0001
僕は……僕達はエリートだ。
リメイクの最高学府であるマーネヴの学校に入学し、そして卒業した。
誰もが羨むようなリメイカーの頂点。
そして僕は……落ちこぼれだ。
エリートの中の落ちこぼれ。
頂点の中の最下位。
それがこんなに苦しいことだなんて、昔は考えもしなかった。
マーネヴは僕らの憧れだった。
マーネヴに行きさえすれば、幸せになれるって思ってた。
こんなことなら……マーネヴになんか来なければ良かったのかな?
自分でも一番になれるような、田舎の学校に行っていれば良かったのかな。
そこでサル山の大将でも気取っていれば良かったかな。
だってさ……。
どんな小さい山でも、一番は一番じゃないか。
落ちこぼれよりマシじゃないか。
ねえ……ハルナ。
なんだか……とても寒いよ。
ハルナ……。
ハ……ル……ナ……。
…………。
……。
ハルナが地面に膝をついた。
首を無くしたルイジの後ろに二つの人影が見えた。
異常事態に気付いたオヴァン達がハルナの方へ駆け寄ってくる。
「お前達は……」
オヴァンの目が人影の正体を捉えた。
それはオヴァン達が知っている人物だった。
オーシェ=オルベルンとキール=オルベルン。
ここ、リメイク学校の講師と生徒だ。
ルイジの首を切り落としたのはキールだったらしい。
その左手にナイフが握られていた。
「やあ。オヴァン」
偶然道で出会ったかのような調子でキールが言った。
「……………………」
オヴァンは何も答えなかった。
「どうして……ルイジを殺したのですか」
ハルナが書いた。
その文字は震えていた。
「それが俺達の仕事だからだ」
オーシェが答えた。
「仕事?」
「俺達は『ウルヴズ』に所属している」
「何だそれは?」
オヴァンが尋ねた。
「学校の『暗部』とでも言うべき組織だ」
「暗部だと? どうしてただの学校にそんなものが存在する?」
「俺達の目的は、『禁呪』……『ノイズ』と言われる呪文をこの世界から『根絶』すること」
「ノイズは女神の法から外れた、この世に有ってはいけない呪文だ」
「その男が使っていたクロスオーバーを使い魔とする呪文もノイズだ」
「なるほど? それで、どうして禁呪を根絶する必要が有る?」
「理由は色々有る」
「例えば、リメイカーの立場を守るためだ」
「一般にリメイクは、人が操る優れた能力の一つくらいとしか認識されていない」
「だが、ノイズが起こす現象には、邪悪な性質なものが多い」
「邪悪な物や死体、霊魂を操ったり、人心を狂わせたりな」
「ノイズがリメイカーが持つ一般的な能力だと思われたらどうなる?」
「人々はリメイカーを恐れ、蔑むだろう」
「リメイカーへの恐怖が行き着く先は、凄惨な魔女狩りさ」
「だが……根本的な理由は違うな」
「ノイズは『邪悪』だ。邪悪な物は滅ぼさなくてはならない」
「それが俺達がノイズを滅ぼす最大の理由だ」
「なるほど」
「御大層な大義名分だが……」
「大義を掲げてすることが、子供に人を殺させることなのか?」
ルイジの首をはねたのはキールだった。
オーシェにだってルイジを殺すことは出来たはず。
だが、しなかった。
オヴァンにはオーシェが敢えてキールに手を汚させたように見えた。
「え~? ボク子供じゃないよ。もう14だもん」
「ワン子、黙ってろ」
「む~」
「全く……」
キールを黙らせるとオーシェは続けた。
「俺はロクでなしだよ」
「素質の有る孤児を拾って『人殺しの技』を仕込む、ロクでなしの魔術講師だ」
「おかげで今日も酒が美味い」
オーシェは手にしていた酒瓶に口をつけた。
「どうして俺達の前に姿を見せた? 正体を隠さなくて良いのか?」
「別に、言いふらそうが、誰も信じやしないよ。マーネヴが子供の暗殺者を抱えてるなんてな」
「世の中の仕組みってのはそういう風に出来てるんだ」
