ゼロのルイジ
ロクが神殿に連行された日の夜中。
ハルナは物音を立てないように寝室のベッドから起き上がった。
隣のベッドでは相部屋のミミルがすやすやと寝息を立てている。
妖精のようなその寝顔にハルナは一瞬だけ見惚れ、すぐに視線を外した。
ハルナはリメイカーのローブに袖を通し、髪を整え、とんがり帽子を被った。
さらに、旅袋から看板を取り出す。
ゆっくりと扉を開け、ハルナは寝室を出た。
宿を出て町の夜道を歩いていると、目の前に人影が立ち塞がった。
「あなたは……」
予想外の来客にハルナは少しだけ目を見開いた。
「久しぶりだな。ハルナ=サーズクライ」
獣のような耳。
ズボンの穴から長く伸びた尻尾。
その体躯は十年前よりも遥かに鋭い。
シム=ベーティアがハルナの眼の前に立っていた。
「何の御用でしょうか?」
ハルナは無表情で看板に文字を書いた。
「とぼけるな」
シムはハルナを睨んだ。
「別に……とぼけてはいません」
「化物騒ぎが起こった直後に貴様が現れ、そしてロク様に嫌疑がかかった……」
「これを全て『偶然』だと言い張るつもりか?」
「はい。いけませんか?」
「それで済むと思っているのか?」
「済まなければ、どうすると言うのですか?」
「洗いざらい話してもらう」
「嫌だと言ったら?」
「腕の一本くらいは覚悟して貰おうか」
シムは拳を構えた。
武術の心得が無いハルナにもシムが相当の達人であるということは伝わってきた。
その強さは十年前とは比べ物にならないだろう。
だが、ハルナはそんなシムを冷ややかな目で見ていた。
「シムさん……」
「あなたが……あなたが封筒を運んできたんです……」
「だから……」
「あなたを踏み潰しても良いですか?」
ハルナは笑んだ。
仲間には決して見せない微笑みだった。
シムの背筋に寒気が走った。
「やってみろ!」
恐れを踏み殺し、シムが跳んだ。
狙いはハルナの喉。
それはハルナにもわかっていた。
勝負は一瞬でついた。
ハルナが綴ったフレイズが直径15セダカほどの石杭を発生させていた。
シムは石杭に肩を穿たれて倒れた。
「ぐうっ……!」
シムは石杭を傷口から引き抜き、地面へと投げ捨てた。
仮初めの石杭はボロボロと崩れて風化していく。
「馬鹿な……! 速すぎる……!」
シムは呻いた。
リメイカーと戦士の戦いはその距離が優劣を分ける。
シムは自分に有利な距離から仕掛けたつもりだった。
だが、ハルナのフレイズの速度はシムが知るリメイカーの限界を遥かに凌駕していた。
「色々と苦労をしましたので」
地面に座り込んだシムをハルナの目が見下ろした。
「まだ……続けますか?」
「殺せ」
「気は済みました。あなたを殺したいとは思いません」
「何……?」
「本当に……私では無いのですよ」
ハルナはそう書くと回復のフレイズを綴った。
石杭に穿たれたシムの傷口が癒えていく。
ハルナはシムの隣を通り過ぎた。
「どこへ行く……?」
「待ち合わせを……しているので」
ハルナの表情が僅かに翳った。
ハルナの爪先は学校へと向けられていた。
……。
やがて、ハルナは学校前にたどり着いた。
夜なので校門は既に閉じられている。
ハルナはリメイクで浮遊すると校門を越え、校庭に入った。
ハルナの瞳が校庭の中央にある人影を捉えた。
ハルナはゆっくりとした歩調でその人影へと近付いていった。
「お待たせしました」
先に声をかけたのはハルナだった。
「こんな時刻に呼び出して、いったい何の用かな?」
ハルナの言葉に男の声が帰ってきた。
ハルナがさらに人影に近付くと、その全身がはっきりと見えるようになった。
人影の正体はルイジだった。
「ひょっとして……僕のプロポーズを受けてくれる気になったのかな?」
「いえ」
ハルナは首を左右に降った。
「残念。それじゃあ何かな?」
「そうですね。大した用事では無いのですが……」
「そうなの? もう夜中だよ?」
