アンク
食堂のテーブルに三人分のパフェの容器を残し、オヴァン達は学校を出た。
「これからどうするの?」
校門前でミミルがそう言った。
「買い物をして、それから町を出ましょう」
「泊まっていかないの?」
「長居をしたいとは思えませんね。やはり」
「そう……。それなら仕方無いわね」
「良いですか? オヴァンさん」
「ああ。野宿は慣れている」
「良い枕も有りますしね」
「む?」
三人は適当な商店に入ると物資を補給した。
店から出るとスマウスが待つ外壁へ向かって足を向ける。
……。
……それは、町の外壁の門が見えてきた頃だった。
「きゃああああああっ!」
突然に、女性の悲鳴が聞こえてきた。
「何!?」
ミミルが周囲に視線を走らせた。
「また酔っぱらいが暴れているのか!?」
オヴァンが腹立たしげに言った。
今度こそ酔っぱらいを殺してやる。
そう考えていたのかもしれない。
「違います! あれを……!」
ハルナが建物の屋根の上を指差した。
そこにはオヴァンが見たこともない『化物』が取り付いていた。
外見は羽が生えた甲虫。
だが、そのサイズは通常の甲虫の比では無い。
体長6ダカールは有る巨体。
クロスオーバー……それも、相当強力なクロスであることが窺い知れた。
周囲は騒然とし、通行人達は我先にと化物から逃げ去ろうとする。
だが、震えて動けない者も居た。
(嫌な気配……)
ハルナは妙な感覚に突き動かされ、テンプレートを看板に伸ばした。
化物はガチガチと牙を動かしていたかと思ったら、突然に黒い液を噴き出した。
液が向かった先はオヴァン達の所では無かった。
震える通行人の女性に液が襲いかかる。
だが、液が女性に降りかかる直前、ハルナはフレイズを完成させていた。
見えない膜に阻まれた液は煙を上げて消滅する。
「逃げて下さい」
ハルナの言葉で正気を取り戻したのか、女性は足早に駆け去っていった。
化物の周囲から通行人の姿が消えた。
これで化物の直近にはオヴァン達三人。
一方、遠くからは物好きな野次馬達が事態を見物していた。
「行くわよ!」
まず先手を打ったのはミミルだった。
素早く矢を三連、テンプレートの力を籠めずに放った。
狙いは驚くほどに正確。
だが、化物の硬い外殻が矢を弾いた。
形を歪めた鏃が化物の周囲に落下した。
「……ふっ!」
次に動いたのはオヴァンだった。
オヴァンは金棒を構えると吐息と共に跳躍。
人間離れした跳躍力で二階の屋根の高さまで飛び上がった。
そして、空中から化物に向けて金棒を振るう。
だが、化物は一瞬速く跳躍した。
オヴァンの金棒は空を切り、化物は空へと逃れていた。
化物は羽ばたいてオヴァンの上空に滞空。
オヴァンは金棒で屋根の一部を吹き飛ばしつつ、先程まで化物が居た位置に着地した。
屋根の破片がぱらぱらと地上へ落ちる。
「チッ……」
オヴァンは空を舞う化物を見上げた。
もう一度飛びかかっても良いが、回避されるのは目に見えていた。
オヴァンは地上のミミルへと視線を送った。
そして大声で言う。
「二度だけテンプレートを使って良い! 羽を撃て!」
「わかった!」
仲間に必要とされた。
