オレンジ
「そんなところです」
それが完全に事実に即していたかはともかく、ハルナは全てを綴り終えた。
「そう……。辛かったのね」
ミミルの声は少し震えていた。
ハルナの話に感情移入したようだ。
ハルナはミミルのそんな様子をむず痒く感じた。
「まあ……はい。行きましょう」
むず痒さを振り払うようにハルナは歩き出した。
「長居することもないでしょう」
「友達には会っていかないの?」
ミミルが尋ねた。
「友達……ルイジですか?」
「どうでしょうか。喧嘩別れをしたようなものですから……」
「私が会いに行っても迷惑かもしれません」
「そんなことないわ。友達が会いに来て迷惑なわけが無いでしょう? ね? ブルメイ」
「……かもな」
友情は不変では無い。
壊れて無くなってしまうこともある。
オヴァンはそれを自身の経験から知っていた。
だからミミルに強く賛同することは出来なかった。
だが、ハルナを傷つけるようなことも言いたくは無かった。
「かもじゃなくて、そうなの。行きましょう。ハルナ」
ミミルのしなやかな指先がハルナの手を引いた。
「……わかりました」
「そのルイジという男はどこに居るんだ?」
「わかりません」
ハルナは学校を退学して以来、ルイジには会っていなかった。
手紙などのやり取りも無い。
全くの音信不通だった。
「少なくとも学校は卒業していると思います」
ルイジの成績は良い方では無かったが、落第するほどでも無かった。
何か事故でも無ければ無事に卒業出来ているはずだった。
「ひょっとすると……もうこの町には居ないのかもしれませんね」
学校の卒業生はリメイクのエリート。
引く手は数多だ。
就職先は世界中に有る。
「学校に行ってみるか? 誰か、知っている奴が居るかもしれん」
「はい」
「決まりね。行きましょう」
ミミルが力強く足を踏み出した。
そして何歩か歩くとハルナの方を向いてこう言った。
「それで、学校ってどっちに有るの?」
ハルナは苦笑した。
……。
ロク=トゥルーブは『町の病院』を訪れていた。
ロクは受付の看護師に話しかけると階段の方へ足を向けた。
声をかけられた看護師はロクの姿が見えなくなるまで彼を目で追った。
その耳は仄かに赤い。
ロクは階段を登って二階へと移動した。
それから廊下を歩き、目当ての病室を見つけると扉を開いた。
「元気か?」
ロクは部屋に入るとベッドの上の人物に声をかけた。
「ロク様……」
ベッドの上の人物、シム=ベーティアは戸惑ったような声を出した。
彼は二日ほど前からこの病院に入院していた。
「わざわざすいません」
シムは軽く頭を下げた。
「どうだ? 怪我の具合は」
「ほとんど治りましたよ」
マーネヴはリメイクの町だ。
大抵の怪我はリメイクで治せてしまう。
他の町と比べても外科医の必要性は薄く、数も少なかった。
シムの怪我も入院した時点でその殆どが治癒していた。
「もう退院しても構わないくらいです」
「もう二、三日はゆっくりしていけ」
勤労な部下であるシムを気遣ってロクはそう言った。
「ですが……」
右腕とも言えるシムが負傷した今、ロクは護衛を一人も連れていなかった。
別に、具体的に誰かに身命を狙われているというわけではない。
だが、慎重な性格であるシムはそれを気がかりに思っていた。
「また『虫』が出るかもしれません」
「俺がそうしろと言っているんだ」
ロクがダチョウをした。
「……わかりました」
シムは主人には逆らわない。
ロクがそう言うのであれば話はそこで終わりだった。
「お菓子だ。後で食べろ」
ロクは手に持った紙包みをシムの膝の上に置いた。
それからベッド脇の椅子に腰を掛けた。
椅子に座るとロクは口を閉じた。
シムは自分から話す方では無いので病室内は静かになった。
「今日……」
少ししてロクが口を開いた。
「ハルナ=サーズクライに会った」
「彼女に……ですか?」
「ああ。偶然な」
「どうでした? 彼女の様子は?」
「気になるのか?」
「……多少は」
「そうか。別に……変わらなかった」
「そう……ですか」
「妙なことをしていたがな。何故か口で話さずに、看板に文字を書いていた」
「文字を? どうしてですか?」
「さあな。落ちこぼれの考えることはわからん」
「背もほとんど伸びていなかったな。十年前となんら変わらない姿だった」
「あまりにも変わらなすぎて、本人ではなく娘かと思ったくらいだ」
「十年では子供が育つには短いでしょう」
「そうだな。俺が子供だった頃は彼女が凄く大人びて見えたものだった」
「同学年の女の誰とも違う、神秘的な輝きを放っているように見えた」
「だが……今思うと、彼女はただ早熟なだけだったのだろうな」
「誰よりも成長は早かったが、あそこが彼女の限界だったんだろう」
「彼女の成長はあそこで止まり、今ではどこにでも居る女の一人にすぎない」
「……そういうことなのだろうな」