「すいません。それで……」
「今回の事件、犯人はあなたですね?」
「僕が犯人? 何を言ってるのさ」
ルイジは苦笑いをし、鼻から息を噴き出した。
「見ただろう? 旧校舎にはロクの首飾りが有った。そして、神殿兵がロクを捕まえて連れて行った」
「容疑者の一人として確保しただけです。容疑が確定したわけではありません」
「ルイジ……。あなたは……トライアックの調査力を甘く見ているのでは無いですか?」
「すぐにロクさんが犯人で無いということは明らかになるでしょう」
「そして、真犯人が誰なのかも……」
「自首をおすすめします。そうすれば、命までは取られないかもしれない」
「参ったな……。僕たち友達だよね? 何を根拠にそんな酷いことを言うのさ?」
「あなたは知らないでしょうが……」
「私は、旧校舎にたどり着く前に生命探知を使いました」
「生命探知のフレイズは、周辺の生き物を大まかなシルエットとして探知することが出来ます」
「旧校舎の中には化物達と……」
「人間が一人、居たんですよ」
「私達以外であの周辺に居た人物は、ルイジ、あなたしか居ません」
「あなたは私達の戦闘中に校舎裏から外へ出て、背後へと回り込んだ」
「そうして学校の方から来たと思い込ませようとしたのです」
「……違いますか?」
ハルナの内心には推理が間違いであって欲しいという気持ちも有った。
だが、間違いはないだろうとも思っていた。
「あ~あ……」
ルイジの表情が今までハルナが見たことの無かった形に歪んだ。
ハルナがオヴァン達に見せない顔が有るのと同様。
ルイジもハルナには見せたことが無い顔を持っていた。
それを今、見せた。
「これだから『天才』って奴は……ヤンナルネ」
ルイジは表情だけではなく語調までをも変化させていた。
彼の喉から放たれる音色にはあからさまな悪意が籠められていた。
「どうして……こんなことを?」
「こんなこと? どれのことかな?」
「クロスを育てていたことかな? それとも、その罪をロクに着せたことかな?」
「両方ですよ」
「ロクに罪を着せたのは……単純に目障りだったからだよ」
「金持ちで、人望が有って、才能と自信が有り、努力家でも有る」
「あいつは僕が持っていない物を全て持っている」
「いや……僕が持っている物なんて無いんだ」
「君を『ゼロ』だって言う連中が居るけど、馬鹿馬鹿しい。君は今も変わらず天才だ」
「本当のゼロっていうのは僕みたいな凡人のことを言うのさ」
「そんな凡人の僕が学校でやっていくにはあいつのことが邪魔だった」
「あいつ、来年にはもう准教授になるはずだったんだぜ? あの年でさ」
「トゥルーブ家の力だけじゃない。実力とコネ、その両方をあいつは持ってる」
「僕は……四十になっても講師のままかもしれない」
「あの酔っぱらいのオーシェ先生みたいにね」
「それに……あいつが旧校舎の見回りに来た時、虫に襲わせただろう?」
「その時に首飾りを落としていってくれたから、罪を被せるのに丁度いいと思った」
「襲わせた? あなたは……」
「クロスをコントロールしているとでも言うのですか?」
クロスは通常の動物と違い、決して人間の言うことを聞かない。
人間に殺意をふりまき続ける怪物のはずだ。
そんなクロスをコントロールする術が有るなどと、ハルナは聞いたことが無かった。
「その通り」
ルイジは見下すような笑みを浮かべた。
「僕はクロスを育成し、自分の兵隊にすることが出来る」
「ちょっとした戦力を築いたつもりが、ああも簡単に倒されてしまうとは思いもしなかったけどね」
オヴァンの見立てではあの虫の一匹一匹がデッドコピー級だった。
その虫が、ハルナが見ただけでも九体。
大国と戦争が出来る規模の戦力だった。
不運にも大陸最強のパーティがこの町を訪れたりしなければ……。
「どうやってクロスを? まさか、オリジナルの力ですか?」
