スローライフ
……。
ハルナが目覚めた時、最初に目に映ったのは自分の寝室とは違う見慣れない天井だった。
頭を左右に動かすとカーテンが見えた。
窓を覆うのでは無く、ベッドを囲むようにカーテンが設置されていた。
見覚えが有る。
ハルナはようやくその場所が『学校の保健室』なのだとわかった。
ハルナは保健室のベッドに寝かされていた。
ベッドの隣の椅子に見知らぬ男が座っていた。
男は額に宝石がはまった仮面をかぶっている。
服装から神官だとわかった。
ハルナと神官の目が合った。
ハルナが目覚めたことに気付くと神官は立ち上がった。
「ハルナ=サーズクライさん」
神官は神妙な口調で言った。
「あなたは呪いによって、声が出ない体になりました」
「それ以外には呪いによる悪影響は有りません」
「倒れたのは、精神的ショックによるものでしょう。健康には問題がありません」
「それでは、お大事に」
神官は言いたいことだけを言うとカーテンをくぐり、保健室から出て行った。
ハルナはぼんやりと天井を眺めた。
体は健康なはずだが、立ち上がろうという気力が湧いてこなかった。
しばらくすると、出入り口の扉が開く音がした。
ベッドと扉の間はカーテンで遮られている。
だから、その時点では誰が保健室に入ってきたのかはわからなかった。
「ハルナ=サーズクライ」
カーテンをくぐって現れたのはロクだった。
ロクはベッドの側面に立った。
「もう平気なのか?」
「…………」
ハルナは答えなかった。
答えようにも、そのための声は失われていた。
「全く……試験中に倒れるだなんて、情けのないことだ」
ロクは呆れるように言った。
「こんなことになるのなら、ここまで真剣になることも無かったな」
「まあ、リメイカーとして落第でも、俺の妾としてなら養ってやっても……」
ハルナの体が跳ねた。
ハルナの右手がロクの頬を強かに打った。
「何を……!」
ハルナはベッドから飛び出し、保健室から駆け去っていった。
残されたロクは赤くなった頬を押さえた。
……。
ハルナが倒れてから数日が経過した。
ハルナは猫車に乗って故郷に帰ることになった。
狭い貨物猫車に乗って膝を抱えるハルナを校長のスヴェルだけが見送った。
他にハルナを見送ろうという者は居なかった。
ルイジの姿も無かった。
(ルイジは……)
(私が告白を断ったことを……怒っているのでしょうか……)
ルイジが見送りに来ないのも仕方のないことだとハルナは思った。
それでも友人が見送りに来てくれないというのは悲しいことだった。
敗残者を乗せて猫車はマーネヴを出立した。
……。
ハルナは故郷への旅を無表情で過ごした。
途中で船に乗り、猫車を乗り換えて村へと向かった。
村に着いたのは夕方頃だった。
ハルナは大きな風呂敷を抱えてまっすぐに家に向かった。
途中で村の知り合いが話しかけてきたがハルナは答えなかった。
答えられなかった。
やがてハルナは自宅の前にたどり着いた。
小さいが二階建ての、レンガ造りの家。
一年ぶりの我が家だった。
ハルナは家のドアを開くことに躊躇いを感じた。
こんな姿を母に見せたくは無かった。
だが、いつまでも突っ立っているわけにはいかなかった。
ハルナはゆっくりとドアノブを回した。
家の扉を開くと母の姿が見えた。
狭い家だ。
玄関を抜けるとすぐそこにはキッチンが有る。
母は夕食を作っていた。
懐かしい匂いがした。
扉の音に母が振り向いた。
そして、ハルナの姿を認めると言った。
「お帰りなさい。ハルナ」
(あ……)
ハルナの目から涙がぽろぽろとこぼれた。
母にとって学校までの旅費を払うのがどれだけ大変だったのかを知っている。
なのに、何も返せるものが無かった。
悔しくて悲しくて仕方がなかった。
だが、どれだけ悲しくても声は出なかった。
ハルナはとぼとぼと母の前へ歩いた。
母は疲れ果てたハルナの体を優しく抱きとめた。
……。
泣き止むと、ハルナは自分に起きた出来事を説明した。
声は出ないので、紙に文字を書いた。
「お疲れ様」
母はただそう言った。
……。
それからしばらくは何も出来ない生活が続いた。
何もせずにぼんやりしていると、少しずつ心身が元気を取り戻してきた。
やがて、家のことを手伝うことが出来るようになり、他所の手伝いが出来るようにもなった。
ハルナは少しずつ大人になっていった。
そして、ハルナは17歳になった。
もう学校でのことも遠い思い出だった。
全ては過去のこと。
そう思っていた。
……そんなある日のことだった。
ハルナは勤め先である食堂に向かうため、村の道を歩いていた。
その時、ハルナの瞳が見慣れた何かを捉えた。
ハルナの体がびくりと固まった。
ハルナの瞳に映ったのは……リメイク学校の制服だった。
制服を来た何人かがきょろきょろと周囲を見回していた。
「それで、どこに有るんだ? その人面樹っていうのは」
男がそう言った。
ロク=トゥルーブ。
かつてのクラスメイトだった。
「村の人に聞いてみましょう」
そう答えたのは、シム=ベーティア。
ハルナにあの忌まわしい封筒を渡した男だった。
シムはハルナの方へと近付いてきた。
ハルナの鼓動がどくどくと高鳴っていった。
シムはハルナの前に立つと口を開いた。
「あの、人面樹というのは……」
途中まで言いかけて、シムの言葉が止まった。
シムはハルナの顔をまじまじと見た。
そして……。
「ハルナ=サーズクライか?」
シムは彼女がハルナであると気付いた。
およそ五年ぶりの再会だったが、気付かれてしまった。
呪いのせいか、ハルナの成長は遅かった。
入学時とくらべてもほとんど身長は伸びていなかった。
立派な青年として成長した彼等に対し、ハルナは何の成長もしていなかった。
(……っ)
ハルナは一歩後ずさった。
だが、二人の距離が遠ざかることは無かった。
シムはハルナに対して一歩二歩と距離を詰めてきた。
「ここで何をしている? どうして……」
「……!」
ハルナはシムに背を向けると走り出した。
「おい……」
シムはハルナを追いはしなかった。
シムの視界からハルナが消えた。
シムはロクの所へ戻った。
「どうだ? わかったか?」
「いえ。別の者に聞いていることにします」
「そうか。この村には他に何か有るのか?」
「いえ……」
「何もない村のようですね」
シムはハルナが駆け去っていった方向を見た。
……。
ハルナは家に駆け込むと二階に上がり、自室のベッドの上で布団を被った。
ほんの少しでも良い。
この世界から隔絶されたいと思った。
布団の下でハルナは惨めに震えた。
(私は……立ち直ってなんかいなかった……!)
