暴れん坊プリンスその3
夜の平原をソーダを乗せたサーベル猫が行く。
向かうべき場所はわかっていた。
何故か。
神殿の『予言』が有ったからだ。
神殿には未来を『予知』出来る人間が居た。
と言っても、生まれながらにそういう力を持っているわけではないね。
この世界には『テンプレート』と呼ばれる物が有る。
なんて言ったら良いのか……。
そう……『魔導器』だね。
ノート石(魔石)に、顕微鏡を使って細かい術式を刻むんだ。
そうすると、石は特別な力を発揮するようになる。
それと、『オリジン=アルエクス』が作った魔導器は『オリジナル』と呼ばれるよ。
特別な呼び方が有るのはオリジンが作った魔導器だけだ。
他は全部テンプレートと呼ばれる。
何故か……。
それは、オリジンが『この世で最初に魔導器を作った人間』だから。
最初、この世に魔導器は『オリジナル』しか存在しなかった。
魔導器と言えばオリジナルのことだったんだね。
そして、オリジナルを『模倣』してテンプレートが作られるようになった。
ただ、テンプレートの『性能』はこの時代ではオリジナルを超えられていなかった。
オリジンの死から450年が経っていたのだけどね。
……何故かって?
それだけオリジンが規格外の天才だったのさ。
既に話したと思うが、彼は『転生者』だった。
しかも、彼が居た世界の文明はこの世界よりも遥かに発展していた。
さらにさらに、彼は元の世界でも天才と呼ばれていた。
文明が円熟した世界の天才だ。
ちょっと暗算が上手いとかいうレベルとは桁が違ったね。
どれだけ材料が揃っているんだという話だ。
こういうのを外界語で『チート』って言うのだっけ?
うん。オリジンはチートだった。
まあ、彼本人から聞いた話だから、多少は盛っているかもしれないけどね。
この世界の人達が追いつけないのも仕方がないと思うかい?
オリジンに敵わないのは仕方が無いこと……。
そう思った人も居たし、思わなかった人も居た。
後々何かを成したのは、思わなかった人達の方さ。
『負けるもんか』って思った人達だね。
彼女たちには強い意思が有ったから、やがて彼を超えていったんだ。
だけど、この時点ではまだだったね。
おっと、話が脱線したかな?
そうそう、テンプレートだ。
神殿の人達はテンプレートによって近い未来の出来事を予知することが出来た。
来週のいつどこで雨が降るかとか、ラッキーカラーは何色か、とかね。
それで、神殿の人達は大型クロスの出現も予知出来たんだ。
そして、その予知の結果を公表した。
そこに近付くなという意味と、そこに行って倒して下さいという、二つの意味が有ったね。
ソーダは神殿の予知によってクロスの場所がわかっていた。
オヴァンもその場所を知っているはずだ。
ソーダは予知の場所に向けてまっすぐにサーベル猫を走らせた。
暗い平原を全速力で。
徐々に予知の場所が近付いてきた。
(そろそろだ……)
ソーダは夜闇の中目を凝らした。
(っ……!)
ソーダは気圧された。
体長七ダカールは有る巨大な鹿のクロスが、暗闇の中で目を紅く輝かせていた。
目を合わせることすら憚られるのが本物の化物というものだ。
本当に恐ろしい化物は、視線だけでも人を壊してしまえるんだからね。
彼は逃げ出してしまいたい衝動に駆られた。
だが、息子を見捨てて逃げるわけにはいかない。
早く息子を見つけなくては。
「っ……!」
非情にも、ソーダはオヴァンの姿を『クロスの真正面』に発見してしまった。
その距離は1ダカールも離れていない。
乗ってきた猫はオヴァンの少し後ろで震えていた。
逃げ出したいが、主人が逃げないので逃げられないといった感じだ。
自分だけで逃げたら、次からご飯が貰えないかもしれないからね。
猫はご飯のために怖いのを我慢していた。
偉いね。
クロスと相対するオヴァンが持っているのは粗末な一本の剣だけだった。
オヴァンはその剣を構えることもせず、だらりと立っていた。
巨大なクロスの迫力に立ち向かう気力さえ無くしてしまったのか……?
クロスはオヴァンを踏み潰そうとして、その脚を振り上げた。
(もう駄目だ……)
息子の死を予感して、ソーダは思わず目を閉じた。
ソーダの視界が暗闇で満たされる。
その時……。
どぉん!