「それにあんた、一々俺達の事を言いふらしたいと思うか?」
「思わんな」
「だろう? あとは……」
「オクターヴのブルメイに挨拶をしておきたくてな」
「気に食わんな」
「まさか怒ってるのか?」
オーシェはルイジの死体に視線を向けた。
「こいつとあんたは赤の他人だったんだろう?」
「それに……こいつはクロスの製造っていう禁忌に手を染めたんだ」
「俺達がやらなくても……神殿が始末していたはずだ」
「そうだな」
オヴァンは頷いた。
「俺にとってはおよそ関わりのない人間だった」
「目の前で殺された所で、さして思うところもない」
「だが……」
オヴァンの視界の隅には目尻を涙で濡らすハルナの姿が有った。
「お前達はハルナを悲しませた。だから、気に食わん」
オヴァンはルイジの死体を迂回するように歩いた。
「まさか、やろうってのか?」
「一発殴りたいな。お前を」
オヴァンは右拳をぎゅっと握りしめた。
地面に膝をついたハルナがオヴァンの顔を見上げた。
「オヴァンさん……」
「黙って見ていてくれ」
「…………」
オヴァンが足を進めるとオーシェは後ずさった。
「逃げるな」
「止めてくれ。あんたに殴られたら首が吹っ飛んじまう」
「そうなるかもな」
「させないよ」
オーシェへと向かうオヴァンの前にキールが立ち塞がった。
「先生は殺させない」
キールは半ズボン側面のホルダーからナイフを取り出して構えた。
「その男を庇うのか? 自分に人殺しを仕込んだ男を」
「オヴァン、キミが先生の事をどう思ってるのか知らないけど……」
「ボクは、先生のことを恨んでなんかいないよ」
「む……?」
「五年前、先生に会うまで、ボクの人生はマイナスだったんだ」
「先生が拾ってくれたおかげで、ほんの少しでもボクはプラスに向かう事が出来た」
「感謝こそすれ、恨みなんて一片も無いよ」
「人の首を後ろから切り落とすのがプラスの人生か?」
「そうだね」
オヴァンはキールの心に切り込んだつもりだったが、キールは揺るがなかった。
「キミも一度、首輪付きで飼われてみると良いよ」
「人としての尊厳を奪われ、ペットとして飼われてみると良い」
「先生があの飼い主を殺し、ボクを檻から出してくれるまで、ボクには何も無かった」
「たとえ人の死の上に立っていても、今のボクは檻の外で生きている」
「先生のおかげでボクは猫から狼になれたんだ」
「自由に人の服を着て、自由に旅が出来る人間に、ボク達のことをあれこれ言われたく無いな」
「……そうか」
キールの顔は今までになく真面目だった。
縦長の瞳孔がじっとオヴァンを見据えている。
オヴァンはキールにも良心は有るのだと気付いた。
ただ、それを包み隠して外に出さないようにしているだけだ。
「だが……」
オヴァン素手で構えた。
「喧嘩は喧嘩だ」
「止めとけブルメイ。いくらアンタでもワン子には勝てん」
「…………」
オヴァンは無言で足を踏み出した。
オーシェとオヴァンの間にはナイフを構えたキールが立っている。
オヴァンは気にせずに踏み込んでいく。
キールに向かって手を伸ばした。
キールの体を掴み、投げ飛ばすつもりだった。
「……!?」
オヴァンの目が見開かれた。
オヴァンの視界からキールが消えた。
次の瞬間、オヴァンの腹に鋭い痛みが走っていた。
見下ろすと、オヴァンの腹部にナイフが突き立っていた。
オヴァンには自分がいつ刺されたのかもわからなかった。
「ナイフは返してもらうよ」
声はオヴァンの後方から聞こえてきた。
キールがオヴァンのすぐ後ろに立っていた。
キールの手がオヴァンの腹のナイフに触れた。
「ぐっ……」
オヴァンの腹からナイフが引き抜かれた。
オヴァンは背中側に拳を振った。
かすりもしない。
ナイフを回収したキールは悠々と歩いてオーシェの方へ戻っていった。