(ただ……『癒されたフリ』をしていただけ……)
(私は……私は……!)
声が出ていたのなら絶叫していたかもしれない。
それほどの激情がハルナの内で渦巻いていた。
ハルナはベッドから起き上がると力任せに本棚を殴りつけた。
二発、三発と殴る。
手が痛んだ。
痛いが、辛くない。
精神がどん底に有る時は多少の痛みなど辛くは無いのだと知った。
ハルナの暴力を受けて本棚から何冊かの本がばさりと落ちた。
リメイク学校の教本だった。
今となっては忌まわしい本でしか無かった。
踏みつけてやろうかと思った。
だが……。
ハルナの視線は偶然に開いた本の内容に引き込まれていた。
そこにはこう書いてあった。
解呪のオリジナル。
(解呪……?)
ハルナは本に飛びついた。
ページの隅々まで舐めるように見る。
(もしこの呪いが解けるなら……)
(私はリメイカーに戻れる……?)
(解呪のオリジナルさえ手に入れられれば……)
(私は……)
(あいつらに勝ちたい……!)
……。
ハルナはオリジナルに関する本を読み漁った。
得られた情報は少なかった。
どこに有るのか、本当に実在するのかも定かではない。
だが、ハルナの中から諦めという選択肢は既に消滅していた。
(オリジナルを探すには、冒険者になるのが良い……)
発育不良のハルナには人並みの体力すら無い。
剣士としてやっていくのは不可能かと思われた。
(オリジナルを探すにはリメイクが必要。リメイクを使うにはオリジナルが必要)
(この矛盾を打破する方法は……実は一つだけ有る……)
ハルナは指先を使い、床に短いフレイズを書いた。
サークルが出現し、室内につむじ風が巻き起こった。
(けど……この『書くリメイク』ではほんの短いフレイズしか発動出来ない)
原則として、フレイズは長ければ長いほど強い威力を発揮する。
書くリメイクが実戦で通用するとは思えなかった。
(なんとか……この方法を改善することは出来ないの……?)
ハルナは部屋に引きこもって思案を続けた。
母は心配したが、今のハルナの頭脳には母の気持ちを考える余地など無かった。
古来より、天才とはそうした生き物なのだから……。
……。
ハルナは幽鬼のように数年を過ごした。
他者から見れば不健康この上ない有様だったが、ハルナ本人はこの逆境に妙な快楽を感じていた。
そして、思考に試行を重ねた結果、ハルナはついにたどり着いた。
詠唱無くして長大なフレイズを成立させる方法へ。
ハルナの手にはチョークのような形状の細長い魔石が有った。
顕微鏡で観察すればそこに微細な紋様が幾多にも刻まれている事がわかるだろう。
ハルナのお手製のテンプレートだった。
ハルナは部屋を出て、そして家を出た。
それから地面へとかがみ込むとテンプレートを伸ばした。
瞼を閉じ、凄まじい速度で地面へと文字を書きなぐった。
そして……。
巨大なサークルが出現し、ハルナの周囲に爆炎が巻き起こった。
爆風が村の隅々まで行き渡り、ハルナの偉才を告げて周った。
この瞬間にリメイク戦闘の常識が書き換えられたことを世界はまだ知らない。
「ハルナ……!?」
驚いたアルキナが家から飛び出してきた。
アルキナは見た。
ハルナの貌に有る、自信と確信に満ちた笑み。
すなわち……天才の嘲笑を。
ぞくりと。
アルキナの背筋に寒気が走った。
……。
書くリメイクを完璧なものとした数日後、ハルナは旅支度を整えた。
家の前でハルナは母に別れを告げた。
ハルナの右手にはテンプレートが、左手には木の看板が握られていた。
ハルナはテンプレートを用い、看板に別れの言葉を記した。
アルキナはハルナを引き止めることが出来なかった。
きっとハルナは平凡な村娘では無いのだ。
こんな小さな村に縛り付けておくことは出来ない。
そう思わずにはいられなかった。
「行ってらっしゃい」
そう言うと、アルキナはハルナに小さな革袋を渡した。
ハルナが袋を受け取ると中で銀貨がこすれる音がした。
「少ないけど、何かの足しにして」
「ありがとう。お母さん」
ハルナは深く頭を下げると歩き出した。
途中、ハルナは一度だけ振り返った。
少し寂しそうな顔をしていた。
ハルナは変わった。
だけど、変わらないものも有る。
どれだけ大きくなっても、あの子は私の娘だ。
アルキナはそう思った。
ハルナ=サーズクライは旅立ち……。
そして、英雄と出会った。




