴァンの手に大剣が握られていた。
黄昏の大剣。
かつてオヴァンが用いたオリジナルだった。
剣にはびっしりと血が付着していた。
「うわあっ!」
オヴァンは悲鳴を上げた。
剣を取り落としてしまう。
「ふふっ。うわあっ!だって。あのオクターヴのブルメイが」
「オヴァンのそんな声、初めて聞いちゃったなぁ」
「今のあなたは……剥き出しで、とても弱い」
「可愛いよ。オヴァン」
ナジミは嗜虐的に笑い……。
そして、剣を構えた。
両手に一本ずつ。
その双剣には実体の刃が無く、柄からは光り輝く刃が伸びていた。
全てを切り裂く最強の剣。
『光剣』のオリジナル。
その切れ味は黄昏の大剣ですら遠く及ばない。
ナジミが死の直前まで用いた愛刀だった。
「ナジミ……?」
「うん? 何かおかしいかな?」
ナジミは双剣の内の一本をオヴァンへと向けた。
そして、跳んだ。
……いや。風になった。
ナジミは女神の加護の力で自身を風に変える事が出来る。
風となったナジミは宙高くへと舞い上がった。
そして、実体を取り戻して落下してくる。
上空から光の刃がオヴァンへと襲いかかった。
剣を落としたオヴァンは丸腰だった。
迎え討つ手段の無いオヴァンはステップで下がった。
……いや。
たとえ剣が有ったとしてもオヴァンは同じことをしただろう。
光剣はそれだけ危険な存在だった。
今までオヴァンが居た所を光の剣が切り裂いていった。
「俺と……やるつもりなのか?」
二人は再び地上で向き合った。
「言ったでしょ? 私はあなたを殺したいって。覚えてないの?」
「良く覚えてるさ」
(忘れるはずもない)
「だったら武器を構えてよ。一方的じゃつまらないよ」
「たとえ幻でも……二度もお前を殺したくない」
「えー? それだとオヴァンが死んじゃうよ?」
「所詮は幻だろう?」
「違うよ」
「あなたは幻だと思っているみたいだけど、もしここで死ねば……あなたは本当に死ぬ」
「いや……。死ぬより酷いことになる」
「どういうことだ?」
「それは……」
ナジミがオヴァンの問いに答えようとしたその時……。
周囲の薄闇から現れるモノが有った。
「ひっ!」
オヴァンは悲鳴を上げた。
オヴァン達の周囲を見るも悍ましい化物達が取り囲んでいた。
その外見の不気味さはクロスオーバーの比では無い。
化物を見たオヴァンの体ががくがくと震え始めた。
(何を……震えている……?)
(化物なんか……俺は何度でも倒してきたはずだ……)
(怖い……)
(どうして俺は……こんなにも震えているんだ……?)
「あーあ」
ナジミは白けたような声をあげた。
そしてオヴァンの方へかつかつと歩み寄ると……。
オヴァンの左手を光剣で裂いた。
「あああああああああああああああああああっ!」
その痛みにオヴァンは絶叫した。
「あーあ。情けない。ちょっと怪我したくらいで」
「やっぱり……私が殺したいのはこんな情けないオヴァンじゃないな」
「起きなよ。私はずっとここに居るから……」
「もし良かったら、また会いに来て欲しいな。それでちゃんと殺し合おうよ」
「こんなオヴァンじゃない、いつもの強いオヴァンで……」
「あなたはクロスじゃなくてアレンジだから、ここに来るのは難しいと思うけどね」
ナジミは寂しそうに笑った。
痛みに苦しむオヴァンにはナジミの言葉を理解している余裕など無かった。
絶叫するオヴァンに周囲の化物が襲いかかった。
無防備なオヴァンの体に化物の牙が、爪が、触手が迫る。
「止めなよ」
光剣が化物を切り裂く。
「私のだぞ」
ナジミの光剣が周囲の化物を次々に屠っていった。
オヴァンは痛みに涙を流しながら倒れた。
徐々にオヴァンの意識は闇に呑まれていった。
……。
そして……。
今度こそ、オヴァンは本当に目覚めた。
オヴァンの意識は王家の谷の洞窟に戻ってきていた。
その光景はオヴァンが意識を失う前と何も変わらない。
ネーデル達は倒れ、それを邪悪の小指が見下ろしていた。
ナジミの姿はどこにも無い。
(これは夢……だったのか……悪い夢……いや……)
(最悪の夢だった)
「うっ……!」
オヴァンの左手に鋭い痛みが有った。
オヴァンが手を開くと、そこにミミルの髪飾りが有った。
オヴァンが眠り込む時に強く握りしめていたらしい。
オヴァンはその痛みのおかげで魔の眠りから目覚めることが出来たようだ。
髪飾りは壊れ、オヴァンの血で汚れていた。
(ミミル……すまん……)
ここには居ない仲間に感謝して、オヴァンは邪悪の小指を睨んだ。
オヴァンの眠気が完全に消えたわけでは無かった。
このままでは睡魔に負けて再び意識を失ってしまう。
今回目覚めることが出来たのは偶然だ。
もう一度眠ってしまえば二度と目覚められないという直感が有った。
だから……。
(痛みが……足りん!)
オヴァンは万力を込めて自分の腕をへし折った。
オヴァンは激痛と共に自身の意識が覚醒するのを感じた。
「おおおおおおおおおおおおおっ!」
オヴァンは吠えた。
オヴァンのブレスが放たれた。
熱線を受けて邪悪の小指が根本から倒れた。
小指が倒れるのを見てもオヴァンは熱線の放出を止めなかった。
小指の全てが消し炭になるまでオヴァンはブレスを放ち続けた。
「はぁ……はぁ……」
邪悪な気配が消えたのを確認するとオヴァンはブレスを止めた。
闘気を放出し続けた影響で息が上がっていた。
オヴァンの向かい側の壁面には今までは無かった大穴が開いていた。
オヴァンは立ち上がるとネーデルの方へと歩いた。
「おい、しっかりしろ」
オヴァンは折れていない方の腕でネーデルの体を抱きかかえた。
そのまま揺さぶる。
「う……」
オヴァンに揺さぶられてネーデルは目を覚ました。
「オヴァン……?」
ネーデルはぼんやりとした視線をオヴァンの竜面に向けた。
「大丈夫か?」
「多分……。何が起きたの?」
「お前たちは小指の力で眠らされてしまったようだ」
「あなたは?」
「眠気には強い方だったらしい」
「小指は? どうなったの?」
「殺した……。そのはずだ」
「殺したって、あなたが?」
「そうだ」
「嬉しいわ。オヴァン」
「小指が死んだことがか?」
「いえ」
「あなたのような英雄を手に入れられたことが」
ネーデルの右手がオヴァンの体に触れていた。
その中指では紅い宝石が光っていた。
「ねえ、オヴァン」
「なんだ?」
「あなたは私のモノよね」
「それは……」
「当然だろう? 愛しいネーデル」
「フフッ。私、疲れてるの。おんぶしてくれる?」
「お安い御用だ」
オヴァンはネーデルに背を向けた。
ネーデルはオヴァンの背に飛び乗ろうとして……。
「ちょっと! その腕どうしたの!?」
オヴァンの左腕が折れていることに気付いた。
さらに手の平からは血が流れていた。
「折った」
「折った!? 折れたんじゃなくて!?」
「眠かったからな」
「な……」
ネーデルは絶句した。