オヴァンの腹からは血がだらだらと流れていた。
「オヴァンさん……!」
ハルナが回復フレイズを使用した。
服の裂け目と共にオヴァンの傷が塞がっていった。
外観上の傷は癒えたが、オヴァンの腹にはまだ痛みが残っていた。
呆然と腹を見るオヴァンにオーシェが声をかけた。
「言っただろう。止めとけって」
「そいつは……いったい……」
「こいつは『オルファン01』」
「ウルヴズの実行部隊、『オルファンオブウルフ』のナンバー1だ」
「それはつまり、この世で一番人殺しが上手い人間ってことさ」
「竜人ブルメイ、アンタよりもな」
「オーシェ=オルベルン……お前がナンバー1では無いのか?」
「俺は『オルファン00』。孤児達の監督役さ」
「……なるほど。大したスピードだった」
オヴァンは自身の腹を撫でた。
「スピードじゃない。スキルだよ。身体能力はキミの方が上だ」
キールが呆れて言った。
「そんなこともわからないようじゃ、勝負にならないね」
「……そういうものか」
オヴァンの顔に今までにない苦笑が浮かんだ。
「言っとくけど、やろうと思えばどこでも刺せた」
「心臓でも、喉でも、好きなようにね」
「キミが生きてるのはボクが手加減したから」
「ターゲット以外を殺すことは掟で禁止されているからね」
「もう勝負はついてるんだよ」
「なるほど……俺の負けか」
「空で人に敗れ……そして地上でも敗れた」
「どうやら、俺はまだ弱い」
「だが……」
オヴァンは再び拳を上げた。
「ブルメイ! もう止めなさいよ!」
ミミルが叱るように言った。
「止めないでくれ」
「ブルメイ……」
「死ぬよ?」
キールが言った。
「かもしれない」
「わかってるの? キミに勝ち目は無いんだよ?」
「そうだな。俺に勝ち目はない。だが……」
「お前を殴ってみたいな」
オヴァンは腰を低くして構えた。
その時……。
オヴァンの右腕が紅い輝きを放った。
衣服を突き抜けるように紅く光る紋様が浮き出していた。
「まさか……女神の加護か……!?」
オーシェが驚きの表情を見せた。
「そうだ。他人の力になど頼りたくは無かったが……」
「ふ~ん」
オヴァンの腕の輝きを見てキールは白けたような表情を見せた。
「そのズルで無詠唱のリメイクを使ったんだね? けど、ボクには通用しないよ」
「無詠唱などでは無い」
「えっ?」
「この加護は、俺を前世の自分に近付けてくれる」
「最も速く最も力強かった頃の自分に……」
「前世? 何を言って……」
「行くぞ」
オヴァンの全身から莫大な闘気が漏れ出した。
「ワン子! 気をつけろ!」
オーシェが怒鳴った。
「ボクが負けるわけ……!」
キールはナイフを構えた。
オヴァンはぐっと姿勢を落とした。
スキルなど関係無い。
力が有る者が勝つ。
技術を超越した圧倒的なパワー。それが戦いの真理だと信じた。
信じて跳んだ。
キールはオヴァンをじっと見ていた。
パワーなど取るに足らない。
技を極めた者が勝つ。
全てのパワーを無に帰す圧倒的な技術。それが暗殺の極意だと信じた。
信じて迎え討った。
キールの意識が加速した。
オルファンの戦士は皆、訓練によって意識を加速する術を身に着けている。
まるで周囲の時がゆっくりになったかのように事象を認識出来る技術だ。
通常の戦士であれば意識を二倍程度にまで加速出来る。
一方、キールの加速は通常の戦士とは次元が違った。
熟達の戦士の動きが完全に静止して見えるほどにまで、キールは意識を加速することが出来る。
人間の武術など、キールの前では児戯に等しい。
さらに、オヴァンの闘気を受け、キールの感覚はこれまでに無いほどに研ぎ澄まされていた。
オヴァンの動きをキールの意識は確かに捉えていた。
だが……。
(止まらない……!?)