ミミルは活き活きとした表情で弓のテンプレートに力を籠めた。
狙いは正確に、ミミルの矢が再び放たれた。
矢は風の力を纏っていた。
甲虫の外殻は凄まじく硬い。
たとえテンプレートであっても貫通するのは難しいだろう。
だが、飛行する時は柔らかい羽を曝け出さなくてはならない。
その羽を目がけて、ミミルの矢が放たれた。
一つ、そして二つ。
テンプレートによって風の力を宿した矢は、化物の羽に二つの大きな穴を穿った。
余波によってオヴァンのリメイク防御二つが消失。
羽を損傷した化物は体勢を崩した。
墜落はしないが、明らかに動きが鈍っている。
それを見てオヴァンは再び跳躍した。
化物も今度は逃げられない。
大上段の一撃が甲虫の頭部に叩きつけられた。
外殻が金棒の形にべこりと凹む。
上方からの衝撃に甲虫は地面に叩きつけられた。
甲虫の背が街路に大きなクレーターを穿つ。
一瞬遅れてオヴァンも地上へと帰還した。
「ふっ!」
オヴァンは追撃でさらに頭部を強打した。
化物の頭部が完全に陥没した。
化物の下のクレーターがさらに深さを増す。
大地が揺らいだ。
頭部を失った化物は脚をビクビクと動かした後、やがて動かなくなった。
死亡したクロスは黒い粘液に変化した。
煙を上げて消滅していく。
オヴァン達の勝利を見て、野次馬たちが歓声を上げた。
だが、一人の男が怒り顔でオヴァンに詰め寄ってきた。
「おいあんた! 人ン家の屋根を……!」
どうやらオヴァンが屋根を吹き飛ばした家屋の持ち主のようだ。
オヴァンはスッと旅袋から革袋を取り出して男に放った。
「なっ……!」
男が袋を開くと中には大量の金貨が入っていた。
「い、良いのか?」
「つべこべ言うなら返してもらう」
「いやいや」
男はぶんぶんと首を振るとオヴァンから離れていった。
オヴァンのリメイク防御の紋様がいつの間にか三つに戻っていた。
気付かないうちにハルナが重ねがけしたらしい。
自分の仮面を見られないオヴァンには紋様の変化はわからなかった。
オヴァン達三人はそれぞれが歩み寄って近付いていった。
「珍しいクロスだったな」
「そうなの? 私は冒険者になったばかりだから、クロスのことには詳しくないけど」
「私も似たようなものですね」
実際、少し前までハルナは一般的な魔物であるエルフの姿すら見たことが無かった。
「そんなに珍しいクロスだったのですか?」
「クロスは雨が降る度に新種が生まれるから、変な形のものは珍しくも無い」
「だが……かなり手強い相手だった。『デッドコピー級』かもしれん」
「デッドコピー? あれが? 楽勝だったじゃない」
ミミルにとっては唯一戦ったデッドコピーがトゥルゲルで出会った化物だった。
あれと比べるとさっきの虫は一枚も二枚も見劣りするように感じられた。
「いや。苦戦した。一撃では仕留められなかった」
「あなたの苦戦の定義は少しおかしいような気がするのですが……」
「俺が言いたいのは……」
その時……。
「いやあ、お見事お見事」
ミミルの後ろで男が拍手をした。
「うわぁ!?」
いきなり背後に立たれてミミルが悲鳴を上げた。
オヴァンもハルナもその男の接近に気が付かなかった。
(油断したか……?)