「いや。僕は呪文によってクロスをコントロールし、『使い魔』に出来るのさ」
「そんなフレイズ……聞いたことがありません」
「フレイズ? 多分、これは違うな」
「フレイズでは……無い……?」
「うん。そうかも」
「どうしてルイジがそんな呪文を使えるのですか?」
「ああ。僕ごときがハルナの知らない呪文を知っていたらおかしいかな?」
「……ルイジでなくてもおかしいと思いますよ」
「そう? これはね、ある日突然に閃いたんだ」
「そんな……馬鹿なことが……」
「嘘だと思うかい? けど、本当だよ」
「君もたまには僕たち凡人みたいに頭を空っぽにして、星空でも見上げてみると良い」
「何か良いことを閃くかもしれないよ」
「良いこと? 化物に人を襲わせるようなことが、良いことだとでも言うのですか?」
「モチロン」
「理解出来ませんね」
「かもしれないね。君は……」
「化物の力なんか借りなくても、自分の足で僕らを踏み潰せるんだから」
「それは……」
「見せてあげるよ。ようやく僕も手に入れたんだから」
「僕だけの『1』、オンリーワンを……!」
ルイジが呪文を詠唱し始めた。
それはハルナがおよそ聞いたこともない呪文だった。
ハルナは即座に旅袋から仮面を取り出した。
虎の仮面を被り、リメイク防御を付与する。
大きく距離を取り、ルイジの呪文に対応出来るよう身構えた。
ルイジの詠唱が終わった。
だというのに、ルイジの周辺にはリメイクサークルが出現しなかった。
どんな種類のものであれ、リメイクが成立すればサークルが出現するはず。
ハルナは奇妙に思った。
その時……。
空中に『巨大な門』が出現した。
平面座標はルイジのやや後方。
横8ダカール、縦10ダカールは有る木製の門だった。
門がゆっくりと開いていく。
門が開きその中から出てきたのは……。
体長15ダカールも有る『巨大な甲虫』だった。
甲虫が門から出ると、門は跡形もなく消滅。
滞空する巨大な虫だけが残された。
静かだった校庭を耳障りな羽音が支配した。
(大きい……スマウスみたいに……)
ハルナは息を呑んだ。
「ムジェギゴグ。僕のエース。僕の切り札だよ。旧校舎とは別の場所に隠しておいたんだ」
「僕は使い魔にした生き物を自由に呼び出して操る事が出来る」
「さあ、遊ぼうか」
ルイジの意思を汲んで虫が動いた。
ハルナに向かって飛ぶ。
ハルナと虫の間には、20ダカールほどの距離が有った。
だが、化物はその速力で一瞬にして間合いを詰めてくる。
一方でハルナのフレイズもまた一瞬だった。
通常ではありえない速度でハルナは中級フレイズを成立させた。
地面から土の杭が伸び、虫の腹を穿とうとする。
「!?」
驚いたのはハルナの方だった。
底面積が一辺2ダカールは有る巨大な杭を生成したが、それは虫の腹で粉々に砕けた。
虫は何事も無かったかのようにハルナに向かい、そして、前足をぶつけてきた。
(~~~~~ッ!)
鈍い音がした。
鉄塊で打たれたような衝撃にハルナは吹き飛ばされた。
軽いハルナの体がごろごろと地面を転がった。
看板とテンプレートがハルナの体から離れ、遠くへ転がっていく。
(う……)
うつ伏せに倒れたハルナの背を、虫の前足が押さえつけた。
ハルナは身動きも取れなくなる。
「僕の勝ちだね。ハルナ」
余裕の笑みを浮かべながらルイジが歩き出した。
ハルナの方へと近付いてくる。
トドメを刺されないということが逆にハルナにはおぞましかった。
自分はこれからどうなるのか……。
ハルナは藻掻こうとするが、化物の足はぴくりとも動かない。
その時……。
爆音が鳴った。
ハルナを押さえていた虫が吹き飛び、校庭をゴロゴロと転がった。
化物の巨躯が校庭中に砂埃を巻き起こした。
「何だ……!?」
ルイジが視線を動かすと、ハルナのすぐ側に一人の男が立っていた。
オヴァン=ブルメイ=クルワッセ。
大陸最強の冒険者が金棒を振り抜いた姿勢で立っていた。