人が止まって見えるはずの速度域で、オヴァンは確かに動いていた。
迫るオヴァンに対し、キールはゆっくりとしか動くことが出来ない。
いくら意識を加速しても、人が動くスピードには限界が有るからだ。
そして、今のオヴァンは人では無い。
人の体をした巨竜がキールへと迫っていた。
見えているのだが、回避出来ない。
キールにはそれがわかった。
キールがどう動いてもオヴァンの拳は自分を貫く。
それが理解出来てしまった。
だからキールは回避を捨てた。
それはキールが生まれて初めて行う防御だった。
ナイフを持たない方の手をオヴァンの拳の軌道に、ナイフをオヴァンの心臓の軌道に置いた。
オヴァンの拳がキールの手の平に触れた。
細いキールの手ではオヴァンの拳を止めることは出来ない。
意識が加速されている中、バキバキとキールの手が、腕が、砕かれていく。
知覚が研ぎ澄まされているが故に、キールは自分の腕が砕かれる感覚を克明に味わうことになった。
発狂するほどの激痛がキールを襲った。
痛みがキールから集中力を奪う。
加速が……解けた。
キールの意識スピードが常人と同じレベルに引き戻された。
こうなってしまってはキールもただの小娘に過ぎない。
だが……。
既に『殺し』は終わっていた。
ナイフは添えるだけで良い。
キールのナイフがオヴァンの胸へ、肋骨の間へと吸い込まれていった。
キールのナイフの先端がオヴァンの心臓に触れた。
ナイフが心臓を破壊する。
だが、心臓を穿たれてもオヴァンの拳は止まらなかった。
オヴァンの拳はキールの腕を粉砕するとを肩ごと体から千切り飛ばした。
(~~~~~~~~~~~っ!)
拳圧と衝撃波がキールの体を舞い上げた。
宙を舞ったキールの体は40ダカール奥の校舎にぶつかった。
校舎に弾かれたキールの体はそのまま地面へとべちゃりと落ちた。
「ぐ……ぁぁ……」
「ワン子……!」
オーシェがキールへと駆け寄った。
破壊されたのは肩であるにも関わらず、激しく吐血していた。
人の死を見慣れているオーシェにはわかった。
致命傷だ。
たとえ回復フレイズを使っても助からない。
キールはこれから死ぬ。
「嘘だろ……!?」
オーシェはズタズタになったキールの体を抱きかかえた。
「お前はこれからのウルヴズを背負って立つ人間なんだぞ……!?」
無駄だと知りながらも、オーシェは回復フレイズを唱え始めた。
一方……。
「見事だ」
オヴァンは呟いた。
見下ろすと、オヴァンの心臓をナイフが貫いていた。
いくらオヴァンでも、心臓を破壊されて生き延びるなど不可能だ。
致命傷だった。
(女神の加護という姑息な手段に頼っても勝てなかったか……)
「俺の……完敗だ……」
オヴァンはキールが究極の暗殺者なのだと悟った。
もしキールが本気で自分を殺しに来た場合、自分に逃れる術は無い。
真っ向勝負でもこのザマなのだ。
リメイクやテンプレートで奇襲などされたらひとたまりもないだろう。
(どうしようもなく負けたな……)
そう思った。
オヴァンの心臓がその鼓動を止めた。
オヴァンは崩れ落ちた。
「ブルメイ!」「オヴァンさん!」
ハルナとミミルがオヴァンへと駆け寄った。
ハルナはナイフを引き抜くと、地面に回復フレイズを書き始めた。
すぐにフレイズが完成し、リメイクサークルが展開される。
だが……。
「どうなってるの……?」
ミミルが震え声で言った。
オヴァンの傷が塞がらない。
少なくともミミルの目には回復フレイズが作用しているようには見えなかった。
「ねえ! ブルメイはどうしちゃったの!?」
「オヴァンさんの心臓が止まっています……」
「オヴァンさんは……もう……」
「え……?」
ミミルの目が驚愕に見開かれたその時……。
「馬鹿者」
澄んだ女性の声がした。
「喧嘩で命を落とすものが有りますか」
ミミルは声の方へ視線を向けた。
校舎の屋上に『九尾の狼』が佇んでいた。
そして……。
狼の額に『赤い紋様』が浮かび上がった。
(あれは……ブルメイと同じ……?)
狼は歌い始めた。