「そうでしょうか?」
「違うか?」
「……いえ。それで、彼女はどうしたのですか?」
「どうというのは?」
「どうして今になってこの町を訪れたのでしょうか?」
「冒険者になったらしい」
「冒険者?」
「それらしい格好の連中とつるんでいた。冒険者パーティのリメイカーをやっているようだ」
「彼女は……どうして冒険者になったのですか?」
「逃げたんだろう」
「たとえ落ちこぼれでも、冒険者としてなら自分の居場所を得られる。そう思ったんじゃあないか?」
「何にせよ、彼女は負け犬だ。何の価値も無い、凡庸な女」
「あんな女に言い寄っていたなんて、俺も馬鹿なことをしたものだ」
ロクは窓越しに青空を見上げた。
……。
校門の守衛がハルナを覚えていたこともあり、ハルナ達は問題なく学校に入ることが出来た。
学校を訪れたハルナ達は当時のクラス担任の部屋を訪ねることにした。
田舎の学校と違い、マーネヴでは科目ごとに教える講師が違うのが当たり前だった。
だから、担任にそこまで世話になったというわけでもない。
それでも他の講師と比べればまだ交流が有ったと言えた。
彼の部屋の場所は以前と変わらなかった。
ハルナは道に迷うことなく担任の部屋の前まで移動した。
一息置いてから扉にノックをする。
「失礼します」
「どうぞ。開いているよ」
許可を得るとハルナは扉を開いた。
ハルナを先頭に三人は室内に入っていく。
最後に部屋に入ったオヴァンが扉を閉めた。
室内では一人の中年男性が立派な椅子の上に腰かけていた。
彼の前のテーブルには紙束とペンが有った。
何か書き物をしていたらしい。
「君は……」
ハルナを見て、元担任は少し驚いた顔をした。
担任の名はデミル=クラーツ。
今年で40歳ほどになる髭面の男性だった。
身長は173セダカで、毛色は栗色。
こざっぱりした服装をしており、リメイカーにしては体ががっしりしていた。
銀縁の眼鏡の下からは緑の瞳が覗いている。
彼の当時の役職は講師。
教授陣の中では一番下っ端の役職だった。
クラス担任などの雑事は講師の役割であり、准教授以上の者は上級生にのみ講義を行う。
デミルはあれからすぐに准教授になり、今は教授だった。
「こんにちは。デミル先生」
ハルナは頭を下げた。
「私はハルナ=サーズクライです。覚えてはいらっしゃらないかもしれませんが……」
「いや。良く覚えているよ」
「ほんの一年ほどの付き合いだったが、君ほど優秀な生徒は他には居なかった」
「落第生ですけどね」
「それは……」
デミルはハルナの看板とテンプレートに奇異の視線を向けた。
「……変わったことをしているね。テンプレートかな?」
「はい。声を失ったので、その代わりに」
「ひょっとして……それでリメイクが使えるのかね?」
「はい」
ハルナは看板の上にテンプレートを走らせた。
オヴァンは一瞬身構えた。
だが、ハルナがリメイクで産み出したのは殺傷能力の無いただの光源だった。
色とりどりの光の玉がハルナの周囲へと浮かび上がった。
「綺麗……」
ミミルはぴょんぴょんと跳びはねながら光の玉へと手を伸ばした。
「はしゃぐな」
オヴァンは穏やかに微笑した。
「速いね」
デミルは呻いた。
「当時の威力には及びませんが、速さは以前より向上しました。歌は使えませんが……」
「試しに勝負してみますか?」
ハルナはオヴァン達には向けたことのない嗜虐的な笑みを浮かべた。
後ろに立つ二人からはハルナの笑みは見えない。
「止めておこう」
デミルは苦笑した。
「もしかして……君は復学を希望しているのだろうか? それなら私よりも校長に……」
「いえ。この学校に未練は有りません」
「……と言うと嘘になりますね」
「未練は有りますね。正直に言えば、この学校を更地にしてしまいたいとさえ思っています」
「まあ、しませんけどね」
ハルナは看板の前でテンプレートをくるくると回した。
「些細な願望です。そうなったら良いな……程度の」
「君が言うと冗談に聞こえないね」
デミルの額が僅かに汗ばんでいた。
「本心ですからね」
「……ええと、お茶でもどうかな?」
デミルは椅子から立ち上がるとポットへと手を伸ばした。
「いえ。すぐに帰りますので」
「……」
「……」
「ええと……用件は何だったかな?」
「人を探しているのです」
「人?」
「はい。私は……」
その時、扉が開く音がした。
オヴァンは扉の方へ振り向いた。
オヴァンの目が男の姿を捉えた。
「ええと……こんにちは」
オヴァンと目が合うと男は頭を下げた。
男の声を聞いてハルナは振り返った。
ハルナにとって見覚えのある顔がそこには有った。
「ルイジ……?」
「ひょっとして、ハルナ?」
「はい。ハルナ=サーズクライです」
「久しぶり! ハルナ!」
ルイジはオヴァン達の脇をすり抜けてハルナの前に立った。
ルイジの身長は当時より20セダカほど伸びていた。