悪い癖だと思いながらオヴァンは男を見た。
男の身長は166セダカで赤黒い短髪。
歳は40程度。
とぼけた表情の垂れ目で、鼻の下から顎にかけては無精髭を生やしている。
アーリマン風の、ボタンの無い青い衣服を着崩して着ていた。
腰帯は赤い。
左手に大きな酒瓶が見えた。
瓶の中身は既に半分ほど飲まれている。
「おっと、驚かせちゃったかな。悪いね~。お嬢さん」
男は大げさに頭をかきながら詫びた。
別に頭が痒いわけではないだろう。
「あなた、何なの? いつの間に近付いて来てたの?」
ミミルは男を睨みつけた。
具体的に男が何かしたというわけではないが、なんとなく決まりが悪いらしい。
「俺は見ての通り、通りすがりの酔っ払いだ」
男は酒瓶を持ち上げて見せた。
「その酔っぱらいが何の用だ?」
「この方は、学校の講師です」
ハルナが言った。
「こいつが?」
オヴァンは目を細めた。
「お酒を飲みながら講義したり、突然講義をサボったり、生徒からの評判は悪かったですね」
「酷い言われようだな……と言ってもまあ、真面目な講師じゃ無いってのは事実だ」
「おかげでこの歳でも准教授にもなれやしない」
「用件は何だ?」
「せっかちだな。まあ、来なよ。まずは一杯奢らせてくれ」
男は酒場の看板を指差した。
「俺はオーシェ=オルベルン。『ダブルオー』とも呼ばれてる。よろしくな」
「……オヴァン。オヴァン=ブルメイ=クルワッセだ」
オーシェの後に続いてオヴァン達は酒場に入った。
テーブル席に着席する。
「適当に酒。あとはグラスを人数分頼む」
オーシェがウェイトレスに注文するとすぐに酒とグラスがやって来た。
オーシェは酒瓶を開け、中身をグラスに注ぐとオヴァンの方へやった。
「さ、飲みなよ」
「いただこう」
オヴァンはグラス一杯に注がれた酒を一気に飲み干した。
「おっ、いけるクチだね兄さん」
言いながら、次は自分のグラスに酒を注いだ。
オヴァンとは違い、ゆっくりとした飲み方だった。
「そっちの二人は? まだ早いか」
「年齢的には問題ないと思いますが、下戸なので遠慮しておきます」
「それと、早いと言うなら、この時刻はお酒を飲むには早いとは思いますが」
店内は薄暗いが、外はまだ明るかった。
「こまけーこたぁ良いんだよ。そっちの耳の長いお嬢さんは?」
「私、お酒って飲んだこと無いのよね。お姉ちゃんがダメだって言うから」
どうしようかしら。
首を傾げたミミルの様子からは悩んでいるらしいことが読み取れた。
「なら、止めときな」
オーシェが言う。
「どうして?」
「良いか? 酒はってのはな……」
「何?」
「不味い。飲めたもんじゃない」
「不味いって、美味しそうに飲んでるじゃない」
話をしながらもオーシェは酒を進めていた。
「不味いはずなんだ。……理屈の上ではな」
「理屈?」
「産まれて初めて酒を飲んだ時は、こんなもん飲めたもんじゃないと思った」
「考えてみると当たり前の話だ」
「人間の味覚ってやつは、食えるものとそうじゃないものを見分けるためについてるんだ」
「それを見ろ。この酒って奴は、アルコールなんてものが20%も入ってる」
「アルコールってのは栄養素じゃない。薬物の一種だ」
「食い物を見分けるための舌が、食い物じゃないもんが大量に入ってる物を、美味いなんて思うわけ無いだろ?」
「だから、酒ってのは苦い。本当は不味いんだ」
「こんなもん美味いなんて言う奴は、味音痴の味覚障害だよ」
「だったら、どうして飲むの?」
「酒が苦くなくなったからだ」
「どういうこと?」
「良いか? 酒の苦味ってのは、魂の苦味に反比例するんだよ」
「魂……?」
「ああ。人間の魂っていうのは、歳を取るごとに汚れていくように出来てる」
「魂が汚れて、疲れて、どんどんと生きるのが辛くなっていく」
「そんな時、ふと酒の瓶が目に入る」
「そういう時に飲んだ酒ってのは、苦くないんだ」
「いや、苦味は有るんだが、その苦味が嫌じゃなくなっている」
「味覚が変わるんじゃない。それを受け取る心が変わるんだ」
「そうして、いつの間にか酒が飲めるようになっている」
「……だから、酒が不味いってことは、魂が綺麗だってことだ」
「こんなもん、無理して飲むもんじゃねぇよ」
「へぇ……」
ミミルはオヴァンを見た。
オヴァンは酒好きだ。
オヴァンの魂も汚れているのだろうかとミミルは考えた。
そんなミミルの視線にオヴァンは気付いたようだ。
オヴァンと視線が合うと妙にどきりとし、ミミルはオーシェへと視線を戻した。
「なんだか面白い話ね」
「そうか……?」
「ロクでもない話だろ?」
そう言ってオーシェはさらに酒を呷った。