暗闇の中、爆音が轟いた。
クロスの恐ろしい攻撃に息子がやられてしまったのだろうか。
彼は恐る恐る目を開けた。
すると……。
ずしん、と。
頭部を失い倒れるクロスが見えた。
何をしたのか、目を閉じていたソーダにはわからない。
とにかく、クロスの頭部は跡形もなく消滅していた。
クロスの傷からピュッと黒い体液が噴き出したかと思うと、クロスの体は黒い粘液に変化していった。
粘液は黒い煙をジュウジュウと上げて蒸発していく。
こうして、クロスの体は完全に消滅した。
これは、このクロス特有のことではなく、クロス全てに当てはまることだね。
呪われし存在であるクロスは死体を残さない。
……さて、オヴァンは無傷のまま元の場所に立っていた。
ソーダはオヴァンに駆け寄った。
そして語りかけた。
「いったいどうやって……お前のような子供があのクロスを倒したというのか?」
「私は……普通の人間ではありません」
オヴァンは苦笑した。
その表情からは若干の後ろめたさが感じられた。
「私は転生者です。タケシではありませんが」
「そうか……。そうなんだろうな」
ソーダは頷いた。
「父上……これで産み育ててもらった恩は返せたでしょうか?」
「恩? そんなもの、返さなくても良いんだ」
「私達はお前が産まれてきたとき、本当に嬉しかった」
「それだけで十分なんだ。何も、何一つ返す必要なんか無い」
「そうですか……」
「もう十分だったのですね……」
オヴァンは微かに笑った。
「……父上、私は旅に出ようと思います」
「旅? 旅行か? 良いぞ。どこに行きたい?」
オヴァンがそんなことを望んでいるのではないということはソーダも薄々気付いていた。
だが、敢えて親子の世間話のようなことを言った。
オヴァンが遠くに行ってしまう予感が有ったからだ。
「いえ。冒険者になろうかと」
「冒険者? どうしてだ? 私の後を継げば生活に困ることは無いんだぞ?」
「……それでは強くなれません」
「強く? あのクロス、お前が倒したんだろう? それ以上強くなる必要が有るのか?」
大型のクロスをソロで倒せる者は少ない。
若干十歳にして、オヴァンの強さは並の大人を遥かに超えていると言えた。
「有ります。強くならなくてはなりません」
「何のために」
「邪神を倒すため」
「邪神? 邪神なんて居やしない」
「五百年前、異世界からやって来た邪神は、女神と『五騎士』によって倒された。そうだろう?」
五百年前に女神が起こした戦については諸説有る。
五百年前の真実を知る者は少ない。
この地方では『そういうこと』になっているようだ。
「世間ではそういうことになっているらしいですね」
「ですが、父上、見てください。黒い雲です」
オヴァンは遠くの山を指差した。
黒い雲が出ている。
遠くて細かくは見えないが、雲の下ではきっと呪われた雨が降っているのだろう。
「黒い雲の下では黒い雨が降ります」
「あのクロスオーバーを生み出したのもあの黒い雨です」
「善良な雨の女神が治めるこの世界に、あんな邪悪なものが存在するのは何故でしょうか?」
「それは……」
ソーダは言葉に詰まった。
彼自身、黒い雨について思うことが有ったのかもしれない。
「邪神は居る。……居るはずです」
「そうでなければ私がここに居る意味が無いのですから」
「私は……女神によって邪神フラースゾーラを倒すため、この世界に遣わされました」
「だから、旅に出ようと思います」
「そうか……」
「荒唐無稽な話のように聞こえるが……」
「子供が一人で大型クロスを倒したという話よりは真実味が有る」
ソーダは自分が被っていた竜の仮面を外した。
そしてオヴァンへと投げ渡した。
「持っていけ。先祖代々伝わる仮面だ。小さいが、額にノート石がはまっているだろう?」
「ほんのわずかだが、リメイクからお前を守ってくれる。要らないなら金に替えても良い」
「それから、この槍も持っていけ。売ればいくらかにはなるだろう」
「ありがとうございます」
オヴァンは深く頭を下げた。
「いずれまた」
そして、父に背を向けて走り去っていった。
ソーダは駆け去るオヴァンをずっと見守っていた。
やがてオヴァンの姿は夜闇に呑まれ見えなくなった。
後にはサーベル猫二匹とソーダ一人が残された。
「猫も連れて行って良かったんだがな。律儀な奴だ」
ソーダは猫を連れて家に帰った。
帰宅したソーダを愛する妻が問い詰めた。
「あなた……! あの子はどうなったのですか……!?」
「旅に出た」
「そんな……まさか……!」
息子の死を遠回しに言っているのだと思い、シュルケは青ざめた。
「そうではない。落ち着きなさい」
「あの子は生きている。ただ、あの子にはこの家は小さすぎたんだ」
「だから、旅に出た」
「生きている? 本当に?」
「ああ。目的を果たしたら、きっとまた帰ってくるさ」
「……そうなのですか?」
「そうさ」
「はい」
シュルケは夫の言葉を信じることにした。
ソーダはそんな妻を強く抱きしめた。
たとえ生きていたとしても、母にとって愛する息子との別れとは辛いものだろうから。
……。
夜が明けて、何事もない平凡な一日がやって来た。
息子の姿が無い以外はいつもと変わらない、これまで通りの一日だ。
いつものように朝食を食べ、いつものように仕事をこなす。
ふと、無人になった息子の部屋に入ってみると、妙に広く感じられた。
いつか息子が帰ってくる日のため、彼は部屋をそのままにしておくことにした。
それからソーダは何事もない、平穏な日常を送ることになった。
特に大きな事件も無く、凶悪な魔物の危機に晒されることも無い。
そんな穏やかな日々だった。
そんな彼に、一つだけ新しい楽しみが生まれた。
それは、旅人たちから冒険者の話を聞くことだった。
その多くは取るに足らない下らない作り話のようだった。
だが……。
『竜の面の英雄』の噂が耳に入った時、彼は誇らしげに微笑むのだった。