リメイカーのローブを着て、胸には虫眼鏡のようなレンズに四角い金属枠を付けた物をぶら下げている。
テンプレートだろうか。
大人びていたが、ハルナには彼がルイジだということが一目でわかった。
ルイジは持っていたビジネスバッグを放り投げた。
そして、以前より大きくなった手でハルナの両手をがっしりと握りしめた。
「会いたかったよ。ハルナ」
「……はい」
……。
ハルナ達は『学内食堂』へと移動した。
食堂は南側に広くガラス面を取り、屋外に居るような開放的な印象を与える構造をしていた。
食事時では無いので生徒たちの姿は少ない。
講義の選択制によって時間に空きが有る上級生の姿がまばらに見える程度だ。
生徒の中には異物であるオヴァンとミミルをちらちらと盗み見る者も居た。
もっとも、ミミルが人々から視線を奪ったのはその美しさのせいでもあったのだが……。
ハルナが一人で着席している所にルイジは飲み物を運んできた。
ハルナの前にコップを置くとルイジも着席した。
「ありがとうございます」
ハルナはコップを手に取った。
コップに口をつけると中には甘酸っぱいジュースが入っていた。
「会えて良かったわね」
「……そうだな」
オヴァンとミミルは離れた席から遠巻きに二人を見守っていた。
ハルナは重い看板を旅袋に仕舞うとテーブルに文字を書き始めた。
「どうしてまだこの学校に?」
「別に、留年したわけじゃないよ」
「わかっていますよ」
「『講師』になったんだ。ゆくゆくは教授になりたいと思っている」
ロクと同じ仕事に就いたのか。
ハルナは一瞬そう考えた。
「……そうですか。頑張って下さいね」
「……ねえ、ハルナ」
「何でしょう?」
「ハルナはどうして学校から居なくなったの?」
「知らされていないのですか?」
「うん。先生達はプライバシーの問題が有るからって」
「何も言わずに君が居なくなったのはショックだったよ」
ルイジはハルナのテンプレートを見た。
「どうして言葉を使わず、そんな風に文字を書いてるんだい?」
「私は……声が出せないのです」
「試験の日、雨に降られて、呪いを受けてしまったせいで……」
「そうだったんだ……。大変だったね」
「そうですね。大変でした」
「ですが、このテンプレートのおかげで最低限のことは出来るようになりました」
「そっか。ハルナは昔からテンプレートを作るのが上手だったからね」
「けど……その胸元に見えるのは……」
ルイジはハルナの胸にある金属板に目を向けた。
「冒険者の等級証です」
「ハルナは冒険者になったの?」
「はい」
ルイジは眉をひそめた。
「そんな野蛮な仕事、ハルナには似合わないよ」
遠く離れた席でミミルが立ち上がった。
「落ち着け」
ルイジの方へ向かおうとしたミミルの手をオヴァンが掴んだ。
「けど!」
「何か食うか?」
「甘いもの!」
オヴァンとミミルは二人して食堂のカウンターへと向かった。
一方、ハルナ達はそんな二人には気付かずに話を続けていた。
「私は呪いを解くために解呪のオリジナルを探しています」
「解呪? そんなのが有るの?」
「はい。あくまで書物に記されているのを見ただけですが……」
「オリジナルを手に入れるには冒険者になるのが手っ取り早い。そう判断しました」
「そう。見つかると良いね」
「はい」
「それで、そのオリジナルが見つかったら、ハルナはどうするの?」
「さあ……。どうしましょうかね」
「もし、良かったら……」
ルイジの顔つきがきゅっと引き締まった。
「僕の隣に居てくれないか? 僕を隣で支えて欲しい」
その表情からは学生だった頃よりも遥かに強い自信が感じられた。
「プロポーズですか?」
「うん」
ルイジは堂々と頷いた。
「以前はフラれてしまったけど、僕の気持ちはあの頃から変わってないよ」
「ハルナ、君が好きだ」
「ごめんなさい」
ハルナは頭を下げた。
ハルナの帽子がずれてテーブルの上に落ちた。
「そう……」
「またフラれてしまったね」
ルイジは苦笑した。
そしてテーブルの上に両手をつき、席を立った。
「けど、僕はもう昔みたいな子供じゃない」
ルイジは穏やかな顔をしていた。
告白を断られて泣いていた少年はもう居なかった。
人は成長する。
当然のことだが、ハルナにはそれが新鮮に感じられた。
「また会おう。友達として」
ルイジはハルナに手を伸ばした。
「……はい」
ハルナは立ち上がり、二人は握手をした。
「それじゃあ、気をつけて」
ルイジは握手していた手を離し、ハルナに背を向けた。
そして食堂から退出して行った。
ハルナが一人になったのを見て、オヴァンとミミルが近付いてきた。
「ハルナ……」
オヴァンが神妙な声でハルナに声をかけた。
「オヴァンさん……」
ハルナはオヴァンの手元を見た。
「そのパフェ、美味しそうですね」
二人は美味しそうにもぐもぐとパフェを頬張っていた。




